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2008年9月の24件の記事

2008年9月29日 (月)

そう言えば、うちの母にも部屋はなかったなあ。

 増田さん(はてな匿名ダイアリーの匿名さんを増田さんと言います)の「母には自分の部屋が無い」を読んで、そういえば、私の母にも自分の部屋はなかったことを思い出しました。私の実家は、大阪市内のマンション。リビング&キッチン、6畳の部屋が2つ、4畳半の部屋が1つ。家族構成は、父、母、私、妹の4人。いわゆる核家族というやつですね。

 私と妹が小さかった頃は、6畳の部屋が子供部屋で、あとは共有部屋で、父も母も特定の部屋はありませんでした。父は、4畳半の部屋で寝転んで、障子を開けて、リビングのテレビを見ていることが多かったです。専業主婦の母は、キッチンとリビングが居場所という感じ。

 今でこそ、近くに大きなパークマンションができて、若い家族がたくさん住む今風な街になっていますが、当時は、ほんと下町という風情だったので、まわりの人もそういう感じの人は多かったように思います。父は自営業。日中は近くの商店にいたので、私と妹が学校に行っているときは、母にとっては、すべての部屋が自分の居場所という感覚があったのかもしれません。

 私と妹が中学校に上がる頃、それぞれに勉強部屋が与えられました。今もそうかもしれませんが、私の頃は、ちょっとした受験ブームというか、そんな感じで、子供にかけるというか、ずいぶん教育熱心な環境があったように思います。うちの両親は、どちらも大学を出ていないので、自分たちが果たせなかった夢を子供にたくす、みたいな気持ちもあったんでしょうね。あまり勉強が好きではなかったうちの妹が、高校受験、大学受験の頃は、家全体がピリピリしていていやだった、と言っていました。なにせ古いマンションなので、隔たれているのは障子1枚ですからね。

 私の母は、今年のゴールデンウィークに発病して、今もまだ入院しています。その直前くらいに、母はひとりで電器屋さんに行って、大きなテレビを買いました。父と母の2人で暮らしているし、リビングには大きなテレビがあるし、もうひとつ小さなテレビもあるのだから、そんな大きなテレビはいらないだろう、と諭しても、言うことを聞きませんでした。増田さんの話を読んで、もしかすると、その大きなテレビが、母にとって個室を象徴していたのかもしれないな、と思いました。

 入院している母に会いに、このところ頻繁に大阪に帰るのですが、今は、軽い肺炎を併発してしまって、すこしへばり気味なので、そんなことも言えない状態になっていますが、母の状態がよいときは「パジャマじゃなかったら、みんなで一緒に帰れるのに」とよく言っていました。きっと、家というのは、単なる慣れ親しんだ生活空間以上の何かがあるのでしょうね。

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2008年9月27日 (土)

原理原則(なんの根拠もないけど)

 ひさしぶりの社内の飲み会。この会は、関西会という名の飲み会で、関西出身者が関西弁でひたすらしゃべりまくる会ですので、各人が重なる仕事もなく、直接の利害関係もあまりないので、単純に楽しい飲み会でした。いいよねえ、こういうの。

 こういう利害関係があまりないときには、わりあい本音がでやすいのか、いろいろな人から、いろいろ面白い話が聞けましたが、ちょっとあぶなすぎてここには書けません。やっぱりね、本当におもしろい話はリアルにあるんですよね。実感。

 で、ひたすらしゃべりながらちょっと思ったこと。ああだこうだしゃべっていて、あっ、そうか、私がしゃべることにはある原理原則が頭の中にあって、それに照らして、正しいか間違っているかを断罪しているところがあるんだな、と思いました。

■四半期の広告予算が3億以下なら「選択と集中」が吉

 今流行のコミュニケーション・デザイン。マスだけではなく、ネットとか、YouTubeとか、交通とか、いろんなメディアをミックスして、ひとつのコミュニケーションをつくっていく手法。こう書くと、それはクロスメディアであってコミュニケーション・デザインではないよという声が聞こえてきそうですが、そうなると、それはもう禅問答のような気が。だから、コミュニケーション・デザインは、どっちにしてもクロスメディア前提でしょ、って理解することにしています。

 で、本題。

 私の中では、全国規模のマスキャンペーンで四半期3億以下なら、従来の「選択と集中」が吉だと考えているところがあります。3億というのは自分の中の勝手な基準にすぎないけれど、とりあえず、3億以下なら、信頼できるメディアに集中出稿するほうが効果は高くて、少ない予算の中で、流行に乗って、複数のメディアで複雑なコミュニケーション・デザインをしてしまうと、すべてのメディアで閾値超えをしないので、効果は激減。3億以上なら、その予算の5分の1くらいを他のメディアも使って立体的にコミュニケーションを構築すると、うまくいけばそのキャンペーンは化ける。

 でも、クロスメディア前提でひとつのコミュニケーションをつくっていくといっても、その中核には「選択と集中」がないといけない。コミュニケーション・デザイン関連の話になると、そんなふうな原理原則を参照しながら話しているような気がしました。

 なんの根拠もないけど。

■ネットは自分でやってみないとわからない

 経営レベルでも、ネットをどう生かしていくかが広告代理店の課題らしいです。だから、ネット広告のこれからを、本なんかで書かれている知識をもとに語る人は多いです。でも、信じられる語りと、いっさい信じられないか語りが明確に私の中にあります。それは、その人が、ネットで個人的に情報発信しているかどうかです。具体的に言えば、ブログ。いくらネット広告を語っていても、ブログを一度もやっていない人のネット広告語りは、やっぱり信じられないです。というか、説得力がありません。

 あなたは、一生懸命書いたエントリが誰にも読まれない切なさを知ってるの?あなたは、はてなブックマークを知ってるの?del.icio.usを知ってるの?newsinを知ってるの?ニコニコ動画を知ってるの?ニュースサイトさんに取り上げられるうれしさと怖さを知ってるの?いまだに、ブログやってるんですよね、って人に言うと、少し軽蔑の目で見られる、ちょっとやな感覚、知ってるの?やらんとわからんよ。

 人の話をきいたりしながら、その都度、そんな原理原則でその話の重要度を判断しているような気がしました。とりあえず、ネットで商売しようと考えるなら、最低限、自分でブログくらいやろうよ、簡単にできるんだし、なんて。

 なんの根拠もないけど。

■広告と広報をいっしょくたにしてはいけない

 何の根拠もなく、結果もないがゆえに、うれしそうに語られるネット広告関連の夢物語の中に、ああ、これは広報の分野じゃないかな、と思うことがよくあります。主に口コミかな。

 広告がとりあえずメディアの物量戦だとすれば、広報は、メディアの物量戦ではなくて、とりあえずはネタの物量戦だったりします。そういう意味では、広報はブログに似ています。口コミは、ネタが命。この口コミのしくみを分かっている人は、じつは広告代理店にいます。

 ネットには目もくれずに、テレビの情報番組にネタをねじこませることをミッションにしている、泥臭い、昔ながらの広報マン。みのもんたの番組を頂点にした影響力のある番組にどうにかしてそのネタを語ってもらうために、肝臓を痛めながら暗躍する本物の代理店マン。ブランデッド・エンターテイメントとか、バイラルとかWOMかと横文字で言うとスマートだけど、口コミって、そんなスマートなものじゃないから。スマートにやりたければ、ひたすらネタ投下の持続と継続。しかも、そのネタが受けても、ひたすら平常心で持続と継続。浮かれたら負け。

 なんの根拠もないけど。

*      *     *     *

 とまあ、瞬間、瞬間、こんな感じの基準で判断して話しているような。もちろん、熟考すれば、いろいろとグレーゾーンは出てくるのでしょうが、反射神経が求められる飲み会のおしゃべりでは、なんらかの基準が自分の中にあって、それに照らして、YESかNOかを判断している感じ。案外、自分の中には、たくさんの原理原則があるんだな、なんて気付きました。この原理原則が私の可能性や正しさをつくっている気もするけど、逆に、可能性を狭めることにもなるんだろうし、過ちをつくることにもなるんだろうな、と思います。自分の中に原理原則がなければ、人は何も語れなくなるけど、その原理原則がその人を駄目にしていくこともあるのでしょうね。

 それと、まわりにいる仲のよい人は、このブログを読んでくれている人が多いのですが、その人たちが、いつもケータイで読んでいる、と言っていて、ちょっと驚きました。えっ、こんな長文をケータイでかっ、て。今、ウェブマーケティングがケータイに移行しつつあるのは、知識では知っていますが、この私の原理原則で言えば、私はケータイについてはまったくわかっていないということになりますね。ケータイについては何も語れません。ケータイで何かやってみようかな、と思うものの、私のはウィルコムだしなあ。困ったなあ。

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2008年9月25日 (木)

 私のエントリのタイトルには、「。」がついているのが多いです。それは、私がコピーライター系だからなんでしょうね。土屋耕一さんの世代は、キャッチコピーに「。」をはぶくことが多いように思いますが、それ以降の世代は、かたくなにコピーに「。」をつけたがるようです。「。」がつくとコミュニケーションのための言葉という感じがします。「。」がつかないと、タイトルというか、フレーズというか、そんな感じ。

 そういえば、我々の世代はキャッチコピーと言いますが、その上の世代はキャッチフレーズと言いますよね。今日、電車に乗っていると、山田優さんが出演するユニクロのワンピースのポスターが貼ってあって、そのキャッチコピーが、たしかこんな感じでした。

ユニクロのワンピース。

 あえて「。」をつけてるんですよね、きっと。「。」をつけることで、タイトルちゃいまっせ、メッセージでっせ、ということを、このコピーを書いたコピーライターは言おうとしているんですよね。それが伝わっているかどうかはわかりませんが、私は広告屋なので、「うんうん、わかります。わかりますよ。」という感じでポスターを眺めていました。しかし、山田優さん、足長いなあ。試しに、比較。

ユニクロのワンピース
ユニクロのワンピース。

 下の「。」付きは、ただのワンピースちゃいまっせ、ユニクロのワンピースなんですよ、おねえさん、っていう感じがしませんか。

 有名なところでは、ずいぶん古いですが、JR東日本のダイヤ改正の広告。小泉今日子さんが出演していた広告で、キャッチコピーが「ジャンジャカジャーン。」というもの。これも比較してみます。

ジャンジャカジャーン
ジャンジャカジャーン。

 ね。なんか違うでしょ。違わないですか。違うと思うんですけど。下のほうが、なんか「大発表ですよ。みなさん、聞いてください。」というメッセージが読み取れるような気がします。かつて、私が大阪で仕事をしていた頃の作品から。なんばCITYというショッピング街のセール広告のコピーです。「関空効果。」というコピー。これは、ニュースで言われはじめる前に掲載して、テレビのニュースで取り上げられたのがうれしかった仕事です。あの頃、若かったなあ。これも比較。

関空効果
関空効果。

 上は小泉現象とか劇場型政治とかと同じタイプの言葉ですが、下は「によってお得なんです」的なメッセージを感じたりしませんか。しませんか。すると思うんですけど。どうでしょうか。そういえば、「モーニング娘。」も「。」がありますよね。

