仁鶴さん
会社を深夜12時に出て、山手線に乗ると渋谷で東急の遅れを待って、新宿についたのが1時ちょっと前。プラットホームには人だかりができていて、しかも中央線が人身事故で遅れているとのこと。なんとなく気分が滅入っていたので、新宿で降りて、そのままタクシーで中野まで。
テレビを付けると、NHKのPerfumeライブ。最後の方だけしか観られませんでした。で、フジテレビ。「さんまのまんま」のゲストが仁鶴さん。笑福亭仁鶴さん。どんなんかな〜。うれしかるかる。
仁鶴さん。関西ではかつて超がつく人気者でした。私が子供の頃は、少し下火になっていたけど、私の親の世代だと、それこそ一世風靡。さんまさんが「なんば花月であんなに笑いをとった芸人は見たことがないという」のは誇張でもなんでもなく、仁鶴さん曰く、全盛期は秒単位で、劇場、テレビ局、ラジオ局をはしごしていたそう。
いまでも、仁鶴さんの番組は、NHK大阪の「生活笑百科」がありますが、当時は10本以上レギュラー番組を持っていたのではないでしょうか。CMでも、子連れ狼に扮したボンカレーなど、たくさん出演されていました。私がいまだに覚えているのは、仁鶴さんがモーツァルトの格好をして「♪たったの3分、親子丼。ご飯にかけて、親子丼。仁鶴ちゃん、チャイコフ好き〜!」と歌うレトルト親子丼のCM。
忙しさの限度が超えて、仁鶴さんは落語の世界に戻っていきました。吉本興行がそれを許したのは、きっと仁鶴さんがその時期の吉本を支えていたから。松竹が多かった笑福亭に、仁鶴さんは吉本所属で、しかも、まだ三枝さんやさんまさんが世に出ていなかった頃の吉本をテレビやラジオの世界に強くしていったのは、他ならぬ仁鶴さんだったのだと思います。
さんまのまんまで、仁鶴さんがご自身のDVD・CDボックス(参照)を持って「これ、放送局の素材ではなく吉本がちゃんとした機材を使って作ってくれましたんや」と嬉しそうにおっしゃっていました。かつては、大阪の深夜ラジオで「エロ仁鶴」として若者の人気を博し、テレビでは「視聴率を5%上げる男」と呼ばれた仁鶴さん。でも、私がもの心ついた頃には、すでに仁鶴さんは、醒めた感じの話芸に変わっていました。あの醒めた感じは、テレビ、ラジオでの人気者時代の経験があるのでしょうね。
一度、上方落語は駄目になりかけて、吉本も松竹も落語なんて時代遅れな話芸は、今は流行らないし、やがては静かに衰退していくものだという認識を持っていた時期があったと思います。東京はわりと古典芸能に関しては、それを守っていこうとする気概みたいなものがあるように感じますが、上方は、バイタリティがある反面、今の時代に適応しないものは切り捨てて前に進もうという傾向が強い気がします。
私は、そんな時代の流れを観客として眺めてきただけですが、その渦中を生きてきた仁鶴さんは、どんな思いだったのでしょうか。いつかそれを聞いてみたいとは思うけれど、醒めた感じできっと流されるんでしょうね。
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コメント
最近若手漫才コンビのモンスターエンジンの右側の人がよく師匠のモノマネをするのを見ます。
それも全盛期のマネなので凄いなぁと思います。
投稿: うずまき | 2009年1月17日 (土) 20:58
ミスチルをギターで弾き語る仁鶴さんですよね。お客さんが受けているのもこれまた凄いです。
投稿: mb101bold | 2009年1月17日 (土) 22:54