できません。
ということを言ったことが、あまりないです。仕事に関してですが。これは、特に偉いわけでもなんでもなく、クリエイーターという人種に特有の倫理観。とりわけ年配の人に顕著に見られます。まわりも、そんな人ばっかりだし。
あまり勝ち目のないコンペ作業。ことの成り行きで、制作担当の役員と一緒に作業。急な仕事でもあり、若いコピーやアートのスタッフは、次々脱落。できません。作業があるので、できないかもしれません。見てると、まあ確かに忙しそう。
そういうの、正直、ちょっとわからない部分はあるんです。自分の中にそういう考えがないから。できるやろ、と。役員でさえ、受けたからには老体にむち打ちやってるやろ、と。おっちゃんかて、忙しいんやで、と。まあ、言いたいことは、いろいろあるかもしれんけど。受けたからには、やる。やる前提の融通はいくらでもきくけど、途中でできないっていうのはね。
大人は怒ったりはしないから、ニコニコやってるけどさ、心の中では、とまあ、愚痴ってみるも、考え方を変えると、できません、を言わない私のようなタイプは、けっこういいかげんなのかも。いい言い方をすると、融通がきくタイプ。悪いいい方をすると、わがまま。
その年配の役員なんかは典型だけど、打ち合わせの時間もぜんぶ自分の都合。それがわかっているから、第一優先の都合を考慮しつつ、あるときは無視しつつ、こっちも自分の都合でどんどん動く。そんな感じでやってるから、「その時間都合悪いんです」「まあ、いいよ。」みたいな感じで、わりとおおらかに危機を乗り切れる。
で、そんな工程表無視のふるまいで、唯一見ていること。それはケツ。締め切り。そこだけ見て、やらなきゃいけないという危機感のセンサだけ同期させておく。たいがいは、それでうまくいく。
てな話を、プレゼン前の空き時間にルノワールでこれ書いている私なんかは、すげーいいかげんに見えるんだろうな。余裕あるやんか、と。まったく余裕ないんですけどね。でも、そういういいかげんさで見えなくなっているもの、たくさんあるんでしょうね。でも、反省はしないですけどね。
追記。
考えてみると、愚痴っていうのは、ケツを割らない人にだけ許された、つかのまの息抜きなんでしょうね。暮らしの知恵っていうか、仕事の知恵っていうか。家族についての愚痴っていうのは、家族の絆みたいなものの信頼の上でしか成り立ちそうにないし。うちの嫁、あれなんですわ、っていうのは、嫁さんへの信頼が前提。そんな感じです。
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