モーニング娘
モーニング娘。

 この違いはどう説明すればいいんでしょうか。でも、とにかく新しさというか、ユニークな存在という感じはしますね。たとえば、普通の言葉に「。」をつけるとどうなるか。とりあえず列記して、このエントリの締めとさせていただきます。なんか、この締め方は少し新しいかも。ではでは。

ブログ
ブログ。

広告
広告。

疲労
疲労。

愚痴
愚痴。

宮沢賢治
宮沢賢治。

スナフキン
スナフキン。

幸せ
幸せ。

放送事故
放送事故。

フリーズ
フリーズ。

労働
労働。

寝不足
寝不足。

カラマーゾフの兄弟
カラマーゾフの兄弟。

ドストエフスキー
ドストエフスキー。

ニーチェ
ニーチェ。

マルクス
マルクス。

鷹の爪
鷹の爪。

ホッピー
ホッピー。

就寝
就寝。

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2008年9月24日 (水)

書けないとき

 仕事ではなくて、ブログの話。

 書くことがなんにもない。そんなときがあります。ま、このブログは仕事ではないので原稿を飛ばしても人でなしにはならないので、いいと言えばいいのですが、それでも、書くことがなんにもなくて、書かないでいると、なんかもの足らない感じがします。これはブログを運営する人にもよるのでしょうが、わりと頻繁に更新するタイプである私の場合、少し大げさかもしれませんが、ここに書くことが、ごはんを食べたりすることと同じような気分でいますので、ちょっともの足りない気分になります。

 仕事が忙しいときや、最近ではほとんどないと言ってもいいくらいですが、ネット環境がない場所にいるときは、書きません。仕事が第一なので。でも、頭の中では書きたい気分がいっぱいなので、時間があれば書けてしまいます。でも、今日は書くことがないなあ、というときは、仕事が忙しい、というのとは別の状態のときが多いように思います。

 よく、ブログを頻繁に更新する人は、仕事が暇なんじゃないか、と思われがちですが、私の経験では、仕事がほどよく忙しく、バリバリ頭が働いているときは、たとえ飯を食っているときもいろいろ考えているので、ブログもバリバリ書いているような気がします。本当に書けないな、書きたいけどなにも書くことがないな、というときは、ある共通の特徴があるな、と思います。

 で、それが今なんです。とか言って、書けないことをネタにしちゃってますけど、まあそれはとりあえず棚に置いとくとして、今の状態はこんな感じになっています。

 ここ最近、撮影やらなにやらで、やらなくちゃいけないめんどうな業をたくさん先送りにしていて、それを片付けなくちゃいけないけど、時間がたてばたつほどやる気がなくなってくるんです。完全に義務になっちゃっています。気が重いんです。単純作業なので、5時間くらい集中すればできることなのに、どうしても始められません。たぶん、私の性格から言って、締め切り間近にならないとやらないんだろうな。この性格、治そうと思うんですが、なかなか治らないですね。

 それと、うちのトイレが水漏れしているんですよね。便器にちょろちょろと水が流れよるんです。それも修理しないといけないけれど、まあいいかと言っているうちに、どんどん時間がすぎていって、時間がたてばそのぶん水道代も無駄にかかるし、それもぼんやりとした負担になってきています。ああ、じゃまくさい。

 ブログというか、お金のからまないことというのは、仕事が忙しかったり、生活でたいへんなことが起きても、基本的には好きなことなので、あまり影響しないように思います。多忙な人は趣味も濃かったりしますし。でも、じゃまくさいことをかかえると、とたんに、この手のお金のからまないお楽しみごとには頭がまわらなくなってしまいますね。

 私のブログも、職業人ブログの一種でもありますので、ライフハック的に読まれることも多いみたいですが、ライフハック的には

「単純作業は早めに済ませろ。時間がたてば、その作業は、やがて義務になり、苦痛となる。」

 という感じでしょうか。なんか鬼十訓っぽいですが。でも、これがいちばん難しいんだよなあ。私、いままで守ったためしがありません。ああ、なんて駄目なやつ。

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2008年9月22日 (月)

「大人の事情」の取り扱い方

 広告なんて泥臭いものを仕事にしていると、ことあるごとにいわゆる「大人の事情」ってやつに翻弄されてしまいます。広告が泥臭いビジネスだと言っても、やっぱり表現には変わりがないので、制作サイドとしては「幸せとは何か」みたいなことを、けっこう真面目に追求したりしていて、そんなピュアピュアモード全開のときに、先方の部長さんがこう言っている、だとか、ああいうのは社長が嫌いだとか、そんな話が入ってきたりするんですよね。

 そんなものはクリエイティブには関係がない、一切考慮しない、と言い切れれば美しいのですが、まあ、こちらも大人ですから、うまく切り抜けなければなりません。理想を貫くことで、その表現が世の中に出ないよりも、いろいろ苦戦しながら、たとえそれが妥協であったとしても世の中に出た方がいいと、私は信じています。限度問題ではありますが、100のものが80くらいになるのならば、それは世の中に出した方がいいのではないかと思います。

 広告は、その時、その時を切り取る時代の表現だし、小説や絵画なんかのピュアアートと違って、発表を作者がコントロールできるわけではありませんので、妥協も制作過程の内とはじめから考えておく方が健全だと思います。現実は、翻弄されっぱなしではありますが、私なりの「大人の事情」の取り扱い方を書いてみたいと思います。

*      *      *     *

 

■「大人の事情」をはじめから制作過程に組み込んでおく

 これだけでずいぶん気分が違ってきます。「大人の事情」がからまない制作はない、と考える方がうまくいくのではないかと思うんですね。現実、ほとんどからみますし。何事もなくうまく行くというふうに想定しないことは大事だなあと思います。でも、ここで大事なのは、どうせ「大人の事情」がからんでくるから、じゃなくて、いずれにせよ「大人の事情」がからんでくるはずだから、という感じがいいかもです。微妙な違いですけど。

■フレキシビリティのある企画でスタートする

 がちがちに表現を詰めてスタートしない、ということですね。企画をガラス細工のように繊細に構築してスタートすると、ちょっとした「大人の事情」でパリッとひびが入って、すぐに粉々になってしまいます。たとえそれが素晴らしい表現であっても、割れてしまっては元も子もありません。それならば、スタートは芯だけ決めて、多少の「大人の事情」が入っても、カタチを柔軟に変形できるような「ゆるさ」が初期段階では大事だと思うんですね。

■表現の繊細な部分にこそ明快な理由を

 企画の根幹が繊細な表現にゆだねられていることはよくあります。ここは、絶対に薄暗くなくちゃいけない、とか。そういう部分は、繊細な部分であるが故に、感性とか、イメージとか、フィーリングとか、味とか、あいまいな言葉で説明されがち。でも、こういう部分にこそ、明快な理由がいるんです。それも、目的に直結するような。売り上げなら、売り上げに寄与する、とか、ブランディングなら、こうこうこういう理由で、その表現が必要だというような。それが見つけられなければ、たぶん、その表現は、なくてもいい。それくらいの気構えがちょうどいいような気がします。

■チームで共有するときには「目的」が先

 ここでいつもつまずくことが多いです。私は、とりあえずチームには、そうした「大人の事情」は隠さず公開しようと思っているのですが、これを先に話してしまうと、どうしても「大人の事情」を優先するモチベーションになるようです。先に書いた「どうせ」ですね。共有すべきは、目的です。そして、その目的を遂行するときの壁としての「大人の事情」という段階を踏まないと、「大人の事情」を乗り越えようとディレクションするその態度が、スタッフには安易な妥協、つまり保身と理解されてしまいます。こうなると、ディレクションする方としては、やけ酒飲んで「俺の気持ちもわかりもしないで。ちくしょー。」と愚痴るしかなくなります。

■「大人の事情」はチーム全員に知らせなくてもいいのかも

 迷うところです。このところ、自分で処理できることなら、「大人の事情」は知らせる必要はないのかもしれないと思ってきています。どうしてかというと、厳しい言い方ですが、「大人の事情」に立ち向かえるかどうかは、責任の大きさに比例するような気がするからです。責任が小さなメンバーや外部クリエーターにその「大人の事情」を伝えても、混乱するだけのような気もします。であるならば、CDのわがままや好みに還元させたほうがすっきりするかも。ここらへんは、私はまだ試行錯誤中。

■「大人の事情」をブラッシュアップのチャンスだと思う

 ここがいちばん大事かも。そのアイデアや表現をもう一度考え直すチャンスだと前向きに捉えることは大切。経験で言っても、あのとき揉めなければこのアイデアや表現は出なかったな、と思うことがままあります。また、そんな気構えでいると、「大人の事情」が出ている状況で、少し余裕を持って対処できるような気がするんですね。たいていは、我々制作は、そういう状況で感情的になってしまいがちですが、これを営業はいちばん恐れるんですね。それは身にしみてわかります。まずは聞く。解決はそれからでも、この場合は遅くありません。聞く耳をもたないのが最も駄目。

■どうしても駄目というときはその企画をあきらめる

 これはいちばん難しいですね。どうしても駄目なときは、先方の「大人」と渡り合うしかありません。徹底的に話し合って、どうしても駄目なときは、私は企画を引き上げます。たいがいの「大人の事情」は、企画の修正だったりするので、相手はきょとんとしますが、それでも引き上げます。で、短時間で新しい企画を作ってもっていきます。いろいろやってみたけど、こういう状況になったら、案外この方法が最も合理的のような気がします。その企画には未練はあるけど、しょうがないです。

 

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 ここまで書いた「大人の事情」は、どれも私が対処できるようなものですが、世の中には、一介の会社員ではどうすることもできない「大人の事情」もたくさんありますよね。こうなったら、もうどうすることもできません。その場合は、まず「大人の事情」がからまないところから企画をはじめるしかありません。それで、針の穴に糸を通すようなプランニングをするしかないです。

 私がもっとも嫌いなのは、制作のスタート時では理想に燃えて、ピュアな仕事をしているのに、「大人の事情」に負けて、へんてこな駄目広告をつくって、そのメンバーが、カンプ(プレゼン用の広告見本。Comprehensive Layoutの略。)はよかったんだけどねえ、とか愚痴っている感じ。カンプが良くてもしょうがないんです。なんかホームランを目指して三振みたいな感じがして。「大人の事情」に右往左往してもがくのは、みっともないけど、それもクリエイティブの仕事のうち。私はそんなふうに思ってます。

 月曜日に出社される方は、本日もがんばっていきましょう。お休みをとられた方は、ゆっくり休んでくださいませ。いいなあ、休みたいなあ。では、本日はこんなところで。

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2008年9月21日 (日)

こういうの好き。

Img032

 いいですよね。こういう違和感、大好きです。ちなみにこれは、CMの撮影で行った長野県上田市で見つけました。ネットを見てみると、各地でエメラルドマウンテンの増量ロング缶が発見されているそうです。

