ブランドって何だろう(1)
ブランドという言葉はマジックワード化しています。とくに制作現場では。「そんなふざけたことじゃなくて、ブランドをきちんと語らなければいけないよ。」とか、「もっとブランドが感じられる高級感のある表現じゃないと駄目でしょ。」とか。
ブランドがある、ない、というのは、人それぞれで、ある人はシャネルやヴィトンなどの海外高級ブランド的な世界をブランドと呼んだり、ある人はかつての西武やサントリーみたいに人の心を語るあったかい世界をブランドと呼んだり。間違っちゃいない。でも、それはブランドのひとつとしか言えない。そんなふうに思います。
■そもそもブランドの語源は
よく知られた話ではあるけれど、Wikipediaのこの文章がわかりやすいので、引用してみます。
ブランドとは「焼印をつけること」を意味する brander という古ノルド語から派生したものであるといわれている。古くから放牧している家畜に自らの所有物であることを示すために自製の焼印を押した。現在でも brand という言葉には、商品や家畜に押す「焼印」という意味がある。これから派生して「識別するためのしるし」という意味を持つようになった。「真新しい」という意味の英語 brand-new も「焼印を押したばかりの」という形容が原義である。
ほかの商品と区別するための印ってことですね。狭義にはシンボルマークってことになりますが、マーケティング的には、当然、ブランドマークと同等の機能をする諸表現の総体のことであり、目に見える代表的なもので言えば、テレビCMや新聞広告などのマス広告からPR、SP、現場での社員の立ち振る舞いなど様々なものが含まれます。
たとえば「巨人軍は常に紳士たれ」というのも巨人という球団を他の球団と区別するためのブランドを区別するひとつの要素にはなっています。ああいう行動指針が好きな人、嫌いな人を含めて、巨人ってこんな球団だよね、ということを示す重要な事柄ではありますよね。
この「紳士たれ」という行動指針ですが、たとえば阪神が明日から「阪神は常に紳士たれ」と言い出したら、この言葉が阪神のブランドになるのかというと、否です。そもそも、阪神は紳士ではなかったし、その言葉を今後守れそうにない感じがプンプンします(私はファンですけど)。つまりブランドは、継続性、持続性が大切になってきます。ブランド、一日にしてならず、なんですね。
■なぜブランドが一元的な語られ方をするようになったのか
それは、きっと、この他商品と区別することで生み出される超過収益力(他社より高く売ることができるブランドの力)を基軸に、その軸の中の頂点に位置するのがシャネルやヴィトンのような海外高級ブランドであるからなんでしょうね。確かに、この超過収益力で考えると、海外ブランドのようなハイファッションなトップモデルの世界というのは、ひとつの頂点であり、そういった方法論の援用である、普通の人々の心情を語るあったか世界という方法も、その方法論の下方延長線上にあるのは確か。でも、これ、方法論の話で、ブランドをつくり方のひとつでしかありません。
このエントリを書いている動機を明らかにしておいたほうがいいのかもしれませんね。私はCMや平面広告をつくる制作者ですが、ことあるごとに、そんなブランド論にうんざりなんですね。例えば、気軽な商品があるとします。みんなに使ってほしい、敷居の低い商品。こちらとしては、おじいさんにも、おばあさんにも、子どもたちにも、あかちゃんにも好まれる広告をつくろうとしますよね。そんなブランドの設計をします。
というときに、必ず出てくるんですよね。ブランド感がない、という人。ああまたか、と思います。で聞いてみると、必ず外人の男性や女性が出て来て、なんか素敵なことが起こるというようなことをイメージしていて、海外有名ブランドの方法論の劣化コピーなわけです。で、もう一人、気持ちが描けていない派が登場。その気持ちっていうのは、愛が、恋が、ひとのやさしさが、どうたらこうたら。
■マジックワード化し本質から乖離するブランドの定義
その人たちが持論の根拠にしているものが、ブランドだったりするんですよね。ブランドって、本当にマジックワードだと思います。都合良く持論の補強ができるワード。でも、ぜんぶ違うんです。間違っています。それに、ここには決定的な駄目なところがあって、いわゆる普通に生活をしている、本来、この商品をいちばん手にしてほしい人を啓蒙しようとする指向性があって、そんなダサイものではなく、カッコいい、あるいは繊細な感情に気付いてくださいっていう、制作者のおごりみたいなものがあることです。
で、こんどはこちらの論を擁護してくれる人が登場。これ、値段の安い売らんかなの商品でしょ、ここにブランドいらないんじゃない、だから、こういう広告でいいんじゃないの。失礼な。擁護してくれる気持ちだけ受け取っておきますけどね。
でもね、ちゃんとブランドはありますってば。じいさん、ばあさん、子どもたち。あなたがたは、そんな人たちに興味ないかもしれませんが、でも、そういうメディアの先鋭的な指標にならない人たちが重要で、その人たちが主流だからこそ(というか、これからはもっともっと主流になります)、日本ではタレント広告が主流(参考:タレント広告はなぜなくならないのか)になるんです。タレント広告否定派でブランド広告肯定派の人も、その理由をきちんと考えたほうがいいと思います。そんなこと言っているから、今の時代に、広告は取り残されてしまうんです。浮世離れしてしまうんです。
ブランドって何だろう(2)に続きます
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