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2008年11月21日 (金)

アイデアとは何か

 外資系の広告業界にいると、ことあるごとにアイデアという言葉にぶち当たります。ぶち当たるという表現をあえてつかったのは、それが、ぶっちゃけてしまうと非常にうっとうしい場面で出くわすことが多い言葉だからですね。

 外資系というのは、アイデア教の教徒みたいなところがあって、またそれが宗教的であるが故に、アイデアという言葉は様々な解釈がなされていきます。アイデアという言葉の意味は、その宗派によって違うという感じです。人によっては、アイデアとは誰も見たことのないことだったり、アイデアとは説明しにくいことをはっきりわかるようにできるメタファのことだったり。

 広告にはアイデアが必要不可欠。そういう言い方をする人が求めている広告は、たいがいは「ビジュアルとんち」だったりします。日本の広告にはアイデアがない、とその人が言うとき、それは、日本の広告には「ビジュアルとんち」がない、と言いたがっていると思って、ほぼ間違いがないと思います。

Kissmark  「ビジュアルとんち」というのは、わかりやすく言えば、私がつくった広告で言えば、こんな感じ。ストリート生まれのシューズ、というメッセージを「ストリートから生えてきたシューズ」というビジュアルに置き換えたわけですね。こういうのは、私は嫌いではないですし、自分がつくったくらいだから面白いとは思っているんですが、まあ、いわゆる「とんち」ですよね。

 この手の広告は、すごく外資系ではほめられます。でも、この手のビジュアルでなければ広告ではない、というわけではありませんよね。一手法です。(でも、この話、外資系広告会社以外の人は、そんなこと思ってねえよ、当たり前じゃんかよ、な話かもしれませんね。)

 この感じは、広告業界、とりわけ外資系に特有のものなんでしょうね。一般の社会では、わりと素直にアイデアという言葉が解釈されているように思います。一般の社会でつかわれるアイデアという言葉は、もっと実があるような気がします。

「それ、いいねえ。アイデアだねえ。それでいこう。」

 なんて使われ方をするときのアイデアが、私はアイデアだと思っています。つまり、それまでなんかうっとしい状況があって、どうにもこうにも動きようがないとき、あっ、この考え方を実行したら、もしかするとうまくいくんじゃないか、という考えのこと。

 まあ、いいかっこして言えば、みんながニコニコする素敵な考え、という感じでしょうか。奇抜さとか、新しさとかとは基軸が違うと思うんですね。奇抜であったり新しかったりするのは、そのアイデアの単なる見え方の話であって、アイデアは、その状況でみんなの虚をつくものだったりするわけだから、結果として奇抜で新しい見え方をするのが多い、というだけで、奇抜さや新しさは、アイデアの条件ではないような気がします。

*     *     *     *

 有名な本だから知っている人も多いかと思いますが、ジェームス・W・ヤングという広告マンが1940年に書いた「アイデアのつくり方」という本があって、この本に書かれているアイデアという言葉の解釈は、わりと納得させられるものが多く、ふむふむそうだなあ、なんて思います。薄い本だし、字が大きいので、すぐ読めます。まあ、同じお金なのに損した、と思う人もいるかもしれませんが、古典だし、読んで損はないのではないでしょうか。

 ジェームスさん曰く、アイデアとはこういうもだそうです。

アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない

 ラディカルですよね。この考え方は、オリジナリティとは何か、という論議でも度々出てくる考え方ですよね。で、このジェームスさんは、広告会社の人らしいところがあって、誰にでもアイデアが出せるようにアイデア創出の方法を明らかにしているんですね。なんでもメソッドにしてしまうところが、なんとも広告会社の人らしいです。

1. データ集め
2. データの咀嚼
3. データの組み合わせ
4. ユーレカ(発見した!)の瞬間
5. アイデアのチェック

 ユーレカというのは、ギリシャ語で「我、発見せり」という意味です。データ集め、咀嚼、というところが広告マンらしいですが、そこで「組み合わせ」が出てくるところが、ジェームスさんのラディカルなところ。最後のチェックというところは、広告マンらしさがありますが、組み合わせと言い切ってしまうところが、とってもいいですよね。

