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2009年6月の16件の記事

2009年6月30日 (火)

モダンジャズと落語

 少し似てますね。どちらも元のネタがあって、それを演者がどう演じるかを楽しむ芸術というか、そんなところ。私は、大学時代はジャズ研でしたが、ジャズ研の人は落語ファンが多かったようでした。

 モダンジャズで言えば「枯葉」とか「星影のステラ」のようなスタンダード曲が、落語では「寿限無」や「時そば」「時うどん」のような“はなし”に当たりますよね。私は、落語はあまり詳しくないですが、モダンジャズに関して言えば、たとえば、マイルス・デイビス、ビル・エバンス、キース・ジャレット、それぞれが演じる「枯葉」は、まったく別の曲のような感じです。同じ曲なのにここまで違うか、というくらい違います。

 モダンジャズでもオリジナル曲は当然ありますが、そのオリジナル曲も、ヒットすれば、当然、別のジャズマンが演奏したりして、モダンジャズという分野は、それが当然であるという文化を持っていたりします。

 ちょっと話が横道にそれますし、ジャズに詳しい人でないとわからない話かもしれませんが、ビル・エバンスと同時期に、同じような知的なスタイルを持つジャズピアニストがデビューしました。ドン・フリードマンという人です。サークル・ワルツという曲が少し有名ですが、フリードマンはエバンスほど有名にはなりませんでした。

 フリードマンは、より知的で繊細で(エバンスは、ああ見えて、けっこう粗野なところもあります)、まったく別の個性なのですが、ことあるごとにエバンスと比較されました。あれ、本人にとっては迷惑だっただろうな、と思うんですよね。エバンス派とか言われてましたし。同時期なのにね。

 エバンスのファンが多い日本では、フリードマンも人気で、今もちょくちょく来日されています。少し前置きが長かったですが、ここからが本題。少し前に、アルバムが出たんですね。フリードマンのリーダーアルバム。その中の演目に、「ワルツ・フォー・デビー」とあるわけです。エバンス作曲の名曲です。えっ、なんでこの曲をフリードマンが?そんなふうに思ったわけです。で、ジャケットを見ると、日本人プロデューサー。なんだかなあ、と思いました。

 ジャズの世界では、日本企画盤というのがある種の蔑称になっている部分もあって、要は、売らんかなの企画が多いわけです。モダンジャズカルテットじゃない方のMJQとかね。そりゃ、ファンは、エバンス派と言われるフリードマンが、あのエバンスの「ワルツ・フォー・デビー」を演奏するとどうなるんだろう、みたいな下衆な思いはありますけど、それは本人の必然がなければやっちゃいけないのじゃないなか、と思うんですけどね。フリードマンは、日本が好きな人ですから、日本のファンが望むなら、ということろなんでしょうが、なんとなく、そういうケタグリではなくて、もっと本人の本質の部分でフリードマンの良さを広告してあげればいいのに、と思いました。ほんと、なんだかなあ。

 まあ、あまり気持ちのいい例ではなかったですが、ジャズファンも、あの曲をこの人が演奏したらどうなるんだろう的な楽しみ方をしている部分があるんですね。モダンジャズは。それはロックとかにはあまりない感覚ですよね。最近はカバーもありますが、ロックは、どちらかというとオリジナル指向の分野ですね。

 モダンジャズにおけるオリジナル曲は、落語でいえば新作落語になりますが、こちらはまだまだ別の演者がというわけにはいかないようですが、桂三枝さんなんかの新作落語は、そろそろ古典化していて、別の若手落語家さんが演じても、それはそれでおもしろいかな、なんてことも思います。

 モダンジャズを聞くようになってよかったこと。それは、1950年代の珠玉のスタンダード曲をたくさん知ることができたことですね。この一点だけでも、モダンジャズを聴き始めることをおすすめします。きっと、人生が少し豊かになりますから。そういうところも、モダンジャズと落語はきっと似ていますね。

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 もし、スタンダード曲を知るという観点で1枚選ぶなら、きっとチェット・ベイカーのこのアルバムになるんでしょうね。なにより聴きやすいし、元曲をあまり崩していないから、ジャズにありがちな、何の曲かわからなかった、みたいなことがありません。マイファニーバレンタインとアナザーユー(There Will Never Be Another You)が素敵。トランペットのソロも、普通の人でも歌えるような美しい旋律です。ジャズは難しい、という人は、このアルバムから入るといいかもです。(追記:左はインポート盤で、右はEMIジャパン盤。内容は同じです。右のリンク先では試聴ができます。)

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2009年6月28日 (日)

子供をなめるな

 前にも書いたような気がするけれど、子供をなめちゃいけないということを思うようになったきっかけに、「銀河鉄道の夜」というアニメ映画のことがあります。1985年制作で、細野晴臣さん音楽、別役実さん脚本、杉井キサブローさん監督。原作は、もちろん宮沢賢治の童話ですが、ますむらひろしさんの漫画が原案になっています。

 ますむらひろしさんの「銀河鉄道の夜」は、主要な登場人物が二足歩行する猫として描かれ、その漫画を原案とする映画版もそれにならっています。この設定は、ますむらさんが漫画化するときに、宮沢賢治の親族の方の反発や、研究者の方々の批判もあり、ますむらさんが説得にあたられたと「イーハトーブ乱入記 - 僕の宮沢賢治体験」という本に書かれていました。

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という作品が持つファンタジー性をビジュアル化する方法論としては、擬人化された猫で描くという手法は、ある意味では正攻法であり、それは、原作と正面から向き合う表現者として、とらざるを得なかった正しい手法であると私は思います。事実、漫画版「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の哲学や世界観を見事に拡張しているように感じるし、結果としてみると、という感じになりますが、擬人化の手法は原作のファンタジー性を映像化するためには不可欠だとも思えます。それは、少なくとも「子供向け」のための擬人化ではないと言えると思います。

 少し前置きが長くなりました。そのますむらさんの漫画を原案としたアニメ映画を私が観に行ったときの出来事。今から24年前のことです。その映画は文部省特選になったこともあり、映画館には子供たちがいっぱいでした。原作に忠実なことに加え、主要登場人物が猫として描かれること、そして、原作と原案のふたつの作品をもとにする映画ということもあって、その映画は、当時18歳だった私にも非常に難解な映画になっていました。

 当然、子供たちですから、映画館の中でもざわざわと騒ぎます。非常に暗い映像と細野さんの重い音楽が続きます。なんだかなあ、静かに映画を見たいのになあ、と思いながら観ていました。映画版は、原作よりもずっと難解で、原作を何度も読んでいる私でも、これはどういう意味なんだろうと思わされることも多く、館内はどんどん静かになっていきました。子供たちは寝ているんじゃないかな、なんてことを思いながら、18歳の私は、どちらかというと、別役実さんと杉井キサブローさんの投げかける課題に挑戦するといった、少しスノッブな意識を持ちながら観賞していました。

 映画がエンディングに差しかかる頃。館内から子供たちが鼻をすする音がどこからともなく聴こえてきました。子供たちが泣いているんですよね。原作を読んだ方も多いかと思いますが、べたに泣ける話ではないんです。どちらかというと宮沢賢治の仏教哲学が色濃く出た作品。つまり、子供たちは宮沢賢治の伝えたかったことに、きちんと応えて、泣くという行為で示している。少なくとも私にはそう思えました。

 難解で、よくわからないな、と思いながら観ていた私は、子供たちに負けたなと思いました。もちろん、子供たちですから、ストーリーを完全に追えていたわけではないと思うし、雰囲気で感じている部分も多かったことでしょう。けれども、その映画は子供たちには、心の芯の部分で、きちんと伝わった。

 そのとき、なんとなくですが、子供をなめちゃいけないな、と思いました。それは、私が広告制作などで表現をするときの基本姿勢になっています。子供だからこんなものでいいだろ、とか、子供はこんなのが好きだろう、とか、そういう考え方を排除したいと思っています。もしかすると、大人より子供のほうが、理屈が先にこない分だけ感受する深さも深いかもしれない。むしろ、子供を恐れよ。そんな感じで、受け手としての子供に向かっています。

 クレヨンしんちゃんの映画が人気だと言います。私は何度か劇場版映画を観に行ったことがありますが、劇場版がなぜ子供たちに人気かと言えば、子供たちに媚びずにきちんと作っているからでしょう。大人も泣けると今でこそ言われていますが、製作陣がシリーズ最初の頃からずっと子供に真剣勝負を挑んだ結果だと思います。こういう映画がヒットしていることは、分野が違う私にとってもすごく励みになります。

