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2008年8月 9日 (土)

ブランドって何だろう(2)

 ブランドという言葉は、牛の焼印を語源に持ち、商品あるいは企業を識別するロゴマークを意味していき、それが拡張されて、商品あるいは企業を差別化するコミュニケーション総体を表すようになりました。そして、その差別性=超過収益力の極限として、シャネルやヴィトンのような海外高級ブランドの世界があります。つまり、そのブランドである、ということで、普通のバッグの何百倍という価格で売れるということです。

■ブランディングを人に置き換えて考えてみる

 ここから、ひとつのねじれが起こります。海外有名ブランド的なブランドづくりの手法の絶対化です。でも、この商品あるいは企業を人に置き換えてみると、それが間違いであることがわかります。誰もがセレブのようなブランディング手法をとればいいのか。そうではありませんね。例えば私がセレブのような服装をし、言動も厳しく律していったとしても、逆に私というブランドを損なうだけです。信用を損なってしまいます。あるいは、ルネッサーンス!みたいなことになりますよね。まあ、それはそれで面白いからありかな、とは思いますが。

 私という人間のブランディングを考えた場合、別の方法をとることになるでしょう。それは、セレブのようなブランディングとはまったく別の手法だと思います。餃子の王将が好きで、駅そばをかっこむ私が、華麗なる世界のグルメや、繊細かつ優美な日本料理を語り出しても、「ああ、あいつも変わったよな。昔はそんなやつじゃなかったのにな。けっ。」と思われるのが関の山です。

■アサヒ「スーパードライ」のブランディング

 この話は、もしかすると広告業界に限定されるかもしれません。アサヒ「スーパードライ」というビールがありますよね。昔、村上龍とかが出て来て、なんかのプロジェクトを成功させて、みんなで乾杯、グビーッ、みたいな爽快なCMと、生産と物流の速度を速めて新鮮さを維持しているという企業広告的なCMを交互に流し続けました。

 あの「スーパードライ」のCMは、広告業界ではさんざんな言われ方でした。あんなCMだけは作りたくないとか、ブランドなんか考えずにいいたいことを言いっぱなしだとか。グラフィック広告も、水滴のついたビール缶がどアップで、太いゴシックで大きく「キレ味、爽快。Asahi SUPER DYR 品質のアサヒビールです。」みたいな感じで、駄目だよ、あんな広告、とほとんどの人が言っていたんです。

 でもね、大衆はこれを支持しました。今まで不動のナンバーワンだったキリンラガーを抜いてトップになりました。もちろん味の問題もあったでしょう。しかし、広告の貢献も無視できません。あの頃、広告業界のクリエーターが言っていた論に従うならば、それを支持した大衆は民度が低いのか。そうではありません。

 アサヒ「スーパードライ」にはブランドがあったからだと思います。スーパードライには信じるものがあるんですね。それは、「がむしゃらに努力して勝ち取る成功は尊い」という考え方です。世間のハイセンスな人たちがそれをダサいと言おうと、絶対に信じるという強度がありました。それに、決してブレない。同じことを時間をかけて何度も何度も繰り返し言う。あのストレートな企業広告的なCMも、そんな信念に貫かれています。

 私は、アサヒ「スーパードライ」の一連のコミュニケーションを高く評価しない人のブランド論を信じません。なぜなら、あれこそがブランディングなのですから。ブランドとは何か。それは、ある信念を持ち、決してブレずに、何度も何度も繰り返し言うことです。そして、それを持続、継続していく力です。それ以外の要素は、ブランディングの個別の戦術にすぎないと私は思っています。

■持続可能性から見るブランディング

 私は、ブランディング設計において最も重要なのは、初期段階のコンセプト設計における持続可能性の計算だと思っています。これから長期にわたって言い続けていくことができるだけの強度がそのコンセプトにあるかを考えることが最も重要です。時代はどんどん変わります。そんな予測不可能な時代の流れにも影響を受けずに言っていく自信が持てるかどうかが、ブランディングの鍵だと考えます。

 この持続可能性という軸で見たとき、日本にはブランディングのいいお手本がたくさんあります。桃屋、リポビタン、文明堂、オロナミン。それに、ヨドバシカメラだって、小林製薬だって、コーワだって、立派なブランドのお手本です。変えないことの信頼がブランドをつくり、製品の支持をつくっています。

 最近、ソニーが不調です。ソニーが不調なのは、製品の問題もあるでしょうが、広告戦略の問題も多大だったと思います。ソニーというブランドは、一頃まで、「私たちはプロダクト総体の品質で勝負します」というブランドであったはずです。一方の松下は「お客様ニーズを汲み取った機能をお届けします」というブランド。それが、DVDビデオの「スゴ録」という機能を売りにした松下的手法で大成功をおさめてしまいました。それは、ソニーらしくなかったんですね。ソニーの迷いは、そこからなのだと思います。

追記(8月10日):

PS3に関連して、『「映画とゲームを融合させた全く新しい映像を提示したい」と言い続けることですね』というコメントをはてなブックマーク(参照)でいただきましたが、それは違います。

ブランドとは何かという話のいい例になるかと思いますので続けますが、PS(プレイステーション)というブランドは、いままでずっと「つねに最先端かつ本流のゲームを提供しつづける(プラットフォーム)」というブランドであったはずで、映画とゲームの融合とか、新しい映像というのは、最先端かつ本流のゲームを形成する一要素にすぎません。

なので、PS3発表時に記者発表でああいうことを言ったというところにもソニーの不調の要因のひとつになっているというのが私の理解。本論で「言い続ける」と言っているものは、ブランドのコアの部分。また、仮にPS3を映画とゲームを融合させた新しい映像をつくるものとしてブランディングしたいとするならば、それはブランドのコアの設計が間違っているということでしょう。もし、ソニーがPS3誕生のときに製品のポジショニングを変えたかったのだとしたら、その変え方は、あまりにもPSというブランドを逸脱しすぎていたのだと思います。

私は、その後の、PSの広告のラグライン「これが、ゲームだ。」がブランディング的に正しいと思っています。あくまで、映像の処理能力は、本物のゲームをつくるためのスペックとしてメッセージすべきでした。あの発言は、その後のPS3の広告戦略を見ると、あの時点では、不用意でPSというブランドを阻害するものだったと思います。


■変えないこと。変わり続けること。

 変えないことは簡単ではありません。常に変えることの誘惑があります。変えたことでの成功体験が、ますます変えないことを難しくしてしまいます。変えることは、担当者の名声や、業界にとっては広告需要を生み出します。実際に、コンペの多い日本の広告環境でブランドをつくるのは難しいのも現実です。

 そして、変わらないために最も重要なことは、たえず変化をしていくことでもあります。逆説的ですが、たえず動いているということが、根本を変えないための必要条件なのです。自己同一性は、時間の流れの中での自分の連続性の中で確認されていくからです。

ブランドって何だろう(3)
に続きます
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