コピーライターの時代がありました。言葉を武器に、ひたすら言葉が紡ぎ出す世界を付加価値にして、コピーライターという職業は時代の寵児になっていきました。いま思えば、それはバブルだったのかもしれません。その付加価値には、きっと広告が含まれていなかったのだと思います。小説家、詩人、作詞家、そして、コピーライター。言葉のプロフェッショナルを指向してはいても、それは広告のプロフェッショナルを指向してはいませんでした。
けれども、あの時代はそれでよかったのでしょう。それでもものが売れました。あの時代から少したって、つまり、バブルが崩壊する真っ最中に、私はコピーライターになりました。CIプランナーからの転身だったので、時代の寵児としてのコピーライターにはあまり興味はありませんでした。うまいコピーはうまいと思いますが、そこに憧れはなかったような気がします。
そんな中、これはまいったなと唸らせられたのは、糸井重里さんでした。西武百貨店の「おいしい生活。」というコピー。これからの時代の豊かさは何かということを、端的に言い表しています。うれしい、ではなく、たのしい、でもなく、おいしい。糸井さんは、このコピーについて、当時はそれほど評価されなかった(とは言っても一定の評価は得ていたのですが)のが不満だったと語っています。それは、このコピーに対する糸井さんの内なる自信が語らせたのでしょう。
西武百貨店、西武流通グループ(セゾングループ)の糸井さんのコピーを追っていくと、バブル期の消費者のインサイトの変化がわかります。それは、マーケティングデータ以上の正確さをもってわかる気がします。それは、同じ百貨店の広告を制作する私に猛烈な嫉妬と興味を与えました。
そんななか、あっ、これで終わったと思ったコピーがありました。
ほしいものが、ほしいわ。
ああ、これで終わる、とそのとき思いました。もうこのあとはない。そんなふうに感じました。確か、糸井さんの最後の西武百貨店の広告は、ちびまるこちゃんが登場する新聞広告でした。このボディコピーの最後はこう結ばれていました。
だから、まずひとつだけ、約束させてください。四月の新学期までに、みんなが練習して、商品の包み方が一番上手な百貨店になります。
これ以降、糸井さんはほとんどセゾングループの広告にかかわらなくなりました。以降のセゾングループの広告は関連が深いI&Sという広告代理店の社内制作になりました。記憶に残っている広告では、「!」だけが白地に大きく描かれ左隅にちいさく「実感するだけ。」というコピーが記されたものでした。これで、完全に息の根が止まりました。その後は、ほんとにもう何もない。少なくとも理論的には。
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日経ビジネスオンラインに連載されていた「実用品としての吉本隆明」という糸井重里さんのインタビュー記事を読み直していて、興味深い言葉がありました。一部、引用します。
——それをうかがうと、1982年の西武百貨店「おいしい生活。」のコピーを思い出しますが、現在の糸井さんの意識の中に、広告のコピーライター、糸井重里というものはありますか。
糸井 ありません。
——少し嫌そうなお顔になりましたか?
糸井 いや「ありますか?」と聞かれたから、「ないよ」って言っただけですよ。何もないです。
——ない、というか、嫌悪しているという気分はありますか。
糸井 してない。そういう仕事をしてきたんだけど、その時代が終わっている。終わっているのに、そのことに気付かないままでいるわけにはいかない、というだけです。何か人が喜ぶことを考えるという点で、やっていることはずっと同じなのですが。
それは、歌い手さんがラジオで歌うか、テレビで歌うかみたいな違いはあるでしょうね、きっと。歌っていること自体は同じように、自分が何を喜ぶか、ということについては同じですから、根っこは変わっていませんが、よその人が作る商品で喜ぶことを考えるのは終わっています。
——いつ終わったと思われますか。
糸井 「ほぼ日」を始める前にいったん終わっていますね。
——何か具体的なきっかけはあったのですか。
糸井 バブル崩壊でしょう。バブル崩壊で、結局のところ、つまらないことで話がまとまるわけです。つまり、どんな広告を作るよりも安いものが売れたりするわけです。そのときに広告って意味がない。さらに言うと、安くするって、そこにすごい工夫があるわけではなく、誰でもできることです。広告が“安い”に負ける時代を迎え、あ、これはもうあかんな、というのがあって、一から鍛え直していきましょうというのが、次の仕事だった。これは長い物語になるんですけどね。
「ほぼ日」は、吉本隆明の思想の実践だった