関連エントリー:「違和感のクリエイティブ

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この機会に、その発想を改めてみてはどうだろう。

 総選挙を控えて、医療制度関連で、このところ世間が騒がしくなっています。後期高齢者医療制度を中核とする医療制度改革では、様々な意見があるようです。若干ステレオタイプな感じでばっさり切っていますが、大きくわけると、この2つに分かれるでしょう。

1)老人いじめだ。医療費天引きとか、この不景気に医療費負担増はもうごめんだ。いままでがんばって国を支えて来たのに、年をとったら区別されて、負担させられて、なけなしの年金から天引きされるし、約束が違うじゃないか。いつもいつも、政府与党は。まるで姥捨て山だ。

2)今のままでは近い将来医療制度は破綻するよね。それに現役世代に負担させてばかりじゃ働く気なくなるでしょ。そういう意味では今必要だし、いつかはやらないといけない制度かも。現実、高齢者の負担も減るケースもあるわけだし。大衆っていつもヒステリックなんだよね。

 で、テレビとか新聞で報道されるのは、この2つを行ったり来たりの言説だったりします。一方で患者の経済的困窮をドキュメントで見せるかと思えば、コンビニ医療や社会的入院という品のない言葉で大衆をくさす。政治の世界では、野党の言い分は概ね1)で、政府・与党の本音は概ね2)で、選挙が近くなると、がぜん1)の言い分が大きくなって来て、政府与党の舛添さんがフライング気味にテレビでこんなことを言うようになってきました。

 後期高齢者医療制度は75歳以上の高齢者を若い世代から切り離し独自の保障をする制度。だが年金からの保険料天引きなどが感情的な批判を呼んでいる。同相は新たに検討する医療制度は(1)年齢のみで対象者を区分しない(2)年金からの保険料天引きを強制しない(3)世代間の反目を助長しない仕組みを財源などで工夫する——という三原則に基づいて設計することを強調した。
厚労相「麻生政権で新制度」 後期高齢者医療 — NIKKEI NET

 ああ、わかりやすいな、と思います。でも、わかりやすすぎて、いやになります。みんな感情論。そこ、本質なんでしょうか。私にはそう思えません。年齢で区分とか、保険料天引とか、世代間の反目とか、説得でなんとかなるじゃないですか。年齢で区分しないとするとどう区分するのかはわからないし、お金は天引ではなくても、どうにかしてとらないといけないし、世代間の反目なんて、しょうがないじゃないですか。最後は、きっと消費税を念頭に置いていますよね。(私は個人的にはそれも手ではないか、と思っていますが、その経済への影響とか、不勉強でいまいちわかりません。)

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 医療費の増大の原因になっている高齢者の社会的入院を招いたのは、そもそもかつての地方自治体の老人医療費無料制度です。政府は、この社会的入院という大衆の行動をすごく嫌悪していて、この後期高齢者医療制度が始まる前から、医療から介護へ、療養病床は削減、長期入院は病院が赤字になるような手法で抑制、というカタチで大衆に対抗したように私には思えます。私は、この捻れた暗い情熱に支えられた抑制の方法が、後期高齢者医療制度を含めたすべての医療行政の根幹にあって、それがこの制度の最大の欠陥だと思っています。

 それが分かりやすく表現されているのは、入院90日を超えると保険点数が極端に下がる制度や、終末医療をやめるアドバイスをすることに対して新たに保険点数を与える制度などです。私の経験したことで言えば、母が入院して、どんどん悪くなって、入院が長期化し、入院当初より医療の助けが必要な状態にも関わらず転院要請されたり、その間に、行政の指導もあると思うのですが、自治体からの介護認定があり、当然いちばん重度の「要介護5」だったのですが、でも、このタイミングの介護認定というのは、ほとんど意味をなさないんですね。「要介護5」の状態は、介護ではなく医療が必要なんです。

 母は、状況が良くなったり悪くなったりが続いて、まだ入院していますが、希望的な観測で言えば、もし母がある程度元気になって退院できるようになり、介護でなんとか生活できるようになったとき、もう一度介護認定があるわけです。そのときは、きっと「要介護5」ではありません。介護ではなく医療が必要なときには介護認定が高く、介護が必要なときには介護認定が低い。介護が低いと介護が利用しにくい。そんな現実があるのです。

 精神疾患や認知症、脳梗塞の後遺症の高齢者患者を中心に、医療を受けられない人が続出しそうな気配があったのですが、やはりこの制度は後期高齢者については10月より、重度の認知症と脳梗塞の後遺症については凍結されるそうです。とりあえず、そのこと自体は評価はするけれども、この大本の考え方が変わらない限り、こうした問題は出続けるだろうと思います。

 こうした問題は、大きな犠牲が出てから反省しても遅いんですよね。人の人生は一度しかないから。財源がない。破綻する。どこかからお金を持ってこなければいけない。それを言うのは反発があるから、一番負担になっている患者さんにがまんしていただく。しかも、その患者さんは、口うるさくない患者さんなんですよね。そこそこ健康なら、文句は言えるけど、認知症や脳梗塞の後遺症では話せないですから。それはないだろう、と思う訳です。

 私は小児医療はあまり詳しくはないですが、医師不足や医師の過労で、小児医療が崩壊しそうな今、選挙が目的だとしか思えないタイミングで、小児の医療費を無料にする地方自治体が相次いでいます。何を考えているのだろうと思います。これで、小児医療を存続させるための地域住民の取り組みが水の泡になります。

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 舛添厚生労働相は「どんなに論理的にいい制度でも国民に支持されなければ長期に維持できない。政権も代わる時期でもあり、じっくり問題点を洗い出す」と言っています。本音は、論理的にいい制度という思いがありそうです。ならば、その良さを説得するのが本当は先なのではないかと思います。そして、その問題点は、年齢での区切りや、年金からの天引きでは本来はないはずです。これでは、後先を考えない、この小児科無料と同じです。

 口当たりのいい先送り案はいいから、とりあえず、医師の職業的倫理から医療を行いたいけれど、それをすると病院が赤字になり、その結果として、医療を受けるべき人が受けられないで路頭に迷ってしまう制度をつくれば、国民に負担を迫らずに結果的に医療費が抑制できるじゃない、という陰気な発想だけは、この機会に改めてみてはどうだろう、と私は思います。敵ながらうまく考えたと思うし、これを思いついた人は頭がいいんだろうなと感心するけれど、そんなやつと付き合いたいとは思いませんもの。

 だって、こういうことがある限り、後期高齢者医療制度が、高齢者に安心して医療を受けていただくための制度だと言っても、信じられませんもの。こんなやつらのために、大切な医療費を使えねえんだよ、という本音が透けて見えるじゃないですか。信じられないものにお金は出したくない、というのが人情です。逆に言えば、信じられるだけの根拠をきちんと示せば、しぶしぶだけどお金は出すとは思うんですよね。医療制度が疲弊しているのは、変えられない事実なのだし、医療が大切だというのは、みんなわかっているわけだから。

追記:

 麻生氏は21日、NHKや民放のテレビ番組で、同制度について「抜本的に見直すことが必要だ。国民に納得してもらえないという話だったら、さっさと(見直す)」と語った。見直しの柱として、〈1〉加入者を年齢で区分しない〈2〉年金からの保険料の天引きを強制しない〈3〉世代間の 対立を助長しない——の3点を挙げた。麻生氏は、次期衆院選の政権公約(マニフェスト)にも、同制度の見直しを盛り込む意向だ。

 同制度を巡っては、4月の導入直後から、「75歳以上の高齢者を切り捨てるつもりか」などの批判が出ていた。

後期高齢者医療「見直し」…麻生氏、政権合意に盛り込みへ(2008年9月22日03時02分  読売新聞)

 目先のわかりやすいところだけ先送り的に改革、というふうにならないようにしてほしいと思います。本当は90日ルールを代表とするような、隠れた部分をなんとかしてほしい。で、本来この問題が隠れてしまうのもおかしな話ですけど。でも、この話、現場のお医者さんも混乱するくらい複雑なんですよね。うまいこと考えたもんです。(参考:90日ルールへの特例措置-新小児科医のつぶやき)

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2008年9月19日 (金)

市川準さん

 絶句。

映画監督でCMディレクターの市川準(いちかわ・じゅん、本名・市川純)さんが急死したことが19日分かった。59歳だった。同日午前0時ごろ、10月に開催される東京国際映画祭に出品が決まっていた新作映画「buy a suit」の編集作業を終えて、食事をしていた時に倒れたという。告別式の日程などは未定。

映画監督の市川準さんが急死、新作の編集作業後に - YOMIURI ONLINE

 私は準さんのつくるCMや映画が好きで、気心の知れたお得意さんに、長尺のCMを提案し、もし決まったら準さんに演出してもらおうということをよくやっていました。こういう企画を仕事の合間を見ながら、かれこれ10年ほど続けてきましたが、ついに実現できずに他界されてしまいました。

 CM制作会社のプロデューサーさんにも準さんを慕う人は多かったようです。とかくお得意さんの都合でぐちゃぐちゃになりがちのCM制作の中、準さんは常にものを作る側の視点に立っておられたようです。けっして声を荒げることなく、すごくもの静かでやさしい仕事ぶりだったと聞きます。一度でもいいから、一緒に仕事をさせていただきたかったです。心よりお悔やみ申し上げます。

追記:

 あるCMの編集スタジオで、このニュースを聞きました。私より少し上の世代のCM制作会社のプロデューサーさんやディレクターさんは、若い頃、準さんと仕事をしたことがある人が多く、その方々から、一緒にロケに行ったときの思い出話をよく聞かされました。その方々は、当時は新卒で入社したばかりの新人さんで、準さんは、そんな新人さんにもやさしかったそうです。相手が誰であろうと、理不尽なことは理不尽だと言うし、その理不尽さの犠牲になっているのが新人さんだったとしても、無視しない。そんな人だったそうです。

 私は、当時は新人さんで準さんと一緒に仕事をした経験を持つ、そんなCM制作会社のプロデューサーさんの「準さんはいいよ。一度でいいから仕事したほうがいいよ。企画には厳しいけど、すごくいいから。」と聞かされて、それ以来、まるで、はじめて見たものを親と思う小鴨のように、いつか準さんとご一緒できるような仕事の条件をつくれたら、準さんに仕事を頼みに行こうと思い、自主提案を重ねていきました。

 ちょっといい格好をすると、私の中で勝手に「準さんプロジェクト」と名付けた自主提案は、私の励みというか、初心を忘れないための儀式というか、そんな感じでした。それも、かなわぬ夢になってしまったんだなあ、と思うと、ほんとさみしいです。

 CMのディレクターというと、名前の通った人は、その名声の裏側に、必ずと言っていいほど悪評がついてまわるのですが、準さんには、そういう悪評というのはほとんどなかったです。あっ、ひとつだけあった。声がちいさいんだよねぇ、というのが。でも、そう言っている人の顔を見ていると、すごくうれしそうで、なんとなく準さんのお人柄がしのばれるというか、その現場が見えてくるようで、ほんと、一度でいいから一緒に仕事をさせていただきたかったと思います。

