« 残暑お見舞い申し上げます | トップページ | 赤塚不二夫さんのちょっといい話 »

2008年8月13日 (水)

「なぜ理屈っぽい広告は嫌われてしまうのか。」あとがき

 なんか、私のエントリの中ではこの「なぜ理屈っぽい広告は嫌われてしまうのか。」(参照)というエントリは、比較的多くの人に読まれたようで、その中でもいろんな意見が「はてなブックマーク」(参照)に書かれていて、書いた本人も楽しく読ませていただきました。それをきっかけにいろいろ考えることもありましたので、あとがきにかえてコメントに答えてみたいと思います。(新しいネタが思いつかない言い訳だったりしますが)

デルとかのマーケティングはすさまじく上手いと思うけどなあ・・・。

 そうですね。デルはうまいと思います。新聞と雑誌で集中出稿。ショップを経由させず、そこでレスポンスでPCを売ってしまう直販というビジネスモデルを大手で最初にはじめたのはデルですものね。デルという会社は、PCは完全にコモディティ化しているという認識っぽいですね。それはある意味当たりかも。
 で、デルの広告は理屈っぽいか。私はそういうふうに思わないです。わりとスペックが淡々と説明されていて、説得調独特の嫌みは感じられません。あのエントリは、カタログ的広告批判っぽく読める部分はありますが、意図はそうではなくて、消費者を理屈で鐘楼攻めにして、自社の製品の必要性を訴えるタイプの広告で、極端なことを言えばワンビジュアルでノンコピーの広告にも、それは当てはまります。(昔のカンヌ入賞作やドイツの広告業界誌であるアーカイブに掲載されている広告もそういうの多いです)
 デルの廉価なパソコンを題材に即席でつくってみますね。昔のアップルのQuadraみたいな高額パソコンがディスプレイが真っ黒なままただ空間に置いてあるというのがビジュアルで、「パソコンも3年経てばただの箱になってしまうから。」みたいなヘッドラインをつけて、「だからデル」みたいに落とす広告とか。そんな感じ。ちょっと例がへたくそかもですが。

かくして適当な根拠と細工されたグラフを基にした扇情的マーケティングが横行するのでありますことよ。 / どうせなら←の方を「なぜ」視してほしかったかもなぁ。

 広告は理屈じゃないのよ、みたいに理解すると、まあ、そういう傾向はあるでしょうね。でも、そういう基礎データねつ造系は、結果でないし、それがバレると何かとめんどうなことになりがちですから、ここ最近は経済も不調だし、実際はあまりないのではと思います。私はバブル崩壊後に業界に入りましたので、広告業界華やかなりし頃はあったかもですが。
 扇情的マーケティングが簡単には効かなくなってきた、つまり、今までのお手軽イメージ広告が効かなくなってきたというのは、当ブログの別エントリにたくさん書いています。私はわりと予算の少ない中堅企業を担当することが多いので、メディア量で圧倒することもできず、余計に扇情的マーケティングには疑問を持ってしまいます。そのへんは、またまとまり次第エントリにしたいと思います。

全温度チアーに関しては嫌悪感にさえも行きつかず、「だからどうした?」だったから好感度も低かったんだと思うけど。また、「理屈っぽい」という点を戦犯にして思考停止になることも多いと思う。

 でもまあ、全温度チアーはそこそこ売れたんですよ。でも、花王やライオンに勝てなかった。その頃だと真珠のネックレスがときどき入っているニュービーズでしょうか。海外では通用するのに、日本では駄目という事実もあって、そのへんは文化環境を考えていかないといけないなあと思っています。思考停止については、同意です。私の場合は、企画書はけっこうねちっこく理屈で固めます。

この人の、文学少年の見方も面白い。
文学少年のたとえが意味不明

 すみません。文学少年(中途半端なっていう言葉はいるかもですね)って、そんなイメージを持ってました。というか、私が若い頃は、こういう感じの思考をしておりまして、それでもってある女性を好きになって、お近づきになれて、それでもって(以下省略)

理屈っぽくてもOKな場合の成立要件ってあるのかな

 これは難しい問題です。このエントリ、じつは最初「なぜ外資系の広告は嫌われてしまうのか。」にしていたのですが、ちょっと誤解もあるし、釣りっぽいので「理屈っぽい」にしたのですが、今度は「なぜ理屈っぽい広告は嫌われるのか」それは「理屈っぽいからです」というようにトートロジーになってしまうかな、と心配になっていたんですよね。理屈っぽい広告がOKな場合は、その理屈がおもしろかったらOKではないかな、なんて思います。へえ、そんな見方があったのか、みたいな。読んでいて息苦しくならないような感じの。まあ、面白かったら、その段階で「理屈っぽい」とは言わないのかもしれませんが。

筆者が言う「知的嫌悪」と認知科学で言われる「知覚的防衛」の差異がよくわからなかった。人間の認知能力なんて高が知れているのだから、閾下単純呈示効果を発すれば済むじゃんと思った。

