「個人メディア」考
いちおう、私個人としては、現状でも「個人メディア」たるブログを使うに足る動機は十分にあって、現にここに広告論みたいなことをいっぱい書いているわけだし、率直に言えば専門分野について書くという時点で、ある程度読んでいただける人は想定できるわけで、しかも、ブログを始めるまでは、仕事でしかウェブやPCに親しんでこなかった、つまり、フォーラムも使ったことがない、そんな私に書く資格があるのかどうかという問題はあるけれど。
このブログのサブタイトル、単にコンコルドが引退しちゃった、ってだけじゃないんです。
そういう、『場で、みんなで』というのも過去のものになっちゃったね、という嘆息をね、掛けてあるんです。
ブログ、それこそ「個人メディア」が脚光を浴びた時ですからね、ココログの始まりは。
このエントリをトラックバックしていただいて、そのエントリを読みながら、ウェブ上にあるニフティフォーラム関連の記事をつらつらと眺めてみました。意外と少ないんですよね。WWWではなくて、閉じられたパソコン通信時代のものだからなのかもしれません。それと、フォーラムのデータは、もう@niftyのサーバには残されていなくて(参照)、閲覧もできない状態なんですね。
私は、パソコン通信はやったことがなくて、フォーラムも実際には見たことがありません。今で言うと、仕組み的にはmixiに近いものがあるような気がしますが、でも、mixiにも自分のページがあって、ブログと同じように、自分の記事が基点になっています。
フォーラムユーザーの有志によってつくられたfolomyは、OpenPNE というmixiクローンの技術によって構築されていますが、自分の日記はつけられないようになっているそうで、mixiのように「個」と「個」が友達としてつながって、仲間になるような関係ではなく、folomyの言葉を借りると「多対多」のコミュニティ群を目指しているということです。こういう、mixiのようなSNSではなく、2ちゃんねるのような匿名「掲示板」でもない、ある程度の個性というか固有性が明確になった個がそこに集まってみんなで同じ題材について論議(会話)する「会議室」的なコミュニティが、CONCORDEのTristarさんのおっしゃる『場でみんなで』というコミュニティのあり方なんでしょう。
確かに、それは掲示板のようにも、SNSのようにも見えるけど、前者には匿名性というか個が見えなさ過ぎるような気がするし、SNSは結局、ブログなんかよりもきつい「個」の個性が試されるような気がします。SNSの「個」の個性というのは、私の感覚ではブログよりきつい感じがしていて、ブログの場合は「言葉」というフィルターを通した「個」の個性(つまりは、私なんかがわりとなじみやすい場ではあります)ですが、SNSはもっと生な「個」が勝負になってくるような気がして、Tristarさんの表現する悲哀が私に理解できるとすれば、きっとSNS的な部分で、なんだろうな、と思いました。
もっとオープンにウェブでつながっていこうとする取り組みとして「はてな」があるのでしょうが、どちらにしても、「はてなダイアリー」はブログを書く個人同士のidでのつながりで、その意味ではアメブロとかにも毛色はまったく違うけど近いような気がするし、「はてなブックマーク」のコミュニティ的な部分は、そのネタ元を「個人メディア」であるところのブログとしてつながるという感じなので、ウェブという空間の中での「会議室」というコミュニティ感とは違うのでしょうね。
今の時代は、個人か匿名か、みたいな両極しかないような息苦しさというのは確かにあって、かつてのフォーラムのような『場でみんなで』という感じが失われつつあるのかもしれません。それは、なんだかお茶の間の消滅と、それを起点とするテレビの影響力の低下みたいなものと同期しているような気もします。
マスメディアというのは、みんなが見ているというのが存立の根拠であって、それを担保として、広告というシステムは組まれていて、それが成り立たなくなってくると、広告は細分化されて、よりパーソナルな小さなメディアに分散されていくしかなく、まあそれでも広告なんてどうなってもいいじゃね、みたいなことかもしれませんが、広告ではなく文化みたいなものを考えた場合、ひとつの話題を共有するよろこびみたいなもので言えば、それだけではあまりにさみしい気がしますし、人間はそれだけではやっていけないのだろうなと思います。
お正月にも書いたけれど、個人と匿名という間に、じつは「大衆」というか、吉本隆明さんが言うところの「大衆の原像」というものがあるはずで、このところ「大衆」というものをつらつらと考えていて、まあ、あの人は詩人であるから、「言葉の根幹は沈黙である」みたいなことと同じように、「沈黙」が活き活きとした「言葉」を生むし、「場」によってこそ「個人」は生かされるというところはあるんでしょうね。
個人で伍してゆくことになりますからね。孤独にもなろうってもんです。
何度も書いているように、まず淘汰されるわけで。
