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2008年7月13日 (日)

悪い奴は誰もいないという考え方

 こういう考え方は甘い考え方なのかな、とときどき思うけど、こういう考え方は悪いもんでもないとも、ときどき思う。こういう考え方は、油断をしているときに、手ひどいしっぺ返しをときどき受けて、やっぱり違うな、さずがにさ、それは駄目でしょ、限界でしょ、と思うときもあり、その度に、後先考えずに、ちゃぶ台ひっくり返したろうかな、とも思ったりする。

 でも、できない。できないから、違うやり方を考える。へたれかなとも思うし、まあ、事実、へたれなんだろうな、と。それに、あんまり自覚はないけど、大めに見てくれた人々のおかげで今の私がいるというのも、あるのかなとも思うし。

 そんなとき、ひとつあるのは、ちゃぶ台をひっくり返さずに、それは駄目だと思う、私はこう思う、けれども、今の状況は理解した、今の状況で生まれた成果はこれからも活かしていきたいと思う。その道理の是非はともかく成果はそれなりに評価もしたい。でも、私の考えを聞いて、君らも違うと思うなら、今後はこうしていかないですか、みたいなことかもしれない。

 いや俺はこう思うと言い返されるかもしれない。そのときはそのときで、まあそれについても考える。で、その考え方が甘ければ甘いと言うし、それなりに、徹底的に問いつめていく。その際に、当然、私たちがいる場の論理において、当然の帰結としてよって立つべき倫理に照らして問いつめる。こちらが間違っていることがあるならば、当然考えるし、自己批判もする。

 そのときの解決は、どれだけ当該の案件を考えて来たか、説得力があるかという競争原理にゆだねたいと思う。その競争原理は、はっきりと決着がつくだけに、逆に冷徹だとも言えるけど。でも、その残酷さのほうが、それ以外のことの成り行きの気持ち悪さと、そのあとの場の腐り方を考えればましかなとも思う。

 これは余談だけど、こういう、場が腐る傾向が見えて来くると、そのきっかけをつくった人は、経験上、かならず逃げる。それはもうおもしろいくらい。どうして、何度も何度もそういうこと繰り返すのかな、と思うけど、まあ習性なんでしょう。で、なんとなく責任はこちらが担わされる。この体験はきついよ。もう駄目だ、すべてがつまらない、と思うもの。2年くらいは尾を引くし、理不尽だけど残った奴の人生の短い期間を棒に振る。でも、長い目で見れば、かならずそれはプラスにはなるから、世の中って捨てたもんじゃないよ、というのが、今の私の結論だけどね。

 話を戻します。場の成り行きとか、政治とか、空気とか、そういうものはなるだけ排除したい。そういうものに支配されたとき、私はその場から降りようと思う。ぜんぶ投げ出したい。できるかどうかわからないけど、原理原則としては、そう。できなければ、市場がもとに戻るまで、しばらくじり貧に甘んじるしかない。自ら空気を読んで、道理を捨てて、新しい市場で新たなポジション取りをしようとは思わない。新しい市場が、アクシデントからの堕落ではない正当な倫理を持っていると思えるならば、いくらでも柔軟に変わるけどね。

 たぶん、悪い奴は誰もいない、という考え方が通らなくなる状況を革命というのだろう。悪いのはお前だ、という状況。それが必要なときもあるけど、たいがいはそんな過酷な状況を誰も求めていないような気がする。革命、革命と言う甘ちょろさと、本気で革命をした人たちの行き着く先を知っている私の世代としては、だからこそ、怒りをもとに行動を起こすことの気持ちよさこそ警戒したい。

 ま、てなことを書いたのは、日常でとあるいらつくことがあって、それについてどうしようかな、なんて、柄にもなくちと悩んでて、昔と違うのは、ちょっとちゃぶ台返しをできる立場にもそれなりにあって、そういうちゃぶ台返しの誘惑があったけど、それはよくないかもと思ったから。

 それと、今の状況は、逆に、それ、もしかするとお前が悪いんじゃない、と言われる状況でもなくて、言ってみれば絶対善に立てる優越的立場にあるわけで、これもまたくせものだなあ、と。まあ、無邪気だったということなんでしょうね。つまり、何も考えずにやってしまいました、みたいな。道理の通らないことをやった人と、その責任者は本当に腹立たしく思うけど、まあ、そいつらもそれなりに善かれと思ってやったんだろうな、と。

 で、若き日の糸井さんの名言に、一生懸命だからと言って許してばかりはいられない、というものがあるけど、その許さない、というやり方をどうする、という課題があってね、自分にとっての許さないのやり方って何かな、みたいなことですね。こういう場合、許す、とか、見過ごす、はあり得ないし、そういう態度は、場が腐っていく原因をつくるんですよね。で、その責任を取るのは経験上、やってられんはと思うけど、たいがい私だったりするし、その影響は1年以上あるし、まあ、自衛でもありますね。

 何があったかは、とってもつまんないことだから具体的に書かないし、他人にとってはどうでもいいことかもしれないけど、まあ私にとっては、とっても大切な道理を踏みにじられた感があってね。そういうの、ありますよね、誰にでも。読んだ方も、いろんなやりきれないシチュエーションに置き換えて、なるほど、とか、それ違うよ、まったく違うよ、とか、それぞれの立場に照らして思ってもらえるのではないでしょうか。でもまあ、誰かが悪い、というふうな水戸黄門的世界なら楽ですけど、世の中って、そういう単純な世界でもないし、難しいですね。ではでは。

