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2008年8月17日 (日)

吉野家で牛丼かっこんでいる41の男が考えていること

 なんか「なぜ吉野家は食券機を置いていないのか。」というエントリがはてなブックマークで数多くブックマークされて、たぶんお盆休みと重なったことでエントリが少ないこともあり、はてなブックマークのトップページからなかなか落ちず、その間に多くのサイトにも取り上げていただいたり、ココログのアクセス集中ブログのトップになったり、そんなこんなでアクセス解析が今まで見たこともない状態になっています。こんなこともあるんですね。(あ、それと、この場を借りて。はてブのタイトルと本文の吉野屋を吉野家に修正していただいた方、ありがとうございます。)

 でもまあ、アクセスがいつもより多いからといってパソコンが発熱するわけでもなく、サイレンが鳴るわけでもなく、街で女の子から声をかけられるわけでもないので、いまいち実感がありませんし、ブログというのはパーマリンクの集合体なので、エントリ単位で読まれているみたいで、新しいエントリには影響はないようです。それはそれで、さみしいもんですねえ。

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 いつもは一人称を私と書いているのですが、今回は僕でいきます。しゃべるときは僕が多いので。なんかそんな気分。このブログは、外資系の広告代理店でクリエイティブディレクターという仕事をやっている僕が、日々思うことやいろいろな論考を書いている、いわば、僕メディアみたいなものです。だから、広告の話題だけでなく、音楽や社会のこと、ここ最近気になっている医療のことなど、いろんなことを雑多に書き綴ったりしています。広告系ブログと思って来てくださる人は、少しものたりないのかもなあ、と思ったりしますが。

 でもまあ、そんな感じで節操なくやっているので、広告やマーケティング関係ではないいろいろな素敵な人たちとコミュニケーションさせていただいたりして、本人はほんと楽しくやれています。最初は、ブログタイトルは違う感じにしたらよかったかな、なんて思ったりしましたが、まあ、ブログなんてものはある程度時間が経ったら、タイトルはあまり関係ない世界になってくるので、それはそれでいいかしら、と今では思っています。

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 枕が少し長くなりましたが、僕の商売について、ちょっと本音モードで書いてみたいと思います。

 世間から見たら、広告制作という仕事は、ふわふわした商売なんだろうなと思います。うちの親父なんかも、おまえの仕事は虚業なんだから、虚業として自覚しないと駄目なんて、今だに言います。(なのに、電通株を持ってたりするんですけどね)でも、それは一部の有名クリエイターさんたちのイメージなのかもしれません。テレビなんかで紹介されるクリエイターのイメージ。私は、一部の有名クリエイターさんともときたま仕事をしますが、実際は、ふわふわしているどころか、意外と地味で、非常にしっかりとした人たちばかりなので、世間のイメージなんてあてにならないな、とも思います。でも、広告のお仕事は下火なので、そんなイメージなんてもはやないよ、という意見も聞こえてきそうですが。

 そんな僕の商売ですが、実際は時間に追われて、徹夜ばっかりだし、お金のことで始終悩むし、結果が出なければ罪悪感に苦しむし、アイデアが出ないときは自分を無能だと思うし、因果な商売だなあ、なんて思ったりします。どんな商売もそうですが、お金を稼ぐのはしんどいことですね。それに、広告が下火でしょ。とくにマス広告は。一部にある、マス広告はなくなる、みたいなことは思わないけれど、バイは確実に小さくなっていくでしょうね。やっぱりね、考えるんですよね。これから生き残っていけるのか、なんて。幸い、いまのところ、わりと調子よくやれてはいますが、この先どうなるかはわかりませんし。まあ、駄目になれば、そのときはそのときですけどね。

 広告制作の世界ですが、いままでのやり方がどんどん通じなくなってきています。広告は古典芸能ではないので、今までほめられていたやり方を固持しても、いいことはありません。周りの制作者は、昔のやり方にこだわりを持っている人も多く、上司なんかはみんなそんな感じですので、その軋轢はありますね。これじゃ勝てないです、とか、それは違います、とかわりとリアルでははっきり言う方なので、けっこうストレス抱えて日々を送っています。

