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2008年10月15日 (水)

定着のイメージを持たないコミュニケーション・デザインの気持ち悪さ

 私なんかは、完全に定着原理主義なんでしょうね。あっ、定着っていうのは、広告を例にすると、プランなりアイデアなりがあって、それが頭の中とか企画書とかにある状態だと、その時点では広告にはなっていないですよね。そのプランなりアイデアなりを、具体的な言葉や絵にして、テレビなり新聞なりに定着して、はじめて広告になりますよね。その具体的な表現のことを定着って言います。

 私の定着のベースは、言葉だったりしますが、言葉じゃなくても、絵でも映像でも、まあそれなりに定着のイメージは持てていたりします。クリエイティブという職種は、そういう職業ですから。実際は、そのイメージを伝えながら、アートディレクター、映像ディレクター、プロデューサー、デザイナー、フォトグラファーとともに制作をしていきますが、その過程においては、やはり根拠は、自分の中の定着イメージです。

 そういう意味では、私がやる限り、その広告の質は、私の定着イメージに規定されます。良くも悪くも、私という個人の能力を大きく超えることはありません。これは、共同作業を否定しているわけではなくて、私が一緒にやる人は、すべて、自分の分野に関しての強力な定着イメージを持っている人であり、例えば、映像ディレクターは、自分のつくる映像は、自分の中の定着イメージを自分の手で定着させる能力を持ち合わせている人が映像ディレクターと呼ばれるのであって、それを外部に依頼するなんてことは、ありえないわけです。

 他の表現分野においても、映画なら、映画監督はきちんと映像を自分の手でつくるし、小説家は、きちんとひと文字ひと文字、言葉を綴ります。ミュージシャンは、実際に曲をつくったり、歌ったり、ギターを弾いたりします。そういう人を表現者というのであって、そこに表現のコアの部分においては、プランニングやアイデアと定着の分離なんて、あり得ないわけです。

 コミュニケーション・デザインという言葉が一人歩きしてから、この定着のイメージを持たない自称コミュニケーション・デザイナーが増えてきて、まあ、ちょっとばかり愚痴っぽくなるけど、非常に気持ち悪いんですよね。そういうこと、あり得るのかな、いや、それはないだろう、なんて自問自答していますが、まあ、あり得ないでしょうね。

 彼らは、わりと、簡単に「外につくらせる」と言ってしまうんですよね。それと、派手なことしかやりたがらないし、地味で日当りの悪いコミュニケーションは逃げてしまいます。でもね、コミュニケーション・デザインというのを簡単に言えばさ、コミュニケーションの全領域をデザインするということだから、テレビが良くて、たとえばDMやテキストバナーがカスだったら、それで全部のコミュニケーションが駄目になるという考え方でしょ。だからね、私は、ある時期から、SPやウェブの定着作業を全部引き受けるようにしてきたんですね。めちゃくちゃ時間と手間がかかるし、めんどくさいけどね。全部を、自分の定着イメージに近いカタチで定着したいから。

 そうなってくると、なんか不愉快な状況が起きてきて、自称コミュニケーション・デザイナーさんたちが、こっちに「つくらせよう」なんてバカなことを考えるわけ。明らかに、クリエイティブはアイデアを定着だけする機能だと勘違いしているわけ。それは、まあ勉強不足なんだろうけどさ、そういう勉強不足の無邪気さっていうのはたちが悪くて、もう説得もめんどくさかったりするわけです。

 コミュニケーション・デザインの総本家の著書とかを読むと、あの人たち、コピーも映像もビジュアルも、タレントの手配も、メディアの分配も、自分の定着イメージでもって、自分の手で定着しているわけなんですよ。その中には、めちゃくちゃめんどくさいこともあるし、そういう仕事をすると、細かいことのクオリティを問われるので、いままで外部に委託して来た細かい作業も、ぜんぶ自分でしなきゃなくなります。あの人たちは、それをやっています。