糸井さんの広告は、ずっとオンタイムで追いかけて来たので、このあたりの感情の起伏は痛いほどわかります。糸井さん自身がおっしゃっていたことですが「糸井は終わった」と業界ではよく言われていました。でも、そう言いながら、私たちは業界の中で「誰でもできること」に負け続けながら、その場をしのいでいました。ほんとうに終わったのは「広告」だったのではないかな、と今になっては思います。
少し古い広告ですが、NTT DoCoMoの「DoCoMo2.0」は、立ち上がりのグラフィック広告には興味は喚起されたものの、その後にはじまったテレビCMにはまったく興味が持てませんでした。いち消費者としても、業界人のはしくれとしても。今の広告で言えばdocomoの「Answer」も、立ち上がりの成海さんが出演する企業広告には興味はありましたが、企業側にとっては、きっと本丸である「アンサーハウス」というドラマCMシリーズには、あまり興味は持てません。
個人によって差があるのかもしれませんが、いま支持されているのは、このような広告ではないのではないか、という感覚が私にはあります。SoftbankのCMがいま支持されているのは、きっと、その古典的な広告らしさなのではないかと思います。資生堂のTSUBAKIもそう。物量戦がものを言うという、中堅広告会社にとっては腹立たしい状況も含めて、いま、一度終わった広告は、また広告に戻ろうとしている。そんな気がします。
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広告が広告以外のなにものかになろうとしたとき、広告は、一度、消費社会に対する役割を終えたような気がします。そして、糸井さんはクリエイティブの場を自分のメディアである「ほぼ日刊イトイ新聞」に移しました。糸井さん本人が言うように、「やっていることはずっと同じ」なのでしょう。けれども、その場は、広告ではないというのが、糸井さんの結論です。
広告という場の中で右往左往する私は、横目で「ほぼ日刊イトイ新聞」を見ながら、一度終わった広告を、もういちどはじめるためにあれこれ考えていて、あるときは広告は普遍だと意気込んでみたり、もう駄目だと嘆きながら、悪戦苦闘しています。それは、そんなにカッコいいものでもなく、自分の専門領域はこれしかないし、職業だからという部分もありますが。
これからも、あきらめずにあれこれ広告の可能性を追求していこうと思いますし、当面は、いま動いているプロジェクトの成果を最大化することに注力していこうと思います。こうした継続の中にしか未来はないし、ブログという個人メディアがあるからこそ、こうした内省を書き記すことができるというのは、時代の変化でもあるなあという感慨もありますが、とりあえず、前を向いていこうと思います。いろいろ、不安もあるけれど、とりあえず前向きに。
わりと誤解される言い方かもしれません。でも、伝わる人には伝わると思いますが、やっぱりクリエイティブという一点で考えたとき、話は別で、広告じゃないフィールドになってくるんだろうな、という思いもありますね。糸井さんの90年代からの軌跡というのは、私にとってはけっこう重いです。
■追記1:
私の中にある種の結論があるわけではないので、タイトルを「広告が広告以外のなにものかになろうとしたとき、広告は終わったのかもしれません。 」から「糸井重里さんの重さ」に変えました。糸井さんはいちファンというか、そんな感じであると同時に、ほんと、ことあるごとに重いんですよね。職業人にとっての私にとっても、一個人としても。
■追記2:
1982年の西武百貨店「おいしい生活。」についての糸井さんの話。「クリエイティブは時代の空を飛ぶ」安部敏行著(誠文堂新光社・1989)からの引用です。
「僕のコピーの中で、後にも先にも、本当の意味でいちばんすごいコピーは、“おいしい生活”だと思いますけどね。ただ、当時は、まだ理解が少なかったですね。あれが、コピーライターズクラブ賞をもらえなかったのが、僕は本当に泣きたいくらい哀しかったですね。賞がほしいわけじゃないんだけれども、みんなで、セーノで、“ワァーッ”というくらいほめられかったんですよ。
昨年のナマケモノ(「いてもいいし、いてほしいとおもう。」筆者注)で、毎日デザイン賞の最高賞をもらうくらいのことは、いつでも書けるんですよ。
そういうアベレージ・ヒッティングで賞がもらえるのは、仕事としては最高のことですけどね。あれは自分のバイブレーションが最高に高まった時に、何か啓示みたいなことがあって書けたというくらい、すごいと自分では思っていますから」
「そのころ、ハッキリわかったんじゃないかな。モニターは自分だってことがね。逆に言うとモニターになるだけの広さと深さみたいなものをいつも抱えていないと広告屋はやってはいけない」