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2009年2月15日 (日)

「およげ!たいやきくん」の世界

Oyogetaiyakikun_2  この「およげ!たいやきくん」は、日本で最も売れたシングルレコード・CDとのことで、ギネスには455万枚と記録されていて、オリコンに記録されていないものも含めると推定500万枚以上とのこと。発売が1975年12月で、翌76年に大ヒット。このレコードは、確か私がはじめて買ったシングル盤でした。私が9歳のとき。

およげ!たいやきくん - YouTube

 この曲は、後半の歌詞が秀逸というかシュールというか、YouTubeのコメントでも「トラウマの曲だ!笑」とあって、当時の子供たちは、この「死のイメージ」に敏感に反応したのではないかな、と思います。あらためて聴くと、いろんな矛盾がさらっといなされている感じがして、不思議な感覚があります。

毎日毎日 僕らは鉄板の 上で焼かれて 嫌になっちゃうよ
ある朝 僕は 店のおじさんと けんかして 海に逃げこんだのさ

初めて泳いだ海の底 とっても気持ちのいいもんだ
お腹のあんこが重いけど 海は広いぜ心がはずむ 

桃いろさんごが手を振って 僕の泳ぎを眺めていたよ 

毎日毎日 楽しいことばかり 難破船が 僕のすみかさ
ときどき鮫に いじめられるけど そんなときゃ そうさ 逃げるのさ

一日泳げばはらぺこさ 目玉もくるくる回っちゃう
たまにはえびでも食わなけりゃ 塩水ばかりじゃふやけてしまう

岩場のかげから食いつけば それは小さなつりばりだった

どんなにどんなに もがいても 針が喉からとれないよ
浜べで見知らぬおじさんが 僕を釣り上げびっくりしてた 

やっぱり僕はたいやきさ 少し焦げあるたいやきさ
おじさん つばをのみ込んで 僕をうまそに食べたのさ

高田ひろお 作詞 佐瀬寿一 作曲

 この曲の出だしは有名だから口ずさめる人も多いでしょう。「毎日毎日 僕らは鉄板の 上で焼かれて 嫌になちゃうよ」です。ここからすでに不思議な世界。この「たいやきくん」は、まず「僕ら」から始まります。つまり、出だしは、1匹の「たいやきくん」ではなく、毎日鉄板で焼かれて、売られて、食べられる、幾千ものたいやきです。で、「僕ら」の一人である「たいやきくん」は「店のおじさんと喧嘩」して、「僕」になります。

 これは、考えてみると矛盾のある世界で、おじさんに鉄板で焼かれる、つまり「僕」が誕生する前から「僕」は「僕ら」の日常を知っていることになります。しかも、まだ生まれていない「僕」は、すでに「僕ら」の日常が「いやになっちゃう」日常であることを知っているんですよね。この曲がぼんやりと「死のイメージ」を想起させるにもかかわらす、妙にその「死」が生々しくなく、子供たちが惹き付けられる理由は、じつはこの冒頭部分にあるのかもしれません。

 そして、おじさんと喧嘩して「僕」になった「たいやきくん」の海での日常は、子供の目線ではとても不思議な世界です。小麦粉と餡でできたたいやきが、自由に泳げることとふやけてしまわないこと。大人の目で見ると、まあファンタジーだからね、と簡単に理由付けしてしまえるのですが、子供はじつはこういう矛盾で引っかかってしまうと先へは進めないだろうと思います。

 で、この曲が秀逸なところは、自由に泳げることに対しては「お腹のあんこが重いけど」という「僕」側の実感が示され、ふやけてしまわないことに対しては「たまにはえびでも食わなけりゃ 塩水ばかりじゃふやけてしまう」とふやけないための対策が示されます。

 物語としては、「浦島太郎」などの類型です。だから最後は、ファンタジーの世界から現実に引き戻されるオチがあり、それがこの曲の「死のイメージ」の源泉であるエンディングとなります。

どんなにどんなに もがいても 針が喉からとれないよ
浜べで見知らぬおじさんが 僕を釣り上げびっくりしてた 

やっぱり僕はたいやきさ 少し焦げあるたいやきさ
おじさん つばをのみ込んで 僕をうまそに食べたのさ

 これまでの海の中でのファンタジーの世界から、いきなり強烈な現実世界に引き戻され、これがYouTubeのコメントにあった「トラウマ」の部分でしょうが、この部分も、前半のエビを食べているという伏線がうまく機能しているんですよね。おじさんは、うまそに食べるわけですから。ほんと、この歌、よくできていますよね。

 この「たいやきくん」、食われてしまう「僕」を「僕ら」が見ている構造になっています。つまり、この曲は「僕ら」という集合的な主体が、おじさんに反抗して、個を持つ「僕」になって、その夢が破れて、また「僕ら」に戻っていくという物語でもあるのです。「僕ら」が「僕」になることの挫折が「死」として表現されている、とも解釈できます。これは、もしかすると1976年という時代背景があったのかもしれません。

 同年のヒット曲に、東京で変わっていく恋人を歌った「木綿のハンカチーフ」、東京の乾いた日常を描く「東京砂漠」、東京に出る君の変化を歌った「なごり雪」があり、この時期を境にして、高石ともや、岡林信康らのプロテスタントソングの旗手たちが沈黙していきます。そして、時代は、ニューミュージック、そして、J-POPへ。「僕ら」というテーマは次第に力を失い、「僕ら」という集合的な主体を捨象して「僕」が表現されるようになっていきます。それは、「僕」の勝利だったのか、それとも敗北だったのか、そのあたりのことが、今という時代を生きる私としては、すごく気になるところです。

※1976年のヒット曲「山口さんちのツトム君」を親の転勤をモチーフにしたと書きましたが、記憶違いでした。ツトム君のお母さんが田舎に帰省してさみしいという歌でした。私はこの歌を親の転勤で離ればなれになるという歌と記憶してて、なぜそうなったのか、そっちが気になります。あと、岡林信康さんについては、finalventさんの「岡林信康の - finalventの日記」が参考になります。なるほど、高度成長とプロテスタントソングは時期的に重なるんですね。

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コメント

騎手ではなく旗手ではないかと

投稿: norfork | 2009年2月16日 (月) 00:39

norforkさん、ご指摘ありがとうございました。修正しました。

投稿: mb101bold | 2009年2月16日 (月) 00:44

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