 そういうめんどくさいことを中抜きしたコミュニケーション・デザインに何の意味があるんだろう。だから、信頼もつくれないし、実績が上げられないんだろうし、その実績をちょっと人がよさそうで怒らなそうなクリエイティブを使ってつくろうなんて、虫が良すぎるんじゃないかな。いいかげん、おじさんだって怒るよ。私は、自分がコミュニケーション・デザインをやっているだなんて自称しないけれども、それは単に羞恥心の問題であって、それ以上の意味はありません。

 漫画を書けない人は、漫画家を名乗っちゃいけない。それだけのことなんですけどね。じゃあ、編集者の役割はどうなのさ、となるけど、それは編集という専門領域の定着イメージというのがあるし、広告で言えば、営業とかマーケに当たるんだろうし、それは計り知れない専門性がきちんとあるんですよね。

 自称コミュニケーション・デザイナーさんたちに言いたいこと。人をあてにせずに、自分でやればいいじゃない。それでできなかったら、自分がそんだけのもんだったということですよ。要するに、自我が肥大化してただけ。酔ってる状態ってこと。それを、クリエイティブが駄目だから、とか言うんじゃない。

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コメント

久しぶりです。乱入者です。
とても読みがいがありました。
広告営業をやってた時、いろいろと
「もめる」といった際、
身近にあったよな!って感じを
思い出しました。
職種にとらわれず、自分なりの
矜持ってものを持つことなのかな?
今、違う業界にいるので
何かとても懐かしく思いました。
ではでは。

投稿: 乱入者 | 2008年10月15日 (水) 18:59

乱入者さん、お久しぶりです。
じつはこの問題って、複雑で根が深くて、かつ普遍的な問題なんですよね。私なんかも戦略やらメディアやら、さらに言えばSP分野にも関わるようになり、それぞれの立場から言えば、門外漢が何をってことになるんですよね。
で、考えるに、要するには逆の立場もあり得るとは思うんです。とあるコミュニケーション・デザイナーさんは、メディアの人でした。でも、彼は自身の着想を実現するために、彼がコピーを書き、コンテをつくり、がんばった。で、そのうちに、そのがんばりを見ていたクリエイティブの人たちが、それぞれの専門領域で協力をするようになった。そのクリエイターさんは、自身の仕事では自分の責任でやれる強者たちばかりでした。彼曰く、自分で何でもできるとがんばってきたけど、やっぱりコピーライターの言葉って違いますね、と。
いい話ですよね。結局、おっしゃるように挟持を持つかどうか、ということかもしれません。あと仁義と、自分のイメージに執着するクレイジーさも。古い価値観かもしれませんが。
私ももともとはCIプランナーだったわけで、異業種からこちらに来た人でもあるので、余計にそう思うのかもしれません。

投稿: mb101bold | 2008年10月15日 (水) 22:53

この問題というか状況というか、仰るとおり普遍的なことだと感じています。

どんな仕事にも、たとえ一区切りだとしても最終形があるのに、そこに自分がいない人が多くなったと感じます。
そもそも「~にやらせる」と安易に言ってしまう人は、人間が見えていない。あるいは仕事のプロセスの実際を知らない。
「やらせる」には「~にやらせればいいじゃん」という傲慢さが含まれている。
(ひと頃「CGでちょちょいとつくれば簡単だよね」とか言う人が多くなりましたよね)

軽視(自分以外を蔑視)、無知の無邪気さ、羞恥心の欠如、キーワード満載ですね。
だからこそ自分はほとんどの若者が怖くないんですよ。全然負ける気がしない。
そりゃあ一発宝くじを当てるようなことはできないけれど。

こういう人が老若関係なく増えている気がします。
魚の切り身しか見たことなくて魚を知らないように、人間がものを作っているということを知らずに「壊れたら捨てて新しいのを買えばいいじゃん」に通じるものがある気がします。
そのくせProject X的な職人の話が大好き。
気持ち悪いですね。

