しあわせって何だっけ
「ぽん酢しょうゆのあるうちさ」と1986年に明石家さんまさんが定義していますが、うちのぽん酢しょうゆはキッコーマンではなくミツカンなので、少しだけしあわせではないのかもしれません。てな冗談は置いといて、しあわせって何だっけ、と私なりに考えてみました。
しかし何でしょうね。これ、ここ最近ずっと考え続けているのですが、明確な答えはまだ出ていません。というか、しあわせっていうのは相対的なもののような気がするし、たぶんに主観的なものであるとも思うので、明確な定義は難しいんじゃないだろうか、とも思います。うれしい、たのしい、かなしい、くやしい、そんな感情も人によりけりですよね。それと同じです。
とは言っても、しあわせっていうのは確かにあるし、なんとなく、なるほど、そうだよねえ、という説明をしたくなる欲望にかられたりします。なので、なるだけ具体的な事例を交えて、私流の説明を試みてみたいと思います。しばし、おつきあいのほどを。
仮説1.しあわせとは、デイリーポータルZを読んで、ああ、あいかわらずおもしろいよなあ、と思える状態のことである。
おもしろいですよね、デイリーポータルZ。あのゆるおもしろい感じを、クオリティを落とさずに長年維持し続けているのはえらいなあ、と思います。私的には、デイリーポータルZを読んでも笑えないときって、かなりしあわせレベルが低いときのような感じがしています。つまんね、とは思わないけれど、心底笑えない。そんな状態のときがときどきあります。ここ最近の私を自分で観察するに、わりと、これがしあわせの基準になってるような気がします。
仮説2.しあわせとは、自分のブログの過去ログを読んでみる気になる状態のことである。
ブログも1年以上続けると、けっこうな数のエントリがたまってきます。ブログツールは、というか、ココログは、過去ログをタイトル一覧にする機能をもっていませんので、どうしても過去に書いたエントリは読まなくなりがちです。そういう機能的な敷居が過去ログにはあるのですが、それよりも、心理的な敷居のほうが数段高いような気がします。つまり、読みたくないんですね。読んでも、こいつ何書いてるんだ、なんて浅いんだ、ってなるだけな気がして、どうも敬遠しがち。
書くということは、思考するということでもあるので、一度書いてしまうと、それは自分の中では思考済みになってしまうので、過去に自分で書いたものを読んでも、今の自分には浅く思えてくるんですよね。でも、それでももう一度読みなおしてみようかなと思えるときって、自分に余裕があるというか、そんな浅い自分も許せるというか、そんな心理状態のときかも。でもって、おっ、なかなかおもしろいこと書いてるやん、なんて思えてしまうと、それはかなりしあわせな状態なのかもしれません。
仮説3.しあわせとは、「夜ごはん、なにしよか。そうやなあ、鍋でもする?」という気分になる状態のことである。
いきなりオリジナリティがない説明ですが、さんまさんのCMがきっかけなので、その部分をちょっとだけ書いてみようかな、と。鍋は、しあわせの象徴だなあと思います。食べる側にとってみると、ちょっとばかしめんどくさいんですよね。鍋って、コミュニケーションを味わう部分があるから。だんらんですね。家族でもなんでも、そんなコミュニケーションがたのしい、ではなく、じゃまくさい、ってなるときは少ししあわせレベルが下がってきているときなのかな、と思います。
ポン酢しょうゆがあるうちさ、というコピーはいいコピーですよね。あのコピーは、あれではミツカンに勝てないとか、差別性が語れていないとか言う人もいるようですが、私は、ああいうコピーは好きです。しくみ的には、その普遍性を基軸にしながら、キッコーマンのしあわせの理由、みたいな差別性が語れる場をつくれば事足りること。広告は差別性を言わなきゃ、とか杓子定規に言うのって、しあわせな感じがあまりしないんですよね。しあわせな気分がなければ、そもそも広告にはならないのにね。
* * * *
てな感じで10個くらい並べてみようと思って書き出しましたが、ちょっとしんどくなってきました。ある程度数が出せたら、その共通項をさがしていく中で、何か新しい発見があるかもしれないな、と思ったんですけどね。今は、ちょっとだけしあわせレベルが落ちているのかも。忙しかったからなあ。気が向いたら書くかもです。
また、これは、人によっていろいろあるんだろうな、とも思うんですよね。私は違うなあ、こうだなあ、てなことあれば、コメントなりトラバなりいただけたら、私がすごくよろこびます。てな感じで、本日はここまで。ではでは。
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コメント
気の持ちようなんだろうね。
幸せだって思ってる人は、
幸せなんだろうし、幸せじゃないって思ってる人は、
