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2008年9月 3日 (水)

広告は普遍だろうか

 忙しさを言い訳にして、大切だけど直近は関係がないから考えずにいることを、じっくり腰を据えて考えることができるのがブログの良さでもあるし、思考のログとして残しておくのも意味があるだろうということで、見切り発車で書いてみることにします。と、どこかで読んだことがあるような、いかにもブログだよなあ、という出だしで始まった本日のエントリですが、ところで、広告という行為は、人類にとって普遍的な行為だとあなたは思いますか。

Hiragagennai_2  日本の近代的広告(もしくは広告コピー)のはじまりは平賀源内の「本日丑の日」と言われています。この広告コピーで夏に売れなかった鰻がバカ売れし、今では「宇奈とと」でさえ長蛇の列ができる習慣として、すっかり定着してしまいました。

 このことは、逆から見れば、江戸時代以前には、今見るような近代的広告は存在しなかったということでもあります。つまり、広告という行為、少なくとも近代的広告とか広告コピーとかは、少なくとも日本では普遍的な行為ではなく、歴史段階の中で生まれた一時的な行為であるとも言えるのですね。やがて広告はなくなる。そんな仮説も成り立ちます。

 なんだかさみしい話になってきましたが、そんなことを考えたのは、広告業界の人なら知っているとは思いますが、広告武勇伝というか、広告業界ちょっといい話、みたいな2つのエピソードのことをぼんやりと考えていて、そういう話、今の時代で成り立つかな、と考えたからでした。30年くらい前の話です。

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 ひとつめは、とある家電メーカーの話。

 その家電メーカーは、ポータブルラジオを世界で売っていました。それぞれお国事情もあるので、そのメーカーは、販売する国によってラジオの仕様を変更していました。で、そのメーカー、欧米でも絶好調なのに、ひとつだけなかなか売れない地域があったんですね。それはアラブの国々。広告もそれなりに出稿しているし、性能もいいらしい。どうして売れないのか困ってしまいました。

 そこでコピーライターは、そのメーカーのラジオ工場まで出向いて、設計した人にもう一度そのラジオのことを聞きに行きました。

 「このアラブ向けのラジオの特長はなんですか。」
 「えーっと、まあ性能的には日本仕様とあんまり変わらへんなあ。デザインが豪華な感じなのと、うーん、あっ、そうそう、砂漠の国だから、砂が入らないようにしているし、入っても故障しないように丈夫に作ってあるってことくらいかな。」

 で、そのコピーライター、広告に「砂に強い」と書いたそうです。そうすると、今まで売れなかったラジオが大ヒット。あっという間に、トップシェアになったそうです。

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 もうひとつのエピソード。

 とある引越サービス会社の話。とはいっても、当時は運送会社はあったけれど、引越専門会社はありませんでした。その社長さん、これからは引越サービスを専門にすれば当たると信じて始めたのですが、まあまあ需要はあるものの、なかなか大ヒットという感じにはいきませんでした。今風に言えば、キャズムを超えられずにもがいていたわけですね。

 その社長さん、なじみのバーでいつものようにひとりどうしたらいいのか考えていたそうです。そこにやってきた常連のお客さん。その人は広告会社の営業マンでした。いろいろと、その社長さんの話を聞いているうちに、その営業マンは、これは絶対に行けると確信したそうです。

 「社長、テレビCMを作らせてください。CMを流して駄目だったら、私、その損失分を私が一生かけて返しますから、ね、お願いします。」

 社長さん、その営業マンの心意気に惚れて、広告会社に言う通りCMをつくって、オンエアしてみたんですね。そしたら、大ヒット。その会社は業績を伸ばし、ついには、日本に今までなかった引越サービスというジャンルを作ってしまったんです。今の引越サービス業は、この営業マンとの出会いがなければ、今もなかったのかもしれません。

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 そんなふたつのいい話。今もことあるごとに語られ続けている話ではあるけれど、今の状況でそのまま成り立つのかなと、ふと思ってしまいました。広告の力って、こういうことではあるんですけどね。まあ、今でも成り立つと言えば成り立つし、私にしても、こういう話の何十分の一かのプチちょっといい話は、いくつかは持ってはいます。でも、これからはどうなんだろうな、あと100年くらいたった時、広告はどんなものになっているのか、もしかすると、近代的な広告のシステムはすでになかったりするのかな、と考えてしまったのです。

 文学とか絵画とか音楽とかは、何千年経とうとあるだろうなと思うんですね。あと、政治とか経済も。たぶん、かつてのマルクス主義が言っていたようなユートピアはできないでしょうし、いろいろすったもんだやるんでしょうね。でも、広告はなんとなくそんな普遍ではなさそうな気もします。歴史段階の中の徒花なのかもしれないな、と思ったりもします。

 この話、広告をどう定義するかで話の展開が変わってくるとは思いますが、なんとなく気になります。どうなるんでしょうね。まあ、ここ30年くらいは大丈夫でしょうけど。とまあ、そんな壮大なことに頭を巡らせるのは、近々の状況が切羽詰まっているからだったりして、そんなこと考えている暇があったら企画を進めてくれよ、という声も聞こえてきそうなので、今日はこのへんで。ではでは。

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