 ちょっと蛇足ですが、広告は子供に受けるということは、長期的なブランドづくりの観点では大事で、子供たちは未来の顧客でもあり、大人向けの商品やブランドであっても、絶えず子供も意識すべきなんですね。子供を意識するということは、大人である私たちが、真剣に自分に向き合い、真剣に表現と向き合うことであり、つまり、逆説的になりますが、子供を意識するなということでもあるのですが、こういう、ね、言いたいことわかるよね、という話は、具体的な制作過程ではうまく話せる気がするけれども、ブログではなかなか書くのは難しいですね。

 断言や極論に人気が集まりがちなブログにしては、なんとも中途半端な感じになってしまいましたが、というかそれは私の場合はいつものことではあるんですが、本日は、こんなところで。日曜日ですし、関連した話題の過去エントリーもあわせてどうぞ。では、よい休日をお過ごしくださいませ。

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2009年6月26日 (金)

TCCのこと

 この話は一生書かないでおこうかな、と思っていたけど、そろそろいいかなと思う部分もあり、今ならルサンチマン風味を加えずに書ける気もするので書くことにします。TCC、つまり東京コピーライターズクラブのこと。

 私は、TCCの会員ではありません。TCCに入会するには、年に1回行われるコピー年鑑作品募集の新人部門に応募し、新人賞を受賞しなくちゃいけなくて、私がTCC会員ではないということは、つまり、新人賞をもらっていないということ。

 私の世代のコピーライターにとっては、TCC新人賞はコピーライターの登竜門的なところがあって、私も例に漏れず、TCC新人賞は大きな目標でした。確か、計8回ほど応募したはずですが、ノミネートが3回で、ついに縁がありませんでした。ちなみに、募集要項は、単独コピーライター作品(つまり複数のコピーライターがかかわっている仕事は除外)で、印刷だと5点必要。年に十数人が受賞します。

 私にとって、TCC新人賞をもらっていないことがコンプレックスになっていました。私のことを「コピー侍」という、言われた本人が少し照れてしまうような愛称で呼んでくれる人もいるし、そんな愛称で呼ばれてしまうくらい広告コピーが大好きで、今もなお1行の力を信じて仕事をしているけれど、そんな私はTCC会員ではない。そのことに、なんとなく引け目に感じることが今もあります。人からは、今どきTCCは権威じゃないでしょ、と言われたりもします。また、私の仕事や作品を知る人からは、えっ、TCC会員じゃないんだ、と驚かれることもあります。そんなとき、少し引け目を感じる自分は、なんだかなあ、と思ったりもします。

 私自身、TCCなんて関係ねえよ、と思っていたわけでもないし、恋い焦がれていた時期も確実にあったし、だから、そのこと自体はあるがままに受け止めるしかないのだろうな、と思います。ただ、これからも新人賞を狙っていこう、とは思わないんですね。年齢の問題でもなく、私がもうクリエイティブ・ディレクターだからでもなく、自分の仕事のあり方として。TCCという価値観があり、その価値観と縁がなかったのであるならば、その価値観とは違う価値を提示していくのが私の役割なのではないか、というかそういう役割を担ったほうがおもしろいのではないか、とある時期に思ったからです。だから、いっそのことTCCに応募するのはやめてしまおう。数年前に、そんなふうに思いました。

 それは、もしかすると自分の中のルサンチマンのねじれた決着の付け方だったのかもしれないけれど、まあ、そういう決意をすることで、TCCが持っている広告の価値感とは違う価値を本気で提示しなければいけない状況に自ら追い込むこともできるだろうし、それは、私の仕事の取り組みにおいてはポジティブなパワーとして働くだろうな、とは思ったんですね。

 こういう書き方をすると、どうしてもルサンチマンの罠に絡めとられてしまいそうになるけれど、ルサンチマンからの視点ではなく思うのですね。今のところ、とってから言えよ、という心の声から自由になることができる書き方を見つけられていないのだけれど。でも、たまたま私は縁がなかったけれど、縁がなかったからこそ考えたことや、見えてきたものもあったし、それはそれでかけがえのない自分だけのノウハウにもなってきたかな、とは思うんですね。縁がなかったがゆえの自負心というのは、少しはあるんです。

 私は、誰が何を言おうと、広告の力を信じているし、言葉の力を信じています。その信じるものを、TCCというものさしではなく、あえて自分のものさしで、コツコツとかたちにしていく。そういう道も、それはそれでけっこうおもろいんやないかな、なんて最近は思ったりしています。

 PS 若いコピーライターさんたちへ

 でもねえ、とれるものは早めにとっとくほうがいいですよ。それは、ほんとにそう。こういうのは、とってから言う方がかっこいいしねえ。そういう意味では、このエントリはすっごくかっこわるいんだけど、まあ、私が書く、私のブログだしね。でも、今の若い人って、もはやTCCとかにも、私が若い頃ほどのこだわりはないのかもしれないですね。そういう自由さって、私はいいと思います。その感じでがんばれ。私も負けずにがんばりますよ。

 追記(6月27日):

 それと、ある時期から違う価値を提示していこう、みたいな人とは少し違うやり方を指向するようになっていったから、その分、世界を幅広く見渡せるようになった部分もあるな、とも思います。縁がなかったがゆえの自由と言いますか。だから、この不況でも私はすこぶる元気だし、私がつくる広告も、今どきめずらしいくらいに機能しているという手応えもあるんですね。

 だからこそ、私が考える広告は、ほかの人が考える広告より、とてつもなく広いと思うし、4マスという形式が無意味化してもへっちゃら感は確実にあるんですよね。今、広告に対しては悲観の気持ちはあまりないんですよね。実感として。9月から、新しいことをやろうと今準備しているのだけれど、そこでやることは、きっと新しい広告のはず。それが詭弁と言うならば、それは今までになかった広告的な何かのはず(ですよね)。

 だからこそ、このルサンチマン漂う辛気くさい話を、今書こうと思ったのかもしれんなあ。

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2009年6月24日 (水)

世界最強の豆チョコ。

Saza  隣の席の若者が食っていたチョコボールがうまそうだったので、ひとつ拝借。口に入れて、噛むと、ガリッと音がして、おっ、いつものより濁点が多い、なんて思っていると、フワッとコーヒーの味が広がってきました。そうなんですよ、このチョコボールの中身はピーナッツやアーモンドではなく、コーヒー豆だったのですよ。

 若者に聞いてみると、茨城のコーヒー屋さん「サザコーヒー」から出ているコーヒー豆チョコというものらしく、ウェブサイトを見てみると、キャッチコピーに「世界最強の豆チョコ。」とありました。モンドセレクション3年連続金賞受賞だそうです。

 ほろ苦くて、まさに大人の味という感じのうまさで、感心していると、若者が「ね、うまいでしょ。ね、ね。」と誇らしげに言うもんだから、ちょっと悔しくなり、「確かにうまいけど、弱点があるよな。」と見切り発車。

 「何を言ってるんですか。このチョコ、最強じゃないっすか。」
 「いや、駄目。」
 「何を言ってるんすか。負けず嫌いですね。どこが駄目なんですか。」
 「それはなあ……うま」
 「うますぎるところ、とかなしっすよ。」
 「……じゃ、じゃあさあ、このチョコに合う飲み物を言ってみろよ。」

 てな展開になり、その時、私は密かに若者に勝ったと思ったのでした。勝利だよ、これは完璧な勝利なんだよ、と心の中でつぶやいたのでした。だって、コーヒーに合わせるとコーヒー重ねになるし、紅茶だとコーヒー&紅茶になるし、コーラだって、オレンジジュースだって、日本茶だって、ウーロン茶だって、この強烈なコーヒー味には合わないじゃないか。どうだ、言ってみろ、答えを言ってみろ、あるわけないだろ、という気分でいたところ、若者はすかさずこう言ったのでした。

 「牛乳。」

 私の完敗でした。「だって、口の中でコーヒー牛乳になっていいじゃないっすか。」という若者の言葉に完膚なきまでに叩きのめされ、傷心の私は、こんな捨て台詞を吐くしかなかったのです。

 「牛乳、苦手なんだよね。」

 若者との約束通り、ブログに記しておきます。

 サザコーヒーのコーヒー豆チョコは、牛乳と一緒がおすすめです。

 いや、しかし、このチョコ、なかなかなもんですよ。コーヒーが苦手な人はあれだけど、そうじゃない人は、一度食べてみるといいですよ。ちょっとカフェインがきつい感じで、1粒2粒でも食べた感があるから、仕事をしながらだと、なおいいかも。ちょっと感動するよ。通信販売もあるみたいだし、興味のある方は、ぜひぜひ。

 ※東京近郊の方は、こちらもどうぞ。品川駅のエキナカ「ecute」(JR東日本/品川駅構内11番線上)にショップがあるそうです。朝8時から夜10時までやってます。

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2009年6月22日 (月)

