« 虹 | トップページ | うちの親父的メディア論 »

2009年5月 5日 (火)

広告村の外に出てみる

 それこそ20年近く広告村で飯を喰ってきて、社会人になってから広告しかやったことがないし、ゴールデンウィークの長い休みだというのに、広告のことをぼんやり考えたり残してきた仕事の企画書を書いたりしているような奴でもあるし、他にやりたいこともないし、今のところは、他のところでは飯は喰えないだろうなと思うので、まあ、広告村の住人としてはごくごく平穏に暮らせているのだろうなとは思います。

 広告村。そんなものはないのかもしれないし、はてな村と一緒で、それは外部からの視線が定義するものにすぎないだろうけど、ほんの少し前までは、私が書いているような広告の話は、業界の中で流通していただけだったし、その中には、コピーライターの誰それが何したとか、広告村の住民でしか面白いと思わない話もたくさん含まれていて、ま、そういう村的な話の豊かさが、業界の豊穣さを計るメルクマールだったりもするわけで、「広告批評」という雑誌の終焉をひとつのきっかけとして、そういう広告村というものも成り立たなくなってきたという流れは、もう止められないんだろうな、と思います。

 その流れはゆっくりゆっくり川の流れのように、ひとつの方向に進んでいて、広告村のいい時代に生きた世代なんかはきっとこのまま広告村の中でキャリアを幸せに終えることができるのでしょうが、私のようなその下の世代はそうもいかないのだろうなと思います。私がこの広告村にいたいかどうかは自分でも正直よくわからない部分があって、本音ではこの広告村は嫌いでもないし、でも、なにかしら広告村はこのまま拡散してしまうのだろうな、という予感がだけはあるにはあります。

 自分の思いとしては、この広告村の村人として確かな位置を占めたいという思いでやってきたところがあり、それこそキラ星のような先輩たちの歴史がそこには脈々と続いていて、その中の小さなひとつの点くらいにはなりたいと思いながらがんばってきました。結局、若いときにあれほどほしかった広告賞というものの動機はそういうことだったような気がします。あの情熱は、自己顕示欲というよりも、キャリアアップの根拠を増やすという実利的なものというよりも、広告村の中で自分の存在を示したいという思いが核になっていたように思います。

 でも、やっとこさ賞をコンスタントにいただけるようになった今、その広告村自体があまり意味のないように私には思えてきて、なんだかそのへんは、せっかくがんばってここまできたのに因果なものだよなとは思います。もちろん、私が単に感情的に意味がないと思っているだけであれば、「勝手に言ってろよ、このクソ広告ブロガーが」てなもんですが、広告村の有力な住民(ま、有名クリエイターのことです)が喰えなくなってきたりする状況があり、それは、村の村たる所以のひとつである互助会的システムがまず機能しなくなってきていることのひとつの証拠でもあり、広告に限らず社会的なシステムの変容は、まずはこういうところに現れるわけであって、そのあたりは、もはや経済的にも目に見えるカタチの変容であって、村思考そのものが、もはや個人の経済的領域でも時代とは逆のベクトルを持ってきたことを意味しているのだろうな、とぼんやり思ったりするのです。

 なんとなく思うのは、広告をこれからなんとかしていこうと思うのなら、広告村から少し離れたところに出てみることが必要なんじゃないかな、みたいなこと。その見晴らしのよい場所で、もう一度、広告という社会システムを考え直してみることが必要なんじゃないか、と。私は、学問として広告をやっているわけではないので、思考が実践と結びついていて、それは思考が結果と結びついているわけで、結果を出すという目的においては、もう、広告村の素晴らしい日々を懐かしんでいる暇はないんだろうと思うし、なんとなく、ここでつらつら書いていることは、わりあい何かしらの広告の前線的な意味合いもあるような気もしていて、それは、なんとなく、広告村の中では語られていないことなんじゃないか、みたいな自負も少しはあるんですね。

 ゴールデンウィークなんで、主題はこれ、という論の進め方をせずに、なるだけ率直に書いてみました。それは、迷いながら書くことと同義だと思っているし、それがブログというメディアの特性のひとつだとも思うんですが、まあ、それはともかく、同じような質のことを考えている人がいる限り、それが同業であっても、他業種であっても、ひとつの時代の中で生きる者同士でつながっているということだろうし、広告村の外に出てみることは、そんなに悪いことでもないんだろうな、とも思うんですね。というかね、もう広告村の中で広告を考えていても、新しいものは何もないだろうな、ということです。経済的なことも含めてね。

