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2009年2月18日 (水)

広告というシステムの功罪

 本日はとくに何も書くこともなく、しばらくネットでも眺めてそそくさ寝ることにしましょか、なんて思っていると、ネットが突然つながらなくなりました。2月18日深夜1時頃から30分くらい、ずっとそんな感じでした。あれ、おかしいなと思って、WILLCOM 03でもネットに接続してみたけど、同じ症状が。現在、1時45分ですが、いまは普通につながっているみたいですね。何だったんでしょうね。ブログ検索で調べてみると、そういう記事も今回はなく、「Geekなぺーじ」のあきみちさんがお書きになっていた「今朝、インターネットが壊れました」とは別の原因なのかな。

 そんなわけで、結局、書いているわけなんですが、これで終わるのもなんだし、今、ぼんやりと考えていることなど、つらつらと。

 私は広告業に携わる人間ですから、広告というシステムには愛着を持っています。今、民放のテレビやラジオなんかが無料で見られるのは、きっと広告というシステムの導入があったからなんだろうな、と思うんですね。そうじゃなきゃ、電波塔を立てて、でっかい放送局をつくって、みたいなテレビ番組やラジオ番組が無料で見られるなんていう状況は生まれなかったはず。広告というシステムがなければ、今だに税金でつくる国営放送や、日本で言えばNHKみたいな放送しかなかったはずで、そういう意味では、まあなんだかんだ言われるにしても、広告の果たしてきた役割というのは、案外大きかったはず。

 でも、無料のコンテンツを成り立たせる広告というシステムは、やがてテレビやラジオを支配するようになるんですよね。つまり、視聴率や聴取率という基準にコンテンツが縛られるようになります。今度は、広告というシステムがつくりだした視聴率至上主義というシステムが、テレビを滅ぼしていくんです。ラジオの場合は、スペシャルウィークでがんばるみたいな甘さがありますが、それでも広告に依存するということは、つねに広告がつくかどうかということがコンテンツの基準になったりして、斜陽メディアであるラジオなんかは、今、深夜はアニメの声優さんが出演する番組ばかりですよね。特に地方は。それで、年輩のリスナーが、深夜はNHKのラジオ深夜便に逃げるという状況が、ここんところずっと続いています。

 ネットで言えば、広告収入を生み出すものはPVになるんでしょうが、PVを生み出すためには、もちろんサービスの魅力を高めていくというテレビやラジオと同じ道が当然あるのでしょうが、その先は、かなりの挟持を持っていない限り、いろんな敷居をどんどん低くしていくという道につながっていて、mixiなんかでは「魂」であった招待制を登録制にしたり、年齢を下げてみたり、一方、最近好調な他のSNSは、要するに無料ゲームがコンテンツだったりしていますし、そうなると、今度は、普通の人には敷居の高いサービスになるという、テレビやラジオと同じような逆転が起きます。

 テレビにおける視聴率はPVに置き換えて考えると、非常にわかりやすくなるな、なんて思います。ネットは新しい分野だと言われますが、その新しさのベールを取り去ると、案外、既存メディアと同じジレンマに陥っているような感じがします。

 村上春樹の受賞スピーチではないですが、人が便利になるために、人がシステムをつくり、そのシステムが人をがんじがらめにしてしまう、というね。なんというか、それは戦争とかの話ではなく、たかが広告とメディアの話ではありますが、構造は同じような気がしていて、人がシステムに食われてしまわないためには、システムの上位に、かならず人を君臨させることなんでしょうね。間違っても、テレビやネットコンテンツは広告のためにあるんだ、なんて開き直ることはしないことなんだろうね。難しいことだけど。

 私は、ブログ名からしても広告人なんですが、私がなんか偉そうなことを言ったら「黙れ、広告屋」くらい言われる立ち位置がちょうどいいような気がします。人がいちばん醜く残酷になれるのは、自分の立ち位置を絶対だと思って、それを真理や正義を持って語り始めるときだと思うし、その底抜けの明るさや、それを逆転させた魅惑的な暗さみたいなものは、直感的に信用しないというか嫌悪するような感覚が私にはあって、その感覚を失って、明るく、あるいは、暗く、広告の未来を語り始めるとき、今の私にとって、その時の私は最悪の広告人なんだろうな、と未来の私に今言っておこうかな、なんて思います。

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コメント

>私がなんか偉そうなことを言ったら「黙れ、広告屋」くらい言われる立ち位置がちょうどいいような気がします。


この文章を読んで感じたのですが、最近の広告人の方々にとって『俺たちのつくる広告が時代を作るんだ!』の様な考え方は中心じゃなくなっているんでしょうか?

以前は主流だったマスメディア主体のブーム作りというのが、最近は効かなくなってきていると思います。


そこを無理してやってると
「○○必死www」
みたいになって結局ロスになる。


だから、むしろ『時代が広告をつくっている』みたいな思考が求めらているのかなと感じました。


今は、企業が動く前からネットを通じてイノベーティブな生活者たちがなにかしらの流れをつくっていて、それを拾いあげることが広告会社や広告主の役目なのかな、と考えています。


いつもブログ拝見しております。広告業界を目標にしているものとして、現場からのリアルタイムの声を吸収できる媒体として御ブログは大変重宝させていただいております。いつも見るだけでしたが、月並みで浅薄な考えを思い切って書き込んでみた次第です。

投稿: beardbear | 2009年2月19日 (木) 03:41

beardbearさん、はじめまして。
たかが広告屋的な気持ちは、私の場合は昔から変わらないような気がします。こんな時代でも、やはり広告はどうしようもなく時代をつくってしまう部分もあるし、だからこそみたいな感じです。
まあ、今の時代は消費者主権と叫ばれていますが、それは逆の見方で言えば、情報操作ひとつで大衆がウルトラ化してしまうとも言えるわけで、私としては、両翼に振られることなく、コアの部分を見つめながらやっていきたいなと思っています。それでも、人間なんて、そうそう変わるものではないというのも、ひとつの真実ですし。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2009年2月19日 (木) 23:47

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