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2008年8月10日 (日)

ブランドって何だろう(3)

 ブランドで最も大切なのは、ブランドが信じる固有の価値を、持続的、継続敵にコミュニケーションしていくことです。これは、実務では非常に難しいことでもあります。企業も、そして私たち広告会社も変えたがる生き物だからです。少し売り上げが下がったりすると、今まで言ってことが間違いではないかと思うのが人情だし、経営的な環境が変えないことを許さないかもしれません。

 こう変えるべきだ、という提案は容易ですが、変えるべきでないという提案は勇気がいるものです。また、変えてはいけないと頑になることは、信念の硬直化を生み出してしまいます。これは、人間でも同じですね。陳腐化するし、硬直化した思考は、現実との距離を大きくしてしまいます。

■変えてはいけないものをどこに置くか

 だからこそ、変えてはいけないものが何であるのかを認識することは重要なのだと思います。私の場合、変えてはいけないことを明文化します。例えば「ちいさなことをコツコツ積み重ねることはいいことだ」と信じる、というふうに。これを絶対なものにします。このステートメントは、明確な違いを表明できて、かつ、時代の変化では価値が変動しない普遍性を持ち合わせることが重要な気がします。

 広告表現においては、明確な差別性が最も重要と言われますが、このブランドの核は、ある普遍性が求められます。そして、この絶対変えてはいけないステートメント以外は、柔軟に変えてしまっていいと考えます。もちろん、変えることが第一義になってはいけないとは思いますが、例えば、デザインフォーマットや色なんかは、陳腐化を感じれば、変えてもいいと考えるのです。

 これには異論があるでしょう。ビジュアルの継続性もブランディングの重要な要素であることも事実です。しかし、そのために、ブランドが完全に陳腐化するよりは動いていくほうがよいような気が私はしています。人になぞらえるなら、髪型や服装は変えてもいいんじゃないか、という考え方です。わかりやすく言えば、大切なものが変わらなければ、髪型や服なんて小さなことではないか、そんなふうに思うのです。

■広告は人である、というふうになればそれが理想

 私は、ここ最近、商品広告があって、企業広告があって、ブランド広告がある、というふうに分けて考えることをしないようになりました。例えば、テレビCM。テレビを見る人にとって、企業側の役割の区別は知ったこっちゃないからです。どれも等価の15秒。テレビCMのブランドCMではかっこいいことを言って、売りの現場に近いSPやネットでは売りに徹する、そんな考え方はあまり意味がないように思うようになりました。

 いままでは、ブランド広告では、広告で人を表現すべきであると考えがちでした。でも、これは逆なのではないでしょうか。消費者にとっては、ブランドが人を表現するためにあるのが広告という器という見え方はしていないはずです。広告がブランドであり、ブランドが人であるとすれば、つまり、広告は人なのです。

 レスポンスを求める広告。実際の商売に直接寄与する広告。昔は、ハードセルと言われました。ハードセルばかりやるとブランド感が損なわれるから、定期的にブランド広告を打つ。そんな定石は、今の時代、あまり意味がないかな、と思うんです。広告が税金対策だった時代はそれでもよかったんでしょうが。

 こんな時代に、大切なのは、現実に機能する広告です。この場合、レスポンスを求める広告です。であるならば、レスポンスを求めるという行為自体が、そのブランド、つまり、その人を表現するようにしなければならないように感じるのですね。セールストーク。そこは、きれいごとを言うシチュエーションよりもより人間性を表すものです。この現実に寄与する広告こそ、本当はブランディングの主戦場とも言えると思うのです。

■ブランド感を損なうから電話番号を小さくレイアウト、の駄目さ

 もう、こういう考え方、クリエイティブからなくなったらいいのに、と思うんですね。電話番号を大きく入れることは、ブランドを損なう行為ではありません。逆に電話番号を小さくすることで、気軽さ、敷居の低さというブランド感を損なうことだってあります。

 例えば、小さな文字で電話番号を入れる行為は、目の悪い方やお年寄りに配慮しないというメタメッセージを投げかけてしまうのです。それが問題にならないブランドの場合は、特に小さくてもいいとは思いますが、誰にでも気軽に、というブランドがあったとして、その小さな電話番号ひとつで、そのブランドの信念が嘘になってしまうのです。

 あらゆるコミュニケーションがブランドの総体であるならば、ブランド広告だけがブランドをつくっているのではないのならば、そうしたひとつひとつのコミュニケーションに等価に考えるべきです。ハードセル広告が必要であるならば、ハードセルという行為そのものが、その人を表現するようにつくらなければいけないということです。そして、それは可能です。

■尊敬と憧憬のブランディングの終わり

 私は、人々がブランドに尊敬と憧憬を持って接する時代は、そろそろ終わるのではないかと考えています。尊敬と憧憬でものが売れた時代が確かにありました。高度成長期です。憧れの生活。夢の商品をようやく手に入れる幸せ。けれども、それはもうノスタルジーですよね。

 海外高級ブランドのブランディング手法の劣化コピーではものが売れなくなってきているのは、マス広告の終焉以前に、こうした時代の変化があるはずです。いま、マス広告の終焉と言われるものの大半は、表現の問題なのではないかというのが私の思いであり、このブログの広告関連エントリに貫かれているものなのだろうと、なんとなく書いてて思います。

 なんかまとまりがなくなってしまいましたが、お気軽個人メディアゆえ、なにとぞご了承を。北京オリンピックのテレビ観戦で忙しいときに、こんな空気を読めないエントリを読んでいただいたみなさま、ありがとうございます。谷亮子選手、負けてしまいましたね。でも、負けてもしっかり話す谷さんは、いいなと思いました。ああいう態度、ブランディングの見本だと思いました。ではでは。


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