« こういうの好き。 | トップページ | 書けないとき »

2008年9月22日 (月)

「大人の事情」の取り扱い方

 広告なんて泥臭いものを仕事にしていると、ことあるごとにいわゆる「大人の事情」ってやつに翻弄されてしまいます。広告が泥臭いビジネスだと言っても、やっぱり表現には変わりがないので、制作サイドとしては「幸せとは何か」みたいなことを、けっこう真面目に追求したりしていて、そんなピュアピュアモード全開のときに、先方の部長さんがこう言っている、だとか、ああいうのは社長が嫌いだとか、そんな話が入ってきたりするんですよね。

 そんなものはクリエイティブには関係がない、一切考慮しない、と言い切れれば美しいのですが、まあ、こちらも大人ですから、うまく切り抜けなければなりません。理想を貫くことで、その表現が世の中に出ないよりも、いろいろ苦戦しながら、たとえそれが妥協であったとしても世の中に出た方がいいと、私は信じています。限度問題ではありますが、100のものが80くらいになるのならば、それは世の中に出した方がいいのではないかと思います。

 広告は、その時、その時を切り取る時代の表現だし、小説や絵画なんかのピュアアートと違って、発表を作者がコントロールできるわけではありませんので、妥協も制作過程の内とはじめから考えておく方が健全だと思います。現実は、翻弄されっぱなしではありますが、私なりの「大人の事情」の取り扱い方を書いてみたいと思います。

*      *      *     *

 

■「大人の事情」をはじめから制作過程に組み込んでおく

 これだけでずいぶん気分が違ってきます。「大人の事情」がからまない制作はない、と考える方がうまくいくのではないかと思うんですね。現実、ほとんどからみますし。何事もなくうまく行くというふうに想定しないことは大事だなあと思います。でも、ここで大事なのは、どうせ「大人の事情」がからんでくるから、じゃなくて、いずれにせよ「大人の事情」がからんでくるはずだから、という感じがいいかもです。微妙な違いですけど。

■フレキシビリティのある企画でスタートする

 がちがちに表現を詰めてスタートしない、ということですね。企画をガラス細工のように繊細に構築してスタートすると、ちょっとした「大人の事情」でパリッとひびが入って、すぐに粉々になってしまいます。たとえそれが素晴らしい表現であっても、割れてしまっては元も子もありません。それならば、スタートは芯だけ決めて、多少の「大人の事情」が入っても、カタチを柔軟に変形できるような「ゆるさ」が初期段階では大事だと思うんですね。

■表現の繊細な部分にこそ明快な理由を

 企画の根幹が繊細な表現にゆだねられていることはよくあります。ここは、絶対に薄暗くなくちゃいけない、とか。そういう部分は、繊細な部分であるが故に、感性とか、イメージとか、フィーリングとか、味とか、あいまいな言葉で説明されがち。でも、こういう部分にこそ、明快な理由がいるんです。それも、目的に直結するような。売り上げなら、売り上げに寄与する、とか、ブランディングなら、こうこうこういう理由で、その表現が必要だというような。それが見つけられなければ、たぶん、その表現は、なくてもいい。それくらいの気構えがちょうどいいような気がします。

■チームで共有するときには「目的」が先

 ここでいつもつまずくことが多いです。私は、とりあえずチームには、そうした「大人の事情」は隠さず公開しようと思っているのですが、これを先に話してしまうと、どうしても「大人の事情」を優先するモチベーションになるようです。先に書いた「どうせ」ですね。共有すべきは、目的です。そして、その目的を遂行するときの壁としての「大人の事情」という段階を踏まないと、「大人の事情」を乗り越えようとディレクションするその態度が、スタッフには安易な妥協、つまり保身と理解されてしまいます。こうなると、ディレクションする方としては、やけ酒飲んで「俺の気持ちもわかりもしないで。ちくしょー。」と愚痴るしかなくなります。

■「大人の事情」はチーム全員に知らせなくてもいいのかも

 迷うところです。このところ、自分で処理できることなら、「大人の事情」は知らせる必要はないのかもしれないと思ってきています。どうしてかというと、厳しい言い方ですが、「大人の事情」に立ち向かえるかどうかは、責任の大きさに比例するような気がするからです。責任が小さなメンバーや外部クリエーターにその「大人の事情」を伝えても、混乱するだけのような気もします。であるならば、CDのわがままや好みに還元させたほうがすっきりするかも。ここらへんは、私はまだ試行錯誤中。

■「大人の事情」をブラッシュアップのチャンスだと思う

 ここがいちばん大事かも。そのアイデアや表現をもう一度考え直すチャンスだと前向きに捉えることは大切。経験で言っても、あのとき揉めなければこのアイデアや表現は出なかったな、と思うことがままあります。また、そんな気構えでいると、「大人の事情」が出ている状況で、少し余裕を持って対処できるような気がするんですね。たいていは、我々制作は、そういう状況で感情的になってしまいがちですが、これを営業はいちばん恐れるんですね。それは身にしみてわかります。まずは聞く。解決はそれからでも、この場合は遅くありません。聞く耳をもたないのが最も駄目。

■どうしても駄目というときはその企画をあきらめる

 これはいちばん難しいですね。どうしても駄目なときは、先方の「大人」と渡り合うしかありません。徹底的に話し合って、どうしても駄目なときは、私は企画を引き上げます。たいがいの「大人の事情」は、企画の修正だったりするので、相手はきょとんとしますが、それでも引き上げます。で、短時間で新しい企画を作ってもっていきます。いろいろやってみたけど、こういう状況になったら、案外この方法が最も合理的のような気がします。その企画には未練はあるけど、しょうがないです。

