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2009年5月31日 (日)

広告を生み出す場

 土曜日の深夜にワードプロセッサに向かって、つらつらこの文章を書いています。まあ、こんな時間になんだかんだ書いたりしたものを気軽に世の中に出せるのは、個人メディアであるブログの良さであるだろうし、そんなブログの良さを思う存分活かせるのは、お気楽なひとりもんの良さでもあるんだろうな、なんてことを、少し涙目で思いながら、キーボードをポチポチやってます。

 ここ最近、なんだかんだ小さな案件をいくつもかかえていて、その中には妙に揉める案件もあり、なんだかなあ、みたいな気分もなきにしもあらず。基本的には、広告という仕事は依頼主に依存する仕事であるので、自分のペースとかスタイルみたいなものは二次的になりがち。つまり、どうしようもなく相手の仕事のやり方に従わないとしょうがない部分があるわけです。

 それって、あなたに個としての実力がないからなんじゃないですか。そんなふうに思われるかもですが、まあ、それは半分正解で、半分間違い。個としての実力がありまくりに見える人たちでも、その人の話を実際に聞いてみると、私と同じような悩みとかがあるようだし、組織力のある大手代理店に勤める人なんかでも、大きければ大きいなりに、悩みはあるみたい。

 じゃあ、もっともっと個の実力なり、組織力なりをつけて、自分のペースとかスタイルで広告をつくれたら幸せなのかというと、それはそうでもないように思います。そうなると、なんとなく、それはもはや広告じゃないような気がするんですね。

 こんな私でも、すごくいい関係が持てている仕事があります。自分で言うのもなんだけど、結果についてもわりといい感じになっていると思うし、広告制作者としても、私の得意なところが発揮できているように思うんですが(証拠を見せろと言われると、このブログの運営方針的にはちょっと限界なので、信じてください、としか言えませんが)、でも、その仕事が自分のペースでねじ伏せているわけではなく、わりと相手のペースに乗っかるかたちで気分よく仕事をしている感じです。

 とある得意先さんは、最初の企画プレゼンで、よしこれでいこう、となったら、あとはまかせると言ってくださるんですね。となると、不思議なもので、こちらは途中段階でもなんでも見せにいきたくなるんですよね。私は、プレゼンは1案が理想だと思っているのですが、1案自信のあるものを見せてくれ、と言ってくれる得意先さんには、究極の2案を持っていって、どちらで勝負するかを延々と論議するみたいなことをあえてやりたくなって、実際にそんなことをやるし、そんな論議をしている時は、これがほんとの会議なんだよなあ、なんて思ったり。

 いちばん辛いのは、広告案の評価とか関係なく、いろんな可能性を示すことを強いられるケース。これは、相手側の組織の問題もあるのだろうな、と思うんですね。この広告案はまったく違う、ならいいんですが、そうではなく、これもいいけど、ここの部分は突っ込まれる可能性があるから、こちらの部分も押さえておこう、という感じ。突っ込むであろう人は、その場にはいなくて、それは社長だったり、専務だったり、部長だったり。広告は、絵や写真、言葉、それらのレイアウトというふうに微分すると、いくつかの要素に分けられるので、その要素ごとに薄いとこまで広げて可能性をさぐっていくと、平気で100案とかつくることになります。

 こういうケースをいかにうまくこなせるかは、広告会社のクリエイティブディレクターの重要なスキルのひとつではあるので、そろそろ20年選手の私はそれなりにそつなくこなしはするけれど、でも、それはちょっと疲れる仕事でもあるんですよね。仕事は疲れるもんだろ、と言われれば、そうですね、としか言えませんが、でも、疲れる仕事より、楽しめる仕事のほうが結果もよくなるし、やっぱり楽しめる仕事のほうがいいと思うんですね。それに、そんなスキルを重ねていって、高度化していく自分はなんだかなあ。

 この手の話は、基本的には酒飲み話だとは思うんですよね。あの会社のあの担当は嫌だなあ、とか。でも、酒飲み話は居酒屋でするのがいちばん楽しいので、このブログで考えているのは、その部分じゃなくて、「広告」というプロダクトもしくはコンテンツを生み出す「場」についてのこと。

