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2008年7月10日 (木)

意味系、音系

 ギャグとか、流行語とか、そんなみんなに口にされることを指向する言葉は、やっぱり音系が強いと思います。意味系の言葉って、流行してもすぐ終わるけど、音系は息が長いです。

 たとえば、窓辺のマーガレット桂三枝さんのギャグ。「窓辺のマーガレット」という枕詞、知らない人も多いでしょうね。三枝さんが「ヤングOH!OH!」というテレビ番組で司会をしているとき、いつも言っていました。本人としては、けっこう押していたんじゃないでしょうか。

 「いらっしゃ〜い。窓辺のマーガレット、桂三枝です。」

 でも、今も残ってるのは、だんぜん「いらっしゃ〜い」のほうですね。KinKi Kidsの剛くんも、たった今、テレビでやってましたし。一方の「窓辺のマーガレット」は、当時はけっこう流行っていたんですが、すぐに古くなってしまいました。やっぱり、意味系の言葉って、口がよろこばないからなんでしょうね。

 古くは、笑福亭仁鶴さんの「どんなんかなぁ〜」。最近では、世界のナベアツさんの「オモロー!」というのが音系のいい例ですね。あれ、いいですね。なんか、口がすごく言いたがる音です。よくできているなあと思います。なんか、音が鮮烈。パッと前が開けてくる感じがします。

 言葉というのは、きっと音と意味でできていて、人間の身体が敏感に反応するのは、きっと言葉の音成分のほうなのでしょう。意味成分は、いちど頭に入って、おもしろさを頭で理解しないといけないので、身体反応が起こるまでのタイムラグがあるような気がします。ダイレクトではないぶん、知的なおかしみというのはあるのですが。

 意味系芸人の代表選手である松本人志さんは、桂三枝さんのものまねをするとき、あまり「いらっしゃ〜い」みたいな部分でものまねはしないんですよね。ピンクのスーツに蝶ネクタイ、七三分け、真っ赤なほっぺで「窓辺のマーガレット、あなたの三枝ちゃんです。」とやるんです。

 あの松本さんのものまねは、三枝さんという存在の、意味論的な現実とのズレ、みたいなものを表現しているような気がします。松本さんのものまねは、そういうのが多いですね。松本さんがやる島田紳介さんのものまね、見たことありますか。最近はやらなくなっちゃいましたが、あれ、最高です。

 「感動やなぁ。自分、それ、めっちゃ感動やん。」

 と、しゃくれながらやるんですね。ここでの自分というのは、関西特有の言い方で、あなたの意。音はあまり似てないんですが、なんか、めちゃくちゃ紳介さんなんですよね。ちょっと毒が入っていますが、これも意味論的。紳介さんの意味論的な存在って、ああいう感じって思います。

 松本さんは、徹底的に意味系な人ですね。「人志松本のすべらない話」という番組は、音系鉄板ギャグへの、意味系からの挑戦状だと思います。松本さんの中には、本当のおもしろさというものは、音じゃないんだ、やっぱり意味なんだ、という強い思いがあるのでしょう。松本さんって、持ちギャグないですしね。

 でも、松本さんは、音系というか、身体から来るおもしろさと強さをきちんと理解している気がします。松本さんはコントでしきりにダンスのステップをモチーフにしますよね。松本さんには、そんな、どうしようもなく抗しがたい、身体から来るおもしろさを、意味でいつか超えてやろう、みたいな情熱を感じます。

 文学で有名な話に、太宰治が、志賀直哉に、私はあなたが嫌いだと言ったというのがありますね。じつは努力の人である太宰治にとって、志賀直哉という天性の文章家は気に食わなかったのではないのかな、と思います。太宰の言葉は、意味系で、志賀は音系。そんな感じでもう一度読み直してみると、志賀を貶したくなった太宰の気持ちが理解できたような気がしました。

 太宰治という人は、じつは意味に重きを置いた小説家だった気がします。その意味を完璧に表現するための文体だったのでしょう。一方の志賀直哉は、天性の文章家だから、文体は自分。言葉の自律運動から意味が自然に出てしまう、そんな人なのでしょう。太宰治は「女生徒」(参照)という小説を若い女性の一人称で書いています。こういう小説を太宰が書いた気持ち、なんかわかるような気がします。

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コメント

コミュニケーション論的な視点だと、意味、音、そして「動き」
が有るように思えます。普段「音」によるコミュニケーション
ばかりの生活をしていると、慣れない文章で掲示板に書き込ん
で、誤解されたり、揚げ足を取られたりして散々な目に合う、
なんて事なんでしょうね。

顔文字とか、絵文字なんてのは、音の代替物として機能してる
のかな。

すると、次に出てくるのは「動き」ですね。
肯定的な事を言いながら、首は横に振ってる見たいな表現
が出来ない環境、それが、ネット上のコミュニケーション
ですからね。
前回の書込みで有った「おしゃべり」は、そんな音と動作で
コミュニケーションの多くがが成立し、意味をあまり意識し
なくても良いから、気楽なんだって事になりますかね。

投稿: をたくな講師 | 2008年7月10日 (木) 13:19

そうですね。文字コミュは、どうしても意味系に偏りがちですね。音、そして「動き」の補助がないから、意味系の機能が表に立ちすぎて、それが様々な混乱の原因になっているように思います。メールは、実際よりきつく感じますものね。
流行る音系ギャグも、必ず「動き」も特徴的ですよね。「いらっしゃ~い!」の髪を掻き分けるしぐさとか、「グー!」の親指とか。

>前回の書込みで有った「おしゃべり」は、そんな音と動作でコミュニケーションの多くがが成立し、意味をあまり意識しなくても良いから、気楽なんだって事になりますかね。

そうですね。情報が多いから、相手の反応とか判断がつきやすいんでしょうね。会って話すことのよさは、その気楽さや安心感かもしれませんね。

投稿: mb101bold | 2008年7月10日 (木) 15:17

意味にはしばしば時代性というか文脈というかがまとわりつくので、その点、音のほうが時代を超えた普遍性があるということなのでしょうね。

「窓辺のマーガレット」、私なぞは聞いてもどういう意味なのかまるでわかりません(字句通りの意味はもちろんわかりますよ)

投稿: とおりすがり | 2008年7月11日 (金) 09:40

三枝さんの「窓辺のマーガレット」は、今から30年ほど前ですね。「いらっしゃーい!」も同じくらいです。当時、三枝さんは上方落語会きっての紅顔の美少年で売っていたんですよね。
そういう意味では、「いらっしゃーい!」は30年たってもいまだ現役。音系、強し、ですね。

投稿: mb101bold | 2008年7月11日 (金) 16:05

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