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2008年11月 4日 (火)

「広告はラブレター」という言説が若い人の間で話題になっていたみたいなので。

「広告はラブレター」という言説が若い人の間で話題になっていたようである。佐藤尚之氏の「明日の広告」で展開された議論が新鮮だったらしい。
一方で、私などの世代のように80年代からせいぜい90年代前半に広告業界に入った者にとっては目新しい話でもない。むしろ、懐かしさを感じる。当時は「広告は私小説」とか「メッセージはラブレター」みたいなことを言う人は多くいて、ただ今にして思えば戦前生まれの人々であった。
比喩は本質を突くとは限らない。だが、この「広告=ラブレター」という議論をどのように捉えるかによって、その人が「何を生業にしているか」が分かる気がする。

naoto_yamamoto:Blog/広告って、なに?「広告=ラブレター論の陥穽。」

 ブログ「広告って、なに?」の著者の山本さんは、私より少し先輩ですが、ほぼ同世代と言える感じなので、このへんはすごくよくわかります。山本さんは制作からマーケ、コンサル分野へ。私はCIから制作の分野へ、ということなので、ベクトルは逆ですが。

 確か、あの当時「広告はラブレター」とことあるごとに言っていたのはコピーライターの真木準さんでした。コピーライターの秋山晶さんは東京コピーライターズクラブのコピー年鑑テーマに「コピーは僕だ。」と書かれていました。この頃、よく言われていたのは、製品に機能差がなくなってきて、何で消費者が製品を選択するかというと、それはもはや製品のまわりにまとわりついている感情の衣でしかなくて、「このブランド、私に雰囲気がぴったり」みたいなことで製品を選ぶ時代だからこそ、広告はその感情の衣たるべきで、その方法論としては、比喩としてはラブレターだったり、私小説だったり、そんなパーソナルな感じがいいんじゃないか、みたいなことでした。

 消費というものが飽和状態になってきて、まさに「ほしいものが、ほしいわ。」(糸井さんの西武百貨店のコピーです)という環境になり、製品の差別化ポイントをうまくついていくという広告表現技術の限界が見えてきたときに、ひとつの方法論として「広告はラブレターである」という比喩は、言葉を武器にするコピーライターを中心に一気に受け入れられていきました。まだ、かろうじてコピーライターがカウンターカルチャーの担い手として、時代の花形商売と思われていた時代です。

 まあ、時代もよかったし、無邪気だったんだと思います。あの頃、製品に差別性がなくなってくることが、すなわち製品がコモディティ化することを意味していて、コモディティ化してしまうことは、すなわち製品が広告コミュニケーションを必要としなくなってしまうことを意味することなど、考えもしなかった。そんな明るく軽い時代でした。この考え方は普遍だとは思うのですが、あの当時は、製品の差別性がなくなった商品群が、それでもマス媒体を舞台に広告で競い合うような、広告業界に都合がいい未来が語られていたんですよね。

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 バブルを学生として過ごし、バブル崩壊とともに社会に出た広告業界の中の人である私は、このあたりのことをどう考えているかと言うと、こんな感じです。去年の今頃のエントリですね。いま読み返すと、中の人らしい書き方でもあるなあとは思いますけど、おおむねこの考え方は今も変わってはいないです。まあ、先の山本さんの問いかけに答えるならば、私は「広告を生業にしている」人であるので、それでもやはりなお「広告はラブレターである」というのが前提の論議ではありますが。

 よくね、若いコピーライターの人が感銘を受ける言葉に、前段に書いた「コピー(広告)とは企業から消費者へのラブレターである」というのがありますよね。こう書くと、コピーライターは、すごくいい気分になるんです。でもね、あえてネガティブなことを言いますが、そうして一生懸命に書いたラブレターが「このラブレターきもい」って簡単に言われちゃうのも広告コピーであるんです。残酷だけど、それが広告の現実です。糸井さんが書いていた飽きるということに関して言っても、面白すぎるものは、すぐ飽きる、というのも現実であって、特に長く運営していくキャンペーンなんかでは、じつは、この設計というか頃合いがいちばん難しいと思っています。

ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)「別にキザなことを書くつもりはないけど、いろんな意味で、広告と恋愛は似ていると思います。」