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2008年9月18日 (木)

世の中はどんどん悪くなっていく、わけじゃない

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 長野県上田市の無人駅のベンチ。カップ酒の空きカップに団扇が差されていました。夏も終わりですが、今年は暑かったので活躍したことでしょう。ビニール傘なんかも何本か置かれていました。地域の人が置いていくそうです。

 上田へはあるCMの撮影で行ったのですが、そこでお世話になったフィルムコミッション(映画や広告などの撮影のいろいろなコーディネートをしてくださる地域の団体です)の方がおっしゃっていました。

 「ここも、一時期は、窓ガラスが割られたり、ゴミが散乱したりして、荒れていたんですよね。」 

 この無人駅は、まわりは住宅も多くあり、地域の通勤通学でそこそこ使われる駅です。ひとつ悪いことが起こると、私なんかは、この先ずっと悪くなることはあるけれど良くなることはないな、と思ってしまいがちですが、そうでもないのかもな、と思いました。

 駅のまわりにはコスモスがたくさん咲いていました。風に揺れて、朝の光に照らされていました。まあ、なんとかなるさ。少しでも良くなるようにと、ひとつひとつ重ねていくしかないんですよね。気長に、じっくり、ゆっくり、ね。

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2008年9月16日 (火)

本日は撮影2日目。

Img021_2

 昨日は曇りでした。本日は晴れそうです。写真は昨日のもの。田んぼです。豊かに実っていました。

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2008年9月15日 (月)

41のおっさんが「若い時、やっときゃよかった」と思う10のこと

 ブログっぽいタイトル。こんなの書いてみたかったんですよね。10のこと、というのがブログっぽいですよね。ところで、41はおっさんでしょうか。自分ではおっさんとは思っていないのですが、まあ41はおっさんなんだろうな。でもね、41なんて、すぐ来るよ。あっと言う間だから。でね、41にもなると思うわけですよ。ああ、若い時、あれやっときゃよかったな、と。終電で帰って来て、中野の吉野家で牛丼食べながらしみじみ思うわけですよ。やろうかな、と思うこと、やっとくほうがいいですよ。ほんと。

*     *     *     *

第10位:歴史の勉強

 私、学生時代はずっと歴史が嫌いな科目でした。暗記中心でしょ。なんで本見れば書いてあること、覚えなきゃいかんのだろう。そう思っていました。だから大学受験も現代社会を選択しましたし、大河ドラマもあまり好きではありませんでした。でもね、この年になると、いろんなことが歴史の上に成り立っていることがよく分かるんですね。
 私は広告マンだから、広告のこれからのことをよく考えます。でも、これからとることができる道というのは、歴史の限定性の中にしかないことがよくわかります。で、その最善の答えもきっと歴史を学ぶことから導き出せる。それを文化とかに拡張しても、同じですよね。歴史はとりあえず知っといたほうがよかったな、と思います。

第9位:禁煙

 こんな時代になるなんて思いもしませんでした。今からじゃ、やめるの大変な気が。そもそもタバコなんか吸わなきゃよかった。私は愛煙家でもないし。じつは、そんなにうまいとも思わないけど、なかなかやめられない。ニコチン依存ですね。ジャズもそうだし、広告もそうだけど、喫煙者が多い環境でずっと過ごしてきたから、当たり前のように吸ってきましたが、世間はそうではなくなってきて、すごく肩身が狭いです。じつは、こんな気持ちの喫煙者は多いのではないでしょうか。

第8位:英語のしゃべりの訓練

 私、外資系なのに英語がうまく話せません。それでもやっていけるちゃあ、やっていけるけれども、しゃべれると楽しいだろうな、とは思います。最近はそうでもないけど、日本の英語教育は読み書き中心ですよね。難しい学術書を読みこなすために、英語を勉強するというもの。それ自体は間違ってはいないとは思うけれど、例えば、ビートルズの曲の歌詞がわかったり、海外にいったときに街で会った人とおしゃべりしたり、そんなことも大事。というか、それは楽しいことだと思うんですよね。
 それと、英語の歌詞とかを訳したり、英語の広告の日本版をつくったりして思うこと。たぶん、外国語をしゃべれるようになることは、別の思考法を身につけることなんだろうと思います。読み書きは理解することにはなるけれど、身につけるというのは、しゃべりなんだろうな、と。

第7位:同棲

 これはほんと、思いますね。同棲とかすると、一人でいるのが苦痛という感じになっていったんじゃないかな、と思います。人並み以下くらいには恋愛はしてきた気がしますが、同棲とかしたことないので、一人がどんどん平気になってくるんですよね。むしろ自由に思うくらい。で仕事が忙しくなってきたりすると、一人のほうが楽でいいやと思ってきます。これはまずいなあ、と思います。

第6位:ナンパ

 またまたですが、私、今まで一度もナンパというものをしたことがありません。たぶん、一生ナンパをしないで死んでいくんだろうな、と思うとなんかさみしい。だからといって、これからでもまだ遅くない、さあナンパするぞ、なんてことはもはや思えませんし。根性がつくんでしょうね。すごく心が鍛えられそう。

第5位:インターネット

 これはほんと思いますね。ネットの大衆化は今も進行していますが、その渦中を身をもって体験しておきたかった。ちょっとしたプログラムも理解できるようになってただろうし。でも、まあこれは今からでも遅くない気もするし、まだ大丈夫な感じもします。気になっている人、とりあえずブログをはじめるといいかも、ですよ。

第4位:岩波文庫読破

 教養としてこれくらいはしとくべきだったな、と思います。岩波文庫は、文学から哲学まで幅広いし、古典と言われるものも網羅しているので、読破していたら違ったかもなあ、と思います。こういう教養的なものは、無理矢理でも身につけておくべきだったなあ、と思います。無駄にならない感じがします。

第3位:ピアノの習い事

 私は、幼稚園のとき、ヤマハ音楽教室に通っていました。でも、やめちゃったんですよね。やめなけりゃよかったです。大学に入ってから、少し独学でやってみたけど、ものにはなりませんでした。やっぱり年がいってからはじめると頭で考えてしまうんですよね。ピアノは音楽の基本のような気がします。ピアノが弾けると作曲もできるし、下手でもなんでも、とりあえず弾ければ、これからの人生が豊かになりそう。

第2位:半端でもやり続けること

 なんか、昔からその道のプロになれなかったら、すぱっとあきらめるが吉、というような考え方をしてしまっていて、中学時代のテニスも、大学時代のジャズも、社会人に入ってからの児童文学も、みんなやめてしまいました。これは、ものすごく後悔しています。興味を失ったわけではなく、ある決意をもとに辞めましたから。少しずつでもコツコツやっておけばよかったな、と思います。
 今となっては、半端でもいいじゃない、と思います。いろんなことが、地下茎のようにつながっている感じが、この年になってわかるようになってきて、一本の根を地中に深くも生き方だけど、横に広くもひとつの生き方のような気がします。というか、これからは、そんなふうにやっていこうか、と思います。興味のあることは、とりあえずやってみる。そんな感じです。

第1位:でも案外みんなこれからでもできることだったりするわけで

 もっとライフハックっぽいものになるかなと書き始めたけれど、こうして列記すると、今からでもできることばかりですね。やれるかどうかは別ですが、「これからやってみたい10のこと」でも成り立つような。こうしてみると、私は案外、今の自分にそれほど不満でもないのかもしれないですね。もちろん満足なんてまったくしていないですけど、あれこれ考えてもどうなるわけでもなく、今出来ることをとりあえずやってみるしかないような感じがします。

*     *     *     *

 ただ、41のおっさんになってみて、ひとつだけ変わったことがあるかもですね。やらないことに別の言い訳はつくらないようにはなってきました。昔は、これからは広告で生きていくから他のことは一切捨てよう、なんて思っていました。でも、今から考えると、やる気がなかっただけだな、なんて思います。そういうへたれな自分も自分なわけで、それを認めることからしか始まらないと思うし。そんなわけで、私は、このてのエントリが苦手。じゃあ、なんで書いたのと問われると、ブロガーたるもの、一度は書いてみたいじゃないですか。あこがれじゃないですか。書いてみたい、と思ったら、言い訳せずに、とりあえず書いてみる。そんな感じです。

 いまいちオチのキレ味が悪い気もしますが、今日はこのへんで。私は今日は朝の4時起きで仕事です。きちんと起きられるだろうか。ちょっと不安。では、みなさま、よい連休最終日を。

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2008年9月14日 (日)

はるな愛さんが好かれる理由

 ここのところ、はるな愛さんがよくテレビに出てきます。エアあややっていう、松浦亜弥さんのコンサートの音にあわせて振りマネをする芸で一躍有名になったニューハーフのタレントさんですね。この人、私は前から気になっていて、古くは大阪のバラエティ番組に出たり、中野区のケーブルテレビで中継していたインディーズプロレスのDDTという団体に登場したりしてました。一頃、あまり見かけなくなって、最近、エアあややで大ブレイク。今や、全国区の人気タレントさん。人生、わからないものですね。

 ニューハーフと言えば、飲み会の3次会なんかで、もう人数も少なくなった頃合いに、ニューハーフの人がやっているバーなんかに連れて行ってもらったりします。人にもよるのでしょうが、ニューハーフの人は、たいてい話が上手で、お客さんとのコミュニケーションが密になる傾向があります。で、気付くと、普段はあまりしゃべらない女性なんかがママさんと恋愛相談していることがよくあって、ちょっとびっくりしたりします。

 「ああ、その気持ちわかるわぁ。つらかったのよねぁ。分かるわぁ、うん、うん。」

 女性は、その頃には、もう泣きそうな感じになっているんですよね。すごいもんだなあ、と思います。その女性、普段はすごくガードが高いのに、その子の心を開かせてしまうなんてなあ。と。やっぱり、ニューハーフの人は違うよなあ、と感心します。

 はるなさんをテレビで見ていると、やっぱり元は男性なので、彼女は、女性の素敵な部分を自分の中に一生懸命に取り入れて来た感じが見えます。男性である彼女が女性になりたい、自分は女性であると思うのは、きっと女性であることの素敵な部分に魅かれてのことでしょうから当然ですよね。女性が持つ嫌な部分っていうのもありますよね。その嫌な部分を自ら選択して取り入れようなんてしないでしょうから、男性である自分の外側を女性の素敵な部分で包み込もうとしますよね。

 ここが、はるなさんをはじめとするニューハーフの人たちが愛される理由でもあるんでしょうね。今、「ウチくる!?」という番組にゲストとして出てらっしゃいますが、それがよくわかります。レギュラーの中山秀征さんと青木さやかさん。男性や女性も嫌な部分も自然に出て来ていて、それがナチュラルないい感じなんですが、ニューハーフであるはるなさんにはそれがないんです。やっぱり嫌な部分をナチュラルに表出するときは、自身の男性部分を自嘲気味に語る、というカタチになるようです。