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コメント

以前から読ませていただいていましたが、初コメントです。
糸井さんの「一生懸命だからといって許してばかりはいられない」という言葉は「確かに!」と思いました。
ただ、一生懸命ですらない人が多いので、ついつい、一生懸命な人は、それだけである程度許してしまうんですよね。。
一生懸命な炎を消さないで、どう許すか、どう現状を高めていけるか。許すほうのコミュニケーション能力も試されますね。それから受け手の許されるほうにも。。

投稿: スタッフライターymg | 2008年7月13日 (日) 10:24

mb101boldさん、こにゃにゃちわ(^^)

なんかイライラですか?

>たぶん、悪い奴は誰もいない、という考え方が通らなくなる状況を革命というのだろう。悪いのはお前だ、という状況。

↑こういうの、大抵根本の考え方みたいな方向性が間違ってること多いような気が。間違った方向性ていうのは大抵建前的というか、みんな本当は違うと知っているのに、建前でそういうことにしておくみたいな。その建前がまた結構素敵だったりするともう駄目。

それは違うよ本当はこうだよとかいうのが、いいづらくなって、通りづらくなっていく。

けど結果はよくなるはずがないので、悪くなったところで、残っている人がなんとかする羽目に。

それは違う。とガツンと言って、通らなかったらやめちゃうと言う手もあるけど、そう簡単にはやめられないものね。

投稿: ggg123 | 2008年7月13日 (日) 11:09

つづき。というかちょっとつけたし。

>そのときの解決は、どれだけ当該の案件を考えて来たか、説得力があるかという競争原理にゆだねたいと思う。その競争原理は、はっきりと決着がつくだけに、逆に冷徹だとも言えるけど。でも、その残酷さのほうが、それ以外のことの成り行きの気持ち悪さと、そのあとの場の腐り方を考えればましかなとも思う。

↑本当は常にはっきり決着がつくのが正しいビジョンで、決着がつかないのは駄目なのだと思う。冷徹さを選べないのが一番問題なのかも。

投稿: ggg123 | 2008年7月13日 (日) 11:14

スタッフライターymgさん、はじめまして。

若い頃の糸井さんの言葉です。フリーのコピーライターとして大活躍されていた頃です。あれから時が経って、ほぼ日で、しきりにチームワークのすばらしさを言っておられますね。

きっと、「許してばかりはいられない」の先なんだろうと思い読んでいます。私なんかは、まだその感じが実感できないのできっとまだ若いのだろうなと思っています。

投稿: mb101bold | 2008年7月13日 (日) 13:55

ggg123さん、どもです。今日も大阪ですよーん(^^)

こっちは暑いです。

>↑こういうの、大抵根本の考え方みたいな方向性が間違ってること多いような気が。間違った方向性ていうのは大抵建前的というか、みんな本当は違うと知っているのに、建前でそういうことにしておくみたいな。その建前がまた結構素敵だったりするともう駄目。

うんうん。そのとおりですよね。で、そのくらいの大雑把さがなければ革命なんてできないのでしょうね。あと、必要なのは、「建前が素敵」からくる熱狂でしょうね。

熱狂の次にあるのが、問答無用、理屈抜きの排除で、逆ベクトルで考えてても、その同じ穴の狢になる危険はあるなあ、と思ったりしました。結果、同じことじゃん、みたいなね。

投稿: mb101bold | 2008年7月13日 (日) 14:03

わ。大阪も?東京も今日はすごく暑いです。
(^0^;

なんだか難しいですねマネジメントって。
いろんな考えの人がそれぞれに良かれと思って動いて、それでナントカなるのはやっぱり、なにか目的が共有されているからだろうと思うのですけどね。でも、それもおめでたいのかも。

自分と考えの違う人に納得して引き下がってもらうようなことって、かなりの筋の通ったビジョンがないとできないことだと思う。前に弾さんのところで、同僚をクビにするはなしがあったのですけど、あれは弾さんのスジがちゃんと通ってて、相手のかたも納得だったのだろうと思います。

そこまではいかないレベルでも、問答無用、理屈抜きの排除にならずにやるには?私はやっぱりぼーるどさんのスジだと思う。ぼーるどさんのスジがちゃんと伝われば、前任者が招いた悪い状況が認識されるにつれて、というかその状況が梃子になって、納得して、引き下がるよりさらに支持してもらえるかも。

というわけでアツイけど、なんかスタミナのつくものでも食べて、がんばってね~
うちは今日はドライカレーだよ~ん。(^0^)ではでは~

投稿: ggg123 | 2008年7月13日 (日) 16:08

ggg123さん、どもです。
そろそろ3ヶ月、昨日は次の転院先の見学とケースワーカーさんとの話し合いにいって、今日はちょこっとお見舞いです。
ちなみに本日は焼き魚(鯛)とアサリの酒蒸し。うまくできて、なかなか旨かったです。おやじ、酔っぱらってます(^^)

投稿: mb101bold | 2008年7月13日 (日) 22:15

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