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 バイラルマーケティングの専門家であるsmashmediaの河野さんは、こんなことを書かれています。先の山本さんのエントリを読んでのお話です。

この辺の話は「ラブレターを渡せば何とかなる」とか、そもそも「ラブレターをもらったらみんなうれしいはず」という勝手な幻想に基づいている。そんなのリアルな世界にいたら、超KYじゃねーかと。相手の気持ちは無視かよ。
ちゃんと「ただしイケメンに限る」って書いてあるでしょう。

smashmedia「そのラブレターは望まれていない」

 「ただしイケメンに限る」というのが面白いですね。まあイケメンでもこういうタイプは嫌われそうでもありますが、この「広告はラブレター」という比喩には、「ラブレターをもらうとみんなうれしいはず」と信じる無邪気さが含まれているのは事実でしょう。でも、その無邪気さは間違いであるということは、一度でも失恋すればわかることでもあるし、どちらかというとコピーライターをはじめとする広告業界の人たちが、そういうことにしておきたいということでもあるんだろうと思います。

 でも、そんな甘い理想論を現実が許さなくなってきて、無邪気ではいられなくなってきたというのが、今という時代なんでしょうね。そんな折に「明日の広告」の「広告はラブレター」。この業界の行く末を案じる若い人たちで話題になるのも分かる気がします。久しぶりに、無邪気になれるというか、自信がみなぎってくるというか。

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 河野さんが、セス・ゴーディンさんの言葉の引用として書かれていましたが、「すべてのマーケティングは、スパムである。」というのは、なんか身もふたもないけれど、至言なんだろうな、と思います。私は、広告制作を生業にしている制作マンなので、仕事上、ラブレターをずっと書く仕事ではありますが、「広告はおじゃま虫である」とは思うんですね。というか、この前提は、今にはじまったことではないと思いますし、優れたラブレターとしてきちんと機能している広告は、この前提をきちんと認識しているような気がします。今も昔も。

 それとともに、当然、マーケティング活動の総体の中身を見てみると、ラブレター的なコミュニケーションの分野である広告と、市場戦略、価格戦略、大本の商品開発まで多岐に渡っていて、いつの時代でも「ラブレターだけ渡せばなんとかなる」というわけにはいかなかっただろうし、コミュニケーション・デザイン的なその渡し方の工夫みたいな広告の進化の仕方もありだとは思うんですよね。山本さんがあのエントリでお書きになっていましたが、ある種の「限界性」みたいなものは、あらかじめ広告には組み入れられているのだと思います。

 その限界性みたいなもので、限界性を超えるために、さらに複雑化し巧みに進化していくコミュニケーション・デザインの道を広告が歩むか、それとも。ここのところの私の興味は、ある程度、その進化を組み入れつつ、「でも、やっぱりこういう広告は今でもいいよね」みたいな感じで、「ラブレターうざい」というか、「ラブレター?気付かなかった。」みたいな現状でも、きちんと届く表現技術って何だろう、みたいなところですね。それは、見方によっては退化っぽく見えてしまうかもしれないけれど、広告の本能的な部分をつかまえたいというのが、今のところの課題かなと考えています。

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 ずいぶんコミュニケーション・デザイン的な方法論が流行ってきて、たぶん、このムーブメントも、かつての「広告はラブレター」「コピーは僕だ」的なムーブメントと同じように、「超KYじゃねーかと。相手の気持ちは無視かよ。」と言われてしまうような気がしているんですよね。このところのこのあたりの業界全体の熱病具合を見ていても、そう感じます。ぶっちゃけて言えば、単にメディアの多様化による消費者の意識の変化がもとになっているわけだから、その回答は、それを超えるものではないはずなわけで、今のままで走ると、今度は「ストーカーじゃないかよ。」と言われかねない状態になりそうな気が。まあ、この業界の進化って、いつもこういう道を辿るんですが。

 こういうことを言うといろんな方面から誤解されそうなんですが、わかりやすく言えば「広告よ、分をわきまえよ。」ということなんですよね。話はそこからなんですよ。だって、コミュニケーションって言っても、本音はものを売りたいっていう商売がベースなんですから。分をわきまえずに、コミュニケーション、コミュニケーションって言ってると、そりゃ嫌われるさ。