 「最近、枕が男くさいのよねぁ、もう、やんなっちゃう。」

 それは、ある意味で究極ですよね。吉本隆明の「大衆の原像」とか、そういう世界に近いです。吉本さんは、知識人は「大衆の原像」を自身の言説の中に取り込んでおかなくちゃいけないとことあるごとに言うのですが、その「大衆の原像」というのがこの自嘲気味に語られる男部分。で、はるなさんが身にまとう女性部分は、知識人の知識にあたるのでしょう。だから、乙女チックな女性が醸し出す雰囲気とはるなさんの雰囲気とは決定的に違うことろがあって、前者はコミュニケーションを拒みますが、後者はコミュニケーションを促進する、というか。

 「男の人と恋愛するとね、やっぱり、男の人がそろそろ浮気するんじゃないかとかわかるからぁ、すっごくつらいのよねぇ。」

 ああ、そういうことなんだろうな、と思います。だから、女性が心を開くんですよね。そして、その相談している女性の駄目なところも、女性であり男性である存在からしか指摘できないんでしょうし。同性では絶対にアドバイスできない領域があるように思います。同性から言われると、もうそれはアドバイスではなく侮辱になることでも、案外あっさりと相手に受け入れられる言葉で言えてしまうところがあるのでしょうね。

 今「ウチくる!」でやってますが、ほっしゃん。がずいぶん前にプライベートで告白したそうです。で、そのときのはるなさんの断りの言葉が、なんかいい感じ。

 「なに言うてんの、私、男やって。」

 なんかせつないですね。まるで、「綿の国星」みたい。でも、まあ、単純にはるなさんにとって、ほっしゃん。が男性として好みではなかっただけかもしれませんが。

 この番組では、はるなさんのお母さんとの話が出てきましたが、まあ、これは単純にほんといい話なので、割愛。生きていくってことは、いろいろありますね。いろいろあります。みんな、いろいろあるけど、まあ、お互い助け合って、理解し合って、みんながそれなりに笑顔で生きていけたらいいな、と思います。さて、仕事に戻ります。来週は、飛び石の平日に休暇をとって、大阪に帰る予定なので、いまできることを済ませておこうと、ちょっと無理めにやってます。ではでは、よい休日を。

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2008年9月12日 (金)

その後の空

Tokyo2

 少し雲が出た。(写真:17時頃の空)

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Tokyo

 ただいま、都内で撮影中。ここ数日では珍しく、本日は雲ひとつない晴空。でも、ほしいのは雲の表情だったりします。困ったもんです。(写真:14時頃の空)

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The Water Is Wide

 「The Water Is Wide」という曲をご存知ですか。この曲はアイルランドの民謡だそうです。メロディを聴くと、ああ知っている、という感じの有名な曲です。きれいなメロディです。この曲の歌詞は様々なバージョンがあります。私は、インディゴガールズの歌うバージョン(参照)を訳してみました。なんか、ときどき、こういうスタンダード曲を訳してみたくなるんですよね。今回は訳しやすかったです。ちなみに、ほぼ直訳(一部、もとの英語にない表現も加えてますが)です。


The Water Is Wide

 

The water is wide, I can't cross o'er
その海は広すぎて私には渡れない

And neither have I wings to fly
空飛ぶ翼を持たない私には海は渡れない

Give me a boat that can carry two
二人をのせる一隻のボートを私にください

And both shall row, my love and I
そしてゆっくり二人は漕ぎだすでしょう

 

Oh love is gentle and love is kind
ああ愛よ やさしくそしてあたたかい愛よ

The sweetest flower when first it's new
まるでそれは開いたばかりの花の甘い香りのよう

but love grows old and waxes cold and fades away
けれども愛はいつしか冷つめたくなって消えてしまう

like morning dew
まるで朝露のように

 

There is a ship and she sails the sea
海を渡る船が遠くに見える

She's loaded deep as deep can be
沈みそうなくらい重い荷物を積んでいる

But not as deep as the love I'm in
けれども私の愛はその船よりもっと深く重くて

I know not how I sink or swim
泳ぐことも沈むこともできずにいる

 

The water is wide, I can't cross o'er
その海は広すぎて私には渡れない

And neither have I wings to fly
空飛ぶ翼を持たない私には海は渡れない

Give me a boat that can carry two
二人をのせる一隻のボートを私にください

And both shall row, my love and I
そしてゆっくり二人は漕ぎだすでしょう

 
 

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2008年9月10日 (水)

チャーハン考

 チャーハンが好きです。中華料理店に行けば、まずチャーハンを頼みます。チャーハンが旨い店は何でも旨いし、チャーハンがまずい店はたいていのものがまずい。そんなふうに思います。今流行のパラっとしたチャーハンも好きですが、しっとり感があるチャーハンも好き。オタマで半円状になってるやつ。上にグリンピースが3粒乗っていて、端っこに紅ショウガが添えてあるやつ。

 こんなにうまいチャーハンなのに、チャーハン専門店はあまりありません。前に、大手中華ファミレスチェーンが小型のチャーハン専門店をつくっていたけど、いつのまにかラーメン&チャーハン&定食な店になってしまいました。考えようによっては、チャーハンも醤油、味噌、塩なんかのバリエーションがつくれそうだし、具材も組み合わせが無限にありそうに思えるけれど、なぜかチャーハンオンリーで勝負するのは難しいらしい。

 家でもつくれるからでしょうか。チャーハンの味は、基本的には、ご飯と醤油と塩と胡椒と油と具材の味があわさってできているから、炒め方さえ間違わなければ家でもそれなりの味になります。猫まんまと言われる鰹ぶしかけご飯はおいしいですよね。きざみネギを加えてもおいしい。猫まんまがうまいなら、それを油で炒めてもうまいはず。猫まんまに生卵を落としてもうまいなら、卵を加えて炒めてもうまいはず。そんな味の足し算で考えられる簡単さが、家庭料理としてのチャーハンの魅力だと思います。

 最近では、冷凍食品のチャーハンもそこそこいけます。まだまだ味の素のピラフの域には達していない気がするけど、かなりうまくなった気がします。チャーハンでは、やはり基本のハムや叉焼が入ったチャーハンが好き。五目チャーハンも味が複雑でいいですね。でも、普通の中華料理店で食べるカニチャーハンはパンチが足らないような気がします。

 学生時代、引越のアルバイトをしていて、中華料理店で昼飯。私を含めた学生バイトさんは、唐揚げ定食やらレバニラ定食。でも、本職のベテランさんは、みんなチャーハン大盛りでした。当時は不思議に思っていたけれど、けっこう理にかなっていますよね。炭水化物はすぐにエネルギーに変わりますものね。

 うまいチャーハンが食べたいなあ。昼はチャーハンにしようかな。でも、チャーハンだけだと少しさみしい感じもするし。って書いて思いましたが、チャーハンが主役になれないのは、きっとこういうところなんでしょうね。

 

※9月7日 (日)に書いた「全国IC乗車カードあれこれ」というエントリ、大幅に加筆しています。一度読んだ方も、よかったらどうぞ。

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2008年9月 9日 (火)

45年間、ずっと赤字だったんだ。

 ちょっと古いニュースですが。

 サントリーの佐治信忠社長は23日、朝日新聞のインタビューで「売り上げが伸びており原材料費の高騰分を補っている」と話し、ビール事業が08年12月期に黒字化する見通しを明らかにした。実現すれば63年にビール事業に本格参入して以来初めて。
サントリー、ビール事業悲願の黒字化へ 参入45年で初 – asahi.com(2008年6月24日)

 へえ。そうなんですね。不勉強で知りませんでした。もう、とっくに黒字だと思ってました。萩原健一さんと和久井映見さんの「♪モルツ♪モルツ♪モルツ♪モルツ♪うまいんだな、これがっ。」のときも、松田聖子さんのスイートメモリーにのせてペンギンが歌ってたときも、「カンビールの空きカンと破れた恋は、お近くの屑かごへ。」のときも、ずっと赤字だったんですね。

 サントリーの07年12月期の連結売上高は約1.5兆円で、ビール事業の売上高は15%の2252億円。同期も黒字化に近づいたものの、ザ・プレミアム・モルツなどの販促費がかさみ、かなわなかった。
同記事より)

 販促費がかさみ、というところがグッときました。同記事には「ザ・プレミアム・モルツ」や第3のビール「金麦」「ジョッキ生」の販売増が寄与とありました。今や、アサヒ、キリンに続く第3位のシェア。シェアをとるためなら赤字も辞さず、という感じなんでしょうね。そういえば、うちの親父は、ずっとキリンラガー(クラシック)だったんですが、最近、マグナムドライがうまいって言ってるもの。

 サントリーのビールは、一頃、ウィスキーの味がするだなんて言われて、あまり人気がなかったんですが、モルツあたりから風向きが変わったんですよね。でも、モルツが、麦芽100%から水に訴求を切り替えてから、また後退したようなイメージがありました。でも、ザ・プレミアム・モルツでまたまた少し盛り返して、その後の、3年連続モンドセレクション金賞受賞が決定打になったような気がします。

 そう考えると、まあいろいろなことを捨象して言ってるとこありますが、数々の名作CMよりも、3年連続モンドセレクション金賞受賞というのが黒字化のトリガーになったとも言えるわけで、広告屋としては少しさみしい感じもしますが、でもそれはその通りでもあるのでしょうね。名作CMはお金で買えますが、モンドセレクション金賞はお金で買えませんからね。

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2008年9月 8日 (月)

会社を辞めたいなあ、と思ったら、気休めに、このエントリを読んでみてくださいな。

 私は広告会社のクリエイティブ局に勤めています。いわゆる制作職ですね。テレビCMとか、ラジオCMとか、新聞広告とか、雑誌広告とか、ウェブ広告とか、ポスターとか、パンフとか、チラシとか、いろいろ作っています。広告コンテンツっていうやつです。

 クリエイティブとは言いますが、実際には、制作職というのは、地道な作業の連続だったりします。とはいいつつも、広告会社にとってクリエイティブは表向きのわかりやすい看板だったりするので、組織の中では、けっこうやり玉にあげられやすい職種だったりもするんですよね。

 「業績がふるわないのはクリエイティブが駄目だから。」

 そんな話になりがちです。でもって、全社あげてのクリエイティブ強化運動がはじまります。元気があるのは、クリエイティブ以外の人たち。自分のことを棚に置いて、どうクリエイティブを強化していくのか、様々な意見が出てきます。

 かの海外有名クリエイティブエージェンシーでは、広告制作に入る前に得意先の経営者と納得いくまで話す、とか、これからは当社としての水準に達していない広告は出さないでおこう、みたいな意見がたくさん。熱病ですね。みんなうれしそう。顔が上気しています。

 で、クリエイティブ以外の人たちがうれしそうに話す海外の事例。社長と納得するまで話す、とか、自社の水準を超えるものしか出さない、とか、みんな、そんなクリエイティブ以外の人たちのクリエイティブ床屋談義に嫌気がさして大きな広告会社から出て行ったクリエイティブの人たちの話。そんなクリエイティブ談義には、前提からして自己矛盾があるんですよ。

