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2008年7月29日 (火)

タレント広告はなぜなくならないのか(2)

 外資系広告会社のクリエイターというポジションは、日本の広告業界という内部と、欧米を中心とする世界の広告業界という外部をつなぐ境界のような位置にあります。内部であって外部でもあり、内部のようで内部でもなく、外部であって外部でもない場所からは、もしかすると内部や外部からは見えない風景が見えるのかもしれないという思いから「広告のしくみ」というお題目で、いろいろな論考を書いています。

 ココログのカテゴリーは、クリックすると、カテゴリー内のすべてのエントリが新しい日付順に表示されるので、少々うっとうしいですが、このエントリに興味を持った方は、「広告のしくみ」カテゴリーの他のエントリもどうぞ。あと、今までに書いた広告関連のエントリは「広告の話」カテゴリーにもあります。但し、これも上記と同じで少しうっとうしいかもです。このへん、なんとかならないかなあ。やっぱり、手動で目次をつくる以外に手はないのでしょうかね。

 少々、前説が長くなってしまいましたが、このエントリは「タレント広告はなぜなくならないのか(1)」の続きです。では、本題、始めます。

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■曲がり角に来た日本のタレント広告

 情報のフラット化により、タレントの相対的価値が下がってきて、以前のような効果を生むことが難しくなってきたタレント広告ですが、その情報のフラット化というのは、情報の中身だけでなく、その器であるメディアにも言えることです。

 ウェブの進展とともに、テレビ、新聞、雑誌などのマスだけではなく、ウェブを含めたクロスメディアプロモーションが当たり前になってきました。そこで、当初問題になったのは、ウェブでのタレント契約のあり方です。ウェブのメディアとしての価値向上とともに、現在はそのへんはゆるくなってきましたが、ウェブはNGということが多かったのです。放映範囲が世界になるからです。

 また、デジタル故の複製という問題もあります。テレビなどコントロールがある程度可能なメディアでは、1クール(3ヶ月)、2クール、年契という放映期間を完全に守ることができますが、ウェブでは難しくなります。これは、楽曲の使用にも言えることです。

 さらには新聞折り込みや店頭チラシ、店頭SP、ウェブバナーがNGというケースも多く、以前なら、それはしょうがないと言えたのですが、ホリスティック(全体的)なコミュニケーションを実現しようと思うと、タレントが大きなネックになってくることが多くなってきているのです。

 一消費者として、ホリスティックなコミュニケーションがなされているかどうかを思い出してみると、多くは自社開発のキャラクターだったりするのではないでしょうか。Suicaのペンギンとか。私も、現在、とある企業で自社開発キャラクターを使って、2年ほど広告を展開していますが、非常に使い勝手がよく、コントロールもできていい感じです。こういう新しいメディア環境においては、タレント広告というのは、その瞬間風速の速さの魅力はあるものの、やはり少し古くなってきているかもしれないな、と感じています。

■欧米にタレント広告はあるのか

 このへん、気になるところですよね。結論としては微妙です。U2起用のiPodのキャンペーンもタレント広告と言えなくもないし(エミネムバージョンは、以前アップルがCMで無断使用したことによる裁判の和解を期に起用。いろいろ話題づくりがうまいですね)、特にアメリカでは超大物アーチスト起用はよくあることです。MCハマーのペプシもありました。比較広告でしたね。コークを飲むとうまく歌えないけど、ペプシを飲むとうまく歌えるというやつ。その前は、マイケルジャクソンが起用されていました(もしかすると日本限定かも)。

 この手の手法は、欧米では「セレブリティの起用」と呼ばれます。もちろん、タレントというのは和製英語ですから、同じ意味なのかもしれませんが、若干ニュアンスが異なります。セレブリティは、その筋の権威も含みます。ペットフードのペディグリーが展開していた「トップブリーダーも推奨」のトップブリーダーもセレブリティなんですね。

 これは、ある欧米での在住経験のあるクリエイターからの伝聞ですが、日本のような、有名な芸能人が一般人を演じるタイプのCMや、とりあえず、何の根拠もなく製品を芸能人が推奨するといったCMはないということです。欧米で普段流れているCMを見た訳ではありませんので、何とも言えないですが、海外出張などで見たテレビでは、あまりタレント広告的なものは見ませんでした。どなたかご存知の方は、コメントをお寄せくださいませ。

 という感じなので断言できませんが、タレント広告は、わりと日本に特徴的な広告文化なのかもしれません。欧米の広告会社のクリエイティブディレクターは、世界各国のクリエイティブディレクターを経験して出世していくのが多いのですが、タイやオーストラリアなど、様々な国では、優秀なクリエイティブディレクターは成功をおさめるのに、なぜか成功できない国が2つあるそうです。それは、日本と韓国。日本と韓国に配属されることは、出世コースから外れたことを意味するそうです。それだけ成功が難しいということなんですね。今まで成功したのは、ワイデン+ケネディのジョン・ジェイさんだけなのではないでしょうか。