幸せじゃないんだろうね。幸せに
気づかないってことも、不幸なことだと思う。
これは、いいコピーだよね。でも、
いまの時代に、これをやると届かないんだろうな。
幸せな時代だった、ってとこかな。
投稿: BRUCE06 | 2008年10月 2日 (木) 10:50
いつも楽しく拝見させていただいております。
私は今日まで「ポン酢しょうゆもあるしさ」と勘違いしていました。
ポン酢しょうゆあるし→鍋でもする→あんがいこういうことが幸せなんじゃない?と勝手に思い込んでいて。
投稿: shibu | 2008年10月 2日 (木) 10:54
mb101boldさん、しあわせですかぁ!!^^
私のシアワセは今日みたいな日です。秋晴れのさわやかな日に布団を干して、とりこんだ布団(羽毛吉)に「ばふっつ・・・うーんシャーわせ」みたいな。基本的には心配事とかがなくて、体調がよくて、お天気もよければだいたい何をやってもしあわせです。ヽ(´▽`)/
投稿: ggg123 | 2008年10月 2日 (木) 11:05
>BRUCE06さん。
はてブで知りましたが「関口菊日出さんの杉山登志の遺書へのアンサーCMでもある」とのことらしいですね。
たしかに、いろいろ社会のしくみが変わったし、これは今の時代は届かないかもしれませんね。なんかこういうのをなんとか成立させたい欲望にはかられますが。
>shibuさん。
はじめまして。あるし、という誤解も、なんか味がありますねえ。ぽん酢しょうゆ、家にあるし。不幸なわけないよなあ、なんていい感じ。今後ともよろしくです。
>ggg123さん。
いい天気ですね。私は、こんな天気だったら、昨日、洗濯しておくんだった、っという感じです。
>基本的には心配事とかがなくて、体調がよくて、お天気もよければだいたい何をやってもしあわせです。ヽ(´▽`)/
そうですねえ。ほんとそう。そんなときは、何やってもしあわせ。なにを食ってもおいしいし、なにかあっても、まあいいか、な感じです。
投稿: mb101bold | 2008年10月 2日 (木) 11:25
mb101boldさん
お仕事お疲れ様です。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
私が思う幸せは
しあわせって感じられる心があることが
しあわせなんじゃないかな
と思います(´・ω・`)
日常の生活にはたくさんの幸せや愛があって
それに気づけることが幸せだと思います
>今は、ちょっとだけしあわせレベルが落ちているのかも。忙しかったからなあ。
mb101boldさんは日々の激務で今少し心が疲れちゃったのかもしれませんね・・・
ちなみに私は、広いネットの世界でmb101boldさんと出会えて
mb101boldさんのステキな考え方を少し拝見できて、共感することが幸せですよ♪
mb101boldさんも小さな幸せたくさん見つけられると良いですね♪
投稿: chipy | 2008年10月 2日 (木) 14:55
chipyさん、どもです。
>しあわせって感じられる心があることがしあわせなんじゃないかな
これはそのとおりなんでしょうね。
じゃりン子チエという漫画があって、その中で小鉄とジュニアという名の猫が出てきて、若いジュニアが落ち込んでしまうんですが、そのとき小鉄が「ジュニア。おまえは、わざと不幸なことばかり見つけようとしてるんじゃないか。」みたいなことを言うんですね。
その二匹の猫は屋根の両側に別々に寝転がって話しているんですが、ジュニア側にはチエちゃんのお父さんのテツはやくざとケンカしている光景が見えて、「おまえにはいいことばかり見えてるけど、俺には悪いことばかりが見えているのさ」と言うオチがついているんですが、そんなシーンを思い出しました。
小鉄いわく、そんなふてくされるジュニアに「甘ったれるな、この若造が」みたいなことを言うシーンがあって、そこから考えると、なんとなく幸せを感じられる心というのも成長していくんだろうなと思います。
なんか、そんなことを考えました♪
投稿: mb101bold | 2008年10月 2日 (木) 15:31
mb101boldさん
お返事ありがとうございます
じゃりんこチエ・・・深いですね(´;ω;`)
是非見てみたいです♪
ステキなお話ありがとうございます
>おまえは、わざと不幸なことばかり見つけようとしてるんじゃないか。
マイナス志向や心が疲れるとなぜか嫌なことばかりが目に付くんですよね・・・
言葉や行為を深読みしてみたり、不幸を嘆いてみたり・・・
周りは自分の鏡なので、不幸の無限ループになってしまうのに・・・
>幸せを感じられる心というのも成長していくんだろうなと思います。
すごぃ♪
そうなのかもしれないです
すごくしっくりきました♪
