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2009年5月17日 (日)

こういうことだと思うんですけどね

 いい感じのネット広告を「47NEWS」という共同通信や地方新聞各社が運営するニュースサイトで見つけました。小さなテキストバナーです。下の写真の赤枠に囲まれた部分がそれです。

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 何気なく見ていたときに、ちょっと気になって思わずクリックしてしまいました。で、このテキスト広告をクリックすると、下写真のサイトに行きます。

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 谷村美月さんという女優さんのサイト「谷村美月 ここです。」です。中身は、あっさりしているけれど中身はきちんとある、わりと誠実なつくりのサイトでした。私は、谷村さんは今まで知りませんでしたので、私個人をターゲットと考えたとき、この小さなテキスト広告は完璧な仕事をしたことになります。

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 私は、ネット広告のこれからは、こういう小さなテキスト広告の質が高まっていかなければ未来はないだろう、と思っています。このブログでも何度か書いていますが、こういう「ネット広告の路地裏」の質的な向上こそが、ネット広告のこれからの本質的な部分だろうと思います。なぜなら、こういうバナー広告が、ネット広告における「純広」だからです。

 バナー広告の最小単位は、こういうテキストバナーです。ここでは、広告コピーが裸のままで試される部分です。これまでよいとされてきた広告コピーの表現は、今はリアルに感じない。であるならば、どういう表現がリアルで、人を惹きつけるのだろうか。そういう問いが、職業人としての私の課題なのですが、この「谷村美月 ここです。」という広告コピーはひとつの解答であるように思います。

 この小さなテキスト広告は、きわめて現代的な気が私はしています。それを言葉にするのは難しいけれど、感覚的には、この言葉は届くと思います。こういう広告表現は、これからのネットでのひとつの雛形になり得ると思います。(なんとなく、今はそれが理論化できていないから、あまりうまくは伝わらないかもしれませんが。)

 広告の、それも表現を担っている専門職である私が思い描く、これからのネット広告の基本的な姿は、こういう感じだな、と思いました。私にとっては、WOMやコミュニケーション・デザインは、やはり一手法であって、広告の本質としてはこちらのほうだろうな、と思うんですね。こういうテキスト広告は、いちばんシンプルな純広のカタチですし。

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 思想家のマクルーハンという人は「メディアはメッセージである」と言いました。その是非や妥当性については、いろいろとあるでしょうが、その言葉に忠実になって感受するところのネットメディアが許容する広告というのは、きっとこうした小さな広告のような気がします。これからテクノロジーがどんどん進化しても、ネット広告では、現在のテレビCMのような大きな広告は主流にはならない気が、私にはします。

 あくまで広告表現技術としては、なんとなく「谷村美月 ここです。」というコピーが示す方向性にあるだろうと思いますし、こうした予感に立つとき、もうひとつの思想家の言葉が浮かんできます。マルクスの「上部構造は下部構造が規定する」ですね。もしこういう未来が来たとき、専業のコピーライターというのは、存立できなくなるんだろうな、ということ。もちろん、マス広告はなくならないとは思うし、その部分との関連作業として、きちんと仕事として成り立ってはいくだろうけれど、ネット広告だけでは、やはり難しいだろうな、と。

 なんとなく、この部分は、私の感覚が正しければ、広告の表現で飯を喰う者としては、なんか悩ましいことだよなあ、と思います。

追記:このテキスト広告とサイトは、媒体社である47NEWSの企画です。各地方紙で、谷村さんの連載が掲載されるとのことで、そのタイアップの意味合いでしょう。そのあたりの、包括的なコミュニケーション設計も現代的ですね。でも、これを47NEWSとは独立した広告と見たときも、かなり優れていると私は思います。

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コメント

リアルにそう思いますね。
ボクも感覚的にですが。
問題は職業広告人として、
マネタイズをどうしたらいいか、ということですね。

投稿: superjetter | 2009年5月17日 (日) 23:06

マネタイズの問題は、現在進行形で頭が痛いです。近々の問題としてもありますし、これからの問題としても。
コミッションからフィーへ、みたいなこととは別の話しだし。まあ、別の未来を見ている人はいるでしょうから、あまり断言はできませんが、いろいろ考えないといけないんでしょうね。

投稿: mb101bold | 2009年5月17日 (日) 23:32

こちらのブログの、
「糸井重里さんの重さ」というエントリーにあった。「!」というコピーで、とどめをさされた、とのこと。
「!」 みたいな、ゼロの表現って、表現の一つの手法のはずなんですが、なにせゼロはふたつと無いせいで、その手法に乗っ取った表現もほぼ一つに定まってしまったんだと思います。
そこで、この状況が、ネットで変わるのか、変わらないのか。
紙媒体での「!」みたいなことを、ネットですると、どういうことになるのか。
本質はそう大きく変わりはしない気もしますが、事例としては、まだ見られていない気がします。

投稿: jim | 2010年2月 6日 (土) 11:48

「!」は、表現技術的な問題というよりはメッセージやコンセプトの問題なのかな、と思っています。突き詰めると、そうなるけど、それ以上はきっとないんだ、というようなこと。なので、わりと紙とかデジタルとかの媒体に関係のないコンテクストの話ですね。
きっとネットでもできるし、同じだと思います。
このエントリでは、ネットでのコピーライターという専門職が成り立つのかという課題を書いていますが、もっぱら「経済的に」という趣旨です。表現的には成り立つけど、食えなくはなるなあ、という感じです。
最近はネット広告でもリッチコンテンツが当たり前になってきましたから状況は違ってきているのかもしれませんけどね。

投稿: mb101bold | 2010年2月 6日 (土) 12:57

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