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2008年11月29日 (土)

♪仕事は自己実現のためにあるんやないんやで〜

 お金を稼ぐためにあるんやで〜♪

 元ネタ、わかります?これです。ま、そんな「昭和の名曲」はさておき、自己実現についてぼんやり考えていることを、ぼちぼちと。やっぱり同じ仕事をするなら、自分が楽しくやれる方がいいし、その仕事が自己実現っぽい感覚でやれるにこしたことはないとは思うけど、仕事イコール自己実現ではないというのは、たぶん自明のことなんだろうと思います。

 広告制作の仕事をしていると、そんな自己実現の欲求と仕事として求められるものの間で悶々とすることが多いです。制作スタッフを抱えるCD稼業はとくに。こんなふわふわした職種(実際はそうでもないですけどね)に入ってくるくらいだから、それなりに仕事であるべき自分をみつける、みたいな夢を持って入って来ているんだろうし、広告制作というのは、人が持っている自己実現のための欲求をビジネスに転用することで成り立っている商売だろうとも思うので、こんな身も蓋もないことを言うのはなんだかなあ、とは思うんですけどね。

 それぞれのあるべき自分への欲求を甘めに見て、それで仕事を成り立たせていくと、そもそもの仕事としての質が犠牲になることも多く、私は、それぞれの自己実現欲求みたいなものをあえて切り捨てるという行動をとってしまいがちなので、いろいろ気苦労もあったりするんですね。

 たとえば、私は「これも提案したいんですよ。お願いします。」みたいなことを若いスタッフに言われても、仕事の課題に関係なければ持って行かないし、それぞれのスタッフの力量を見て、その力量以上の役割をそのスタッフに与えたりはしません。いわゆる、立場相応に下駄を履かせることもしません。要は責任の取れる範囲でしか権限は与えない、というようなやり方です。だから、こういう広告制作でありがちな「ねえ、君はどんな広告がつくりたい?」みたいなことは聞かないし、仕事の課題以外の目的を仕事に持ち込むことはしません。

 仕事はお金を稼ぐためにある、と定義しましたが、それは何もお金を稼ぐために何でもやるという意味ではなく、お金をいただくに値する価値を創造するにはどうしていけばいいのかを考えることが、本来は、自己実現みたいなものにつながっていけばしあわせであるというだけで、その主客逆転はない、というだけなんですね。

 現状、お金をいただくに値する価値を提供できないにもかかわらず、その立場から上方のベクトルに見える将来あるべき自分みたいなものを優先させてしまうことから、すべての間違いがはじまるような気がします。現状、お金をいただく価値を提供できていて、もっと大きな価値を提供できないだろうか、みたいな発想でがんばる人は、どんどん新しい権限を獲得していって、やればやるほどうまくいって、結果として仕事が自己実現につながっていくような気がしますが、この主客が逆になってしまうと、やればやるほど、少なくとも仕事においては、どんどん狡く小賢しくなっていくような気がするんですね。

 これは、日常生活でのその人の性格には関係がなくて、仕事場という状況がその人をそのようにさせていくのだろうし、こういう狡く小賢しくなっていく過程は、どんどんキャリアを向上させていく過程と同じように倍々ゲームなので、本人もつらいだろうな、と思います。でも、つらくても同情できないし、その自己実現欲求を仕事の場において優先させることもできません。

 これからはいろいろな事が厳しくなるだろうし、広告の市場は、これから確実に縮小しますから、それを見逃す余裕もなくなるでしょう。そういう状況の中では、その過程が破綻することが多くなってくると思います。そんな光景を、いままでのキャリアの中で何度も見て来きて、それは少し後味が悪いことではあるけれど、その光景はブーメランのように自分に跳ね返ってくることでもあるので、感傷ばかりしていられない現実もあるんですよね。よく言われる仕事の厳しさ、プロの厳しさというのは、こういう残酷さなのかもな、と思います。

