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2008年7月20日 (日)

広告電通賞と鬼十則

 欧米の広告マンがよくする質問に、「広告電通賞というのは何のためにあるの?」というものがあります。電通という広告を生業とする一企業が制定する広告の賞でありながら、電通だけでなく、博報堂、ADKをはじめとする広告代理店が制作した広告作品が審査対象で、業界では日本で最も権威のある広告賞のひとつとして認識されている。そんな状況を、不思議に思うようです。社内賞みたいな感じなのに、なぜ、というわけですね。

 広告電通賞は、電通の第4代社長である吉田秀雄が、1947年の社長就任の年に制定した広告賞です。吉田は、広告業界で「広告の鬼」と言われる人で、現在の電通のみならず、日本の広告業界の近代化に多大な貢献をしました。彼が作った「鬼十則」はよく知られていますよね。

鬼十則
一、仕事は自ら「創る」べきで与えられるべきではない
二、仕事とは先手先手と、能動的に「働きかけ」ていくことで、受け身でやるものではない
三、「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事は己を小さくする
四、「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある
五、一度取り組んだら「放すな」目的完遂までは殺されても放すな
六、周囲を「引きずり回せ」引きずるのと、引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきが生ずる
七、常に「計画」をして、長期に亘る計画を持っておれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる
八、自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらもない
九、頭は常に「フル回転」八方に気を配って、一分のスキもあってはならない。サービスとは、そのようなものである
十、「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練的な人間となる

 なんか、もし吉田が今生きていて、ブログをやっていて、こういうことを書いたとしたら、はてブがたくさん付きそうな感じですね。今風に言えば、ライフハックというのでしょうか。「仕事の鬼となるための10の方法」みたいな。読んでいただければわかるかと思いますが、これはいわゆる一般の経済人にも通じる普遍的な言葉です。つまり、これはいわゆる広告人に限定した言葉ではないとも言えます。吉田は、営業畑出身でした。

 これは、欧米の広告代理店の経営人が残した名言と比較するとかなり違いがはっきりします。吉田が電通社長に就任した1948年に、アメリカで広告代理店オグルビー社(現オグルビー&メイザー)を設立したデビッド・オグルビーの有名な言葉を引用してみます。「ある広告人の告白」の著者でもあります。

感覚的な主張は具体的な数字で置き換えなければならない。常識的な決まり文句より事実のほうが重要であり、中身のない文句は魅力的な言葉と差し替えなければならない。

製品を宣伝のヒーローにしよう。

デビッド・オグルビー[広告人]名著『ある広告人の告白』を遺した偉大な広告人 – ダイアモンドオンラインより

 オグルビーはコピーライター出身。畑の違いからくる差はありますが、同時期に生きた広告人の言葉として、日本では経済人としての普遍的な心構えであり、アメリカでは広告技術の方法論であることから、二つの広告業界の環境の違いを明確に物語っていると言えるでしょう。

 私は、オグルビーをはじめとする独自性の強い欧米の広告理論に魅かれる部分はありますが、この違いは、広告業界が何を目指していたかの違いであるように思います。欧米は、それぞれの広告代理店の差別化で、日本の場合は、広告の差別化、つまり、社会における広告の地位向上であったのです。

 吉田が尽力したものに、広告取引の近代化があります。また、それとともに特筆すべき実績は、誕生したばかりの民放の発展に主導的役割を果たしたこと。テレビの視聴率調査装置を完成させたのも吉田秀雄だということです。

 広告電通賞は、そんな広告の地位向上のために自らがつくった広告賞だったようです。優れた広告は、賞に値する文化なのだ、と経済界に認識してもらうための仕掛けだった、とも言えるかもしれません。とまあ、こんな感じで欧米の広告マンに説明してみるものの、「でも、それならなぜ、彼は賞に電通という名前を関したのだ?」と質問します。

 それは、まあ、文化に寄与するといっても、ビジネスでもあるし、みたいな本音の部分の表現でもあるだろうし、もうひとつ重要なファクターとしては、きっと広告制作が誰のものだったかという文化的背景があったのではないかな(参照:「広告代理店って、何の代理をしているのだろう。(2)」)、と思います。それに、敗戦からの復興という部分も。このへんの部分が複雑だから、「ニッポンノコウコクギョウカイワカリマセン」と言われてしまうところなんでしょうね。

 このエントリを書くにあたって、新しいことに気付きました。アメリカの広告業界も、ずっと15%のコミッションでやってきて、それを固定フィーにしたのはオグルビーなんですよね。1960年とのこと。明朗会計、予算削減になるということで、大変好意を持って迎えられたそうです。この固定フィー制で、オグルビー社は大躍進します。

 この固定というところが肝。つまりは、理屈としてはコストセーブなんですね。それは今も昔も、やっぱり変わらないようです。簡単な話、コストが下がるフィー制導入はよろこばれるけれど、コストが上がるフィー制導入は嫌がられる。まあ、当たり前の話ではありますけど。いろいろこのあたりの話は、難しいですね。

 なんか、日本でなぜフィー制が挫折するかの原因らしきもののひとつがわかってきたような気もしますが、ちょっと今は怖くて言えません。今言えることは、根深い文化的背景を考えずに、そのままグローバルスタンダードだと言って、欧米の商習慣をそのまま導入するのはこの先も厳しいのだろうな、ということですね。それに、欧米の商習慣もこの数年で変化しそうな気もします。その変化を起こすきっかけになるのは、きっとGoogleとかのウェブ広告関係なのでしょう。なんとなく。

 追記:もしあなたが欧米の広告マンに「広告電通賞って何?」と聞かれたら、「カンヌ広告賞に、サーチ&サーチ ディレクターズショーケースというのがあるよね。それと同じだよ。」と答えると納得してもらえます。

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