そうそう。料理と同じで、ノウハウとか考え方はオープンソースにすればいいと思います。
きのうは涼しかったですね。雨が降っていたので、外に出ず、ひたすら家でぼんやりしていました。金曜日に買ってきた半額の蟹が冷蔵庫にあったので、冷えたごはんとネギと卵と蟹でチャーハンを作りました。私は、仕上げに日本酒を一振りします。そうすると、しっとりして、旨いんですよね。チャーハン道からすると邪道ですが。
オリンピックをテレビで観ながら蟹チャーハンを食って、ちょっと思ったこと。日本人の私が、チャーハンを家で作ってるんだよな、と。そうか、料理っていうのは、オープンソースみたいなもんで(あまりこのへん詳しくないですが)、レシピみたいなものはみんなに共有されているから料理っていうのは成り立つんだよな、と思ったりしました。
ブログを運営している人の悪いくせで、ああ「料理はオープンソースである」みたいなエントリを書けるかもなんて意気込んでいたんですが、こういうことを言っている人はきっといるだろうとネットを検索。あまりなかったけど、2ちゃんねるに「料理の世界って、オープンソースじゃね?」(参照)というスレッドがあったのと、増田さん(はてな匿名ダイアリー)が「プロになろう。楽しもう。-IT土方なんて言う前に」(参照)というエントリを書かれていました。
この増田さんの論点は、料理はオープンソースという着眼点とはちょっとずれていて、ソフトウェア開発は料理と似ている、というものですが、料理がオープンソースであるとの前提で読むと、増田さん、すごくいいこと書かれています。すごく納得。引用します。
プロって何だろう?
先に書いたように、プログラミングは特別なスキルじゃないし、特別な道具もいらない。
そういったスキルの有無や道具が専門性を隔てる時代は色んな場所でとうに終わっている。
例えば、料理は昔からそうだったよね。誰でも作れる。今はレシピも道具も材料も普通に手に入るようになり、ますます「料理」は普通になった。
でも、プロは消えてないよね。それどころか、一般層が料理へのスキルや知識を蓄えるにつれ、ますますプロは存在感を増したように思える。
優れた一皿に出会ったとき、それで幸せな時間を過ごせたとき、また来たい、またこの時間を持ちたいと自然と思わない?それを提供してくれた人たちへの畏敬の念を感じない?
それがプロフェッショナルだと思うんだ。
そうそう。プロの領域っていうのは、ノウハウとか考え方の先にあるものだと思います。それが証拠に、ネット環境がこれだけ発達しても、プロの世界は崩壊していないし、これは少し残念なことだけど、プロの世界が格段に向上したっていうわけでもない。だからこそ、ノウハウ、考え方、そんなものはとっとと共有したほうがいいんじゃないか、と思います。
その先にあるものは、きっと共有し得ないもの。つまり、そのパーソナリティに依存するものだと思いますし、それは、そのパーソナリティをプロとみなすものなのでしょうね。ノウハウや考え方は、共有したほうがいいと思います。プロの立場から言えば、発信したほうがいい、という言い方になるんでしょうね。なぜ、発信したほうがいいのか。
ノウハウや考え方って、料理のレシピみたいなものだから、そのレシピを見れば誰でもチャーハンはつくれるけど、あなたがつくるおいしいチャーハンは誰にでもつくれるわけではないから。だから、ノウハウや考え方を発信しても、あなたは案外、困ったことにはならないんですよね。
それに、発信することでいいことがあります。発信することで、そのノウハウや考え方は、自分にとって過去として定着されるから、その先を考えるようになるし、受け手の誰かからリアクションがあるかもしれない。発信することではじめて、自分がきちんとした受け手になれるんです。
でも、自分のノウハウや考え方がベースになって、自分がつくるより新しくていいものができてしまうかもしれないって?それは、ちょっとくやしいけど、まあ、それはそれで、つくったひとを涙目で祝福する心の大きさというか、いまの時代、そんなちいさなことより、たとえば、広告だったら、広告という場が、そんな共有の精神によって豊かになっていくほうが、これからを考えたら、その場で飯を食う自分にとってメリットがあるような気がするんですね。
さあ、月曜日。
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