梅田駅と阪急の反骨

 NHK教育の「鉄道から見える日本」という番組を見ました。原武史さんが鉄道を通して日本の近現代を語るというシリーズなのですが、私が見た回は第4回「西の阪急、東の東急」です。この番組、ところどころつまみ食いで見ているのですが、その貴重な資料映像とともに、歴史の分析が鋭くて、すごく面白いです。最近、NHKがつくるコンテンツは抜群ですね。なんか民放が元気がなくて、さみしいです。こういうときこそアイデア1発勝負の時だと思うんですけどね。がんばってほしいです。

 ということで、この回のテーマは「官と民」。大まかな趣旨としては、阪急の創業者である小林一三が「民」の力で事業を展開したのに対して、東急の五島慶太が「官」を最大限に利用し協調するかたちで事業を展開してきたというものでした。そのことは、西の反骨精神の文化を象徴する一方で、東を象徴する東急は、阪急がなし得なかった大規模な都市開発を実現した、というものでした。

 その中で、特に印象に残ったエピソード。国鉄(現JR西日本)頼りを嫌った小林一三は、国鉄「大阪駅」から少し離れた場所に駅をつくり、駅名を阪急「梅田駅」としたという話。私は大阪生まれで大阪育ちですが、何度か、どうして名前が違うんだろうとは思ったことはあるけれど、理由はまったく知りませんでした。なるほどなあ、でも阪神の方が早かったんじゃなかったっけと思って調べると、当時は大阪駅から少し離れたところにあった「出入橋駅」が阪神の大阪におけるターミナル駅だったんですね。

 阪急は確かに少し離れたところに駅があるんですよね。東京で言えば、西武新宿駅みたいな感じです。で、そのJR大阪駅との間に阪急百貨店やHEP FIVE、ナビオがあり、梅田駅の後ろ側には阪急三番街が伸びているという格好。いわゆる阪急村ですね。今、阪急百貨店が改装中で、高層ビルが建ちつつあり、向いの阪急グランドビルが少し小さく見えてきました。これも時代の流れですね。

 東京では、東京駅界隈の八重洲や丸の内を「東京駅」と言いますが、大阪では、大阪駅界隈の繁華街は「大阪駅」とは言わずに「梅田」と言います。梅田で飲もか、みたいな感じです。そういう意味では、完全に阪急の勝ちですね。また、あとから続く地下鉄の駅が、「梅田駅」「東梅田駅」「西梅田駅」というように阪急に続いたことに至っては、完勝ですね。まあ、勝ち負けを競っていたわけではないでしょうけど。

 子供の頃は、阪急ブレーブスというプロ野球団がありました。大阪の子供は、たいていは阪神ファンでしたが、阪急ファンの子は、どことなく上品だったような気がします。つまり、お金持ちの子が多かったような。阪急文化は、どことなくコンセプトがパリなんですよね。阪急三番街なんかもパリっぽいし、宝塚歌劇団もおフランスの香りがしますよね。そんな阪急の戦略を、大阪人は「大阪パリ化計画」とからかい半分に呼んでいます。メガネのミキ(もともとは姫路で創業し、関西中心に営業していた)もそうですが、西の企業人はパリが好きですね。

 でもまあ、番組でもありましたが、文化という意味では、阪急の文化戦略よりも東急や西武のほうがうまくやっていた印象が私にはありました。確かに宝塚は、保守本流の文化をつくりましたが、阪急三番街のようなパリ感は、結局、大阪のおばちゃんをバーゲンの時にたまに惹き付けるくらいで、あまりうまくいった印象はないです。大阪の文化は、企業でさえなという意味で、完全に「民」主導で、ミナミのアメ村だったり、南船場だったり、自然発生的な場が生成されて栄える傾向がありそうです。なんとなくそれは、新世界界隈の衰退が象徴しているように思います。大阪人は、どちらかというと、人工都市が苦手。バブルの頃でいえば、つかしんの失敗が、東京との明快な違いを示しているような。

 でも、その一方で、御堂筋や松屋町筋のような南北に伸びる道路が一方通行で、巧みに渋滞を避けているところなんかは、大きな都市計画という意味では、東京よりも完全に「官」主導のところもあって、そのへんは都市論の観点では面白いなあと思います。西の反骨精神を考える上では、このあたりの考察はけっこう重要なのではないか、なんて思っています。

 最近は、親元の事情もあって、頻繁に東京と大阪を行き来しているのですが、こういう感じはけっこう面白いなあと個人的には思っています。わりと明快に異なる文化圏を往来するのは、いろいろと刺激というか、ものを考えるときのきっかけになるし。ほんと空気が違うもの。それに、今は新幹線だと2時間半だしね。新幹線と言えば、どうしてマイレージがないんでしょうね。飛行機みたいなシステムにすると、商売上で不都合があるんでしょうかね。なんか、どうでもいい終わり方でしたね。こういうのも西の反骨精神の現れなんでしょうかね。ではでは。

 追記:

 JRの大阪駅については、「大阪駅開発プロジェクト|データ&ギャラリー」というサイトが参考になります。その中の「大阪駅の歴史」というスライドショーにはこうありました。

初代大阪駅の開業は明治7(1874)年5月11日。(中略)ちなみに当時の正式名称は「大阪停車場」。だが、一般には「梅田すてん所」の愛称で親しまれた。

初代大阪駅は不便な立地にもかかわらず、スマートな煉瓦造の洋館が大変な人気を呼び、たちまち大阪随一の名所となった。(中略)弁当持参で「すてん所見物」に訪れる人々が後を立たなかったという。

 つまり、当時の正式名称は「大阪停車場」、のちに「大阪駅」となり、正式名称としては「大阪駅」として今に至ったけれども、当時の庶民は地名である梅田を冠した「梅田すてん所」と呼んだということですね。きっとそれは、梅田、曽根崎界隈が当時は大阪の辺境であったことも関係するんでしょうね。

 リンク先を見ていただければわかりますが、当時の絵葉書にも「大阪名物 梅田停車場」と書かれています。

 阪急は、駅名を、庶民のあいだで流通している通称「梅田」にあわせたとも言えそうです。こう考えると反骨というよりも、「大阪駅」を「梅田すてん所」もしくは「梅田駅」と呼んでいる庶民感覚に乗るほうがトクだといった商売感覚であるとも言えそうです。

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2009年6月21日 (日)

泣きの達人

 なんか最近の恒例、テレビ番組を観て感想を書くエントリ。本日は「あっぱれ!!さんま新教授」から。いろんなエキスパートが教授として、さんまさんとゲストの方々にレクチャーするといった趣向の番組。小学校1年生の女の子の子役さんが、「泣きの達人」として出演されていました。

 まあ、見事に泣いておられましたね。涙もポロポロこぼれ落ちていました。さんまさんやゲストの方々も心配そうな顔で、息をのんで見守るしかないといった様子。演技だとわかっていても、やはり人は、人が泣くという姿を見ると悲しいという感情で反応するようにできているのでしょうね。理屈ではわかっちゃいるが、というやつですね。

 小学一年生の泣きの教授さん曰く、こんなことらしいです。

  • 心の中に大中小のスイッチがある
  • そのスイッチを押すと大中小の泣きが自在にできる
  • 泣けない人は心が詰まっている
  • 心の詰まりは橋の上で「自分のバカヤロー!」と叫ぶととれる

 ゲストのカバちゃんが橋の上を模したセットで、何度も「自分のバカヤロー!」と叫んでいましたが、結局は泣けずにいました。最後には、小さな教授さんに「泣けなかったら帰って来ていいですよ」と言われていました。

 大人になるにつれ、なんとか泣かずにいるための努力をするようになるような気がします。自分なんかでも、「あっ、やばい、泣きそう」という感じになると、泣かないために必死になっている感覚があるし。それは、映画やドラマを見ているときもそう。きっと、小さな教授さんの言う通り、心にたくさん何かが詰まっている状態なんでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのかは、いまいちわからないけれど。

 きっと、その小さな教授さんも、年を重ねるにつれ、泣けないようになっていくんでしょうね。年をとるということはそういうものだと思うし、きっと、その小さな教授さんは、まだ役者でもなくて、だからこそ、役に入り込んで泣くのではなくて、それこそスイッチを押すように泣けるのでしょうけど、だんだんそうはいかなくなってくるはず。たぶん。

 だからこそ、大人で泣いている人を間近にすると、どうしようもない感情が押し寄せてきて、もらい泣きをしてしまったり、動揺して、逆に明るく振る舞ってしまったり、ほんと大人ってやつは複雑なものだよなあ。

 ちなみに、感情が高ぶって涙を流すのは、ヒト特有の行為らしいのですが、なぜ涙を流すのかは、はっきりとはわかっていないとのことです。フレイという科学者が、玉葱を刻んだときにでる涙と映画を見て流した涙の成分の違いを調べたそうで、その実験の結果では、映画を見て流した涙に高濃度のタンパクが含まれていたとのこと。で、なんらかの感情的な緊張状態を開放するための生体反応としての合理性があるのでは、みたいなことは言えるかも、ということなんですが、それでもよくはわからないみたいなんですね。