 でも、また大事なのは、いままでのやり方でも普遍的によいものもあって、そのことまで捨ててしまって新しいことをはじめようとすると、結局はその新しさは時間とともに消費されるだけですから、それはそれで駄目なんですね。時代は変わっても、広告なんて、かつて絵描きになりたかった人や、もの書きになりかたかった人たちの能力を利用してつくるものであるのには変わりがなく、やっぱり普遍的なクオリティってのはあります。

 周りの最新、最新、最新の、方法論至上主義な人たちともあまりなじめず、私のようなタイプは、いま微妙な立ち位置かも。結局は絵の力であり、言葉の力です。広告なんて、それにつきます。広告関係のブロガーさんなんかでも、ああ、この人、会社の中で微妙な立ち位置なんだろうなと思う人も、ちらほら。まあ過渡期ですから、今は我慢かも。

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 それと、表現に興味があって、広告を目指す若い人へ。ふだんは夢のあることばかり聞いていると思うので、僕メディアのブログらしく、本音ではどうなのか、みたいなことを。広告は、表現の世界でいえば、公正さに欠ける世界ではあります。チャンスは、会社や制作チームを含めた、どの組織にいるかで決まるところあるし、なにも貢献しなくてもチームにさえいればつくったことにできる世界。良心の呵責さえ捨てれば、けっこう、調子のよさで渡っていけるところがあります。ピュアアートではそれはないですよね。それが、表現の世界として見た場合、この広告の世界の甘さ、駄目さでもあります。絵の書けないデザイナー、言葉の書けないコピーライターでも、とりあえずはやっていける甘さ、駄目さ。

 どの世界もそうかもしれませんが、わりとおいしい話を探しまわる下衆な雰囲気を持った人が多いのも、広告という世界の特徴。汚れ仕事から露骨に逃げる人も多いです。その一方では、実直で誠実な人も多いけど。これからデザイナーなり、コピーライターなりになろうと思っている人は、もうひとつ自分の表現世界を持っておくほうがいいと思います。それがあれば、運、不運に振り回されることもないし、その表現の世界から、客観的に広告表現の世界を見つめられるし。

 僕の場合、時代がまだよかったのかもしれないけれど、広告だけしか見えてない時期があって、昔、児童文学みたいなものを書いたりして、それで賞をもらったりしたけど、ぜんぶ捨ててしまいました。今思うと、忙しくても、そういうベースになるものは、表現に携わるものとして健全に生きるために、あったほうがよかったな、と思います。今の時代は過渡期だから、特にそう。

 今となっては、僕の場合、業界の出だしがCIプランナーという戦略立案の仕事だったことがよかったな、と思ったりしています。自分のことは棚上げですが、この業界、制作生え抜きより、営業経験者やマーケ経験者が活躍してるケースが多いです。やっぱり視野が広いんです、そういう人は。広告会社に就職して制作に配属されなくて、くさっているなら、それは駄目ですよ。とりあえず、今の仕事を一生懸命やってみたらいいです。きっと役立つし、その業種の面白さも発見できると思います。それを見つけられた上で、それでも制作やりたかったら、私みたいに会社をやめればいいんだし。

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 で、今の僕。これからは、何か新しいことをやらないと自分で面白いと思わなくなってくるんだろうと感じています。いままでは、そうじゃありませんでした。業界のクオリティの基準が、しっかりとした広告効果とほぼ同期していたから。でも、いまはそうじゃないです。私は広告の表現面の担当ですから、いまきちんと届く表現について考えるのですが、その新しさは、案外見た目は新しくないものかもしれないですが、そういういまきちんと届くこと、それ自体が本当の新しさだと思っています。

 新しさ、ということにすごく興味があって、ぶっちゃけてしまうと、ここ最近、新しさが見つかるならば、それが広告でなくてもいいのではないか、なんてことも考えます。前にも書いたことがあるけど、私は制度としての広告にはこだわりはないんですね。それよりも、機能としての広告に興味があって、それは英語で言うとアドバタイジングに興味があり、インフォメーションではありません。そのアドバタイジング的なコミュニケーションが、制度としての広告でなくてもいいし、また、人生の道のりの中で、それと同じような、自分にとっての新しさが見えてくれば、それはそれでいいし。そのための試行錯誤はしていきたいなと思いながら、うだうだ考えています。

