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2008年9月29日 (月)

そう言えば、うちの母にも部屋はなかったなあ。

 増田さん(はてな匿名ダイアリーの匿名さんを増田さんと言います)の「母には自分の部屋が無い」を読んで、そういえば、私の母にも自分の部屋はなかったことを思い出しました。私の実家は、大阪市内のマンション。リビング&キッチン、6畳の部屋が2つ、4畳半の部屋が1つ。家族構成は、父、母、私、妹の4人。いわゆる核家族というやつですね。

 私と妹が小さかった頃は、6畳の部屋が子供部屋で、あとは共有部屋で、父も母も特定の部屋はありませんでした。父は、4畳半の部屋で寝転んで、障子を開けて、リビングのテレビを見ていることが多かったです。専業主婦の母は、キッチンとリビングが居場所という感じ。

 今でこそ、近くに大きなパークマンションができて、若い家族がたくさん住む今風な街になっていますが、当時は、ほんと下町という風情だったので、まわりの人もそういう感じの人は多かったように思います。父は自営業。日中は近くの商店にいたので、私と妹が学校に行っているときは、母にとっては、すべての部屋が自分の居場所という感覚があったのかもしれません。

 私と妹が中学校に上がる頃、それぞれに勉強部屋が与えられました。今もそうかもしれませんが、私の頃は、ちょっとした受験ブームというか、そんな感じで、子供にかけるというか、ずいぶん教育熱心な環境があったように思います。うちの両親は、どちらも大学を出ていないので、自分たちが果たせなかった夢を子供にたくす、みたいな気持ちもあったんでしょうね。あまり勉強が好きではなかったうちの妹が、高校受験、大学受験の頃は、家全体がピリピリしていていやだった、と言っていました。なにせ古いマンションなので、隔たれているのは障子1枚ですからね。

 私の母は、今年のゴールデンウィークに発病して、今もまだ入院しています。その直前くらいに、母はひとりで電器屋さんに行って、大きなテレビを買いました。父と母の2人で暮らしているし、リビングには大きなテレビがあるし、もうひとつ小さなテレビもあるのだから、そんな大きなテレビはいらないだろう、と諭しても、言うことを聞きませんでした。増田さんの話を読んで、もしかすると、その大きなテレビが、母にとって個室を象徴していたのかもしれないな、と思いました。

 入院している母に会いに、このところ頻繁に大阪に帰るのですが、今は、軽い肺炎を併発してしまって、すこしへばり気味なので、そんなことも言えない状態になっていますが、母の状態がよいときは「パジャマじゃなかったら、みんなで一緒に帰れるのに」とよく言っていました。きっと、家というのは、単なる慣れ親しんだ生活空間以上の何かがあるのでしょうね。

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コメント

mb101boldさん、こんにちわんこ^^
なんかしみじみしますね。私も自分の部屋ってありません。というか、いまのところ人生で自分の部屋があった時期がないです。実家にいたころは姉といっしょだったし、結婚したら、普通にないし。ただなんとなく、本棚とか、たんすとか、クローゼットとかに自分のスペースはあります。(ないと困るけど)台所なんかは私くらいしか使わないから、自分の場所と言えるかもしれないけど、くつろぐと言うわけにはいかないですよね。家に息子の友達とかが多勢きて、リビングでゲームでもはじめると、寝室くらいしか居場所がなくなります。そういうとき、ああ自分の部屋がないんだなって思います。(´・ω・`)ショボーン

投稿: ggg123 | 2008年9月29日 (月) 11:51

ggg123さん、どもです。
そっすかぁ〜。住宅環境が変わってもそんな感じなんですね。
>家に息子の友達とかが多勢きて、リビングでゲームでもはじめると、寝室くらいしか居場所がなくなります。そういうとき、ああ自分の部屋がないんだなって思います。(´・ω・`)ショボーン
ああ、なんかわかります。光景が浮かんできます。ほんと、こういうの家族の一日っていう感じですよね。子供の頃を思い出します。

投稿: mb101bold | 2008年9月29日 (月) 15:43

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