投稿: takupe | 2008年10月15日 (水) 23:35

それと、表現の本質もね。表現って、人なんですよね。熟練のコピーライターのルーティンワークより、都会に住む息子に向けた田舎のお母さんのお手紙の言葉のほうが、よく伝わるんです。その息子にとっては。
それは、何を意味しているかというと、つまり、広告制作者は、仕事として、そのお母さんの言葉に近づくのが技術的なミッションということなんです。それがクリエーターの持つテクノロジーだと言ってもいいかもしれません。だからこそ、私は信頼できる人と仕事をしたいと思うんですね。

投稿: mb101bold | 2008年10月16日 (木) 00:18

記事を読んでは、いつも勉強させて頂いております。

私はクリエイターと言える立場の者ではないのですが、とても共感致しました。

お話の意図とは違うかもしれませんが・・・
「つくらせる」だけの人たちに、「もっと戦略的にさ〜」等と曖昧な上に中途半端に語られると、とても悔しく感じる時があります。もちろんクライアントなら全然構わないのですが、経営企画的な部署の方々に口を出される時は特に!

それでいて成果が出ると彼等がその評価を持っていってしまう時などは、もう、人のお金を運用して利子だけとってる悪徳金融(?)に対するような理不尽さすら感じてしまいます。(誰の評価か?といった所にこだわっている自分も、甘ちゃんなんですが)

そんな会社組織ならではの利害関係に惑わされず、自分で価値を生み出し続ける人間になりたいものです。(自戒を込めて)
長文失礼致しました。

投稿: ドリームプランナー | 2008年10月16日 (木) 02:15

まあ、会社の掟的なことはしょうがないかもしれませんね。人の振り見て我が振り直せではありませんが、自分がその立場になったとき、そういう人にならないようにするくらいしかないかもですね。

投稿: mb101bold | 2008年10月16日 (木) 02:33

おはようございます。
返信ありがとうございます。

またさらに共感しました。
元メディアの方、勇気を感じます。
いいお話です。


投稿: 乱入者 | 2008年10月16日 (木) 06:21

おはようございます。
とても専門的なお話で(コミュニケーション・デザインも調べたけれどもよく判りませんでした)、なので誤読もあるとは思いますが、読んだとたん『あ、いたたた』と思いました。
ブログを書くときに、人の考えをさも自分が考えたように書く、それほど極端ではないにしても安易に引用したりするのはやめよう、と思いました。
テンプレートとか迄は創れないにしても、やっぱり拙くてもオリジナルでいこう、と。
そのうち創ってたりして(笑)。

投稿: ira | 2008年10月19日 (日) 07:37

iraさん、こんにちは。
佐藤尚之さん(電通のクリエイティブディレクター)の「明日の広告」という新書がベストセラーになって、一気にコミュニケーション・デザインという考え方が広まりました。
でもまあ、今回の話には限らず、流行にはつきものの現象なのでしょうがないかもしれませんけどね。流行を語ることで、自分が先端を行っている気分になる部分はあるんでしょうね。でも、単にそのことを語ってるだけだから、本人の質には関係ないことで、そのへんは私もそうなりがちなので、ちょっと気をつけようと思ってますです。

投稿: mb101bold | 2008年10月19日 (日) 12:27

はじめまして。記事に共感しましてトラックバックさせて頂きました。
私は美大出身のマーケティングプランナーなのですが、企画を考える時もまずはじめに、最後の絵を思い浮かべてコンセプトやロジックを組み立てる癖があります。ロジックやデータの生成はとても創造的な行為なので、アートの感性が必要だと思っております。そのようなマーケターがほとんどいないのは事実で、私も問題というか、同じような人、他にいないかなぁとよく考えてます。

投稿: 樹海のいぬ | 2008年10月22日 (水) 12:04

樹海のいぬさん、はじめまして。
トラバ、コメントありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2008年10月22日 (水) 16:30

いつになく愚痴っぽい。まぁ、ネットらしくていいけど。

投稿: | 2009年9月29日 (火) 16:55

ま、「愚痴ってしまいました」カテゴリーのエントリですから。

投稿: mb101bold | 2009年9月29日 (火) 20:25

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