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2008年8月24日 (日)

仕事の文章とブログの文章

 パソコンを新しくしてからはずいぶん少なくなってきたけれど、ワードやらで文章を書いていてフリーズやら何やらで、跡形もなく消えてしまうことがよくあります。私は、ワードプロセッサを使うのがかなり早かったので、文章は万年筆に原稿用紙に限るみたいなこだわりはありませんが、こんなときだけは、ああ紙って素晴らしいなと思います。

 よくやるのは、ファイルに上書き作業していて、やっと完成して「保存しない」をクリックしてしまう失敗。あっ、と思ったときには、何時間もかけて書いた文章が跡形もなく消えてしまいます。これをやってしまうと、自動保存も関係がなくなるので、ほぼ復旧が不可能。図形を多く使うパワポなんかは、ほんと落ち込みます。

 でも、仕事の文章は不思議と完全再現できるんですね。しかも、一度書いているから、二回目はサクサク書けてしまいます。サクサク書ける自分に腹は立つけど。仕事の文章は、頭の中に設計図があるような感じです。

 もちろん、広告コピーなんかは設計図をもとに組み立てるわけではなく、感情にまかせて書きだしてはいます。でも、これでいこうというコピーが出来上がる頃には、頭の中に設計図ができている状態になっていて、もしその文章が物理的に消えたとしても、単語というパーツを頭の中の設計図通りに組み立てることで、細かいレトリックまで、ほぼ完全再現可能。

 けれども、ここに書いている文章なんかは、なかなかそうはいかないです。これは、私のブログの書き方によるのでしょうが、設計図は頭の中に残っていないんですよね。この文章も、きっと消えたら同じものは書けそうもない気がします。それは、自分でも不思議です。

 この感覚は、かつてやっていた児童文学とか絵本の原作なんかに似てるかもです。まあ、このへんはものになんなかったので、偉そうなことは言えませんが、物語が勝手に動いて、こちらは書かされている感覚があるので、それが一度失われると駄目な感じ。要は、文章がライブなんですよね。

 書いていて、ああそうか、と気付きましたが、これ、音楽のライブに似ていますね。例えば、私の敬愛するビル・エバンスなんかも、同じ曲を何度も何度も演奏しています。でも、ひとつとして同じものがないんです。もちろん、あ、エバンスだね、っていう個性はどれも共通してありますが、たとえそれが2日間しか違わない録音でも、確実に違いますよね。例えば、エバンスが生涯にわたって弾き倒したNardisという曲。1965年のこれと1966年のこれ。たった1年の違いですが、微妙に違いますよね。ちなみに、エバンスの初出は1961年のこれ。もともとはこんなスローテンポでした。(エバンスは年を経るごとにテンポが速くなる傾向があるようです。)

 そういう意味では、仕事の文章というのは作曲に近いんでしょうね。楽譜のようなものは実際に書かないにしても、頭の中では楽譜にしている感じ。推敲は、編曲みたいな感じで、こういうブログの文章は、生演奏に近いのかも。じゃあ、そのもとになっている作曲された曲はなんだろうと考えてみると、まあブルース(Straight no chaserのコード進行)とか循環コード(Oleoのコード進行)みたいな定番進行や、誰もが知っているスタンダードみたいなものなんでしょうね。毎日書いているブログはジャムセッションみたいな感じでしょうか。今日は、なんかいい感じに落ちたなあ。

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コメント

mb101boldさん、こんにちわわわん(^^)

>物語が勝手に動いて、こちらは書かされている感覚があるので、それが一度失われると駄目な感じ

↑これ、あります。私は物語は書いたことないですが、記憶の中で勝手に世界が動いていって、その中に自分なんだけど過去の自分がいて、いろんなことがよみがえってくるような感じ。だから、もしかしてこれは自分が創作しちゃった世界なんじゃないかと思うことがあります。思い出して、かくだけなんだけど。逆に書いてしまうとそういうもの、それだけのものになる部分があって、そこだけ死んでしまうように思うこともある。優れた文学には世界があって、読むといつでもその中に入ってゆくことができる。そういうの、ひとつくらい残してみたいです。

投稿: ggg123 | 2008年8月24日 (日) 10:56

ggg123さん、こんにちわん(^^)
そう言えば、夢もそんな感じかも。きっとそれが無意識が制御する世界なんでしょうが、意識は制御できない世界なんだろうなと思います。
僕ら広告制作の世界には、妙な言葉があって、それは「定着」という言葉。ラフなデザインやコピーがあって、それらを完成度を上げていって新聞とかに掲載できるレベルに上げていく作業のことを定着っていうんですね。
ああ、定着か、と思うんですよね。世界に定着すること。つまり、その時点で、その思いなんかが自分の中からなくなって、世界に定着して読まれるものとして投げ出される、ということ。
そして、その定着した世界は、誰かの中に入っていく。物語ってそういうことなんじゃないかな、と思いました。
かつての日本の私小説は、みんな最後は書き手が出がらしになりますよね。きっとそういうことなのかな、と思うんですよね。その過程を芸術にしてるところも日本の場合あるけど。必然としての出がらし。あ、ちょっと脱線しちゃいました。余談です。
私も、世界にそういうのをひとつでもいいから残したいっていうのはありますね。

投稿: mb101bold | 2008年8月24日 (日) 12:37

↑わお。なんか勉強になりました。^^
定着する前の世界は誰とも共有できないけど、定着された世界のどこかにドアがあるような気がするんですよね。定着前の世界の少なくともパラレルワールドくらいには、出られるんじゃないかなんて。

投稿: ggg123 | 2008年8月24日 (日) 16:42

きっと、ドアを開いて見た人は、書いた人と違う風景を見て、その人の中で新しい世界をつくるんでしょうね。
あと、コピーライターのCopyとかCopywriteは、広告コピーだけでなくて絵も含めた表現のニュアンスが本国ではあるんですが、この言葉は、世界を正確に書き写す(模写)という意味があるんですよね。
Designは、De=否定の接頭語、Sign=存在、現実で、現実の否定。現実の再構成なんですよね。
心も含めたこの世界を正確に書き写したい気持ちと、その世界をもっといいものに再構成したい気持ち。なんかこれもパラレルワールドっぽいですよね。

投稿: mb101bold | 2008年8月24日 (日) 17:05

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