■タレント広告はブランドをつくれないの嘘

 タレント広告はブランドをつくれない。これは、よく言われることですね。広告業界では、周期的に出てくる話題です。ブログにおける実名匿名の話題みたいな感じですね。でも、これは半分本当で、半分は嘘だと思うのです。

 確かに、クリエイターとしては、タレントの力を借りずに、自力のアイデアだけで広告をつくる醍醐味はあります。それがうまくいったときの大きな価値も、タレント広告の比ではありません。しかし、タレント広告だって、強いブランドをつくることができます。その証拠。

 森光子さんのタケヤみそ。所ジョージさんの年末ジャンボ。アニメですが、三木のり平さんの桃屋。これは、三木のり平さんがお亡くなりになった後も、息子さんの三木のり一さんに引き継がれ、今も続く名物CMです。

 私の個人的な思いですが、なんとなく、日本のブランド論って、このようなの日本の愛すべきブランドを無視しすぎなように思います。このあたりの話をカットしたブランド論は、私は信じる気になれません。みんなが、ヴィトンのようなブランドを目指しているわけではなく、なにか、日本の場合、カッコいい=ブランドというように誤解されているように思えてなりません。

 話をブランドに戻しますが、要するに、ブランドをつくることができるか否かは、タレント広告か否かではなく、同じことを続けられるかどうか、だと思うのですね。タレント広告がブランドをつくれないとするのは、タレント広告の持ち味である瞬間風速を求める限り、タレントを変え続けなければならないという宿命のためです。

■沢口靖子「タンスにゴン」の衝撃

 私は、このCMで日本のタレント広告の進化が終わったと思っています。それくらい私にとっては衝撃でした。覚えてらっしゃる人も多いかと思いますが、沢口さんが出演するタンスにゴンの最後のCM。沢口さんが、美容室で整髪されながら、友達か誰かに電話で話しているシチュエーション。

タンスにゴンのCM契約終わってん。ふふ。いつまでもアホなことばっかりやってられへんやろ。あたし、今年でもう26やで。誰が26やねん!

 同業のはしくれとして、激しく嫉妬します。面白すぎです。でもね、これが面白いのは、ある意味で、日本のタレントCMという文化が終わっている証拠でもあるんですね。つまり、もはやパロディなんです。タレントだって、一市民として、CMを切られるとショックであり、それを笑ってやりすごし乗り越えていく力強い庶民でもあるんです。

 こんなことは、私が力説するまでもなく当たり前。そんな世の中です。身も蓋もないフラットな世界。かつてタレント広告が最も得意とした、「尊敬と憧憬のマーケティング」は、もはや力を持たないのかもしれません。これまでの優れた広告表現は、すでにパロディとして消費されています。それを広告表現の歴史の連続性という文脈で評価するのは、業界人と業界を目指す若い人だけ。

 今という時代は、それを歓迎するにしても、それを悲観するにしても、そんな時代であることは間違いがないのではないかと私は思っています。

   

タレント広告はなぜなくならないのか(1)

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コメント

私は現在は大学で非常勤講師を勤めておりますが、某外資系食品会社で永年PRマーケティングをやっておりました。大学院でマーケティングを学んだこともあり、広告業界の現状を大変興味深く拝見しております。また色々教えてくださいませ。

投稿: yumick | 2008年7月29日 (火) 11:49

こちらこそ、いろいろご教示ください。今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2008年7月29日 (火) 16:56

広告の仕掛けという視点で考えるとそうですが。
この広告のストーリーを誰が演じるか、っていう視点で見ると、タレントと呼ばれる人の方がうまかったりしませんか?
無名の役者さんでもうまい人はいますが、その人をTVCMで露出したら、次の日にはタレントになってしまいます。
海外のCMを見て思うんですが、ショービジネスの、あるいは演劇的芸術の、バックグラウンドの違いってのもあるんじゃないでしょうか。
あとは、出演者にとって、映画や舞台と、広告が、どっちが儲かるかっていう問題もあると思います。

投稿: denkihanabi | 2008年7月30日 (水) 04:06

企画によりけりですが、むずかしいドラマのコンテだと、結局有名俳優さんを選ばざるを得ないのも事実ですよね。

>その人をTVCMで露出したら、次の日にはタレントになってしまいます。

ここに日本の文化的特徴がありそうですね。それとビジネスだから当然お金の問題も。

投稿: mb101bold | 2008年7月30日 (水) 10:24

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