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 今回は、あまりテーマも決めずに、なりゆきのままに書いてみましたので、よくわからない感じになってしまいました。はじめて来られる方も多いし、あらためての自己紹介ですかね。なんだかんだで、結局は広告の話というか、仕事の話ばかりですね。ああ、やになっちゃいます。自分で言うのもなんだけど、つまんないやつだなあ。とまあ、こんなことを考えながら、吉野家で牛丼かっこんでいる41の男が書いているブログでございます。今後ともよろしくお願いします。

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コメント

>自分で言うのもなんだけど、つまんないやつだなあ。

こんにちわ(^^)
ボールドさんは仕事の話がおもしろいの。他の話も面白いけど、いちばん強度?があるのが仕事の話なの。ボールドさんはそれでいいと思うけどな。

投稿: ggg123 | 2008年8月17日 (日) 15:00

ggg123さん、どもどもです。

会社の人と飲みに行っても、帰るとき、仕事の話ばっかりになっちゃったね、とか言われてしまいます。まあ、そういうたちなんで、しゃあないですね(^^)

投稿: mb101bold | 2008年8月17日 (日) 15:25

いつも読ませていただいています。地方在住のコピーライターです。
首都圏の広告業界から離れて久しいのですが、今回のエントリーを読んで「公平さに欠ける」世界であったことを懐かしく思い出しました(笑)。
でも最後に残るのは、誠実な努力をし続けるクリエイターですよね。
新しく、力強く、効果のある表現をめざして、がんばりましょう!

投稿: KIKU | 2008年8月17日 (日) 15:26

KIKUさん、こんにちは。
まあ、広告は組織でつくるという感じの環境になってきましたからね。でも、長期で見ると誠実にやるのがいちばんなのは間違いなし、そんな感じです。今後ともよろしくです。がんばりましょう!

投稿: mb101bold | 2008年8月17日 (日) 15:47

面白く読ませて頂きました。
マーケティングとクリテエイティブ両方は
大変かと思います。

正しいものと面白いもの、いずれも重要だと思いますが、
自分が好きなものが受け入れられるのは少ないですね。

流行廃りを受け入れつつ、声を大きくしたり小さくしたりする技術が求められていると思います。

いつまでも過渡期だと思います。
同じものは許されません。

投稿: is | 2008年8月19日 (火) 01:00

読んでいただきありがとうございます。
正直、マーケティングとクリエイティブの両立みたなことは考えてないのです。というか、対立するものでもないし。それが対立しているというのは、よく聞く話ではあるけど、それはどっちかが間違っているのだと私は思います。
私は両方を目指しているのではなく、やはり軸足はクリエイティブですが、正しいもの=マーケティング、面白いもの=クリエイティブという指向性もありませんし、どっちがかけてもそれはやっぱりクリエイティブではないのでしょう。難しいですが。同じもの、というのも、同じものをつくるほうが難しいですしね。時代や状況とか、すでにスタート時点が違うわけだし。
自分が好きなもの、というのも特にないです。広告は、目的に向かう表現だから。自分特有のノウハウとか傾向というのはあるけれど。それと、いまは50年レベルの時間の流れでいうと確実に過渡期です。
いま、広告やメディアだけでなく人間の表層の精神も変わりつつあります。私がいう「見た目が新しくない」というのは、表層の変化の深層にある、ある普遍性みたいなことです。
でも、isさんがそう読めたということは、それは鏡ではあるとはおもうけど、私の中に鏡になってしまう何かがあることは、きっとあるのでしょうね。とにかく、まあ、お互いがんばりましょう。今後ともよろしくです。

投稿: mb101bold | 2008年8月19日 (火) 02:05

広告の仕事の話、おもしろいですよ~。
わたしは出版なので、コトバとか表現の話とか、どうしたら人に届くのか、とか、広告の話と比較すると、同じだったり違っていたりで相対化できて、おもしろいです。(業界が過渡期なのもいっしょだし)。こういう読者もいるってことで。

投稿: goriko | 2008年8月20日 (水) 23:48

gorikoさん、お久しぶりです。
そうですよね。出版はいま、ほんと過渡期ですね。確かに仕事の話は、同じなのに違う、違うけど同じ、っていうことがおもしろかったりしますね。引き続き、よろしくです〜。

投稿: mb101bold | 2008年8月20日 (水) 23:59

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