 もちろん、どんないい場でも、一人のパーソナリティによってぐちゃぐちゃになる場合もありますが、でも、それは、そういうことはあるよね、で済ませられる話。幸せな仕事と、辛い仕事の差は、表面的には、企業の担当者を信じる広告会社の制作者と、広告会社の制作者を信じる企業の担当者という「個」の問題に見えがちだけど、じつは「場」の問題なのではないか、というように思います。

 要するに、幸せな仕事と辛い仕事の差は、「個」を活かす「場」か、「個」を殺す「場」かの差のような気がします。素晴らしいパーソナリティを持った人でも、「個」を殺す「場」では、どうにもならないだろうし、基本的に、私は、「個」というものに「場」を凌駕するだけの力を期待する考え方をとらないので、もし、広告がこれからも「個」の力を活かしたいと指向するならば、まずは「場」の構想こそが語られないといけないのではないかと思います。

 それは、広告を出す側の企業だけでなく、広告を依頼される広告会社にも鋭く問われてくるものです。で、こういう問題意識から、大規模広告会社からクリエイティブエージェンシーやブティックの流れがあったけれど、なんとなく、そういうクリエイティブエージェンシー的なものも、その解答にはどうもならないのではないかな、というのが、ここ10年ほどでなんとなく見えてきたような感覚が私にはあります。言い方は語弊があるかもですが、結局、単に大規模な組織から、過剰な「個」の力によって疎外され、純化された小さな組織をつくったに過ぎなかった気が。

 そのことを、広告が「個」の力を指向せずに、ある種のシステムを指向するようになってきたからだ、という理由付けはできるかもしれませんが、それはある意味で当たってはいるけれども、それは根本部分で言えばどうも違うと思います。というか、広告のシステム指向みたいな傾向は、私にとってはあまり関心領域にないし、ぶっちゃけ言えば、どうでもいいです。

 それよりも、広告が人への対話である限り残りつづける「個」の力を指向する部分にとって、どのような「場」が最適であるのかを考えないといけないな、と思っています。ひとつの着想としては、前段の部分につながってくるのですが、相手、つまり依頼主である得意先の「個」を「場」に折り込むことなんだろうな、ということです。今までの広告とは違う、新しい広告が生み出されるとすれば、それは、これまでの「場」にあるすぐれた「個」によるのではなく、新しい「場」にある、新しい「個」によってだろうな、と。ぼんやりとした予感として、ここに記しておきます。

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コメント

びっくりするほど共感できる部分ばかりです。
受注産業というのはこういうものなんでしょうか。

>いちばん辛いのは、広告案の評価とか関係>なく、いろんな可能性を示すことを強いら>れるケース。これは、相手側の組織の問題>もあるのだろうな、と思うんですね。


これは、本当に共感です。
きっとこの人、こんなこと言ってくるけど、社内ではもっときついこと言われたりしてんだろうなぁ、って思います。


仕事には慣れました。想像以上に大変ですが、頑張ってます。

投稿: chiho | 2009年5月31日 (日) 23:03

>きっとこの人、こんなこと言ってくるけど、社内ではもっときついこと言われたりしてんだろうなぁ、って思います。

この視点は大切。それさえわかっていたら大丈夫です。お互いがんばりましょ。

投稿: mb101bold | 2009年5月31日 (日) 23:57

(・_・)エッ....?
任されているのに、なぜ2案

わたしがクライアントなら
責任の幾分かを分担してくれと言って来た
何か、はっきりせん奴だなと思う

だから、たぶん
今度は頼まないと内心で舌打ちしながら
腹立ちを隠しながら議論すると思う
それを楽しいなんて思われてると
甘えないでくれと叫びたくなる

以上は
私の勝手な想像ですが
このブログで初めて
いらっ、おやっと感じました

お疲れなのかも知れませんが
自信を持って進まれた方がいいと思います

投稿: 山伏 | 2009年6月 1日 (月) 16:54

ああ、そういう受け取り方もあるのかぁ、と思いました。そう受け取られる方には、私も、空気を読んで2案は持っていかないですけどね。
ま、実際に現場ではけっこう楽しくやれてるし、究極の2つの道とその先の未来を一緒になって考えるのは、いいもんですよ。
そういう幸せな時間は、おまえに任せた、と言ってくれる人とこそ分かち合いたいなあと思います。ちょっと逆説的ですけどね。

投稿: mb101bold | 2009年6月 1日 (月) 18:45

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