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2008年10月11日 (土)

ほぼ日刊イトイ新聞の「ほぼ」の意味

 ああ、いいな、と思いました。10月10日付けの「ほぼ日刊イトイ新聞」の今日のダーリンから。

助けてもらえたらありがたいことは、いっぱいある。
でも、その助けがぜんぶ無くなったとしても、
自分だけでここまではできる‥‥ということをやる。
この気分は、ぼくみたいな軟弱な人間でも、
味わったことがあります。
ほぼ日刊イトイ新聞のアタマに、
あえて「ほぼ」とついている理由も、それです。
「ほぼ」は、誰の助けも得られなくなったときに、
ひとりでもやれるための「おまじない」でした。
「ほぼ」の2文字があれば、ひとりでやれる。
病気になっても事故にあっても、なんとかできる。
そういう決意があったと思いだしたのです。

 きっと、この「ほぼ」があるから、ほぼ日は毎日休むことなく続けてこられたのだろうと思います。3ヶ月後にはなかったことになっている「固い決意」より、「ほぼ」というのりしろを付けて、いろいろな状況が訪れてもやり続けていくんだ、という「ゆるい決意」のほうが、言葉の正しい意味での「決意」に近いのだろうな。そんなことを考えました。

 きっと「決意」なんてものは、自分の中で小さな炎として灯しつづけるもので、大きな炎を上げて、他人に大々的にアピールするものではないのでしょうね。

 だとすれば、私は、これから会う誰かの中に灯る、人に語られることのない小さな炎を見つける力を身につけたいと思うんですよね。今までいろいろあったし、これからもいろいろあるでしょう。いろんなことに慣れてきた今、そんなことを考えます。

 それは、言い方を変えれば、一緒に仕事をしたり、考えたりする人を選んでいきたいっていうわがままだったりもするんですけどね。ちょっと傲慢かもしれないけれど、そういう傲慢があるからこその「ほぼ」でもあるんでしょうね。その傲慢の裏側には、たとえひとりになってもやるよっていうことがあるんでしょうね。でも、その傲慢や孤独っていうのが根底になければ、共感というものは成り立ちようがない気もするんですよね。

 ほぼ日のトップページには、こんな言葉が添えられています。

Only is not lonely. + LOVE

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

イトイさんの言葉にグッと来た
孤独と傲慢に対する覚悟みたいな。

しかし日本人の孤独に対するナイーブさって
ほんと、なんなんだろう?
やっぱ母親なのかな? 
お母さんってやさしいからなあ。

投稿: とおりすがり | 2008年10月11日 (土) 10:17

西洋人も孤独に対してはけっこうナイーブですよ。アメリカ人は逆の意味でナイーブというか、文化としてlonlinessを許さないみたいな。
英国人はわりとそのへんほったらかしな感じがします。人間の核にsolitudeがあるみたいな確信があるみたい。その感覚は、表現こそ違えど日本人に近いかも。

投稿: mb101bold | 2008年10月11日 (土) 11:35

こんばんは。
『繋がっていたいという気持ちと、
繋がらなくてもいいという気持ち
その両方の力を借りてもう少しやってみるよ』
って、ばかみたいなことブログをはじめたころに書いたなぁと思い出しました。
なんか、励ましてもらいに来たみたいです。今日も。

投稿: ira | 2008年10月11日 (土) 22:58

iraさん、こんばんわ。
いい言葉ですね。こちらこそ励まされます。

投稿: mb101bold | 2008年10月12日 (日) 00:03

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mb101boldさんの今日のエントリー、ほぼ日刊イトイ新聞の「ほぼ」の意味。 朝、出がけに読んで、一日中頭から離れなかった。 私は、これから会う誰かの中に灯る、人に語られることのない小さな炎を見つける力を身につけたいと思うんですよね。 このところ自分がここに書いて... [続きを読む]

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