 でもねえ、私、うがった見方をするわけです。きっと、ジェームスさん、ユーレカがすごく得意だった人だと思うんですね。ユーレカは誰にも負けない自信があったんでしょうね。だから、こんなに開けっぴろげに「アイデアなんてものはなあ、所詮は組み合わせなんだよ。世の中には、新しいものなんてねえんだよ。」と言えるんでしょうね。

 そのあたりが、この本の魅力でもあるんでしょうね。私は、アイデアは、やっぱりこのユーレカがすべてを決めると思うんですよね。このユーレカみたいな発見する力は、知識とか体験の質と量がものを言うし、それを補う理解力や想像力みたいなものが大切になってくるし、チェックするにしても、基準となる経験がなければチェックしようがないわけだし。

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 アイデアが出たなあ、と思う時って、私の場合は、たいがいは何気ないときだったりします。起きて、眠いなあ、もう少し寝ていたいなあと思っているときとか、飯を食っているときとか、そんなときにアイデアを思いつきます。もちろん、それまでああだこうだ、データを読んだり、考えたりしているんですが、出てくる時は、たいてい何気ないとき。

 それで思いついて、それを実行したときのことを想像してみて、「あっ、これはいけるかもしれんなあ」と思えるときは、そのアイデアは自分の中でお買い上げ。たいていは、「こうしてこうなって、あっ、そうか、だめじゃん」みたいなことが多いですが。

 で、いけるかもしれんなあというアイデアは、私の場合は、あえてメモしません。で、時間がたって「あのアイデアなんだっけ」となったとき、そのアイデアは駄目なんだろうな、という解釈をします。忘れるようなアイデアは、たいていはそのときの高揚感がいけると思わせているだけで、いいアイデアは一度思いついたら、忘れるようなものではないんですよね。

 なぜ忘れないかと言えば、その考え方を実行すると、今まで解決できなかったことが解決できそうな気がするからなんです。つまり、その状況はすごくうれしい状況なわけです。うれしい未来は、わくわくするので忘れるはずはないんですよね。

 それと大事なことは、アイデアって、先の「おっ、アイデアだねえ」という言葉のニュアンスにも感じるように、誰でもできる簡単な方法だったりもします。特定の人にしかできない方法をアイデアとは呼びません。それは秘技とか秘伝とかでしょう。そんなこんなで、忘れてしまったアイデアというのは、ちょっと複雑すぎたということなんでしょうね。

 だから、まあ忘れてしまっても悔やむことはない、ということなんだろうな、と私は思っています。というか、それはちょっと強がりかも。正しくは、忘れたものはしょうがないじゃん、忘れるようなアイデアはたいしたことがなかったんだよ、きっとそうだよ、そうに違いないよ、とちょっと涙目で自分に言い聞かせています。ではでは。

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コメント

mb101boldさん、こんにちわんわん(^^)
ユーレカって、直感と似てますよね。内田先生がおっしゃってたような?私は最近結構メモります。ケータイでひとりついったーです。でも、おっしゃるように、やっぱり駄目ねのアイディアの連続です。でも、たまに理屈では駄目なんだけど、でも大事にもっていようと思うこともあります。そのうち来るかもしれない、ユーレカ!のために。だから、ひとりついったーは余り確認していません。もちろんプライベートモードですけどね。ぼーるどさんは脳内に、ひとりついったーを持っているんですね。(^0^)

投稿: | 2008年11月21日 (金) 10:27

わすれてた。(^^)
>アイデアが出たなあ、と思う時って、私の場合は、たいがいは何気ないときだったりします。起きて、眠いなあ、もう少し寝ていたいなあと思っているときとか、飯を食っているときとか、そんなときにアイデアを思いつきます。もちろん、それまでああだこうだ、データを読んだり、考えたりしているんですが、出てくる時は、たいてい何気ないとき。

↑これって、ぼーるどさんの生活のすべてがアイディアのフィルターになってるってことですよね。ここで、真剣に広告について考えていらっしゃることも、無意識にそういうフィルターをかけているということなのでしょうね。

投稿: ggg123 | 2008年11月21日 (金) 10:31

こんにちは。毎回楽しみに拝見しております。

私が印象に残っているアイデアの定義は
任天堂宮本氏の

「アイデアというのは
 複数の問題を一気に解決するものである」

http://www.1101.com/iwata/2007-08-31.html

ですね。

「複数の問題の組み合わせ(を解決する)」ともいえるのかもしれません。「ユーレカ」もアルキメデスの原理の逸話で出てきますが、まさしく「王冠を壊してはいけない」「混ぜ物されているかを調べなくてはならない」といった複数の問題を解決する方法を見つけたときに叫ばれています。