 ほぼ同じかもしれません。ただ、知的嫌悪の場合は、知的には了解したけど好きじゃないという「知的」で自発的な了解が含まれるかもです。ただ、この「知的嫌悪」という概念は私のオリジナルではないので、そのへんはよく分かりません。閾下単純呈示効果というのは、私はサブリミナル効果というふうに理解したのですが、そうだとすると圧倒的な媒体投下を前提にしていてお金がかかるので、ここでは考えませんでした。それに、嫌われるけど記憶に残すというのは効率が悪いように思います。

知的嫌悪ってバカだからじゃね?商品サービスの説明は納得いくまで欲しいぜ

 まあ、消費者が置かれている状況によりけりですね。消費者が製品に興味がある段階では説明は納得いくまでしたほうがいいと思います。カタログとかの領域ですね。ただ、広告というのは、消費者への興味喚起が目的なので、あまりに多い情報はコンフリクトを起こしてしまいますので、賢明な方法とはいえなさそうです。

う~ん、このような嫌悪は感じたことが無いなあ。

 少なくなったのかもしれませんが、ここでは嫌悪による行動は無視というふうに考えていますので、ノイズとして認知のフィルターをすり抜けているのかも。

これから欲望を喚起しようって段階だったらそうなんだろうけど、すでに欲望は生じていて具体的にどの商品にするかという段階だったらどうだろう。リスティング等は後者では?

 純粋にターゲットセグメント論ではそういうことになります。リスティング等は、リアルで言えば店頭で自発的にカタログを手にしたり店員さんに聞いたりするシチュエーションには近いので、説得というのは有効ではあると思います。けれども、厳密に考えれば、ジャンルとしての興味はすでにあっても、それでもなお製品そのものには欲望は生じていない段階であるとも考えられます。
 このコメントは、いま考えている領域に重なる部分があって、すごく考えさせられました。話に飛躍があるかもしれませんが、ターゲットセグメント論で言えば、旧メディアでは専門誌広告のあり方なんかに似ているのかもしれませんね。ちょっとずれるかもしれませんが、私なりのやり方ではこんな感じです(参照)。
 私は、純粋ターゲットセグメント論で消費者が情報だけを欲しがっている段階であると思い込みすぎると、最終的にはリスティングという手法の嫌悪につながる可能性はあるかもしれないな、という思いもあって、これからの広告はテキストバナーの表現のあり方みたいなところで問われてくるのではないかと思っています。リスティングという広告空間を豊穣にしていくことも必要なのかなという思いもあります。少し暢気な話ですが。
 はてなブックマークのテキストバナー、リクルートが買い切っていた頃はすごく面白く、ああいうやり方があるのだなと思って見ていました。あれは効果はどうだったんでしょうね。あの広告は本サイトを充実させて、そこを切り口にしたテキストでサイト誘因というかたちでしたね。そのへんの事例を参考にしながら、個別の状況を見極めて、説得成分をどう配分していくのかというのは実務ではいちばんの悩みどころです。

イメージ広告が最強な理由。

 微妙ですが、そうとも断言はできません。事実、イメージ広告の効力はどんどん落ちているように思いますし、イメージ広告って、みんなが共通の話題なり夢なり希望なりを持っていることが条件だったりするので、これからはイメージ広告の効力はますます低下するでしょうね。

「しまったー!  99,800円のパソコンなんてどう考えても安くしすぎた! うっかり、してました」 を思い出した。あのCM面白かったなー

 面白かったですね。私も大好きな広告です。小霜さんでしたっけ。前述の私が創作した悪い例と比べると一目瞭然ですね。

これの例外になる業種もけっこうある。健康食品あたりが典型だろう。
一日中ジャパネットたかたを見るといいと思う。

 はい。ケースバイケースです。通販なんかは、そのへんの説得が嫌悪にならない空間がすでにできていて、この知的嫌悪は当てはまらないのかもしれません。QVCやSHOP JAPANなんかも、嫌悪にならない空間作りがまずあるように思います。だから、通販「番組」なんですよね。ジャパネットは、説得が芸になっているところがほかの通販番組とはちょっと違いますね。あの説得は、けっこう時代を突いているし、意外と客観的。

知的嫌悪:消費者がアホやからという責任転嫁、あるいは(業界的に美味しい)イメージCMや好感度タレント起用CMをプッシュする口実。ちぃ覚えた。/それにしても、GDPに占める広告費の割合はどうやったら下がるんだろう。

 うーん、私は外資畑の人間ですので、そのへんわかりませんです。広告費の割合は、これからどんどん下がるでしょう。だからこそ、1発の効果を高めないといけない。そんなふうに、GDPの割合が下がると困る広告屋は思ってます。

外資が理屈っぽいのは「トーン&マナー」にこだわるからで、こんな言葉を国内代理店の制作から聞いたことは一回もない。CMに限れば、15secという特殊な状況にあってはそれは邪魔でしかない。

 トンマナにこだわるのは、外資もドメスティックも同じような。でもまあ外資の方が、説得型は多いような気はします。外資はクライアントもデータとか理論武装は強力だし、いつのまにか自己都合だけで広告をつくってしまいがち。それは、外資の弱点ですね。それと、短尺でも根が自己都合的な説得というのはありますし、一見楽しそうなストーリーでも企業の勝手な空想だなあと白けてしまうCMは外資に限らずよくあります。それに、制作会社時代、大手二社の制作と仕事をたくさんしましたけど、これに似たような話はみんなしてましたよ。