 このあたりの話は、永井俊哉さんという在野の研究者の方が「人はなぜ泣くのか」という題名でまとめられています。泣く、という行為は、けっこう難問みたいです。

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2009年6月17日 (水)

テレビCMのつくりかたがわからなかった頃

 私は元CIプランナーのドロップアウト組で、広告の仕事をするために大阪から東京に再び出て来た頃は、広告の仕事歴が少なかった。その頃は、今よりは少しばかり景気は良かったけれど、新卒でもなく、かといって業績もない若者を採用してくれる広告会社はほとんどなかった。たくさんの会社を巡って、小さな広告制作会社に潜り込んだ。

 そこから少しずつキャリアを重ねていって、5年ほど経って、ようやくとある外資系広告会社に入ることができた。それまで、平面広告を中心に広告を制作してきたから、テレビCMやラジオCMのつくりかたがわからなかった。どういう手順を踏んで、アイデアを映像や音声にしていくのか。今から思えば、すごく簡単な過程が、その当時は、とてつもなく困難な過程に思えた。

 撮影現場やスタジオでの立ち振る舞いがわからない。緊張して、ガチガチになっていた。そんなとき、緊張しなくていいよ、と声をかけてくれたのは、CM制作会社のあるプロデューサーだった。ラジオCMの収録。さあ、あっちの椅子に座って、ヘッドフォンをかけて、やってみましょう。この赤いボタンを押したら、あちらのブースのナレーターさんと話せますよ。こっちのボタンはキューボタン。さあ、さあ、さあ。

 広告代理店の若いクリエーターを育てるのは、じつは外部のCM制作会社のプロデューサーだと思う。CM制作会社のプロデューサーは、いろいろな人を見ながら現場で仕事をしている。気難しい監督、芸術肌のカメラマン、職人気質の大道具、ミキサー、オペレーター、プロマネ。そんな現場と広告代理店のクリエーターをつないでくれるのは、CMプロデューサーだ。

 たとえば、広告代理店のクリエーターの紹介の仕方ひとつで現場が変わる。いいスタッフがいくらいても、そこにチームワークがなければ、いいCMはつくれない。いい現場、いいCMには、いいプロデューサーがいる。それは確実に言えることだと思う。

 私がCMのつくりかたがわからなかった頃に出会ったそのプロデューサーとは、それから10年以上ずっとCMをつくり続けることになった。昨日完パケしたあるCMも、そのプロデューサーとの仕事だ。そのプロデューサーは編集作業にかかわれなくなったけれど、そのプロデューサーと一緒にCMをつくっていると私たちのチームの誰もが思っていたはず。

 私たちが編集室でそのCMを完成させて間もなくしてから、あなたは息を引きとったと聞いた。本当は、まだまだあなたとおしゃべりしたいことがたくさんあったし、教えてほしいこともたくさんあった。私のこれからにとって大切なことを、あなたに話せずじまいになってしまった。あなたに聞いてほしかったのに。きっとあなたはよろこんでくれるはずなのに。なんとなく遠慮してしまった。落ち着いてからゆっくり話せばいいと思ってしまった。それがすごく悔しい。

 まだ現実感がまるでなくて、頭の中がこんがらがっている。嘘だと言ってくれ、みたいな感情さえない。きっと、まだ私はその事実を受け入れられないのだろうと思う。だから、書こうかどうかを迷ったけれど、でも、やっぱり書くことにした。きっと、天国で、CMプロデューサーについて書いてたブログ記事、よかったよ、と言ってくれるはず。そんな気がした。だから書くことにした。


 あなたの最後の仕事をご一緒できたこと。私は、そして私たちは、誇りに思います。今まで、ありがとうございました。ゆっくり休んでください。

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2009年6月14日 (日)

おもろい、と、おもしろい

 日曜お昼のテレビ番組「ウチくる!?」。今日のゲストは、misonoさんでした。

 それにしても、おもろい娘さんですねえ。いい。すごくいい。自分のことを「ウチ」ってナチュラルに言う関西の娘さんは久しぶり。小学校の頃は、じゃりン子チエのチエちゃんみたいに「ウチなあ、ウチなあ」と言う娘はたくさんいたけど、もう絶滅していると思っていたら、こんなとこにいてたんですね。

 一頃、あまりテレビに出なくなったのは、太ってしまって、事務所から「マイナスプロモーションだからテレビに出るなって言われていた」なんてことを、ご本人があっけらかんと語っておられました。

 いちおう私も業界人なんで、というかじつはたまたまなんですが、day after tomorrowでデビューしたときの業界向けデビューイベントにも行っていたりして、確か、私が当時コピーライターとしてかかわった某スノーボードブランドのテレビCMが、misonoさんのCMデビューだったはず。カメラ目線で「リアル。」とmisonoさんが語りかける、カッコよさげなやつです。

 あの頃は17歳だったんですよね。姉の倖田來未さんが後からデビューして、一躍スターになって、いろいろ複雑だったんだろうな、なんて普通に思うんですが、それでも明るくケラケラ笑うあの感じは、きっとまわりの人たちをすごく楽にしたというか、単純にえらい子だなあと思います。

 関西の文化というか、これはもう全国区の文化になったような気もするけど、たとえば、歌がうまい、かわいい、かっこいい、かしこい、とかの価値観と同等かそれ以上の重さを持つ価値があって、それは、おもろい、という価値観。

 私が小学校の頃は、遊んでばかりいると「そんなことしとったら、吉本入れるからな」と言われて「いややー、吉本行くの、いややー」とか言っていたんですよね。つまり、それは、ちょっと逆説的な庶民の表現でもあるけれど、かしこい、という価値観の反対側に確実に、おもろい、という価値観で動いている社会が存在している証拠なんだろうなと思います。

 この、おもろい、という価値観は、おもしろい、とは微妙に違っていて、私なんかは、どうあがいても、おもろい、という域にはいけなくて、おもしろい、という価値観の人なんだろうと思います。

 たとえば、吉本興業の笑いの歴史は、ギャグの歴史だったりします。仁鶴さんの「うれしかるかる」とか「どんなんなかー」から始まって、三枝さんの「いらっしゃ〜い」、さんまさんの「パァ〜」、寛平さんの「アメマ〜」、ジミー大西さんの「ヤッテル!ヤッテル!」などなど。そこに理屈はないんですよね。その理屈のないアナーキーな世界が、おもろい、の世界。

 その、おもろい、が成立するしくみみたいなものを解明することができたら、無敵になれるよなあ、なんて考えてしまうところが、おもしろい文化圏の住民である私の、私たる所以なんでしょう。だから、おもろいヤツに会うと、もう無条件降伏なんですよね。それで、心の中で、おもろい、では負けたけど、おもしろい、では負けないからな、とか思ってしまうのも、おもしろい文化圏ならではなんでしょうね。

 そう言えば、鶴瓶さんが司会の「いろもん」という番組で、ダウンタウンをゲストに招いたときに叫んだ言葉が「くやしい。もっとおもろなりたい。」だったよなあ。

 追記(6月15日):

 「おもしろい(面白い)」という言葉は、「面=目の前」+「白い=明るい様」で「目の前が明るくなる」という意味から来ているという説が有力だそうです。で、もともとは「美しい光景・景色」という意味で使われ、転じて、楽しいとか、愉快などという意味で使われるようになったとのこと。でも、現在使われる意味と同じ用法で「おもしろい」を使う例は、けっこう古くからあったようで、そういう意味では、この「おもしろい」という言葉は、日本語としてはかなり年季が入っているようです。ちなみに、漢字から読み取れる「顔が白い」とは関係がないらしい。

 目の前が明るくなる、というのは、なんとなく分かる気がしますね。知的な話でも、単なる与太話でも、おもしろい話は、自分もまわりも明るくしますものね。

 「おもろい」は、調べたわけではありませんが、きっと、単純に「おもしろい」の関西訛でしょうね。関西はなんでも短縮しますから。マクドとか、レイコーとか、レスカとか。なので、「おもしろい」と「おもろい」は同義とも言えるけれど、文化的な考察からこのふたつの語を見ると、確実に違いがあるような気がします。それは、私が関西出身だからかもしれませんが。

 なんとなくですが、こんな感じかな。

 このエントリ、おもしろいかどうかは分かりませんが、書いている本人は、書いてるうちにおもろなってきて、こうして追記までしてしまってるわけなんです、という感じ。この、おもしろい、と、おもろい、の差。うーん、余計にわかりにくいか。

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2009年6月13日 (土)

昆布の国

 なんでもおいしくいただくのが取り柄の私なので、東京在住の大阪人にありがちな「東京のそばは汁が真っ黒で食べられへん」みたいなことはあまり思わないです。あれはあれでおいしいし、ものの本によると、東京のおそばの汁の色が黒いのは濃い口醤油を使っていて、大阪のおうどんの汁の色が薄いのは薄口醤油を使っているからで、塩分濃度で言えば大阪のおうどんの方が高いとのことです。