 それは、ほんとは、私と同世代周辺の広告村の親しい人たちにいちばん伝えたいことでもあるんですけど、まあそれは「何を言うとんねん」という反応しかないだろうな、という感じもあるんですよね。でもねえ、もう義理とか人情とか、そういう広告村の利権の奪い合いでは、何も解決しないと思うんですよ。だって、社会に広告村を守る義理はないんだし、もうそのノリは社会性を失ってしまったということでもあるわけだし。変わらなきゃね。お互い、ちょっとしんどいけど。いままでのいい思いはとりあえず置いていって、村の外に出て、もう少し見晴らしのいいところに立ってみようよ。そんなふうに、私は思うんです。

|

« 虹 | トップページ | うちの親父的メディア論 »

広告の話」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

広告村の外にでてみる。
刺激に溢れる言葉ですね。広告村に新参としていつつも広告以外っぽいこともしっかりとやってみたいっていう思いがあります。
できれば、お金とか気にせずいろいろと動きたいのになーなんて。

昔、交流会でどなたかが言っていたことですが、広告は広告じゃなくなる。広告は広告村の特産品じゃなくなってくる。と。
実際、そんな風潮があるなかで、僕も僕ら広告村の住民はどうすべきかって話はしないと駄目だと思うんです…

投稿: coro | 2009年5月 6日 (水) 10:43

>広告は広告じゃなくなる。広告は広告村の特産品じゃなくなってくる。

まあ、それもまた広告村ではないどこかの村の言説だったりもするんでしょうね。どっちにしても、村の言説って、要するにその利権、俺たちによこせってことで、その内容は、けっこう無邪気だったりもするし、そういうのに対策を練っていてもしょうがないとは思うんですね。

彼らにやれるものは遠慮せずにやればいいし、それでも彼らにできない専門領域は私たち広告屋にはあるはず。でも、その領域は、じつは僕らの村思考が狭くしてしまっている、みたいな感じかなあ。

なんか、いろんな領域のことを、それ広告的に考えるとこうなるかなあ、みたいなことをやっていきたいなあ、と。そんな感じです。がんばりましょ。

投稿: mb101bold | 2009年5月 6日 (水) 11:28

こんにちは。
今回の記事はまたまた刺激を頂戴しました。
東京にいた頃は、おっ、ここが広告村か、とその場所が見えていたような気がします。地方都市に移住してからは、派手さはないけれど、地味なクライアントたちと濃密におつきあいできて、そこはもっと小さな単位で、mb101boldさんの広告村とは違う意味で、ムラそのものでありました。
ともあれ、広告屋としては広告ムラの外に出てみる発想は大切ですよね。むしろ広告屋がまっさきにやるべきことだとも思います。変わりつつある広告の世界といっしょに走りながら変わっていかなくてはね。その先にあるのは、もっとリスクを抱えたシステムかもしれないし…いろいろ考えさせられました。

投稿: KIKU | 2009年5月 6日 (水) 16:59

>むしろ広告屋がまっさきにやるべきことだとも思います。

私もそう思います。東京であれ大阪であれ長野であれ、ほんとうに我々広告屋に求められるのは外部の視点。彼らにない広告的な思考なんだと思います。
なんか私もこのエントリを書いて整理されました。

投稿: mb101bold | 2009年5月 6日 (水) 17:48

広告村という主題なのだと思いますが、僕がグッときたのは、「結局、若いときにあれほどほしかった広告賞というものの動機はそういうことだったような気がします。」という部分でした。
賞を獲るまでは、「賞を獲ればなにかがかわる」と深く信じていたのですが、結局のところ、なにかが劇的にかわることはありませんでした。
ブログを読ませていただき、抱き続けていたもやもやが、スッと晴れた気がしました。

投稿: ジェイ | 2009年5月 6日 (水) 20:25

そうですか。そこにグッときましたか。

>賞を獲るまでは、「賞を獲ればなにかがかわる」と深く信じていたのですが

ああ、その感覚はすごくわかります。もちろん、すごくうれしいし、いりませんなんてことも言うつもりもないし、広告賞の意義も大いにあるとは思っているんですけど。
時代の変わり目なんでしょうね。