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コメント

こんにちは。紹介ありがとうございます。
コミュニケーション・デザイン「的」な話はほんとにブームな感じがしていて残念です。
おっしゃるとおり、コミュニケーションと言ったところで、買っていただくための説得に過ぎないのですし。

これからの時期、クリスマスイブにひとりで過ごしたくないからと、誰彼かまわず誘いまくってる人がいたら、そりゃ軽蔑されます。

投稿: 河野 | 2008年11月 5日 (水) 01:30

河野さん、お久しぶりです。
こちらこそ、興味深いエントリをありがとうございます。

>コミュニケーション・デザイン「的」な話はほんとにブームな感じがしていて残念です。

ほんとそうですね。いまは広告会社に局ができるくらいにブーム最高潮という感じで、ブームの発信源であるさとなおさんの著書なんかで書かれている趣旨からどんどん離れて、デザインして終わりみたいな、実施のいろいろをまったく無視した自称コミュニケーション・プランナーが跋扈し出しました。一時的でしょうが、実際にそのひとたちが権限を持つようになってきて、結果が出るか飽きるまでは続きそうな予感です。

もちろんだからといってコミュニケーション・デザインという概念が提起した課題の重要性は変わらないんですけどねえ。おっしゃるようにどんどん「的」になっていますね。

投稿: mb101bold | 2008年11月 5日 (水) 02:18

はじめまして。
本エントリーで紹介しておられた河野さんのエントリーにコメントをつけていた者です。
河野さんのブログでは天才肌の尖がった文章に刺激を受けておりましたが、mb101boldさんはさすがコピーライターだけあって河野さんとはまた違った思慮深さや含蓄のある文章を書かれますね。心に沁み入りました。

投稿: サトシ | 2008年11月 5日 (水) 16:46

サトシさん、はじめまして。
この「広告はラブレター」という言葉はそれだけいろいろ考えさせられるのでしょうね。
・そうだ、そのとおり。
・ラブレター?うざいっしょ。
・いまの消費者はデートを求める。
・それは広告の一部分でしょ。
・いや有益な情報を与えることでしょ。
で、私は、まあラブレターだろうけど、相手はあんまり望んでないっていうのを前提にしたとき、こんなラブレターだったらもらってもいいかな、的なニュアンスですね。
いかにして渡すのかを考える、じゃなくて、もらってもいいかなをつくる、みたいな。そんな感じです。余計に分かりにくかったかもですが。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2008年11月 5日 (水) 17:48

「広告は、ラブレターの代筆だ」
って私は若い頃に聞くか読むかして、それは今でもとっても腑に落ちる言い方です。
「代筆」って言葉を使わなかったところに、mb101boldさんの矜持を感じますね。

投稿: denkihanabi | 2008年11月 7日 (金) 01:51

そう言えば「代筆」というのはよく聞きますね。「代筆」という表現を使わなかったのは、元エントリがそうなってただけであまり意識はしていませんでしたが、確かに「代筆」という感覚はあまりないかもです。どうしてだろ?

投稿: mb101bold | 2008年11月 7日 (金) 02:40

はじめまして。「広告はラブレター」で検索をしたらこちらのブログがあたりお邪魔した次第です。お茶はありませんでしたが(笑)、広告に関する落ち着いた文章を堪能いたしました。ありがとうございました。
素人ですが、内容をきいて「こんな人達にぜひきてもらいたい」と、考えながら告知チラシをつくりました。これもラブレターのようなものでしょうか。

投稿: かっし | 2014年11月 6日 (木) 08:41

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» 「広告はラブレター」という言説が話題になっている件 [WEBMAN---ネットマーケティングコンサルタントへたれSのブログ]
面白いもので、私がいつもよく見ているブログで、 「広告はラブレター」という言説についての話題が同時期に取り上げられている。 もちろん、これは一つのインフルエンシングなブログ(ここではsmashmediaさんかな)がほかに影響を 与えているということなのだろうけど。... [続きを読む]

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自分も、佐々木俊尚さんのメルマガに呼応する形で、先日のエントリー「面と向かってコクる。」で触れているのだが、12月の頭には想像もしなかったほど、年末から今年に入ってから「広告はラブレター論」があちこちで書かれている。 もうちょっとで「広告はラブレター論」が... [続きを読む]

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