 

*      *     *      *

 ここまで書いた「大人の事情」は、どれも私が対処できるようなものですが、世の中には、一介の会社員ではどうすることもできない「大人の事情」もたくさんありますよね。こうなったら、もうどうすることもできません。その場合は、まず「大人の事情」がからまないところから企画をはじめるしかありません。それで、針の穴に糸を通すようなプランニングをするしかないです。

 私がもっとも嫌いなのは、制作のスタート時では理想に燃えて、ピュアな仕事をしているのに、「大人の事情」に負けて、へんてこな駄目広告をつくって、そのメンバーが、カンプ(プレゼン用の広告見本。Comprehensive Layoutの略。)はよかったんだけどねえ、とか愚痴っている感じ。カンプが良くてもしょうがないんです。なんかホームランを目指して三振みたいな感じがして。「大人の事情」に右往左往してもがくのは、みっともないけど、それもクリエイティブの仕事のうち。私はそんなふうに思ってます。

 月曜日に出社される方は、本日もがんばっていきましょう。お休みをとられた方は、ゆっくり休んでくださいませ。いいなあ、休みたいなあ。では、本日はこんなところで。

|

« こういうの好き。 | トップページ | 書けないとき »

広告の話」カテゴリの記事

コメント

mb101boldさん、おとなしてますか?( ̄ー ̄)ニヤリ
名前を忘れてしまったけど、あの、珈琲のCMいいですよね。「余計なことから決定していく」っていうやつ。あのシリーズ大好きなんです。(^^)それにちょっとにているなと思ったのでついコメント。
んと、大人の事情をひっくり返すくらいの作品を、がんばって作ってください。やっぱり、そういうのが、見たいんですよね。視聴者は。

投稿: gg123 | 2008年9月22日 (月) 11:43

おとなしてますよ( ̄ー+ ̄)
JTのやつかな?それこそ大人の事情をテーマにした広告ですよね。交通広告にも積極的で、なかなか面白いですよね。
私はというと、最近は東京では見られない広告が多いですねえ。それと、大人の事情で予算少なめというのもたくさんあって、これはいかんともしがたいですねえ。ま、がんばりまーす。(^^)

投稿: mb101bold | 2008年9月22日 (月) 11:53

こんにちは。

「チーム全員には知らせなくていいのかも」は、私も試行錯誤していますが、ケースバイケースですね。

基本的には自分のわがままということにして、仕事を動かすことを優先します。
しかしクリエイティブが関わらない私の仕事では、「大人の事情」の内容によってはチームに伝えます。
伝え方も重要度や相手によってほのめかしからはっきりとまで様々です。
チームの結束を固めるために利用することもありますね。

とにかく早いのは伝えないことですが、自分の信頼度にリスクを負います。
難しいですね。

オカネはもうどうにもならない(笑)。

投稿: takupe | 2008年9月22日 (月) 12:20

takupeさん、こんばんは。
確かにこれは相手のスキルとか性格とかにもよりますね。あまりこうしたトラブルの耐性がない若い人だと、とたんに萎縮しますし。
あまりそういうところをクローズにしてもあれだしなあ。各員の専門性や責任が明確な大人なチームだと、少し話すだけでよかったりもするんですが(逆に、それを解決するのがリーダーの役目でしょ的なドライさがよかっらりします)、そんな大人ばかりではないですしね。どうしても人を見るというか、その人の器で判断するところがありますね。
うーん、むずかしいです。

投稿: mb101bold | 2008年9月22日 (月) 20:39

こんにちは。
「大人の事情」、身につまされます。
わが身を振り返ると、そんなことばかりのようで・・。

「事情」は仕方ないものであれば、受け入れるしかない。あとはそれを前提に最大限、自分達のパワーを注ぐ。

 と、思っていてもなかなか思うようにいかない毎日を過ごしています。
mb101boldさんが最も嫌いな「カンプ見て愚痴ってる」ことなんかも、たまにあったりします。
自分としては限られた条件で最大限を求めているつもりなんですが。 このブログ読んでもっと気合入れていかなきゃ、と感じたしだいです。


投稿: かね | 2008年9月23日 (火) 12:21

かねさん、こんにちは。
「大人の事情」を回避するというか、そこからそらすのはアカウントとかCDというか局長とかの役割でもあるんですけどね。
その「大人の事情」を解決するのが仕事です、やりがいです、みんなでがんばろうっていうリーダーだとスタッフはしんどいかもしれませんね。
「大人の事情」を飛ばしてしまうものは、成功体験かもしれません。結局、利害だったりするので。成功体験ひとつで、つまんない「大人の事情」はわりと吹き飛んでしまいます。この年になっても、大人の社会はむずかしなあ、と思います。
ま、お互いぼちぼちがんばっていきましょう。

投稿: mb101bold | 2008年9月23日 (火) 14:34

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「大人の事情」の取り扱い方:

» 組織の事情を部下に話すべきか否か? [成功哲学を語るブログ]
mb101boldさんのブログ「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」より、 非常に、身につまされるお話を一つ。 「「大人の事情」の取り扱い方/ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」より引用。 制作サイドとしては「幸せとは何か」みたいなことを、けっこう真面目に..... [続きを読む]

受信: 2008年10月 2日 (木) 02:25

« こういうの好き。 | トップページ | 書けないとき »