 なんだろ、このねじれ現象。この不愉快なクリエイティブ床屋談義。

 熱病だから、1ヶ月くらいで終わります。なかったことになります。そんな不真面目な論議だから、真面目に受け取ると不愉快になるだけ。そんなもんだから、そういうクリエイティブ談義をしている人の話を上の空で聞いていたら、そんな顔するなよぉ、なんて言われてしまいました。こんな顔しているだけましだと思ってくれないと。しまいにゃ怒るよ。

 何でも持続と継続なんですよ。10年でも20年でも、同じテーマで、1日も休まず考え続けることが、真剣に考えるということなんです。すぐに飽きてしまう熱病のような論議を、私は考えるとは思いたくありません。真剣に考えれば、状況の厳しさも正確に見えてくるし、甘ちょろい夢語っている暇があったら、やるべきことがたくさんあることも見えてくるはず。

 社内の政治抗争に巻き込まれ、ほされているときに、自分を大切に思ってくれているお得意先のちいさな仕事でとれるだけ広告賞をとった時期がありました。それはもう、小さな賞から大きな賞まで貪欲に。でも、社内の評価はほとんど何もなかったです。で、わかったことがありました。要するに、熱病のようなクリエイティブ床屋談義は、社内政治的な意図が隠されているんですよね。動機が不純なんですね。でも、話している本人は、そんな政治的意図は自覚しないから、これまたたちが悪いんですが。

 あと、こういう政治的なクリエイティブ談義に巻き込まれないようにするテクニックはあるにはあります。長髪にしたり、髪を染めたり、髭をはやしたり、服装を派手にしたり、そんなことをすればいいんです。私も、けっこう追いつめられて、髪をのばして、後ろでしばったり、そんなことをしました。それで雑音はかなり減ります。でも、あほらしいんです。それも、ねじれた保身だったりするので。政治抗争が終わったとき、ばっさりとやめてしまいました。

 世の中には、今の状況を、ぜったいに自分のせいだとは思わない人がいて、もし、これを読んでくれている若いあなたが、なんでも自分の中に原因を見いだしてしまう人ならば、先輩として、そんな、ぜったいに自分のせいだとは思わない人たちの言うことは聞かなくていいとだけ言っておきます。そのぶん、あなたと同じように、今の状況を自分のせいだと思って、知らず知らずに自分を追いつめてしまう他の分野の人の言うことを、耳をすまして聞くようにすればいい。腹を割って話すようにすればいい。

 そういう人たちがいる限り、まだまだ、あなたはその会社にいる意味があると思うし、その人たちの、自分に向けた、愚痴や嘆きの中にこそ、今の状況を突破するための答えがあるのだから。

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2008年9月 7日 (日)

全国IC乗車カードあれこれ

 大阪や名古屋の人はSuicaを知りません。東京や福岡の人はICOCAを知りません。当たり前と言えば当たり前ですが、通勤や通学などの日々の移動で使うIC乗車カードは、旅行者も購入しませんし、IC乗車カードは今では数少ないご当地ブランドと言えるのではないでしょうか。

 ね、少し興味出て来たでしょ。いや興味ないね、というあなた、せっかくアクセスしたわけだし、最後までどうぞどうぞ。日曜日だしね。では北からいきましょう。

 

■Kitaka(JR北海道/2008年秋導入予定)

Jr

 キャラクターはエゾモモンガだそうです。カードの名前の由来は、「北海道のICカード」の「北」と「card」の「ca」をとってKitaca。 ウェブサイトでは壁紙なんかもダウンロードできます。Photo_2個人的には、壁紙にデザインされている、つり革にぶら下がるエゾモモンガ(左写真・部分)がかわいいと思いました。ちょっとイラストのテイストが、下記のSuicaペンギンに似ているけれど、これは導入されると人気が出るのではないでしょうか。こういう感覚、私は大好きです。

 

■Suica(JR東日本)

Jr_2

 関東地区ではもうすっかりおなじみです。名前の由来は、「Super Urban Intelligent Card」の頭文字から。「スイスイ行けるICカード」の意味も込めているとのこと。キャラクターは「ペンギン」。名前はなく「Suicaペンギン」として親しまれています。これは個人的にはうまいやり方だな、と思います。あえて名前をつけないことで、ミステリアスな存在にしているんですよね。ダイキンのぴちょんくんが話さないのと同じです。

 

■PASMO(主に関東圏の私鉄・地下鉄・バス)

Photo

 名前の由来は、先行の磁気カード「PASSNET」を「もっと」便利にした、ということから来ています。カードのデザインにあるように、電車「MO」バス「MO」「PASMO」というふうに、「も=&」の意味を持たせているようです。 私は東京在住ですが、通勤にはJRを使っているので、RobotPASMOは持っていません。SuicaとPASMOは相互利用できるので、SuicaがあればPASMOは必要がないんですね。このへん、ひとつのブランドにできないのは、大人の事情があるのでしょうね。カードには登場しませんが、キャラクターはロボット。これは、いまいちかも。

 

■TOICA(JR東海)

Jr_3

 名前は「JR東海のICカード」から。素直なネーミングです。ロゴデザインは「toICa」ですが、Photo_4 公式ページでは「TOICA」と表記されているようです。デザインもあっさりしています。東海地方の海岸線をイメージしているとのこと。キャラクターは「ひよこ」ですが、いまいちキャラクターとしては個性がなさすぎる感もなきにしもあらず。カードにはデザインされていません。

 

■ICOCA(JR西日本)

Jr_4

 名前の由来は、「ICオペレーションカード」の略称だそうですが、絶対にあと付けです。断言します。制作者ははじめから「ほな、行こか。」の「行こか」しか考えてなかったと思います。関西っぽくていいんじゃないでしょうか。でも、ちょっと日常会話で使いにくそう。Photo_5 キャラクターは、「カモノハシのイコチャン」とのこと。CMでは、仲間由紀恵さんとの共演で大活躍しているとのことです。ブランド的にはロゴのAの目玉はいらなかったかも。あと、びっくりしたのは、関連会社がウェブでキャラクターグッズを売りまくっているところ(参照)。さすが関西。

 

■PiTaPa(主に関西の私鉄・地下鉄・バス)

Photo_2

 名前は「Postpay IC for "Touch and Pay"」とのことですが、これははじめから、キャッチフレーズである「ピッとタッチしてパッと乗る」を想定して作ったんでしょうね。Pitapon_2 大阪に帰ったとき、大阪市営地下鉄で、このPiTaPaのポスターをたくさん見ました。Pitaponnoji_2 キャラクターはなく、ネーミングも、なんだか駅ビルのカードっぽいですね。

(追記:9月9日)

 キャラクター、ありました。コメントでのご指摘、ありがとうございます。ぴたポン!です。なかなかかわいいですね。というか、これ、大阪で何度か見たことがあります。

 

■SUGOCA(JR九州/2009年春導入予定)

Jr_5

 すごい名前。SUGOCAって。これは完全にJR西日本の「ICOCA」の影響でしょうが、JR西日本のICOCAはまだ交通ならではの「行こか」から来ていたり、JR北海道のKitakaは「来たか」にかかっていますが、この「SUGOCA」に関しては、交通とか、そんなちいさなことにはこだわってないようです。すごかぁ。キャラクターはカエル。これは、「帰る=帰宅」にかかっていますね。目覚ましは、朝の通勤でしょう。このゆるい感じは、嫌いじゃないですが、どうなんでしょ。

 

 他にも静岡鉄道のLuLuCaや、広島の路面電車・バスのPASPY、西鉄のnimocaなどたくさんあります。主に通勤・通学で使うものだから、基本的にはブランドは競争にさらされませんので、各社とも、なんとなく自由でのんびりした雰囲気がありますね。いずれはシステム的にはひとつに統合されていくのでしょうけど、こういうカードは、ブランド名が地方ごとに変わっても不都合はなさそうなので、このまま地域のひとに愛されるブランドに育つといいなと思います。なんか、こういうの楽しいですものね。ではでは。
 

追記(9月7日15時):
 

■LuLuCa(静岡鉄道の電車・バスなど)

Photo_6

 どちらかというと、静岡鉄道グループのお買い物で使える便利なカードという位置づけですが、もちろん定期券としてもIC乗車カードとしても使えます。しずてつはJR線に沿って走っていて、短間隔で駅間も短い、生活の路線として、地元の人の足として親しまれるそうです。日常のお買い物で活躍しているのでしょうね。また、関西私鉄系のPiTaPaなどとの提携しているようですね。

 

■PASPY(広島電鉄)

Photo_3

 名前は、PASS+HAPPYとSPEEDYから来ているとのこと。このカード、キャラクターがかなり頑張っています。Photo_7 ウェブサイトには「中国山地からこっそり降りてきたスパイのツキノワグマ。PASPYのマントを羽織っていて、どんなところへも飛んで行きます。サングラスの下はつぶらな瞳をしています。」とありました。グラサンのちょい悪ぶりとグラサンをとったときのいい人っぽい顔のギャップがナイス。

 マントの色、わかりにくいですが9の色が描かれていて、それは加盟社の9社を表しているらしいです。このきめ細かさ、いいですね。

 

■nimoca(西鉄)

Card01

 名前は、電車にもバスにもお買い物にも便利に使えるカードで「ニモカ」だそうです。nice money cardの意味もあるとのこと。キャラクターはフェレット。なんとなく女性に受けそうな、おしゃれな感じです。淡い色使いも今っぽいですね。

 

追記(9月8日)

 

■ICい〜カード(伊予鉄道)

Photo_2

 コメントにて情報をいただきました。愛媛県の伊予鉄道で使える「ICい〜カード」が「日本本の鉄道・バス事業者のサービスとしては初めて、携帯電話のおサイフケータイ(モバイルFelica)機能を使ったIC乗車券サービスに対応した。(参照)」とのことです。2005年に発売だそうです。

 

■IruCa(高松琴平電鉄)

Photo

 中国・四国地方では、IC乗車カードとしては、こちらのほうが先輩。イルカと読みます。ことでんで使えます。香川県の高松市やこんぴらさんのある琴平町を走っている電車ですね。(最初はチンチン電車と書いていましたが、路面電車は伊予鉄道のほうでした。修正しました。)電車ではキャラクターは「イルカのことちゃん」。ちなみに、JR四国は今のところ導入の予定はないそうです。

 

 しかしまあ、いろいろあるもんですね。他にもまだまだありますが、ちょっと追いきれないほどですね。でもまあ、ちょっとしたコレクションぽさも出て来たので、時間を見て追記していこうかな、と。ひとまずは、こんなところで。ではでは。

 

追記(9月10日)

 

Io_3 Jsuru_3 Photo_3  番外編です。

 IC乗車カードによって、今まで活躍していた磁気式のプリペイドカードが廃止されましたね。私は、仕事でよく営団地下鉄や都営地下鉄を利用するので、よく利用させていただきました。裏に日付、出発駅、到着駅、金額が印字されるので交通費の清算には便利でした。