「とんち」は上記の定義の「アイデア」ではなく、謎かけですね。アーカイブなどでみかけるあのスタイル、日本人の自分にとってはおもしろさもある程度わかりますし、好きなものもたくさんありますが、それ以上に文化?思想?考え方?の違いを感じます。

あの違いはいったいなんなのでしょうか。機会はあれば、ぜひ一度ご意見お伺いしたく思います。

投稿: slice | 2008年11月21日 (金) 15:43

>ggg123さん

どもです。
それとユーレカって、会話してるときに起こることも多いです。しかも雑談しているとき。なんかすべてが枝葉でつながっている感じ。あと、やっぱり締め切りかなあ。ああ、もうやらなきゃ人でなしだな、と思うと必ず何かしら思いつきます。もちろん、思いつかないと困るんですけどね。

>sliceさん

複数の問題、というのは確かにそうですね。困った状況は、あちらを立てるとこちらが立たずのダブルバインドの状態が多いです。
なのでブレイクスルーとか言うんでしょうね。そのときのアイデアを解析してみると、たいがいは問題自体の転換が多いように思います。それが問題というけど、はたして本当の問題って、そこなの?みたいな。
アーカイブ的なアイデアは、わりと言われるのは、アメリカとかは多文化なので、暗黙の文化的了解みたいなものが少なく、言語的なニュアンスにも多く期待してはいけないので、どうしてもある明快なステートメントを誤解のないように伝えなければならず、そのインパクト手法としての「ビジュアルとんち」が好まれる、みたいなことを聞いたことがあります。
どっちにしても、欧米はああいうの好きですよね。それは消費者が好むのか、広告業界が好むのかはわかりませんが。
でも、最近のカンヌの傾向を見ていても、ニューウェーブの広告会社は、脱「ビジュアルとんち」になってきているようで、欧米の文化のせいでもなさそうな気が私はしています。

投稿: mb101bold | 2008年11月21日 (金) 16:37

>アイデアが出たなあ、と思う時って、私の場合は、たいがいは何気ないときだったりします。起きて、眠いなあ、もう少し寝ていたいなあと思っているときとか、飯を食っているときとか、そんなときにアイデアを思いつきます。もちろん、それまでああだこうだ、データを読んだり、考えたりしているんですが、出てくる時は、たいてい何気ないとき。

自分の経験からすると、優秀な人は意識的にせよ無意識的にせよ、24時間仕事のことを考えている人が多い気がします。頭の中で常にその仕事の課題を転がしている状態。「真剣」というより、「好き」なのかも。

投稿: o | 2008年11月22日 (土) 19:35

oさん、どもです。
まあそんな感じでしょうね。「好き」なんでしょうね。「真剣」は長く続きませんし、多かれ少なかれ、仕事は「好き」成分がないと辛いでしょうね。

投稿: mb101bold | 2008年11月22日 (土) 22:47

>mb101boldさん

返信ありがとうございます。

>たいがいは問題自体の転換が多いように思います。それが問題というけど、はたして本当の問題って、そこなの?みたいな。

確かに。私がいままでで一番「おおー」と思ったスローガンは「障害者を納税者に」なのですが、まさにそうですね。お金の援助をするのでなく、彼らが参加できて、自活できるような社会にしよう、という問題の転換。

>アーカイブ的なアイデアは、わりと言われるのは、アメリカとかは多文化なので、暗黙の文化的了解みたいなものが少なく、言語的なニュアンスにも多く期待してはいけないので、どうしてもある明快なステートメントを誤解のないように伝えなければならず、そのインパクト手法としての「ビジュアルとんち」が好まれる

なるほど。そのような背景もあって、広告表現を通じて共有するものとして「情感」に期待をしていないのですね。

投稿: | 2008年11月23日 (日) 16:13

sliceさん、どもです。
「障害者を納税者に」というのは、まさにそうですよね。こういうのは、私が思うアイデアだったりします。いい事例をありがとうございました。

投稿: mb101bold | 2008年11月23日 (日) 18:32

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