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2008年7月19日 (土)

広告代理店って、何を代理しているのだろう。(2)

 前回のエントリ(参照)では、日本の広告代理店の歴史を参照し、そのルーツから、日本の広告業が媒体と不可分であるという仮説を立てました。例えば、アニメ番組の開発は、広告会社にとっては、子どもが使う玩具やゲーム、文房具などのメーカーに、ターゲットが絞られた良質な広告媒体を提供するという意味があります。

 また、その広告代理店の媒体との関わりは、新聞、テレビ、ラジオだけではなく、新しい広告媒体の開発にも及びます。オリコムは、交通広告に強い広告代理店として知られていますが、1922年(大正11年)に日本で初めて新聞折込広告を事業化した会社なのですね。社名も、折込広告社からオリコミになり、1993年(平成5年)に現在のオリコムに変わります。

 新聞折込広告は、じつはターゲットセグメントにきわめて優れた広告媒体です。しかも、新聞に折り込まれるということで、ある程度の広告の品質保証がなされるので、高級外車などの高額商品の広告にも使われています。(ちなみに、この折込広告の優れたシステムを支えるのが、全国に張り巡らされた新聞販売店による新聞宅配システムです。新聞の危機は、すなわち、新聞折込広告という広告媒体の危機でもあります。これについては別エントリであらためて書きます。)

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広告代理店って、何を代理しているのだろう。(2)

■ 媒体コミッションの本音

 企業の宣伝部や広告代理店で長年働いてきた方はご存知だと思いますが、これまで、広告代理店のコミッションは17.65%とされてきました。えっ、高いな、と思われる方も多いかと思います。業界再編と生き残りのための価格競争で、現在は、このフルコミッションで成り立っているのは稀だと思います。かなり下がってきています。

 よく知られることですが、これまでの広告代理店の商売の日常では、クリエイティブ制作費やマーケティングもサービスとして、このコミッションからまかなわれることも多く、かなり大らかな慣習で業務が行われていました。以前、「お金の話をします。」というエントリに書きましたが、このグロスでサービスという慣習だけが残り、コミッションが下がったことで、今、広告制作業界が疲弊しつつあります。

 このコミッションは、どういうことを意味してきたのでしょうか。少なくとも、当の広告代理店にとって、どのような本音を持って、正当化されてきたのでしょうか。仮説ですが、それは、媒体の開発費に広告代理店自身がかかわり投資してきた、ということなのではないか。そんなふうに思えます。企画費、制作費よりも、この媒体コミッションこそが、広告代理店のサービスの本質であるとの自負心がなければ、やはりこのコミッション17.65%は説明がつかないような気がします。

■ なぜ日本では一業種一社制が成り立ちにくいのか

 アニメ番組を例にとります。とある玩具メーカーの広告のために、テレビ局とともに広告代理店が良質のアニメ番組をプロデュースします。すると、そこには、本業とは直接関係ないアニメ番組制作のノウハウが蓄積されます。そのノウハウによって、その広告代理店は、別のアニメ番組を制作することができます。また、別のテレビ局からの引き合いがあるかもしれません。そうしてできた複数の良質な広告媒体を、ひとつの玩具メーカーだけに提供しつづけることは可能でしょうか。

 答えは、限りなくいいえでしょう。つまり、媒体開発を広告代理店の本質的な機能として定義する限り、一業種一社制は限りなく不可能に近いのです。欧米では、一業種一社制が原則的に守られています。それは、欧米の広告代理店が媒体との距離を置き、企画、戦略に重きを置いているからです。

 日本の場合、広告代理店の生業を媒体開発をしてきたという自負を根拠とする媒体コミッションとする限り、一業種一社というよりも、一業種に絞って、そこで多くの企業を請け負うほうがビジネスモデルとして理にかなっています。

 これは、制作という視点では、かなり矛盾をはらんできます。多くの広告代理店では、同じ社屋の中で、制作チームのフロアを別にしたり、個別に厳しい秘密保持契約をするなりの対応をしています。けれども、歴史的に見れば、あまり問題が発生しなかったのも事実です。

■広告は誰がつくってきたのか

 なぜ問題があまり発生しなかったのか。それは、広告制作の主な舞台が、かつては広告代理店ではなかったからです。かつて、広告制作の舞台は、まず企業にありました。企業の宣伝部ですね。高島屋、三越、松下電器、サントリー、資生堂、花王。数えきれないほどの名門宣伝部が存在し、そこには制作部がきちんとあり、デザイナーはポスターカラーを練り、コピーライターがエンピツで原稿用紙にコピーを書いていました。

 そして、しばらくして、ライトパブリシティ、日本デザインセンターなどの広告制作会社の時代がきます。かつてのマディソンスクエアの名門広告代理店を取材し、日本に欧米の最新広告理論を伝えてきた西尾忠久さん(参照)の経歴が、それを物語っています。西尾さんは、三洋電機宣伝部、日本デザインセンターを経て1964年アド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを設立。まさに、宣伝部から、制作会社の流れです。

 つまり、欧米の広告代理店の興隆に注目し、日本に伝えたのは、広告代理店マンではなく、宣伝部から名門制作会社に移り、自らが制作会社を設立したクリエイターだったのです。やがて、フリーランスの時代を迎えます。そこからは、コピーライターブームもあって、多くのスタークリエイターを生み出しました。

 大手代理店のある先輩クリエイターが、こんな話をしていました。例えば、自動車の広告がある。メインの新聞広告やテレビCMはフリーの先生がつくる。代理店の制作である私は、そんな中、どうしても急ぎで作らないといけない仕事や、おつきあい媒体の小さな仕事で、腕を競ったものだ、と。ほんの30年ほど前の話です。
 

広告代理店って、何を代理しているのだろう。(3)へ続きます。
広告代理店って、何を代理しているのだろう。(1)

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