 国鉄時代はオレンジカード。JRになって、JR東日本がイオカードで、JR西日本がJスルーカード。営団地下鉄はメトロカードで、後に関東圏の私鉄でも使えるパスネットになりました。いろいろなデザインのものが登場しましたので、コレクションしている人も多いと思います。私の部屋には残額が10円くらいのカードが何枚もあります。

 

追記(9月11日)

 

■はやかけん(福岡市交通局/来春発行予定)

Hayakaken

 コメントで情報をいただきました。すごいなあ。「はやかけん」ですよ。「は」=速くて、「や」=優しくて(環境や人に)、「か」=快適な、「けん」=券(カード)とのことです。「はやかけんは、はやかけんねえ。」という感じなんでしょうね。なんかネーミングは方言の時代なんでしょうか。余談ですが、富田靖子さんのファーストコンサートのタイトルは「やってみるけん」でした。私、大阪フェスティバルホールに観に行きました。とみやっこ(と呼ばれてたんですよね)、かわいかったなあ。

 

追記(9月12日)

 

■NicoPa(神姫バス)

Iccard_top

 神戸・姫路地域のバス会社です。ハトがキャラクターですね。しかしまあ、あるもんですね。まだまだありそうです。神戸・姫路は阪神電車、山陽電鉄、阪急電車、JRなど様々な交通機関がありますので、どのカードを選ぶか迷いそうですね。

 

■長崎スマートカード(長崎県内7バス事業者)

Naasaki

 長崎バス・さいかい交通・長崎県営バス・西肥バス・佐世保市営バス・島鉄バス・長崎電気軌道で使えるとのことです。奇をてらわない感じのネーミングは、群雄割拠の中では逆に目立ったりするかもですね。

 

追記(10月1日)

 

■Hareca(岡山電鉄、両備バス、下津井電鉄、中鉄バスの路面電車)

Harecacard

 太陽のキャラクターのハレカ。今日も晴れか、という感じかな。晴れの国、岡山らしい陽気なネーミングですね。こちらの地区は、ICOCAが普及している地区でもあり、ICOCAは相互利用できるのに対し、Harecaは非加入バス会社では利用できなかったり、お隣の広島ではPASPYがあるとかもあって、普及は少なめという感じだそうです。

 

追記(10月26日)

 

■ラピカ(鹿児島市交通局・南国交通・JR九州バス)

R_rapica_kennmen_2

Card_2  『「Ride and pay intelligent card」の頭文字をとって名付けました。「らくらく、ピッ、と乗れるカード」の意味も込められています。』とのことです。ビジュアルは真面目な感じ。桜島ですね。これに、いわさきコーポレーション、林田バスを含めた「いわさきICカード」というものもあります。

■CI-CA(奈良交通)

Cica_tic_1_2

Cica009  奈良だけにシーカ。鹿。PiTaPaと提携しているようです。この鹿のキャラクターは、シーカのキャラではなく、奈良交通のキャラのようですね。

 しかしまあ、いろいろありますね。私は、とある事情で、ここのところ2週間か3週間に1回くらい大阪に行くのですが、大阪市営地下鉄ではSuicaが使えませんでした。ちょっと残念。ちなみにJR西日本では使えます。なんか、一度ICカードに慣れると、きっぷを買うのがじゃまくさくなりますね。

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 繰り返し使えるICカードになって、もしかするとコレクションの対象にはならなくなったのかもしれません。私は、あまりコレクションに関心はないのですが、ネーミングとキャラクターの関心からこのエントリを書いて、いろいろコメントをいただくうちに、すごく長いエントリになりました。当ブログ最長かもです。みなさま、コメントありがとうございました。今後とも、よろしくです。

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2008年9月 6日 (土)

ネーミングこわい

 広告実務のひとつにネーミングがあります。でも、このネーミング作業、見た目よりたいへんです。広告制作者にとっては、ネーミングは寿命の長い成果物でもあるので、やりがいもあるにはありますが、その分、待ち構えている作業工程は多岐に渡るし、そのネーミング如何でそのブランドの運命が決まる感じもあるので、発注を受けたときの気分は、ちょっと重いものがあるのも事実なんですね。

 ネーミングのテクニックは、慣れるとけっこう簡単だったりします。ネットを見てみると、ここがよくまとまっているのでご紹介。わかりやすいですね。そこに出ていた分類は、こんな感じです。

1)プラス造語法(A+B=AB)
2)減量造語法(A+B=ab)
3)変形造語法(A=a)
4)頭文字造語法(アクロニム造語法)
5)並び替え(アナグラム)造語法
6)語呂合わせ造語法
7)その他

 では演習。ある広告人がブログをはじめようとしている。そのブログ名をネーミングする。さて、どうしましょう。プラス造語法でやると、こんな感じ。

アド+ダイアリー=アドダイアリー

 減量造語法では、こんな感じ。

アド+ブログ=アドブロ

 変形造語法では、こうなります。

アドバタイジング=アドジン

 アクロニムでは。

ADVERTIGING+DIARY=ADIA(エイディア)

 アナグラムでは。

アドバタイジング=バドア

 語呂合わせでは。

売ります=ウリマス

 最後のは、ちょっと無理がありますが、語呂合わせは例えば、書く立場になって言えば「カキマス」なんてネーミングをつけがちかもしれませんね。で、そのネーミングがマスコミとかの意味付けをして、とかなんたらかんたら。

 で、ネーミング案ができあがったら、競合調査です。実務では、ここからがたいへん。たいがいはすでに登録されています。弁理士とかに調べてもらったり、専門のデータベースで検索したりして、そのネーミングがブランドの商品類の中で登録されていたら、その時点でアウト。近い商品類でも、実際に有名なネーミングになっていたら避けるのが吉、という感じです。あと、買い取りという手段も考えます。この過程でつまずくとほんとにつらい。もう、投げ出そうかな、という感じになってきます。

 もうひとつの関門もあります。この演習を見て、なんだプロのくせして、しょうもないネーミングだなあ、なんて思いませんでしたか(まあ、演習なので、このネーミングは、実際にあまりクオリティは高くないですが。)

 ここもしんどい。社内の営業とか、お得意の担当者とかがなかなか納得してくれません。揉めます。制作者はバカ扱いになります。こんなネーミングしか出せないのは問題だ、とか、いろいろね。でも、ここがくせもの。ネーミングは、基本的には、この世界ではじめて生み出されるコトバなんですよね。だから、初見では違和感ありあり。逆に違和感のないネーミングは、すでに世の中に存在する、もしくは似た世界観があるネーミングなので違和感がないということで、オリジナリティという意味では劣るんですよね。

 かのNTTドコモ。最初は違和感がすごくありました。Do Communication with a Mobile phoneの頭文字2文字を合わせた、アクロニム手法だということですが、今は慣れてしまいましたが、そもそも「ドコモ」ですよ。あの頃、最後に「モ」が付くネーミングは珍しく、すごくへんな感じがありました。今でこそ、「パスモ」とか最後に「モ」のネーミングはメジャーになっていますが。ドコモは公式には言っていませんが、ドコモの場合は、発想の根幹は「どこもかしこも」のドコモなんでしょうね。で、英語の意味は後付けなんでしょうね。

 私は、根が広告屋だからということもあるのでしょうが、ネーミングは、最初は違和感があるほうが、後々は成長してくれるような気がします。スイカというJR東日本のカードもいい例です。Suitable Cardの略だった気がしますが(追記:Super Urban Intelligent Cardの略とのこと 、思い切って、一見意味がわからないスイカというへんてこな名前をつけるほうがいいような気がします。西日本のICOCA(イコカ)みたいに、「どっかにいこか」みたいな意味がわかるネーミングは、なかなかネーミングとしての記号化が難しいような気がします。ネーミングに、いつまでたっても意味が付着してしまって、純然たる記号として立ち上がってこないんですよね。

 このへん、一頃流行したバルトとかが言っていた「神話作用」だとか「表徴」だとかの受け売りではありますが、なるだけ意味から離脱したネーミングのほうが、長い目で見ればお得なんだ、という気はしています。言葉は、追いつめて行くと、どんどん意味から離れていって、単なる音の組み合わせになっていきますので、言葉の根源的な力を生かすためには、意味から離れるほうがよいというのが持論です。

 海原とか海燕とか海水とかよりも、海という言葉のほうが、根源的な力は強いはずです。「う」という音と「み」という音を連続で発生して、いわゆる海を表すというのは、そこまでいけば、そういう決まりであるというしかなくなってきます。そういう強さというのは、意味の構築ではつくれない強さだと思います。そこには、いつも「わけわからん」ということと背中合わせではあるのですが。

 最近、朝日新聞社の「論座」という月刊誌が終わるというニュースがありましたが、同じ朝日新聞社の週刊誌「AERA」が元気なのと比べると、ネーミングの影響もあるのかもな、と思ったりもします。アエラという音も、一見意味がわからない感じがいいんだろうなという気もします。一方のロンザは、音から意味がわかります。もちろん、これはちょっと暴論気味ですが。ちなみに、「AERA」は、ラテン語で地球の意味だそうです。

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 ネーミング関係の書籍をご紹介しておきます。ネーミングの実務で必携なのは、ネーミング辞典。便利です。英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語などの単語が併記されていて、この手の辞典ではいちばん使いやすいと思います。サイズもちいさくて(コンサイスサイズ)おすすめ。続いて、岩永さんはネーミングの第一人者。日立の「からまん棒」とか、今はありませんが「新宿マイシティ」などなど。あと、バルト。なんか懐かしいです。バルトは日本が好きだったんですよね。

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2008年9月 5日 (金)

私の24時間を1000万であなたに売ります

 ここんとこ、よく大阪に帰っている。もちろんのぞみ。ひかりは使わない。こだまや高速バスなんて、とんでもない。のぞみは約2時間半。ひかりは約3時間。その30分がなんとなく惜しい。今日はタクシー帰り。このところ疲れが激しいので、高速を使う。短縮されるのは、たった20分くらい。でも、その20分がありがたい。

 かといって、その時間を十分に生かしているわけじゃない。そのぶん早く寝るわけでもなく、ラジオをぼんやり聴きながら、こうしてマックに向かって文章を書いている。無駄な時間。明日も早いんだから早く寝ればいいのに。せっかくお金で買った大切な時間なのに。

 パソコンにメモリをたくさん入れるのも、ハイスペックなCPUのパソコンを買うのも、特定の作業ができるかできないかは確かにあるにはあるけれど、ある閾値を超えれば、それはほんのコンマ何秒の時間を買っているようなものだ。ほんのわずかな時間を高いお金を払って買って、慣れればすぐ消えてしまうような快感を手に入れる。

 その時間の短縮は、一度体験したら、もうあとには戻れないような気がする。立ち食いそばで、5分待たされたら、怒ってしまう。自分は、5分くらいなら、しょっちゅう人を待たせるのに。

 時間は、生きとし生けるものすべて、平等に1日24時間ずつ与えられている。その中のある程度の時間は、もしかするとお金で買った時間なのかもしれない。私の24時間を1000万であなたに売ります、という商売が可能なら、もしかすると買う人がいるのかもしれない。