 おそばに限れば、大阪より東京の方が、圧倒的においしいものが食べられます。というか、大阪の人は、あまりおそばを大事にしていない感じがします。ざるそばを頼むと、大阪では必ず鶉の生卵がついてきます。それは、東京のそば好きだと、あまり好ましくないように思えるのではないでしょうか。おそばの麺も大阪のはちゃんとした店でも、うどんっぽいというか立ち食いっぽい感じですし、どっちかというと、「うどんに飽きたから今日はそばにしとくか」みたいな感覚が大阪の人にはあるかもですね。

 郷に入れば郷に従えではないですが、東京は東京で、食いもんはそれなりにおいしくて、グルメではないけれど、それなりにたのしい食生活を送れたりしています。でも、ときどき思うこともあるんですよね。ああ、なんか大阪の味が恋しいよなあ、なんて思うことが、ね。

 それは、味のベースになる「だし」。大阪というか関西は、ベースが昆布なんですよね。立ち食いうどんも、昆布がベース。東京はほぼ鰹がベースですよね。それは、なんかときどき思います。「ああ、昆布だしの汁を、ぐぐぐっと飲み干したいなあ」と思うときがあります。

 そういう大阪人は多いと思うんですよね。東京の人にも、昆布だしファンも多いようですし。だけど、東京で昆布だし勢力は広まらないですね。逆に言えば、東京の鰹だしのたっぷりきいた濃い口醤油の汁のおいしさに焦がれる大阪人も多いとは思うんですが、大阪では、鰹だし勢力が広まる気配は一切なし。

 そのことを嘆いているわけじゃなくて、おもしろいもんだなあ、と。これだけ情報があふれて、いろんなことが多様化してきている世の中で、東京は鰹だしで、大阪は昆布だし、ということろはずっと変わらない。よく知られたことだけど、日清の「どん兵衛」なんかも、西日本は昆布ベースで東日本は鰹ベースですし。

 昆布だしを思う存分楽しみたいなら、「肉吸い」がおすすめです。肉うどんのうどん抜き。千日前の「千とせ」が有名。なんば花月の近くなので、吉本の芸人さんにもファンが多いです。あっさりとした薄切りの牛肉と青ねぎがとってもいい感じ。牛丼屋さんの牛皿より、私はこっちが好き。

 同じようなものは、東京にもありますね。「天ぬき」というやつです。天ぷらそばのそば抜き。こっちは、そば通の人と一緒にそば屋に行ったときに、1回だけ食べたことがあります。こちらは、「天ぬき十年」という言葉があるそうで、十年通って常連にならないと頼めない通の食べ物だそうです。大阪出身の私からすると、東京って、というか江戸文化って、いろいろややこしいよなあ、と思ったりもします。

 では、みなさまがたも、引き続きよい休日をお過ごしくださいませ。

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2009年6月11日 (木)

広告の瞬間

 今日のお昼の出来事。

 東京は、午前中小雨。朝からちょっとバタバタしていて、幸い雨も上がりそうな感じだし、お昼はお弁当に。わりと人気の弁当屋さん。いつもは長い行列ができているんだけど、今日はそうでもなかったんですね。ああ、やっぱり雨が降ってたからなあ、なんて思いながら店の前で待っていると、お店のおばちゃんが出てきて、

 「ちょっとごめんね、雨が上がったから看板を外に出しますね。」

 で、黒板にチョークでメニューを手書きしている看板をお店の外に出したんですね。すると、その瞬間、どこからともなくお客さんがゾロゾロと。あっというまに、いつもの長蛇の列ができてしまいました。

 すごいもんだなあ。看板ひとつで、結構違うもんなんですね。なんか広告の瞬間に立ち会えた感じで、なんだか得した気分になりました。

 ちなみに、こんなお弁当。

Bento

 お魚弁当、お肉弁当などのすべてのお弁当の今日のおかずが全部入った「全部入り」が750円。お値段は少し高めで、カロリーはかなり高め。でも、うまいんだよなあ。

 こんなこと書いてたら、なんかおなかがすいてきました。でも、今頃食べると健康にはよくないんですよね。どうしたもんかしらねえ。

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2009年6月10日 (水)

たまには広告の仕事のうれしさについて語ってみてもいいですか

 なんか巷では100年に一度の不況とか呼ばれてて、そんなとき真っ先にカットされるのが、交通費、交際費、広告費だなんて言われてて、それよりもなによりも、「いまどきテレビCMとか新聞広告ってさあ、時代の変化についていけてないよね。終わってるよね、広告」とかブログで語られたりしたときには、そのひとつである広告を仕事にしている私なんかは、「そないに言うなや、あんまり言うなや、そなこと前から知ってるわ(by Rikuoさん)」という気分になります。

 とは言いつつも、時代が変わっているのは事実だし、その事実から目を背けることはできないわけで、そんなこんなであれこれ広告について、このブログに書きつづってきたわけです。そんなわけなんで、いつもの広告論的なエントリは、この時代にどうしていったらいいでしょ的な憂いがにじんでいて、ま、それも魅力のひとつではあるのでしょうが、今夜は、広告の仕事をするよろこびについて大いに語ってみたい、そんな気分です。って、どんな気分やねん。

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 枕はこんな感じにして、本題。

 広告の仕事のよろこびって、人によっていろいろあるでしょうが、私にとっては、これにつきます。

 やれば出来る子が、それなりにのびのびと世の中を泳げるようになっていくことにかかわるよろこび。自分が担当した商品やブランドが、はじめはパッとしなかったのが、次第に、「あいつ、最近、なんかいいよね。元気あるよね。」みたいになっていくことにかかわれるよろこび。

 本来はもっと売れるんじゃないかと思うけど、現状、あまりパッとしない。期待を担ってデビューしたのに、期待に応えてくれない。そんな商品やブランドは、けっこうあります。広告費もそれなりにかけているのに、あまり売れない。そんな商品やブランドは、その会社では、ちょっとかわいそうなポジションにあります。あいつ、期待はずれだよね、駄目駄目だよね。あいつさえいなければいいのに。そんな目線に、しょんぼりしながら耐えている、みたいなね。

 そういうかわいそうな商品やブランドと出会ったとき、広告屋魂がメラメラ燃えます。「よし、人肌脱いだるか。待っとけよ。」てなことを思います。いろいろ調べて、その子が「やればできる子」の部分を必死でさがします。見つかれば、なぜその子のよさがみんなに伝わらないかを考えます。伝わらない理由が見つかったら、もう勝ったも同然。

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 ずいぶん前の仕事だけど、とある百貨店のゴルフバーゲン。品揃えもそこそこいけているのに、なぜだかいまいち。それまでの広告を見ていると、目玉商品の1万円均一のお買い得クラブとかをドーンと出していました。要するに、「目玉商品で釣る」というやつですね。こういうやり方は、初日は釣れますが、中日は閑古鳥ということが多いんですよね。そこが悩みどころでした。もうゴルフバーゲンは時代にあわないんじゃないか、みたいなことを言う人もいました。

 で、もう一度、そのゴルフバーゲンの商品構成を見てみました。すると、さすが老舗の百貨店。有名メーカーのクラブが、わりとお買い得なバーゲン価格で出ているのです。バーゲンなので、最新クラブとはいきませんが、少し前までは超人気クラブだったものがたくさんありました。

 それともうひとつ。百貨店の新聞広告って何だろう、みたいなことを考えました。そもそも、百貨店が新聞広告を打つ意味って、商品広告にあるんだろうか、と。通販なら商品広告はありなんです。それと、メーカもあり。だけど、百貨店なんです。百貨店のバーゲンの広告なんです。

 そうなんですよね。商品広告じゃなくてバーゲン広告が必要なんです。「バーゲンにでるこの商品がお買い得ですよ」じゃなくて、「バーゲンやりますよ。ぜひ来てね。」というメッセージが、その新聞広告には必要なんです。語弊はあるけど、百貨店の命は、商品ではありません。百貨店がそのプライドにかけて集めた商品が集う「場」が命なんです。

 一流メーカーのゴルフクラブ10本を、出来る限り美しく撮影しました。職人肌のカメラマンが、「こんなイメージは写真じゃ無理なんだよ」と言い訳するのをなだめながら、朝までねばって。ビジュアルは、ただそれだけ。値段は、1万円というキリのいい数字ではなく、54000円とか68000円とかバラバラ。だけど、それでいいんです。理由をみつけた我々には、迷うことは何もありません。

 コピーは「あす10時スタート。」これ1本勝負。A1という美しい明朝体を思いっきり太らせて、新聞枠の上部にドーン。完全版下をつくって、ていねいに製版して、その新聞広告は、日経新聞の夕刊にイメージ通りの姿で掲載されました。

