広告会社はこれからどこに行くのか
その昔、聞屋と広告屋は信用するな、なんて言われたりしていました。戦後のテレビの成長とともに広告会社は巨大化していき、バブルの頃は、もはや我々は広告会社ではない、コミュニケーション全般を扱う情報商社なのだと息巻いていました。あの頃、大学生の希望職種がクリエイティブよりもSPに集まっていました。タレントさんを引き連れて、全国キャラバン。そんな華やかな時代。
資生堂とカネボウがキャンペーン合戦を繰り広げ、街にはキャンペーンソングが流れ、マス全盛時代に酔いしれていました。もちろん、その頃、私はただの学生さん。そして、そんな時代は長く続かず、外資系の進出と業界再編が行われました。欧米流のブランドが叫ばれ、電博のスタークリエーターたちは、巨大化し硬直化した広告会社から抜け出し、次々とクリエイティブエージェンシーを立ち上げていきました。
これからはネットだ、と広告会社にはネット専門の部署が設立され、我こそはネットの先導者であるとの自負のもと、様々なプロジェクトが実施されました。ネット広告費がラジオを抜き、ネットは、売り上げの面でも無視できない存在になりました。
広告会社が考えるネットは、新聞や雑誌、テレビ受像機の延長線で、かつそこに双方向性を具えたコミュニケーション装置としてのネットでした。消費者が参加できる広告。単純化すれば、クリックすれば動く、そんなこと。その頃、私のPCは性能が悪く、業界誌で話題になった広告会社のスペシャルサイトの多くは、見たくても閲覧できませんでした。
私の実務にもネットはやってきて、スペシャルサイト全盛の流れに私は背を向けて、ひたすら軽いサイトをつくり、Yahoo!などの検索サイトのバナー広告をつくり続けました。Yahoo!のトップページの小さなバナーに、旧型のPCでも閲覧できる、極限の軽さにシェイプアップしたCM動画を載せて(Yahoo!のバナーは相手のPC環境を自動認識して、貧弱な環境では静止画およびGifアニメバージョンに切り替えるようになっています)、当時のナンバーワンアクセスをとったことがあります。でも、そのとき、そのことに注目したのは、Yahoo!などネット媒体側だけでした。
セカンドライフにパビリオンをつくり、続きはウェブでCMを乱発している間に、広告会社はネットから取り残されようとしている気がします。日本の広告会社の歴史から見たとき(参照)、広告会社がやるべきことは、スペシャルサイトや、ウェブ上で短編映画を何億もかけてつくることではなかったような気が私はします。きっと、ウェブにみんなが集える場所を開発することだったのではないか、その場所を豊かにすることだったのではないか、と。これまで、ラジオやテレビそのものを局とともに開発してきたように。
2008年という今を象徴する出来事がありました。不動産広告を得意とする老舗広告会社である創芸が、11月1日に商号を変更するとのこと。価格.comやTravel.jp、Technorati Japanを擁するデジタルガレージグループ(参照)の中核コミュニケーション会社として、DGコミュニケーションズという会社になるとのことです。このデジタルガレージによる創芸の買収は、いろいろと話題になりました。しかし、今回のことは、その意味合いとは少し違うインパクトを持っているように思います。
ネット企業が多角経営のひとつとして広告会社を持つのではなく、ネット企業がその一部門として広告会社の機能を持つという意味合い。小さな動きではあるし、たかだか社名変更にすぎないのではないかという見方もあるにはあるけれど、その意味合いは、これまでのネット系広告会社とも、広告会社のネット事業の展開とも違う意味を持っているような気がします。
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