*     *     *     *

 お盆の時期でもあるし、新しいブログエントリも少なめではあるでしょうから。他にもたくさんコメントをいただきましたが、ぜんぶフォローしきれませんでした。すみません。それと、納得されていたり、ちょっと褒められたりしているのに答えるのはちょっと照れくさいので、割愛させていただきました。励みになります。ありがとうございます。このエントリがそれこそ「知的嫌悪」の対象にならないといいなあ。ではでは。

*     *     *     *

8月14日追記:

 PRマンのinsiderさんからトラックバックをいただきました。3度くらい読んで、いちおう趣旨はわかりました。私の書いたエントリに対する違和感としては、場の理論に起因するものが多いような気がします。リスティング広告という場、PRという場、それぞれにコミュニケーションの場があって、それぞれでコミュニケーションに求められる機能は違うので一方的に「説得」は嫌われがちよね、と書くと、それは違うんじゃないかというふうになるようですね。まあ、それはしょうがないかな。自分の立ち位置を、すべてのエントリで書けるわけでもないので。
 私が主戦場にしている場は、テレビCMとか新聞広告とか、そういうオールドメディアの所謂「純広」です。しかも、説得大好き外資系。その立場から、その場の理論の範囲内での、ちょいと自己批判風味が加わった論考なので、まあそういう違和感は仕方がないかもしれません。私は、過激に、広告いらね、広告おわた、みたいな論者ではありませんし、きっとこれまでのような広告はなくならないとも思っています。そうした視線で、リスティングやブランデッド・エンターテイメントといった新しい広告手法を見ています。insiderさんとは、エントリを読むところ本人はそう意図されてないかもしれませんが、ほぼ同じことを考えているようには思えたけれど、ただひとつ決定的に違うことがあります。

だから僕は東京ワンダーホテル的な番組の作り方が好きです。 わざわざ15分(なり数ページ)に一回視聴者を正気に戻すようなことをせずにコンテンツの中に入れ込んでいけばいいのに、と思います。 受け手が求めてるものと送り手が送りたいものは別枠にしちゃったらそりゃ受け取るほうはどうにかしてほしい所だけ取ろうとするでしょ。そんなもん溶かして一緒にしちゃえばいいじゃないですか。

 ここは私の考えとは違う部分ですね。東京ワンダーホテル的なブランデッド・エンターテイメント手法は有効な場合はあるし、増えるだろうけど、これが主流になることはないだろうという見方です。この考え方をつきつめると、すべての民放のテレビコンテンツやウェブコンテンツになんらかのブランドメッセージが織り込まれることになってしまいます。送り手が送りたいもの、受けてが受けたいものは、じつは、番組というエンターテイメントであって、番組は本質的には広告媒体ではないし(この番組はそれを溶かしてみましたという試みだけどね)、それを成り立たせてはいけない番組もありますよね。広告は、本来、テレビ番組とは関係がないんですよ。広告はおじゃま虫。いつの時代でもね。
 この東京ワンダーホテルは、広告したいという立場に立てば究極でしょうが、その事実を知った視聴者としてはいつかは興ざめということになる気がします。だから、ブランデッド・エンターテイメントは、特別な存在であることが存立の条件みたいなものだし、興ざめ閾値はかなり低いのではというのが私の見立てです。あっ、それと誤解しないでほしいのは、私はブランデッド・エンターテイメントは駄目って言っているわけではないですよ。そういう誤読はかんべんね。
 それと、エントリの最後の部分はちょっと余計かもね。かなりの誤読もあるし。まあ、自分への戒めとしてもあるけど、自意識を制御しないで文章を読んでしまうと、そうなることは多いです。私を含めた広告代理店マンは、そんな小さな気持で日々仕事はしていないですよ。それに必要悪だとも思っていないですし。社会に対してやましい思いもないです。それは、あたなだってそうでしょ。あと、比較広告は欧米を中心とした世界では、有名無名を含めて今も当たり前にあります。訴訟も多いけどね。
 まあ、これに懲りずにまたトラバを送ってくださいませ。これからもよろしくです。ではでは。

|

« 残暑お見舞い申し上げます | トップページ | 赤塚不二夫さんのちょっといい話 »

広告のしくみ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「なぜ理屈っぽい広告は嫌われてしまうのか。」あとがき:

» ブランドとの幸福な接触 [Insiders Insight]
なぜ理屈っぽい広告は嫌われてしまうのか。 「なぜ理屈っぽい広告は嫌われてしまうのか。」あとがき ? 昨晩も酒を飲んでいたので書けず、追いつけなかったのだけれど、 説得しようとすることが悪いの?というところが全く(自分にとって)おちない。 だからちょっと書... [続きを読む]

受信: 2008年8月13日 (水) 22:44

« 残暑お見舞い申し上げます | トップページ | 赤塚不二夫さんのちょっといい話 »