 翌朝。背広姿のサラリーマンの行列がありました。会社がある平日にもかかわらず。そして、その行列が噂を呼んで、バーゲン期間中ずっと盛況でした。それは、いままで駄目だった子が、元気になった瞬間でした。以来、そのゴルフバーゲンは息を吹き返し、名物催事に成長しました。

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 メディアの状況が変わった今でも、そういう広告の仕事のうれしさはいくらでもあります。ただ、あの頃と、少しやり方は変わったけど、基本は同じだと思います。それは、詳しく事例を挙げられないのが悔しいけれど、私の今やっている仕事が物語っています。近くに広告マンがいれば、お酒に誘って聞いてみたらいいです。きっと、うれしそうに成功事例を語ってくれるはずです。

 今、広告に元気がないです。時代が変わって、これまでのやり方が通用しなくなりつつあります。それは、やっぱり事実でしょう。でも、でもね、否定されたのは、やり方であって、広告ではありません。聖書も歎異抄も、ある見方をすれば、広告です。時代の変化ごときで、広告が終わるわけないんです。時代が変化したからといって、変化球しか通用しないだなんてことはないんです。

 やり方は変わったし、これからもどんどん変わる。でも、広告の基本は変わらない。広告の基本が変わらなければ、広告の仕事のうれしさだって変わらない。私は、そう思います。

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2009年6月 8日 (月)

人生は案外無口だ。

 テレビドラマや漫画では、主人公がひとりでなんだかんだ話しています。でも、日常生活でひとりでいるときに、声に出して思っていることを話すことはないですよね。テレビドラマや漫画はフィクションですから、ストーリー展開に必要な台詞は、主人公がひとりでいるときにも声に出してお客さんに知らせてくれるけど、日常生活では誰も見ていないわけですから、その必要はないですからね。

 小説では、「彼はそう思った。」と表現されることが多いですが、日常では、小説のようにストーリーの伏線になるようなことを明快に思うことは稀。たいがいは、その瞬間では、言葉にすると「むむう」とか「ううむ」とか、そんな感じの思い方をしている気がします。はっきりとした思いとして断定するのを先送りするというか。

 小説のように、「そう思った」と断定するのは、少し時間が経って、出来事の背後にある事柄や、会話の意味なんかが理解できはじめてからの気がします。私の場合は、「そう思った」というのは「ああ、あのとき、そう思ってたんだな」みたいに、「むむう」とか「ううむ」という感情を後付けで言語化することに近い感じです。

 そういうとこ、私の駄目なところだな、とは思うんですが、これはしょうがないよな、と自分を自分で許しているところはあるかもですね。もうちょっと感情を素直に言葉に出せればいいのですが、いろいろ考えてしまうんですよね。なので、その瞬間は表情だけが少し変わって沈黙ということが多いです。そのぶん、あとからいろいろ言葉があふれてきて、それはそれで豊かなことでもあるな、と思うんですが、その分、言葉のライブ感みたいなものは少ないんじゃないか、とも思います。

 人生って、ドラマと違って、案外無口な感じがします。日曜日はずっとひとりで過ごしていて、お昼頃に有楽町で資料探しをしたり、そのついでにいろいろ買い物をしたり、普段の休日は寝てばかりいる私にしてはわりと充実した1日だったのですが、店員に「WILLCOME 03のスタイラスあります?」というような相手がいる言葉を除くと、言葉を声に出したのはほんの数回でした。

 缶コーヒーを飲もうと、自動販売機に1000円札と20円を入れたら、おつりが100円9枚出て来て、思わず「うわっ。」というのと、何か考えごとをしていて、「そういうことかな、いやちゃうな。」という言葉くらいです。何を考えていたかは忘れてしまいましたが。

 あと、6月4日のエントリ「梅田さんのインタビューのもやもやした部分」の文中に「私はこの部分に、やもやしたものを感じました。」とあって、「もやもや」と書くところを「やもや」と書いているのはどうして、というご指摘をいただいて、「あっ、ほんまや。」と声に出したかな。ちなみに、単なる打ち間違いです。無意識かどうかは私にはわかりませんが、確かに「やもやしたもの」というのは、ちょっと意味ありげで面白いですね。なので、そのままにしておきますね。きっと、そのときは「やもや」な気分だったのでしょう、ということにしておきます。

 人間だけが言葉を持っている、ということだとすると、言葉というのは、やっぱり現実からの疎外としてあるものなのでしょうね。言葉が現実からの疎外から生まれたものだとする、疎外論の文脈だと、なんとなく吉本隆明さんが言っている「言葉の根幹は沈黙である」というのは、少し理解できるかも。もちろん、私は職業で言葉を扱うので、ツールとしての言葉を使いこなす必要もあるのですが、でも、ツールとしての使いこなしの延長線には新しい言語表現というものはないだろうな、という感覚の根拠は、「言葉の根幹は沈黙」だから、ということなのでしょうか。

 このへん、いろいろ難しいですが、なんとなくぼんやりと、これからも自分なりに考えていこうかな、だなんて思っています。さて、月曜日。いろいろはりきっていかなきゃなあ。ではでは。

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2009年6月 6日 (土)

自分にとってのブログというものを、もう一度考えてみたけど。

 今でこそ、ウェブとは、ブログとは、と語る私ですが、ブログをやる前までは、あまりインターネットに親しみがなくて、インターネット関連の仕事をする知人もいませんでしたし、自分の生活の中でインターネットはあまり重要なものではなかったんですね。ここのブログをはじめる動機も、かねてから構想だけあったビル・エバンス論みたいなものを発表する個人雑誌的なものだったし、ライフログ的な動機もまったくありませんでした。広告についてこれだけ書くことになるなんて、当時は思いもしませんでしたし。

 ブログ名の「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」は、まあ、正直言えばスケベ心。マーケティングというやつですね。ブログ名に広告会社に勤める職業人が書いていることを示せば、それだけでも興味を持ってくれる人がいるかな、なんて。ま、スタート時にメディアとしてすこし有利になるかな、なんて下心。デイビット・オグルビーという広告界の偉人がいて、その有名な著書である「ある広告人の告白」を拝借して(ちなみに、この本にはほとんど影響されていません)、でも私が書くと愚痴レベルだよなあ、という感じで安易につけたものだし(プロフィールに書いている「もう愚痴るまい」みたいな逆説的な意味も本当だけどね)、仕事でも勢いがある感じが続いていた時期だったもので、少々鼻息が荒かったこともあるにはあるかも、という感じです。

 最初はおっかなびっくり書いていたし、そもそも、広告コピーばかり書く生活が長かったので、商業文的な文体に体が慣れきって、いわゆる散文的な文章の書き方がわからなくなってしまっていました。でも、書くからには毎日とはいかないまでも、それに近いくらいに継続して書こうとは思ったし、そのうちにコメントやトラックバックをいただいたり、メールをいただいたりしたり、アクセスカウンターで読んでいただいているんだなという実感も持ててきて、そんなこんなで書き方もつかめてきて、思いのほか自分の思考を素直に表出できるもんなんだな、みたいなことも気づいて今に至ります。

 広告のことについては、今、広告に携わる人は悩んでいるだろうということもあり、自分の悩みや考えを積極的に言葉にすることで、広告をとりまく「現在」というものを共有できるだろうという思いも芽生えてきて、あまり積極的ではないけれど、他の人が書いた思考に対しての言及やら応答やら、つまり、コミュニケーションみたいなこともできるようになりました。もともとは、コミュニケーションの仕事をしているわりには、というか、そういう仕事をしているからこそ、本人はいたって内向的で、外に向かって積極的に自分をアピールみたいなことは苦手だったんですよね。

 最初の頃は、自分の仕事歴とその履歴という意味合いで、過去作品を掲載してきたけど、やっているうちにいろいろ問題もあるな、ということに気づいてきたし、ある時期から自分の作品を掲載するのをやめてしまいました。過去を書いてもしょうがないな、という思いもありましたし。

 ブログという「個人メディア」は、個人のプロモーションメディアとしても使えるけれど、読み手としてもそういうブログはあまり読み応えもなく、それよりも、現在進行形の、日々の思考を書き綴っていくことがいいんじゃないか、という判断をしました。ちょっと格好良すぎるので、言い換えると、過去のことを端的にキャッチーに書くよりも、未来への道筋を悩みながら、構成も何も考えずだらだら書くのが、仕事を離れて書くという意味では気持ちいいというか、楽というか。

 私は、仕事では、短く明快な言葉を書いています。広告は、そういう仕事です。そこに書き手の個人的な気持ちの揺れなんかが入り込む余地は、あまりありません。企画書にしても同じです。はっきり言えば、そういう文章は、個人の領域ではもういいんですね。それよりも、仕事では書けない気持ちの揺れや思考のぶれみたいなものにも目をそらさずに、思考の流れをそのままに、構成を入れずに書いていきたい。私にとってのブログは、そういう場所です。

