« 振り付け考(あるいは南流石論) | トップページ | 新聞の元旦企業広告に見る2009年の気分 »

2009年1月 2日 (金)

もの足りないけど、こと足りる。

 テレビ番組のインタビューで、いきものがかりの男性のどちらかの人がふともらした言葉なんですけど、なんとなく気になる言葉だったのでメモ。とある郊外のショッピングセンターで「よくここに来ていたんですよ。ここ以外、行くとこないですしね。ものたりないけど、こと足りる、って場所なんですけどね(笑)」みたいな感じだったと思います。

 いま帰省中なんですが、その場所は大阪市の東のはずれで、子供の頃は市場や商店がぽつぽつとある下町でした。それは「もの足りないし、こと足りない。」という感じでした。それでも日々の生活では、市場や商店で「こと足らして」いたし、日々の生活では「もの足りない」という感情は案外生まれにくいので、それなりにのんびり暮らしてました。

 また、「もの足らない」ことや、市場や商店では「こと足りない」ものは、繁華街にあるデパートで手に入れたりしていました。それは休日のちょっとしたお出かけだったし、そういう意味では、「もの」や「こと」はきちんと棲み分けができていました。

 それから少し経って、近くの工場が移転して、その跡地に大規模なマンションがたくさんできて、近くに大型ショッピングセンターができました。いわゆる大規模小売店鋪ですね。コンセプトとしては「もの足りて、こと足りる。」を目指していたようで、その中には、スーパーマーケット、和洋中の飲食店、イートイン、ブティック、本屋、靴屋、宝飾店、くすり屋さん、電器店などが揃っていました。ちょっとした総合デパートです。

 これがまあ、いきものがかりの人がおっしゃっていた「もの足りなくて、こと足りる。」ということなんでしょうね。

 そのショッピングセンターをここ10年ほど見てきましたが、飲食、ブティックがすぐに閉店し頻繁に入れ替わったりしていて、傍目から見ると、どうもうまくいっていないようです。電器店は撤退してしまいました。くすり屋さんは、近くに2つほど競合店が出来て、価格競争を繰り広げているようです。繁盛しているのはスーパーマーケットとイートイン。また、スーパーマーケットで酒類を扱いだしたので、周囲の個人経営の酒店は軒並みなくなってしまいました。

 これは、「まあ、こんなところでおしゃれな服は買うわけないやん。キタとかミナミ、行くでしょ。30分で行けるんやし。」と言えてしまう大阪市内という立地も考慮に入れないといけないでしょうが、そのショッピングセンターの動向を見ていると、どうも「もの足りなくて、こと足りる。」というコンセプトは(企画書上では「もの足りて、こと足りる。」になっていると思いますが)、駄目なようですね。

 同じようなことがずいぶん前から繁華街のデパートにも起こっていて、今までの企画書上の「もの足りて、こと足りる。(=もの足りなくて、こと足りる。)」ではやっていけないようですね。年末に京都に立ち寄ったのですが、すでに河原町阪急には食品はありませんでした。東京でも大阪でも、繁華街のデパートは高級ブランドショップ化しています。また、去年は、道頓堀名物「くいだおれ」の閉店もありました。いつしか、「もの足りて、こと足りる。」だった店が、時代の流れの中で「もの足りなくて、こと足りる。」になってしまって、店主はその時代に自覚的だったようですね。あのおばちゃんの引き際は見事でした。

 そういうふうに考えていくと、「もの足りて、こと足りない。」か「もの足りなくて、こと足りない。」の二つしか道がなくなっていくのでしょう。前者の代表が有名ブランド店で、後者は、一見「こと足りる」ように見えるけど、いろいろ商品展開に限界があって、消費する満足感は与えてくれないコンビニ。それは、ある意味で、ユニクロや無印商品も同じでしょうね。決して高付加価値な高級品は揃えないわけだし、生活衣料、雑貨に限っているわけだし。

 そして、その「もの足りて、こと足りない。」と「もの足りなくて、こと足りない。」ものが補いあって、ようやくなんとか「こと足りる」みたいな感じ。まあ、ややこしい思考でしたが、要するにひとつで「こと足りる」なんて机上の理想だから目指してはいけないということなんでしょうね。マルチパーパスは失敗する、というマーケティングの定石と似ているかも。

 これは、よくよく考えると、姿や経営母体は違いますが、構造的にはかなり前の日本の風景と同じだったりして、長い時間をかけて、またそこに戻っていくのかとも思うけれども、それはそれでつまらない考え方ではあるよなあとも思ったりして、なんとなく複雑。

 でもまあ、なんとなくそれは健全な姿のような気もしていて、私はどちらかと言えば、企画書上の「もの足りて、こと足りる。」という空虚なコンセプトの結果である「もの足りなくて、こと足りる。」によって破壊されてきた、「もの足りなくて、こと足らない。」という普通の日常の姿が、ほんの少しずつでも生き返ってくればいいのになあ、と思います。それは、この不況の中の数少ない希望なのかもしれません。

|

« 振り付け考(あるいは南流石論) | トップページ | 新聞の元旦企業広告に見る2009年の気分 »

都市」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/214429/43608341

この記事へのトラックバック一覧です: もの足りないけど、こと足りる。:

« 振り付け考(あるいは南流石論) | トップページ | 新聞の元旦企業広告に見る2009年の気分 »