 それに私は、その過程を破綻させてしまうより、自己実現の欲求を優先させてしまう人たちから、陰で「あのCD、むかつくよなあ。」とか言われるほうがいくぶんもましだと思っています。仕事にとっても。その人にとっても。みんなで仲良くというのは美しいし理想ではあるけれど、みんなで仲良くするために仕事があるわけでもないし、それにみんないい大人なんだし。(書いてて思いましたが、私、仕事ではちょっとマッチョなのかもしれないですね。ではでは。)

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愚痴ってしまいました」カテゴリの記事

コメント

こんにちは、いつもは沈黙の一読者です。
昨日の今日、たまたま上記のような話を考えさせられたりする出来事がありまして...。モヤモヤッとしていたものが、まとまった形の文章で読む事が出来て、なんだかちょっと救われた気分です^^

投稿: jell | 2008年11月29日 (土) 19:44

私は広告制作経由で現在広告営業をしているので、両現場の金銭に対する意識の差に(まさしく自分自身がそうだったのですが)目が覚める思いをしています。さらに言うと、広告代理店とクライアント間でもその差が大きいように感じます。

製造業なんかを担当していると、それこそ部品一個何銭のレベルのコスト意識なわけで、今回の金融不況でも、宣伝担当部署は「人を切るか広告をやめるか」のようなことを迫られいる。某大手製造業では週休2日を3日にするかも、なんて噂も聞く始末。

「お金をいただくに値する価値」というのは結局自分ではなく、他人にその金を払う価値を認めてもらえるか、という話で、価値を認めてもらえないであろう(課題解決に繋がらない)自己実現企画を考えるのに費やした時間に対して会社は給料を支払っていていいのか?とこれは自省を込めて思います。

表現のうまさではなく「いかに見事に課題解決をした仕事か」を評価するようなシステムこそが広告企画/制作にも必要なように思うのですが… カンヌはそんな感じになってきましたね。国内もそちらに流れるでしょうね。

投稿: slice | 2008年11月29日 (土) 21:39

>jellさん

私もモヤモヤっとしていたものを言葉にできて、すこしすっきりしています。今後ともよろしくです。

>sliceさん

うちの若いコピーライターによく言うのは「そんなコピーをお金出して買おうと思う?」です。
逆説的ですが、お金をいただいているという基軸から考えないと、表現は駄目になると思うんですね。結局、表現で見ても駄目。この言い方は誤解されがちですが。
>カンヌはそんな感じになってきましたね。
そうなんですよね。映画祭の付属であるカンヌでさえ、なんですよね。

投稿: mb101bold | 2008年11月29日 (土) 22:50

しばらく前、コピーライターになりたくて
なりたくて、数年がんばってフリーのC&CDさんのもとに。
そのときにもその前のデザイン事務所でも「どんな広告作りたい?」と聞かれたり「誰みたいなの作りたい?」とか、周りの駆け出しの方に語られたりするたびに、どうして今目の前の課題で100点とか120点を目指すことに集中しないんだろうと思ってました。その経験をたくさんつまないことには、もっともっと何かを知らなければって思ってて、そんな私がずれてるのかな馬鹿なのかなと思いつめてました。
広告ってお金払ってくれる人がいて成り立つ仕事ですよね。が抱えている「課題を今一番の方法で解決してみせよう」ってそういう意地みたいなものでギラギラしてるはずって信じてた私はちょっと失望したりしてました。なのでこの記事興味深く読ませていただきました。

今は辞めてしまったから、本当は何もいえる立場ではないし、一緒にするなと一蹴されそうですが。それを承知で、ちょっと吐露させていただきました。余計なおしゃべり失礼いたしました。

これからもまた時々拝見させてください。

投稿: コビトイルカ | 2008年12月 9日 (火) 01:06

コビトイルカさん、はじめまして。

そうですね。目の前の課題を解決するためには、たくさんの人の仕事を知ることは大事ですが、ほんとは広告の仕事って「誰か」のように作っちゃ駄目な仕事なんですよね。

お金を意識することは、きっと、自分がお金を出す側になることを想像することであって、お金出して「あの人みたいな作品、つくりました。いいでしょ。」って言われたら、嫌ですよね。だから、そのときのお気持ちは、なんだかおこがましいですけど、すごく健全だったと思いますし、それはどんな仕事でも同じだと思うんですよね。できれば、「私はあなたに頼んだんだ」と言われたいですものね。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2008年12月 9日 (火) 01:21