 そうなると、不思議なもので、ブログと私がきわめて近くなってくるんですよね。もちろん、私的な会話や、密かに思っていることを全部書いているわけではありませんし、書けないことも当然あるし、公的な空間であるネットで公開していいことしか書いていないわけなんですが、それでも、ブログは私であるという感覚が強くなってきます。そして、このブログを通して出会った方々は、この人はこういうことを考えている人だということで私に対していただいていて、そんな感覚の出会いは、ブログをはじめる前はなかったような気がします。それは、自己アピール下手な私にとっては、いままで経験したことがない新しい感覚で、とまどうくらいの幸福な出来事なんですね。

 そういう感覚は、ブログをやっている方の中でもある方はいらっしゃるのではないかな、と思います。なんでしょうね、この感覚。きっと、それには、ブログというツールが、思考、記述、公開というプロセスを大幅に短縮したというのもあると思うんですね。ブログというと、コメント機能、トラックバック機能が喧伝されがちですが、本当は、このプロセスの短縮というのが、個人にとって大きかったのではないかと最近私は考えています。

 このブログのデザインは、本文の文頭に「CONTENTS:」という文字が入っていますが、世間で言うコンテンツとはまた違ったものなのだろうな、と思います。もちろん、世間で言うコンテンツを意識して書く時も、たまにはありますけどね。テキストサイトの時代からブログへとつながる「個人メディア」が、これから、私の人生にとってどういうものになっていくのかについて考えてみたけど、結論が出せませんでした。今の私にはまだわからないし、今のところ明快な答えは出せないでいます。ぼちぼち書きながら、ゆっくりゆっくり考えていくしかないんでしょうね。

 それにしても、あらためて思いますが、自分でも、こんなに書くことになるとは思わなかったなあ。始めたときは、自分をブロガーとも思わなかったし、ブロガーというのは別の種類の人だという意識があったしなあ。今や、私はブロガーではありませんと言っても、いやいや、あんたブロガーでしょ、という感じだものなあ。ほんと、なんだろね。では、みなさま、よい休日を。

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2009年6月 4日 (木)

梅田さんのインタビューのもやもやした部分

 例のITmediaのインタビュー。インタビュアーの岡田有花さんが、梅田望夫さんの『僕自身がはてなの取締役でいる限り、「(ネットユーザーに対して)お前たち、こうしろよ」とか「こういうこと言ってるやつはよくない」と言うことは許されないんだなと思ったんです。』という発言に対して、『言えないんでしょうか。どう批判されても、言えばいいのでは。』と問いかけたことに対して。

 それは僕の構え方の問題だね。やっぱり僕は、はてなが大好きだし、近藤には相変わらず期待しているし、みんなの批判を受けたように、「おまえたちが制度設計し、日本語圏のネット空間が良くなるようにすればいいんだろう」と言われればその通りだし。そういうことを思ったよ。

 今、近藤もブログ書いてないじゃない。彼だってアメリカから帰ってきてブログ書かなくなっちゃったじゃない。近藤に聞かないと真意は分からないけど。

 はてなって特異なポジションにあるじゃない。最初のうちは無邪気にみんなやっていた。僕も含めて、ウェブ進化論にはてなのことを書いたし。そういうことをやってきた。

 そのサービスというのは非常にニュートラルなものだから。確かに制度設計といわれても、できる限りオープンにしたいというのがあるからね。

 強権的に何かを削除するとしても、ほかのブログなら何も考えずに消すけれども、うちはむしろ、もうちょっと違うところを目指したりするじゃない。そこが原点になって何か問題が起きたときに、直接的に利用者に対して「君たちがこういう使い方をしているのは良くない」と主観でものを言うのは、はてなの取締役を辞めるまでしないということを、あの事件の時に思ったんですよ。

 そしたらさ、新聞記者が、「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」と言ったんだよ。僕は「ふざけるな」と。「どうしてそんな失礼なことを君は言うの?」と僕は言ったわけですけどね。

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)  (2/3) – ITmedia

 私はこの部分に、やもやしたものを感じました。と同時に、この「もやもや」に、これからのネット、もっと広げて言うとこれからの社会のあり方についてヒントがあるのだろうな、とは思いました。

 この部分にはたくさんの考えるヒントが含まれています。

  • 梅田さんがはてなの取締役である限り、はてなユーザに対する言及はしないという構え
  • 「はてな」の近藤さんが現在ブログをあまり熱心に書いていないことについての梅田さんが推測する真意
  • ニュートラルかつオープンを目指す制度設計とそこが原点になって起こる問題
  • はてなのことを一生懸命考える梅田さんに対して、安易に「辞めてくださいよ」と言ってしまえる新聞記者のメンタリティ

 はてなの近藤さんの件は、近頃は「はてなハイク」でつぶやくことが多いみたいだし、梅田さんのあの発言もTwitterでのつぶやきだったし、このところのウェブのコミュニケーションについてのトレンドと同期しているという部分はあるのでしょうが、ある種のまとまった考えをじっくり書くということが少なくなってきているのは、確かにあるんでしょうね。ログがどんどん微分化されていく傾向にあるように思います。

 ニュートラル、オープンであるシステムは、梅田さんが「ウェブ進化論」などで語られる理想の言論環境の裏側では、究極、件の新聞記者の「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」という発言も許容するということだし、その発言に対して「ふざけるな」と反応することで対抗するというシステムだと思います。あと、スルーもあるけど、言われたほうとしちゃ、やっぱり感情はあるからなあ。

 そういうはてな的な、ニュートラルでオープンなウェブの価値観を体現している、IT戦士の岡田さんが「言えないんでしょうか。どう批判されても、言えばいいのでは。」と質問したのは、ある意味で象徴的でした。

 ここから考えてみると、システムがオープンでニュートラルであることを指向する限り、はてなの取締役という立場でも言うというオープンさとニュートラルさが原理的には求められることになるし、「取締役という立場を離れて言う」というスタンス表明がレトリックとみなされる空間(それは、梅田さん的あるいははてな的オープン・フラットの否定だったんでしょう)において、それが現実的に可能なことかどうかということを考えるとき、やはり、原理的には梅田さんの「構え」というのが導き出されると思うし、それは梅田さんが言うように「今、近藤もブログ書いてないじゃない。」という逆説的な動きをシステムがしてしまうということなんだろうと思います。

 きっと今、梅田さんが考えるオープンでニュートラルかつ上昇志向な言論空間は、ウェブではなくSNSという閉じられた言論空間で可能だと考えているのだと思うけれど、そういうSNSが日本ではまだ実現していないの苛立ちが梅田さんにはあるのでしょうね。

 今、はてなで言えば、「はてなブックマーク」は、ウェブのタイムリーなトレンドを知る上では、少なくとも私にとっては他にはないサイトになっているし、この1点だけとっても相当なものだな、という気がしています。それは、梅田さんが想定するものではない可能性だろうけど。

 一方で、ブログでものを書いていて、ブログによって人生が少し変わろうとしつつある、その渦中にある私としては、梅田さん的な課題は、自分の中にもあるし、私の中では、この「もやもや」は結構、後々まで引きずる「もやもや」のような気がしています。ネットのこれからというのは、社会のこれからのアナロジーとして考えられると思います。これから、このブログで書くことや、仕事などを含めた、ひとつひとつの行動で少しずつ示していく、ということなんだろうな、と思っています。

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2009年6月 2日 (火)

「それじゃ商売にならない」という言い方が好き

 コピーでも、アートでも、デザインでも、レイアウトでも、絵コンテでも、企画でも、マーケティング戦略でも、なんでもそうですが、いろいろたくさん考えるけれど、その中で世の中に出るのはたったひとつだけ。しゃらっとテレビや新聞、雑誌なんかに登場する広告やプロモーションなんかの後ろには、たくさんの没アイディアが隠れています。能天気に歌って踊る、アホみたいなCMも、ほんとはけっこう苦労してつくっているのよねん、みたいなことを言いたいわけじゃなく、要するに、クリエイティブって「チョイス」だったりします、ということが今夜は言いたいのでした。

 なんとなく英語で「チョイス」という言葉を使ってみましたが、つまりは、数多くのアイデアから選択をしているわけで、選択の裏側には「だめ、これはない」みたいなことがあるわけです。いわゆる「没」というやつですね。

 アイデアを没にするためには、理由がいります。まあ、理由なく「没」と言えてしまう人もいるかとは思うのですが、私、そういう強い性格ではないから、「没」にする理由を一生懸命考えたりするわけです。

 好き嫌いを理由にもできるし、ほんとに好き嫌いが理由な場合は、わりと率直に嫌いと言います。問題は、好き嫌いの問題ではなくて、まあその、あるレベルに達していないというか、仕事の目的から逸脱しているというか、凡庸であるというか、そういうケース。これ、理由をどういう言葉で伝えるか、けっこう悩むんですよね。

