言葉にできない
小田和正作詞、作曲。1981年、オフコースのアルバム「over」に収録された曲で、翌年にシングルカットされました。長年のオフコースファンとすれば、アルバムタイトルが「We are」と来て「over」なら、「We are over.」、つまり、ああ解散するんだな、という感じがするアルバムで、その中の最後から二曲目の曲だったので、当時発表されたときは、文字通り、アルバムのひとつの曲にすぎませんでした。
ラストの曲は「心はなれて」というピアノ曲で、そのラストソングのテーマは、美しいストリングスアンサンブルでアルバムのオープニングにも使われました。長年の相棒である鈴木康博さん脱退という出来事に翻弄されていた、当時の若い小田和正さんにとって、きっと、「心はなれて」のほうが重要な曲だったと思います。だからこそ、オープニングとラストに使用したのだろうし、今聴いても、「心はなれて」という曲は、救いようがないほど美しい曲だと思います。オフコースファンとすれば。
1982年の「over」コンサートツアーを大阪フェスティバルホールで私は見ました。「言葉にできない」の演奏のときに、大スクリーンにひまわり畑の映像が映し出されました。当時のオフコースのコンサートでは、コンサートの後半で、大スクリーンにイメージ映像はおなじみの演出だったのですね。その映像には、「We are over. Thank you.」とメッセージされました。「小田サーン」という若い女性の声に包まれて、静かに演奏されるのが「心はなれて」。このセットリストを見ても、「言葉にできない」という曲が「心はなれて」の盛り上げ的な役割だったことがみてとれます。
「言葉にできない」に続く「心はなれて」が演奏されるとき、鈴木康博さんはギターを持たずにコーラスに専念していました。ギターのパートがないんですよね。それは、今までオフコースを見て来た人間にとっては奇異な光景でした。そして「I LOVE YOU」へ。間奏を除き、ライブ用にピアノ弾き語りアレンジされていました。それは、同時にオフコースが小田さんのバンドであることを実感させられる光景でもありました。
コンサートツアーのラストである東京武道館で、小田和正さんは、「言葉にできない」の時に声をつまらせてしまいます。小田さんは、コンサートでは感極まって泣くことが多かったので、そのこと自体は、ファンにとってはよくあることのひとつにすぎませんでしたが、解散が噂されていたスーパーバンドのリーダーの涙は、マスコミで大々的に報道されました。
シングルカットされた「言葉にできない」は、「さよなら」や「愛を止めないで」「Yes No」と比較すると、それほどヒットしなかったように思います。それから幾年か経って、この曲がCMで使われました。
あなたに会えて
ほんとによかった
うれしくって
うれしくって
言葉にできない
「終わるはずのない愛が途絶えた」と始まる歌詞の後半がCMで使われていました。ああ、このCMをつくった人は、オフコースが好きだったんだな、という印象を持ちましたが、だからといって、それがあらためて再発見されて、巷で大ヒットする、というようなありがちな現象は起きなかったような気がします。
幾人のミュージシャンがカバーしたりもしました。しかし、この曲を、本当の意味で世に知らしめたのは、YouTubeに投稿された「かなしおかしい」映像クリップでした。もしかすると、この曲は、YouTubeの映像クリップを通して、はじめて世に出たような気もするんですよね。言いすぎかもしれませんが。
YouTubeの映像クリップをつくったたくさんの人たちは、なぜ「言葉にできない」を使おうと思ったのだろうか。確かに、この映像クリップの方法論は、例のCMのパロディからはじまっています。しかし、これだけ多くの人が次に続く魅力が、当時の私にはわかりませんでした。
それはきっと、他ならぬこの曲で泣いた小田和正さんにも、きっとわからなかった気もします。小田さんとしては、きっと、本命は「心はなれて」のほうだったと思います。聞いたわけじゃないけど。「心はなれて」の最後は、こんな歌詞。
心はなれて
あなたのこと
見えなくなる
もうここから
先へは行けないね
小田さんも若かったのだろうと思います。そして、YouTubeで有名になった「言葉にできない」よりも「心はなれて」のほうが真実に近いと思っていた私も。小田さんが泣いたのは、ほかならぬ「言葉にできない」だったという事実。そして、あれから20年以上経って、その経緯を知らない若い人がこの曲を選んだという事実。普遍性とは、いったい何だろう。YouTubeの「言葉にできない」の映像クリップを見るたびに、そんなことを考えます。
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コメント
こんにちは。「クリスマスの約束」で久々にオフコースの楽曲を聞いて懐かしくなり、こちらにたどりつきました。
自分も4人になってからのオフコースに興味を持てなくなった元ファンです。当時、鈴木さんが抜けたことで何かが失われてしまったことは感じていましたが、それが何なのかは自分の中で説明がつかずにいました。これまでの鈴木さん脱退に関する記述が数多くありましたが、このブログでMB101Bさんが仰っていることが、いちばん納得できたような気がします。
僕も大好きな70s後半のオフコースは、小田曲であったとしても、オダ+ヤスだけが生み出せるイノセンスだったのですね。
投稿: むつ | 2008年12月28日 (日) 01:17
むつさん、こんにちは。
「クリスマスの約束」は今年は私は見られませんでした。でもこの番組、すっかりクリスマスの定番になりましたね。小田ヤスの音楽は、やっぱりもう聴けないんでしょうかね。あの2人がもっと単純な人間だったらよかったんですが、とっても複雑な人たちだから、無理なんでしょうね。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: mb101bold | 2008年12月28日 (日) 15:21
はじめまして
オフコース、そして小田さんの歌詞に対する深い掘り下げに感銘いたしました。
ところで、「言葉にできない」のライブですが、鈴木さんはギター弾いてますよ。
アイバニーズの白い12弦でイントロからエンディングまでほぼ休みなく弾き続けてました。
ギターを弾いてないのは「I Love You」だと思います。
投稿: たむら | 2016年9月19日 (月) 07:04
>たむらさん
ずいぶん前の記事ですが丁寧に読んでいただいてありがとうございます。
ご指摘、ありがとうございました。
なんか書き間違えていたようですね。修正しました。
この記事を書いたときから少し経って思うのは、でもまあ長いオフコースのライブ経験から考えると、観る側の思いとは別にわりと普通のことだったのかもなあとも思いました。
例えば「でももう花はいらない」は鈴木さんがひとりで演奏することも多かったし「失恋のすすめ」では鈴木さんがひとりでギターとメインボーカルで他のメンバーはコーラスにまわっていましたし。
あれから過去のライブ音源がアンダーグラインドでですがたくさんでてきて、そんなことを思いました。
投稿: mb101bold | 2016年9月19日 (月) 10:11