まあ、このへんのことで言えば、私はそもそもが専門分野から始まっているわけで、冒頭にも書いたように、そのことに答える資格があるのかどうかはわからないんですが、ブログは「メディア」だから、メディアが大きくなるには、頻繁な更新と、持続、継続だったりするので、読まれようと思えば、ある閾値までは簡単にいくのだろうなとは思うんですよね。私の場合は、そもそもが、ああこれ、いわゆる「雑誌」と同じだな、というのが始まりだし。
でも、商業雑誌と同じような「メディア」の成長の法則を使ってまで読まれることに意味を見出せるかどうか、というのは「個人」としての充実みたいなものとは別の話なんだろうと思います。また、タイトルをなぞれば、いつまでもソロプレイをしていておもろいか、という問題もあって、音楽で言えば、やっぱりアンサンブルあっての音楽だとも思いますしね。
そういう意味では、今は「個人」が参加できるウェブの場があまりにも「個人メディア」たるブログに偏重しているというのはありますね。でも、掲示板では「個人」は見えにくいし。はてなで言えば、「はてなハイク」みたいなシステムは、わりとフォーラム的な場ではあるとは思うんですが、でもあれは話題が恣意的で分散的な部分が少し違うのかも。コンセプトはTwitter的だし。敷居を下げるという部分に注力しているような。ウェブはどうしてもPVですしね。
folomyが盛んなのかどうかはわかりませんが、きっと時代的にはメインストリームではないんでしょうね。@nifty的には押しは、ココログとアバウトミーみたいですね。やっぱり、時代は俺俺ですね。なんか結論が出そうになさそうなので、このへんで。でもまあ、私は、この分野は関心領域ではないけれど、こうして小さなきっかけで、個人と個人で、しかも、Tristarさんのエントリにおんぶにだっこではありますが、なんとかコミュニケーションが成り立っているというのは、「個人メディア」たるブログの素敵なところではあるかなとも思います。まあ、私も気張らず続けていこうかなと思っています。
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コメント
こんにちは。いま僕はメディアについて、つらつらぐだぐだと考えている最中で、
いつもこのブログから、たくさん刺激をもらっています。
こういう緩やかな思考のつながりを感じさせてくれるのもネットの魅力ですね。
今回はfolomyや吉本隆明さんの「大衆の原像」という言葉が収穫でした。
今度、僕のブログでも記事を引用させてもらいますね。
では、また。
投稿: KIKU | 2009年2月11日 (水) 11:52
>こういう緩やかな思考のつながりを感じさせてくれるのもネットの魅力ですね。
そうですね。緩やかな、というところがすごくいいですね。同じような主題で思考を巡らせているひとが、緩やかにつながるのは、ネットがなければなかなか難しいことでしょうね。
投稿: mb101bold | 2009年2月11日 (水) 14:45
他人事としてもいろいろありましたし、自分がバトルの当事者になったこともありますので(それ関連のニュースは未だスルーできなかったり)、フォーラムを全肯定するわけでもないのですが...
>時代は俺俺
そうそう、これがね、心情的にも結果的にも「ついていかれへんねん」という。
在りし日の栄華にいつまでも縋りついていたり、『護送船団・結果平等』をいまだ是としていたりというのは、まぁいちばん「Web向きではない」価値観ではあるかもしれません。
のみならずリアルでもどんどん生き辛くなるばかりにて...すみません話がそれました。
あ、えーと、関心領域ではないところにたびたびお付き合い頂きありがとうございます。
これに懲りませず今後とも何卒……ってクレーム対応ではないですが(苦笑)、やはり生業がらみ(のブログ)の方には恐縮しきりでございまして、はい。
投稿: Tristar | 2009年2月11日 (水) 21:47
> 心情的にも結果的にも「ついていかれへんねん」という。
その感じはなんだかありますねえ。具体的に「何が」と言ってしまうと、世の中全部を敵に回してしまう、みたいな。(小声で言うと、「セルフブランディング」とか、なんだかなあと思います。)
こちらこそ、これに懲りずに何卒。今後ともよろしくお願いします。
投稿: mb101bold | 2009年2月11日 (水) 22:27
Web2.0に対する個人的な違和感をかなり言語化していただいた気がします。
投稿: 通りすがりの地方紙営業 | 2009年2月12日 (木) 11:14
ばらばらな個をシステムで可視化というのがWeb2.0なんでしょうね。で、その可視化された個をつなげるのがウェブサービスの主なお題目で、そこでもやはり個が起点になっていて、だけど個はじつは「場」によって充足する、ということでしょうか。この分野、専門ではなかったんですが、Tristarさんのエントリを手がかりに、自分でも少し整理されたような気がしました。
投稿: mb101bold | 2009年2月12日 (木) 11:42