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2009年2月 4日 (水)

「なにわ遊覧百貨店」の末路

 そごう心斎橋店をセブン&アイ・ホールディングが売却を決めた(参照)とのこと。フランク永井さんのヒット曲「有楽町で逢いましょう」の有楽町そごうは、ずいぶん前にビッグカメラになっていて、なんか切ないですね。

 2000年にそごうが破綻して、本店である心斎橋そごうはしばらく閉店していました。2005年の心斎橋そごう再開時、宮沢りえさんを起用して「なにわ遊覧百貨店」として大々的にアピールしたけれど、大阪の人たちは、そんなそごうを支持しなかったようです。

 景気のせいでもありますが、それだけとも言えない部分があります。大阪の心斎橋地区は、わりと活況ですし、御堂筋沿いには高級ブランド店が軒を連ね、周辺のアメリカ村や南船場、堀江には個人経営のカジュアルなブティックが集まっています。心斎橋そごうのお隣の大丸心斎橋本店は、不況のあおりは受けていますが、不調は不況によるものに限定されているようです。

 私が子供の頃は、大丸は庶民的で、そごうは少し都会的で上品なイメージがありました。難波の髙島屋は伝統的なイメージで、ミナミにある百貨店はきちんと棲み分けができていたように思います。そんなブランドイメージを持っている大阪の人にとって、そごうの「なにわ遊覧百貨店」というコンセプトはピンとこなかったのかもしれません。それにこのコンセプトは少し東京目線があるようにも感じます。「なにわ遊覧」は、なにわに住み、毎日その土地で暮らす人には興味ありませんよね。このコピーが話題になっていたとき、私は大阪で広告の仕事をする先輩とそんな話をした覚えがあります。

 もちろん百貨店という業態自体が今も鮮度を持っているかどうか、という問題もあります。私は大阪のなんばCITYに始まり、東京の日本橋三越本店などを担当し、ある時期まで流通中心にキャリアを積んで来た広告屋ですから、百貨店には個人的には思い入れがあります。だから百貨店という業態をひいき目に見てしまうところはありますが、やはり、百貨店という業態を変えるつもりがないならば、百貨店の本質みたいなものは忘れてはいけないのだろうな、と思います。

 結局、百貨店というのは、その名が示す通り、百貨、つまり、いろいろなモノを売る場所であって、「遊覧」の場所ではないのだろうなと思うんですね。で、百貨店のイメージを決めるものは、モノの選択であり、その選択眼に個性が出てくるのだろうと思います。その個性で集められたモノたちが集合して、ひとつの個性的な場ができて、それを百貨店と呼ぶのだろうな、と。だからこそ、その百貨店の個性を究極的に表現するのは、じつは外商だったりするんです。百貨店という組織の中で外商、とりわけ外商のバイヤーが一目置かれているのには、きっとそういう理由があるのだと思います。

 南船場も、堀江も、東京で言えば原宿も、その場所が個性的であるのではなく、売りモノの集積が場の個性を形作りますよね。神田古書街も、秋葉原も同じ。80年代のバブル期の反省があるとすれば、そこなのだろうと思います。モノがあり、それが集まり場の個性をつくる。でも、バブル期は、それが逆転するんです。コンセプターはそれを逆転できると思ってしまった。場の個性を先に規定し、それで人を集めていける、と。そこにはモノが抜けているんです。

 私の認識でしかありませんが、バブル期はコンセプトの時代でした。「気まぐれコンセプト」という広告業界を題材にした漫画がありますが、言い得て妙だと思います。気まぐれなコンセプトがまずありき。そこからすべてが始められると誤解してしまった。でも、それって、ある意味神の領域ですよね。バブルを追い風にでもしなければ、そんなことは人間には無理だと思うんですね。

 日本の場合はという注釈はつきますが、百貨店は、もともと呉服店である「越後屋(現在の三越)」が、呉服を店頭にたくさん集めて、一見のお客さんも店に入れて、「現銀掛値無し」という正札販売という当時は画期的な商法を打ち出して(世界初だそうです)、呉服を大衆化したことからその歴史が始まっているわけで、やっぱり始まりはモノなんです。モノがたくさん集まって、場をつくり、そこに人が集まり、少しずつ時が積み重なり、歴史になって、今の百貨店が出来てきたんですよね。時代が変わっても、この順序は変わらないと思います。

 心斎橋そごうは大丸を抱えるJフロントリテイリングに売却される方向で詰めの作業をしているとのこと。大丸ブランドで統合して、大丸心斎橋店を、巨大な売り場面積を持つ百貨店にするのか、それとも、そごうはそごうとして別ブランドとして立て直していくのか。気になるところです。時期が時期だけに、難しいところですね。

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コメント

今回の「コンセプトありき」と「モノありき」のお話は、すごく分かります。
私はマーケティングに関しては、電通出身の都市開発を専門にする経営者に仕込まれました。(それ以前は音楽畑)
6年前からSP会社にいます。

いまだにどうしても「コンセプト」から入ってしまいがちなんです。都市開発時代の癖が抜けきれません。SPは正反対の世界なんですが。。。

「そごう」。大阪に住んでいるので何度か行きました。コンセプチャルなので遊びに行くには面白いのですが、商品を買ったことはありません。大阪の百貨店で利用するのは、阪神の地下だけです。しょっちゅう買い物をしていまいます。


投稿: オスギ | 2009年2月 5日 (木) 09:19

都市開発の分野も「コンセプトありき」の傾向は高いのかもしれませんね。実際、広告におけるコンセプトは建築から来ている部分もあるとは思うんですね。
私もCIプランナー時代に少しだけ都市開発にかかわりましたが、やっぱりここでもまずはフィールドワークだと思うんですよね。

>阪神の地下

私もよく利用します。フードパークのイカ焼きとか御座候とか。あそこは楽しいですね。

投稿: mb101bold | 2009年2月 5日 (木) 10:57

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