投稿: mb101bold | 2009年5月 6日 (水) 20:58

興味深く読ませて頂きました。思うに何々村等というものは所詮自分の視点に過ぎず、ある意味幻影のようなものではないかと思います。
私たちの職能を欲している人達…クライアントであったり生活者であったり…は、むしろ村の住人の意識を持った広告マンではなく、コミュニケーションとしてのノウハウを持った一生活者を求めているはずです。
村人としての目線や立ち位置からではコミュニケーションが難しい時代だと思います。というか村の意識そのものが、中央集権の中央に居るからこそ意識してしまうのかもしれないですね、その圧倒的なエネルギーの集合故に。
ローカルで仕事に取り組んでいると、属としての村は見えてこないようです。あくまでも個そのもの、もしくは集団が、ある限りの能力を持つて、課題に立ち向かいながら何かをなし得たかなし得なかったかという感じだけでしょうか…

投稿: rmt_irie | 2009年5月 6日 (水) 21:15

>コミュニケーションとしてのノウハウを持った一生活者

というのはそうなんですけど、その職能を持った生活者の横のつながりみたいなものが、ここで言う「村」で、一般的には「業界」と言われているものに似ているんでしょうね。
その「業界」は中央=東京にいるからこその意識であるのは確かなんですが、その拡散を意識させられるのも中央のような気がします。
見えてこないというのは、社会状況に左右されず、いい仕事をされている証拠であるのかもしれませんね。

投稿: mb101bold | 2009年5月 6日 (水) 21:54

コメントへのご返事有り難うございます。
mb101boldさんが言われていること実は良く分かっているつもりです。
私たちは多くの仕事の場合、生活者の方を向いて仕事をやっているわけですが、しかしどこかでレベルの高すぎる表現、ある意味自己満足(玄人受け)の誘惑に絡めとられ、ともすると、こんなに良いもの、面白いものがどうして分からないんだ!と、いった本来の最終目的を見誤るケースも時には出で来たりします。もちろんプロフェッショナルとしての技量を上げていくことは大切だと思いますし、村を意識することがそれに繋がることも事実ですしね。マイナス要因としての村に絡めとられるということ…これはまだまだ未熟ということなのでしょうが…そういう意味では村が拡散していくのも私たち業界人にとつては新たなる試練として良いことかもしれませんね。
今後ともブログ楽しみに読ませて頂きます。宜しくお願いいたします。

投稿: rmt_irie | 2009年5月 6日 (水) 22:34

>しかしどこかでレベルの高すぎる表現、ある意味自己満足(玄人受け)の誘惑に絡めとられ、ともすると、こんなに良いもの、面白いものがどうして分からないんだ!と、いった本来の最終目的を見誤るケースも時には出で来たりします。

そうですね。このへんが、広告の陥ってしまった部分でしょうね。特に言葉の領域。
きっと広告が別の何者かになろうとしてしまったんだろうな、と私は考えていたりします。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2009年5月 6日 (水) 22:48

こんにちは。

ボクも、広告批評に見られるような、身びいき、内輪受け、楽屋落ちみたいな世界にやや違和感を持っていました。
(広告批評は良い雑誌だった前提ですが)
自分がこの世界で会社名を冠しない、有名個人で活躍していきたい欲があったことは確かですし、
少なからずそういったモチベーションが業界を支配していたことも間違いないと思います。
それがエスカレートして、クライアント予算で自己実現をする部分すらあったのかと。

「広告村の住人」という表現で整理できた気がします。

投稿: superjetter | 2009年5月 7日 (木) 11:18

そうですね。私は個人が立っていくという欲は肯定したいし、私もその欲はあります。けれど、そうして集まった業界というか村というか、そういう閉じられた世界の論理が優先されてくると問題なのでしょうね。

>クライアント予算で自己実現をする部分

そういうことも、それが広告として企業に寄与したり、文化として世の中を豊かにするぶんには、ある程度許容できるというのが世の中のリアルだとも思うけれども、それが自己目的以上の価値を持たなくなってきたとき、世の中は、そういうものを排除しようとするのは、ある意味では世の中の原理なのでしょう。
この問題は、広告制作社個々人の倫理の問題だから、個人としての私は何とも言えないけれど(まあ好きにやってよ、という感じ)、そうした排除が動くと言う事は肝に命じておいたほうがいい、ということでしょう。
そこでの甘えはなしね、という感じです。こういう課題は、むずかしいですね。

投稿: mb101bold | 2009年5月 7日 (木) 21:11

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 広告村の外に出てみる:

« 虹 | トップページ | うちの親父的メディア論 »