 時間がほしい。その欲望は、もしかすると幻想なのかもしれないのに。なぜ人は、私は、お金を出してまで時間をほしがるのだろう。ようわからん。

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2008年9月 3日 (水)

広告は普遍だろうか

 忙しさを言い訳にして、大切だけど直近は関係がないから考えずにいることを、じっくり腰を据えて考えることができるのがブログの良さでもあるし、思考のログとして残しておくのも意味があるだろうということで、見切り発車で書いてみることにします。と、どこかで読んだことがあるような、いかにもブログだよなあ、という出だしで始まった本日のエントリですが、ところで、広告という行為は、人類にとって普遍的な行為だとあなたは思いますか。

Hiragagennai_2  日本の近代的広告(もしくは広告コピー)のはじまりは平賀源内の「本日丑の日」と言われています。この広告コピーで夏に売れなかった鰻がバカ売れし、今では「宇奈とと」でさえ長蛇の列ができる習慣として、すっかり定着してしまいました。

 このことは、逆から見れば、江戸時代以前には、今見るような近代的広告は存在しなかったということでもあります。つまり、広告という行為、少なくとも近代的広告とか広告コピーとかは、少なくとも日本では普遍的な行為ではなく、歴史段階の中で生まれた一時的な行為であるとも言えるのですね。やがて広告はなくなる。そんな仮説も成り立ちます。

 なんだかさみしい話になってきましたが、そんなことを考えたのは、広告業界の人なら知っているとは思いますが、広告武勇伝というか、広告業界ちょっといい話、みたいな2つのエピソードのことをぼんやりと考えていて、そういう話、今の時代で成り立つかな、と考えたからでした。30年くらい前の話です。

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 ひとつめは、とある家電メーカーの話。

 その家電メーカーは、ポータブルラジオを世界で売っていました。それぞれお国事情もあるので、そのメーカーは、販売する国によってラジオの仕様を変更していました。で、そのメーカー、欧米でも絶好調なのに、ひとつだけなかなか売れない地域があったんですね。それはアラブの国々。広告もそれなりに出稿しているし、性能もいいらしい。どうして売れないのか困ってしまいました。

 そこでコピーライターは、そのメーカーのラジオ工場まで出向いて、設計した人にもう一度そのラジオのことを聞きに行きました。

 「このアラブ向けのラジオの特長はなんですか。」
 「えーっと、まあ性能的には日本仕様とあんまり変わらへんなあ。デザインが豪華な感じなのと、うーん、あっ、そうそう、砂漠の国だから、砂が入らないようにしているし、入っても故障しないように丈夫に作ってあるってことくらいかな。」

 で、そのコピーライター、広告に「砂に強い」と書いたそうです。そうすると、今まで売れなかったラジオが大ヒット。あっという間に、トップシェアになったそうです。

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 もうひとつのエピソード。

 とある引越サービス会社の話。とはいっても、当時は運送会社はあったけれど、引越専門会社はありませんでした。その社長さん、これからは引越サービスを専門にすれば当たると信じて始めたのですが、まあまあ需要はあるものの、なかなか大ヒットという感じにはいきませんでした。今風に言えば、キャズムを超えられずにもがいていたわけですね。

 その社長さん、なじみのバーでいつものようにひとりどうしたらいいのか考えていたそうです。そこにやってきた常連のお客さん。その人は広告会社の営業マンでした。いろいろと、その社長さんの話を聞いているうちに、その営業マンは、これは絶対に行けると確信したそうです。

 「社長、テレビCMを作らせてください。CMを流して駄目だったら、私、その損失分を私が一生かけて返しますから、ね、お願いします。」

 社長さん、その営業マンの心意気に惚れて、広告会社に言う通りCMをつくって、オンエアしてみたんですね。そしたら、大ヒット。その会社は業績を伸ばし、ついには、日本に今までなかった引越サービスというジャンルを作ってしまったんです。今の引越サービス業は、この営業マンとの出会いがなければ、今もなかったのかもしれません。

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 そんなふたつのいい話。今もことあるごとに語られ続けている話ではあるけれど、今の状況でそのまま成り立つのかなと、ふと思ってしまいました。広告の力って、こういうことではあるんですけどね。まあ、今でも成り立つと言えば成り立つし、私にしても、こういう話の何十分の一かのプチちょっといい話は、いくつかは持ってはいます。でも、これからはどうなんだろうな、あと100年くらいたった時、広告はどんなものになっているのか、もしかすると、近代的な広告のシステムはすでになかったりするのかな、と考えてしまったのです。

 文学とか絵画とか音楽とかは、何千年経とうとあるだろうなと思うんですね。あと、政治とか経済も。たぶん、かつてのマルクス主義が言っていたようなユートピアはできないでしょうし、いろいろすったもんだやるんでしょうね。でも、広告はなんとなくそんな普遍ではなさそうな気もします。歴史段階の中の徒花なのかもしれないな、と思ったりもします。

 この話、広告をどう定義するかで話の展開が変わってくるとは思いますが、なんとなく気になります。どうなるんでしょうね。まあ、ここ30年くらいは大丈夫でしょうけど。とまあ、そんな壮大なことに頭を巡らせるのは、近々の状況が切羽詰まっているからだったりして、そんなこと考えている暇があったら企画を進めてくれよ、という声も聞こえてきそうなので、今日はこのへんで。ではでは。

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2008年9月 2日 (火)

ポスト福田とか本当に興味がなくなってきたなあ

 例の話題をスタジオの中で聞いて、そんでもって、それなりに大騒ぎをしたけど、感想としては、ああまたか、みたいな感じ。世間では、ポスト福田は誰か、という話題に移りつつありますが、ほんと興味がなくなってきた。学校で習ったアパシーってやつですね。いろいろ考えてのことでしょうが、その背景がちょっと見えにくいし、もう無責任と言う気もうせるし、物語のつくり方としても下手だなあ、と思ったりします。

 かろうじて医療問題がどうなるか、景気はどうなるか、というので政治とはつながっているけど、自民党の危機が日本の危機という物語も、なんだかですし、うーん。いろいろ高度な政治的な問題もあるでしょうけど、その問題が今回の軽い感じとあってないというか。そことつながらない感じがする政治の見え方は問題かも。なんでしょうね、この感じ。こういう感情も記録しておこうかなと思ったので、徹夜明けのぼんやりした頭で、とりあえずメモ。

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2008年9月 1日 (月)

過渡期としての企業とウェブの関係

 あまり過渡期という言葉を使わないようにしないとな、とは思っているのですが、企業とウェブの関係については、今は確実に過渡期なのではないかなと思います。もちろん、ウェブ慣れをしている大企業なんかは、もはや過渡期ではないかもしれませんし、逆に小さいけれど先鋭的な企業だと、ウェブでのびのびとコミュニケーションを行えている企業もたくさんあります。ま、この手の話を一般化して語るのはいいことではなさそうなので、とある企業の話を書きます。

 従業員数2000人くらいの、一般の人にはあまり知られていないけれど、その業界ではトップ企業。売り上げのほとんどはB to Bだけど、ごく一部のサービスは一般の人向けで、そのサービスのマス広告はそこそこ出稿している、そんな感じの企業です。私は、その企業と約3年くらいおつきあいさせていただいています。

 その企業とは、私が正式にクリエイティブディレクターになった直後からのおつきあいなので、忌憚なく意見を言える関係を持たせていただいていることもあって、ウェブについても突っ込んだ提案をちょくちょくさせていただいています。今まで実現したのは、バナーを中心としたウェブでのキャンペーン、他のエンタメサイトへの参加、リスティング、ブロガーミーティングといったところでしょうか。

 3年前と比べると、ずいぶんウェブに対する拒否反応もなくなってきて、ウェブでのコミュニケーションに積極的にはなってきました。今、私が提案しているのは、アフィリエイトとブログです。これは、前からずっと提案してきました。でも、その当時は、アフィリにしてもブログにしても、こちらが望まないサイトにリンクされるのが怖い、という理由から却下になってきました。こちらが情報の流通をコントロールできない状況では、なかなか二の足を踏んでしまうということでした。

 わかりやすく言えば、ウェブでのコミュニケーションはブランド構築を阻害する、という感じ。もっと言えば、ウェブは怖いという感じですね。私がウェブを薦めるときに絶対に言っていることがあります。ウェブの原則は「公開と共有」であり、この「公開と共有」の原則を守れないと、ウェブでは失敗しますよ、と。

 わかりやすいのがブログですね。この企業でも、例えば、「日産:ティーダ公式ブログ TIDA BLOG」なんかの成功例はよく話に出ているのですが、それが自分のことになると躊躇してしまうようです。話していると、炎上したらどうするんですか、という話が必ず出てきます。でも、ブログをやっている経験から言えば、炎上するほど読まれるPVは、企業ブログといえどもなかなか稼ぐことはできませんし、ブログは初期投資が低い分、リーチに関してはやはりマスの足下にも及ばず、地道にやっていくメディアであることは、あまり理解されていませんでした。これは、ブログでコミュニケーション、口コミで倍々ゲームみたいな甘い企画書を書く私たちも悪いんでしょうね。

 もうひとつは、誰が書くのか、という問題です。日々忙しく業務に追われる担当者は、どうしても逃げ腰になりがちです。それに、ブログといっても文章力は求められるし、きめ細かなコミュニケーションスキルはマス広告以上に必要な気がします。それに、企業が表に出す文書ですので、社内の承認がたいへんだ、みたいなこともあります。

 誰が書くか問題に対しては、理想は、得意先社内の担当者でしょうけど、私は、別に広告会社所属の私が書いてもいいと思っています。ただし、その場合は、得意先社内の誰かに成り代わらないのが原則でしょうね。私の立場で書くというのが条件でしょう。あと、日産の例にもあるように、コメント機能は使わず、トラバだけにするとかいろいろな方法もあります。私自身は、企業ブログにもコメント欄はだんぜんあったほうがいいとは思いますが、企業によりけりでしょう。コメント、トラバはブログの付加機能と考えたほうがよさそうです。

 あとは慣れでしょうね。様々なニュースサイトさんをはじめ、はてブ、ニューシング、2ちゃんねるなどのソーシャルなウェブサービスにも、企業側が慣れることも必要かもしれません。毎日、いろいろなことを発信し続けられて、世の中を楽しくするネタ的要素を提供しながら更新しつづければ、ブログは企業にとってかけがえのないコミュニケーションの場になるような気がします。なによりも等身大なところがいいですし。

 今は、確実に過渡期とは言えるけれど、そろそろこの分野に関しては過渡期を脱しそうな気がします。でも、この分野が、広告会社にとっては手弁当的なのが、私としては気になることは気になるのですが、まあ、そのへんはいつか解決されるだろうな、という楽観的な気持ちで。とりあえず、先に進めるほうが大事なんだろうな、と、そんな感じで。さきほど新幹線が静岡を通過しましたので、今回はこのへんで。

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