幸せを感じられる心が成長するのであればmb101boldさんはいま停滞期
これを乗り切ればmb101boldさんの周りは以前よりも幸せと愛であふれますね♪
すごい♪
楽しみです♪♪
投稿: | 2008年10月 2日 (木) 17:02
「幸せ」ですかー。今、ここに生きていることですかねー。
医療関係の仕事+持病もちなので。話が飛んでしまうかもしれませんが、
生死を感じることが人よりも多いし、生きていれば、つらいこともいっぱいあるけど、
嬉しいことも感じることができるし。
なにかのフレーズで「生きているだけでまるもうけ」と聞いたことがありますが、
今の私だとまさにそんな感じです。
投稿: しばはな | 2008年10月 2日 (木) 18:46
>chipyさん。
人生楽ありゃ苦もあるさ♪という感じですね。
>しばはなさん。
うちの母親も入院しているので、「今、ここに生きていること」という感覚はすごくわかります。そいえば「生きていだけでまるもうけ」はさんまさんの座右の銘でした。ところで、これの初出って、何なんでしょうね。
投稿: mb101bold | 2008年10月 2日 (木) 19:11
はてなブックマークに「関口菊日出さんの杉山登志の遺書へのアンサーCMでもある」と書いた者です。半ば独り言でしたが、コメント欄にて言及されているので、うかがった次第。(第三者の方へ 関口菊日出とはこのCMの演出及び企画です)
生前、関口さんが毎日新聞に取り上げられ、
・杉山登志の遺書の「ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません」
に違和感を持った
・むしろ幸せであっては幸せを演出できないとさえ想った
・その後ディレクターとして売れ、一方で離婚し、子供とも別れる
・そんな中での「幸せってなんだっけ」
…というお話でした。
本旨からそれた書き込みで恐縮ですが。
投稿: urbansea | 2008年10月 2日 (木) 22:55
urbanseaさん、はじめまして。
コメント、ありがとうございます。関口さんのお話、すごく合点がいくというか、ちょっと感動してしまいました。私も広告業界は長いつもりでしたが、この話ははじめて聞く話で、「しあわせって何だっけ。ポン酢しょうゆのあるうちさ。」が持つ芯の強さの訳がわかったような気がしました。
私は杉山さんにも共感しますが、だからこそ、関口さんの「むしろ幸せであっては幸せを演出できないとさえ想った」という反語的な表現の持つ意思の強さにも共感します。きっと関口さんもそんな複雑な気分を持っていたのだろうと思います。
なんかうまく言えないですが、幸福は不幸の裏側にしかなくて、完全な幸福というのは、きっとその時点で、幸福という概念の条件を失ってしまうものではないか、というふうに思います。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: mb101bold | 2008年10月 2日 (木) 23:48
すげー幸せな瞬間には「しあわせってなんだっけ」なんて思いませんね。「この幸せを誰かにも分けてあげたい」とか思うでしょう。
あるいは「この幸せは独り占めだー」とか思う奴もいるかもだけど。それってあんまり幸せそうじゃないな。根っこが。
私は幸せって「相対的」なものではなく「圧倒的」なものだって思います。それじゃ、「共感」とか得られないかもだけど。
ぽんずしょうゆが「圧倒的」な瞬間てあるんだと思う。それさえあれば、あとはOKみたいな。
投稿: denkihanabi | 2008年10月 4日 (土) 05:51
その瞬間を点で考えるか、無数の点と点を結んで、未来に起こりうる点をつなげた線で考えるかの相違なのかもしれませんね。というか、それに尽きるかも。
そんな感じのことを考えています。
投稿: mb101bold | 2008年10月 4日 (土) 13:22
あ、すげえ。
夜中にコメント残すと不安になるもんなんですが、私も今日、そんなことを考えていました。その瞬間を感じるか、時間軸を俯瞰で見るか、みたいな。
投稿: denkihanabi | 2008年10月 5日 (日) 00:31
そうですね。時間軸を俯瞰するとこって、自分に対してメタレベルの自分を置くことで、それはいつも不可能性や自己言及の限界みたいなものがまとわりつきますし、瞬間を生きる「実感」みたいなものから批判の矢が飛んでくるんですが、そういう矛盾みたいなもののきしみが表現というものなのかも、とか思ったりします。
このへんは難しいですよね。我々は、いつもこういうふうに批評的に表現をつくっているわけでもないし、感覚だったり反射神経だったりもするし。うーん。
投稿: mb101bold | 2008年10月 5日 (日) 01:39