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2009年5月31日 (日)

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(1)

 大学教授でフランス文学者の鹿島茂さん(本好き御用達の本棚「カシマカスタム」の発案者でもあられます!)が書き下ろした『吉本隆明1968(平凡社新書459)』を読みました。ですます調のやわらかい口調で書かれていますが、中身はけっこう重めで、423ページと新書にしてはけっこう長めです。

 この本は、たぶん私と同じか、それより下の世代の編集者の鹿島さんへの質問がきっかけで書かれたとのことです。

「吉本隆明さんって、そんなに偉いんですか?」

 もちろん、その質問に対する鹿島さんの答えは「偉いよ、ものすごく偉い」なんですが、その吉本さんの「偉さ」を、自身の吉本体験をひもとくかたちで解き明かしていこうという見立てで書き綴られていきます。鹿島さんはこう書かれています。

吉本隆明を再読するという体験を介して、戦後のターニング・ポイントである一九六八年の「情況」に吉本隆明をもう一度置き直すことで見えてきた「四十年後の吉本隆明体験の総括」です。

 ちょっと補足しておきますと、なぜ「情況」と括弧付きなのかというと、吉本隆明さんは同人雑誌『試行』(発刊してすぐに吉本さんの単独編集になったので、ほぼ吉本さんの個人雑誌と言っていいと思います。今で言えば、きっとブログ。)で、「情況への発言」という連載を続けてこられたから。鹿島さんの世代の吉本さんを読み込んでいる人は、『試行』に掲載される「情況への発言」を食い入るように読んできたとのことです。私はその下の世代なので、リアルタイムではないですが。

 1968年という時代は、70年安保と呼ばれる1968年頃から1970年まで続いた2回目の安保闘争があった時代です。安保闘争は、日米安保条約に反対する労働者・学生・市民の反戦・平和運動で、60年安保と比較して、70年安保は、60年安保、67年の羽田闘争を経て、分裂した新左翼諸派による一時的かつ同時多発的な共闘運動という意味合いが強いようです。また、70年安保は戦後最大の学生運動と呼ばれています。70年以降は、新左翼は各セクトの武力衝突(内ゲバ)が激化し、連合赤軍事件やあさま山荘事件などが起き、やがて学生運動自体が衰退していきます。ちなみに、私が大学に入った87年には、ほとんど表立っては、学生生活の中で学生運動は意識される感じではありませんでした。

 そして、鹿島さんが引用されている吉本隆明さんの著書である『芸術的抵抗と挫折』は1959年、『擬制の終焉』は1962年で、どちらも60年安保前後に書かれたものです。『高村光太郎』は1966年。本書でも触れられていて、私がはじめて読んだ吉本さんの著作(講演集)である『自立の思想的拠点』は1970年。この本を読んでみようと思っている若い人、もしくは私と同じ世代の人は、そのあたりの時代背景を頭に入れてから読み進めていかれるといいかもしれません。

 転向論(知識人の戦後の転向についての考察)に一定の成果を上げた吉本さんは、1969年の時点では、1965年に『言語にとって美とは何か』と1968年に『共同幻想論』を出版されていて(『心的現象論序説』は1971年)、すでに当時の学生さんにとって知的ヒーローとして見られていたのはあるかもしれません。ご本人は、「知的ヒーローなんて、よせやぃ。」とおっしゃるかもしれませんが、まあ当時の学生時代を語る人は、読んでいない『共同幻想論』を小脇にかかえて歩くのがかっこ良かったと言いますし。僕らの世代だと、浅田彰さんの『逃走論』とか『構造と力』みたいな感じですね。

 でも、この本は、そういうたぐいの「吉本は僕らのヒーローだった」みたいな吉本ファン本とは一線も二線も画する部分があって、吉本さんの考え方についてのけっこう切実な思いが語られています。遅れて来た吉本隆明さんの読者である私でさえ、ことあるごとに、こういうことを吉本さんならどう考えるのだろうか、と思うし、ましてや1968年に青春を過ごした鹿島さん世代の方ならなおさらだろうと思うんですね。

 その切実さをもってしても、何を吉本隆明という個人に依存しているんだよ、という揶揄も成り立ちそうですが、どうしようもなく僕らの思考の核として吉本隆明さんが存在してしまうのは、戦後の知識人としては吉本隆明さんだけが持ち得た「独特の問題意識」によるところが大きいのではないか、と思います。

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(2)に続きます

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