ほしいものは、何ですか。
前回のエントリ「糸井重里さんの重さ」で、西武百貨店の「ほしいものが、ほしいわ。」というコピーについて触れました。あのコピーは、私にとっては相当なインパクトがあって、「不思議、大好き。」から「おいしい生活。」と来て、「お手本は、自然界。」になり、そして、1988年の「ほしいものが、ほしいわ。」へと至る消費社会の変遷、あるいは欲望のあり方は、ある意味で、それこそ自然の摂理というか、正しい歴史段階を示しているような気がして、そのぶん、ああ、この先はもうないかもしれない、という思いも深かったのですね。もしかすると、それほど俯瞰した長期の過程ではなく、そういう流れを、20年周期くらいで繰り返すにすぎないのかもしれませんが。
「ほしいものが、ほしいわ。」というコピーは、「ほしいものが、ほしい。」という西武百貨店の年間スローガンになり、その年度に様々な広告が展開されました。たとえば、こんなコピーで。
うそみたいな、ほんとが、ほしい。
神様、お電話ください。
糸井重里さん、そして、西武百貨店を中心とするセゾン文化がつくってきたのは、ある意味で、中産階級を中心とし、それを頂点とする価値のあり方だと思います。上昇でもなく、下降でもなく、中庸こそが到達点である価値のあり方。がんばればフェラーリーではなく、なるだけ安価なものを追求するのでもない、その中間的価値。その差異の戯れが、消費社会そのものである、みたいな感じでしょうか。その現代の継承者は、きっとユニクロだったりするような気がします。その指向性については、「ユニクロは、日本の人民服である。」というエントリで書きましたので、よかったらお読みください。
あれから、20年近くたって、その間にバブル崩壊があったし、そして、いまアメリカを震源とする不況がはじまろうとしています。上部構造は下部構造が規定すると言いますが、そうした上部構造は、下部構造が変われば吹き飛んでしまうのか、それとも、その延長線上に現在があるのかは、ちょっと私には計りきれない部分があるんですね。
で、いま、「ほしいものは、何ですか。」という問いがあるとすれば、人はどう答えるのだろう、ということを考えます。ひとつの回答としては、人それぞれということもあるかもしれません。もはや、大衆という大きなくくりがなくなって、ひとりひとりが違う、というような。それとも、小衆みたいな小さなグループが多数存在するようなイメージ。今のネットの状況は、そんな感じかもしれません。
私がほしいもの。明快に答えられない私がいます。少し前は、もっと単純に答えられたような気がします。個人的なことで言えば、病気にかかっている母親や知人がよくなってほしい、とか、もう少し自分自身が生活を楽しむ余裕がほしいとか、自分が手がけている仕事がうまくいってほしいとか、iPodがほしい(買ったのでほしかったですね)とかいろいろありますが、もっと根源的な欲望みたいなものは、うまく言葉に表現できないような感じがします。
お金がほしいのか。成功がほしいのか。いらないとも言えませんし、ほしいことはほしいけれど、それもなんか、それがほしいものだ、というほどピンとは来ません。ネットを眺めてみると、mixiとか、はてなとか、Twitterとか、そういうウェブサービスをひとことで表すならば、「つながり」だったりすると思います。で、それぞれで話題になっていたりするのも、その「つながり」具合のあり方だったりします。では、いまは、「つながりが、ほしい。」ということになるのでしょうか。
いま糸井さんが相当本気になって投げかけているコピーは、きっと「ほぼ日刊イトイ新聞」のトップページに添えられている(参照)、「Only is not lonely. + LOVE」という言葉だと私は思うのですが、これも「つながり」を感じさせます。私がこうしてブログを書くのも、本人がいくら否定しようが、否応なく「つながり」を指向しているのでしょうし、これはひとつの答えではあるのかもしれません。
今、あなたがほしいものは、何ですか。つながりですか。それとも、別の何かですか。
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コメント
>今、あなたがほしいものは、何ですか。つながりですか。それとも、別の何かですか。
はあい。(^^)私が欲しいものちうか、これからの時代にないと困るからきっと出てくるだろうと思うものは、それは、社会がちょっとだけ住みやすくなる「つながり」ですね。市民社会とか気取ったもんじゃなくて。市民みたいのから、気取りが取れる日が来るといいなと思います。案外、私やぼーるどさんの世代が、親の介護に奔走するあたりから、それは生まれるのかもしれないです。
投稿: ggg123 | 2008年11月17日 (月) 17:10
状況としては、いやおうなくそうなってくるでしょうね。なんとなく、それは実感として。介護とか経済的なこととか、そうしたことが「つながり」をつくる気がします。
いちど家族のつながりみたいなものがなくなりかけて、いま、もう一度ゆるくつながるみたいな感じになってるんじゃないかな、とテレビを見たりするときに思ったりします。
必要から生まれるつながりは、なんか実があっていい感じがしますね。それは、私が都会生まれで都会育ちの町っ子だからなのかも。
投稿: mb101bold | 2008年11月17日 (月) 17:46
こんばんは
僕はブログに旅先で撮った写真をよくならべていて
(主にmixi経由で)友達に見てもらいたいものを選んでいるのですが、
ふと考えてみるとそれは自分の体験を掘り返しているような感じでもあるなあーと思いました。
仕事でカリカリしてるとつい薄れていく生きた心地を取り戻すというか、
自分自身の「つながり」を思い出すというか…
うーん、
ほしいものは、何だろう。
リラックス かなあ
投稿: noby | 2008年11月18日 (火) 01:08
nobyさん、こんばんは。
ブログ、拝見しました。いい写真ですね。
その話、なんとなくわかります。ああなるほどなあ、と思いました。なんか、このへんの気持ち、うまく言葉では表現できませんが。
私はいまロケ先の幕張のホテルで書いていますが、なんとなくそういう「つながり」は大事だなと思います。生きた心地。そうですよね。
投稿: mb101bold | 2008年11月18日 (火) 01:26
はじめまして!
ちょくちょくブログ読ませて頂いております!
「ほしいものは、なんですか?」を読んで
ふと思ったことを投稿してみます。
そんなに欲しいものがなくなってしまった
僕ら消費者を相手にすることは
消費者と繋がっていたい企業にとって
実にキツイ時代であります
もしかしたら、企業はこれから
消費者とモノで繋がる以上に
人との繋がりを提供出来るサービス
お客様相談センターをもの凄くバージョンアップしたような
繋がりサービス(友達感覚)のようなものを作らないと
広告だけじゃ消費者を繋ぎ止められないような感じもします。
投稿: umesugi | 2008年11月18日 (火) 23:48
はじめまして。
各社がケータイに力を入れ始めているのも、そういうところがあるんでしょうね。ロッテリアとかモスとか。
どんどんコミュニケーションがパーソナルになっているような気もしますし、このあたりは真剣に考えないといけないかな、と思っております。
投稿: mb101bold | 2008年11月19日 (水) 00:13