はじめまして。私は今、就職活動中のものです。就職活動で当たり前のように実現したいことを問われ、自分にしたいことが無いことに引け目を感じていましたが、この記事を読んで少し考え方を変えることがでしました。
そもそも社会に自分のしたいことが用意されているという考えがおこがましいことのようにも思えました。
これからはまずは自立を目標に前向きに活動に励むことにしようと思います。
勝手な解釈かとも思いますが、私自身にとってすごく為になりました。
ありがとうございました。

投稿: まなみ | 2011年6月16日 (木) 22:12

まなみさん、はじめまして。
コメントをいただいて、私自身も久しぶりにこの記事を読み直しました。自分で書いたものですが、いろんな再確認ができました。こちらこそ、ありがとうございます。
就職活動、がんばってくださいね。私もいろいろがんばります。

投稿: mb101bold | 2011年6月17日 (金) 01:02

この頃、読ませていただいているものです。
自己実現の場ではない/お金をいただる価値/主客の逆転をしてはいけない。その通りなのです。でも、その通りと言い切る間際に、ちょっと言葉を飲みこんでしまうのです。

「無私」という言い方があります。仕事はこれかなと思います。
ここで言う「無私」とは、自分のためにやること/お客様のためにやることの二つが、きっかり分かれているのではなく、近づきあって、限りなくくっついている状態。
自分のためということに「私」があるなら、お客様がお金を払う価値のあるものをつくるという意志にも、「私」がありますよね。
二つのことが、きれいにまじりあって一つになるのは、どこか「私」であって、私以外の何かになる可能性がある。そこでは「自分がどんだけ凄いコピーを書けるか証明ちゃうぜ」というような低次元の「私」なんか、完全の「無」。ここを目指していきたいなあ、と思います。
自己実現の場ではない。その通り。
お金をはらってもらう価値のものをつくる。これもその通り。
でも、これ、二者択一じゃないような気がします。
ケーキ屋さんが、おいしいケーキをつくる。
そのとき、シェフが自分の腕に挑戦するという気持ちを自己実現の行為というなら、そこには同時に、お客さんによろこんでいただくのだという側面もあるのでは。
主客の逆転ではなく、いっしょに、そこにあるもの。
長文になりました。
もしかしたら、私は、低次元のことを言っているのかもしれませんね。

投稿: 志木里美 | 2011年8月 3日 (水) 19:36

志木さん、こんにちは。
この記事を書いた時期が3年ほど前なので、そのときの気分と今は少し違うかもしれませんが、わりかし広告の実務に近いところで書いていた気がします。
この前にコメントをいただいた広告批評についての内容にも近い部分があるのですが、広告のコンテクストが以前とは違ってきたことも影響があるかもしれません。以前は、わりと自己実現に近いところでつくっても成り立ったんですね。それだけの文化的な土壌と背景がありました。
でも、今はそうじゃなくて、ある意味、リターントゥベーシックとも言えますが、自己表現的な制作者の意思と消費がリンクしなくなっちゃってるんですよね。(いや、そうじゃない、という人もいるとは思うけど。でも、それは、閉じてるからじゃないの、と私は思いますけどね)
なので、まあ、志木さんの文脈で言いなおすと、自分の個人的な表現欲にドーパミンが出る感じじゃなくて、いかに広告になるか、という広告というものをつくること、広告的な目的を果たせるかっていうことにドーパミンがビュンビュン出るようにならないといけないね、ってことですね。
ケーキ屋さんもシェフも、基本は自分がイニシアティブを持って客をひきつけるけど、広告は基本依頼があって成り立つ商売ですから。医者とか弁護士とか引っ越し屋さんとか、そんな感じ。
わりと言いたかったのは、そのあたりの広告制作の特殊性みたいなことですね。でも、志木さんの言う「無私」は、わかります。これは、仕事っていうものは、ほんとそういうことなんでしょうね。

投稿: mb101bold | 2011年8月 3日 (水) 21:18

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