 「センスがないんだよね。もうちょっとなんとかならないわけ?」

 これは、やな感じですよね。センスって、なんかねえ。センスなんて言葉は、他人が人を評価するときに使う言葉であって、俺はセンスがいいから、なんて言う人はセンスがないわけで、そういう言葉は使いたくないので、却下。

 「つまんない。だめ。やりなおし。」

 気心の知れた人なら、これでいいんですが、いろんなプロジェクトをかかえていると、そうもいかないわけで、それに、この言葉をさらっと言うには、あるキャラクターが必要。で、私はそのキャラクターは演じきれないので、これも却下。ま、このへんの話は、若いクリエイターに対しての話だけではなくて、たとえば、自分のアイデアなりを自分が判断するときの理由でもあるので、そう考えると、私は自分が「つまらないなあ」と思っているアイデアはそもそも出さないし、自分が「おもしろい」と思っているアイデアに「つまらない」と言われたら、なんか落ち込むなあ、と思ってしまうんですね。

 「ブリーフを理解してる?オフストラテジーなんだよ。わかる?」

 外資系っぽいですねえ。こういうのじつは苦手。でもまあ、言い方はともかく、こういうことでもときもあるし、理屈としては間違ってはいないんですが。でも、何かが言い足りていない気もします。オンストラテジーでも、ただ単にオンストラテジーなだけ、「ピンポン。正解です。では次の問題。」じゃ、広告は困るわけで、もっともっと人やビジネスを動かしたりできるホットなアイデアが必要な場合だってあるし。というか、そういうものが必要。

 で、そんなこんなで、私がよく使う言葉が、これ。

 「それじゃ商売にならないのよ。いいアイデアだと思うけどさあ。」

 なんか、こういう言い方だと、少なくとも自分では納得できるかな、なんて。言われた方が納得しているかはわからないけど。コピーライターでも、アートディレクターでも、CMプランナーでも、それなりに自分の表現というものを持っていて、それなりに自負もあると思うんですが、求められているのは、そういう自分の表現でもなく自負でもないし。商売っていう言葉は、クリエイティブにはなじまない言葉かもしれませんが、その先の商売が見えてくるようなものをアイデアと言う気が私はするんですね。だから、この言い方は好き。

 それに、ピュアアートにおいても、商売になる、という感覚っていうのは、大切な感覚のような気がします。実際に売れる売れないの問題ではなくて、あくまで感覚の話ですが。

 気分としては「そんなんやったら商売になれへんやん。ええアイデアやとは思うけど。」という関西弁なんですが、それはいらぬ誤解を招きそうなので、関西イントネーションのニセもの東京弁で言います。それにしても、他の人はどういう言い方をしているんだろう。なんか気になります。でも、そういうことを書いている人はあまりいないんですよね。興味あるのになあ。なんでだろ。

 追記:

 よくよく考えたら、「それじゃ商売にならないよ。いいアイデアだと思うけどさあ。」っていうのは「それ、つくる本人以外はしあわせにならないよなあ。いいアイデアだと思うけど。」みたいなことかもしれない、と思いました。で、きっと「つくる本人のしあわせ」を「みんなのしあわせ」と高確率で合致させていくことができるようになっていく状態が、クリエイターとして「売れていく」という状態なんだろうと思います。

 それは、いろんなアーチストが売れていく過程を追ってきて思ったことです。もちろん、かつてのオフコースみたいに、それにものすごい時間がかかる人もいるのですが。

 もうひとつ大切なのは、でも「つくる本人のしあわせ」ということが、ものづくりでは大切だし基本だよなあ、ということ。それがないと、しんどいかも。

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2009年6月 1日 (月)

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(2)

 吉本隆明という思想家は、独特の問題意識を持っているように思います。私の思い込みかもしれませんが、思想家というものは、原理を追求し、倫理を問うてくるものだと思います。もちろん、ここでいう思想家とは、著作が多くの人に読まれ、語りつくされるような思想家ですが、例えば、僕のような一般の人が書くブログにしても同じです。

 僕は広告屋で、広告の過去、現在、未来を僕なりに語っています。それはひとつの党派性であり、「僕」という独立した個の中での原理でもあります。そして、その言説は、当然のように倫理を問うてくるものです。問うてくると言っても、その影響力の問題がフィルターとしてあるのですが、そのフィルターを捨象したうえで純化して言えば、僕のブログを読んだ人は、共感か拒絶か、という態度表明を少なからず強いてくるものです。

 そうした人間の思考が持つ「世界共通性」つまり原理の希求は、この現実の生活や実際のビジネスのリアルからどんどん離れていくベクトルを持っています。つまり、それ正論だけど、理想論だよね、と言った具合に。純粋に、個が「世界共通性」を希求するとき、それは必然のような気がします。

 そうして獲得された「世界共通性」、しかし、それはあくまで個が希求した「世界共通性」のひとつに過ぎないのですが、その原理は、やがて現実との不具合を、日々平々凡々と「現実」を暮らしている人々の意識、倫理、行動を変えることで整合をつけようとします。ときたま僕がこのブログで批判的に書いている、「素晴らしい広告を理解しない日本の国民は民度が低い」と語る広告屋みたいなことですね。

 しかし、そうして、ネットの言葉で言えば「上から目線」で語る本人も、そういう「現実」に生きる人間です。その「世界共通性」は、やがて生み出した本人さえも否定していくようになります。そのようなプロセスに対しての問題意識が、初期著作のみならず、とってもいい感じのお爺さんになられた今においても、凄まじく激しいのが、思想家吉本隆明のような気がします。

 アマゾンのレビューに、こんな文章がありました。

吉本は個人的な密かな楽しみや、独り善がりな自分勝手にも寛容である。「社畜」などとサラリーマンの哀しさを捨て置き、罵倒することは決してない。彼自身特許事務所にいたときの経験から、仕事が終わった後に同僚と一杯飲みに行くことの「たまらない」楽しさを知っている。そして、思想の営為とは、そうしたたまらない楽しさと決して無縁ではないということを語ったのが吉本だった。

Amazon.co.jp : 吉本隆明1968 (平凡社新書 459)

 この吉本さんの視線は、単に、「私は民衆とともにある」という使命から来るものではないのは言うまでもありません。そうした身勝手な使命こそ、吉本さんの批判対象であり、その「たまらない楽しさ」は、吉本さんにとっての市民としての自然から来る実感だと思います。

 ではなぜ吉本さんは、彼の用語で言えば「大衆の原像」にこだわるのか。それは、きっと、思想家として希求する「世界共通性」のためなのでしょう。「大衆の原像」を折り込まない「世界認識」は無効であることを強く意識してのことだろうと思います。そこには、知識人として原理を突き進める本能との激しい葛藤が見えます。こういう問題意識を持つ思想家は、私は、吉本隆明という人がはじめてでした。

 ジャズピアニストの山下洋輔さんが、どこかで「プロになるということは、今までアンサンブルを楽しんでいたアマチュアの仲間たちと決別することでもある」ということをおっしゃっていたように記憶しています。思想家としての吉本さんにとって、この決別の痛みは当然あるのだろうと思います。なんとなくこの『吉本隆明1968』という本を読みながら、吉本さんの言う「大衆の原像」というものは、その決別の痛みのことなのだろうと思いました。そして、その痛みを忘れて希求された「世界共通性」は破綻し堕落すると吉本さんは言っているような気がします。思想とは、その痛みも取り込むものなのだ、と言っているような気がするのです。

 鹿島茂さんが「個人的に一番好きな文章である」という「別れ」という吉本さんのエッセイを、孫引きになってしまいますが、引用します。小学5年生の吉本少年が私塾に通い始める頃のお話です。

 わたしはあの独特ながき仲間の世界との辛い別れを体験した。別れの儀式があるわけでも、明日からてめえたちと遊ばねえよと宣言したわけでもない。ただひとりひっそりと仲間を抜けてゆくのだ。(中略)わたしが良きひとびとの良き世界と別れるときの、名状し難い寂しさや切なさの感じをはじめて味わったのはこの時だった。これは原体験の原感情となって現在もわたしを規定している。

『背景の記憶』(平凡社ライブラリー)

 僕は思想家でも知識人でもないけれど、なんとなくこの感覚がわかるような気がしますし、生きるとことは、多かれ少なかれ、こうした「名状し難い寂しさや切なさ」の繰り返しだったりすることも、ぼんやりと分かりだしてきました。そして、そこには二度と戻れないのでしょう。その痛みの感覚を「成長」という名のもとになかったとこにして、やりすごすこともできるだろうし、実際、そうしてきたときもあるような気もしますが、それは違うだろう、ということなんでしょうね、きっと。

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(1)

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