広告の瞬間
今日のお昼の出来事。
東京は、午前中小雨。朝からちょっとバタバタしていて、幸い雨も上がりそうな感じだし、お昼はお弁当に。わりと人気の弁当屋さん。いつもは長い行列ができているんだけど、今日はそうでもなかったんですね。ああ、やっぱり雨が降ってたからなあ、なんて思いながら店の前で待っていると、お店のおばちゃんが出てきて、
「ちょっとごめんね、雨が上がったから看板を外に出しますね。」
で、黒板にチョークでメニューを手書きしている看板をお店の外に出したんですね。すると、その瞬間、どこからともなくお客さんがゾロゾロと。あっというまに、いつもの長蛇の列ができてしまいました。
すごいもんだなあ。看板ひとつで、結構違うもんなんですね。なんか広告の瞬間に立ち会えた感じで、なんだか得した気分になりました。
ちなみに、こんなお弁当。
お魚弁当、お肉弁当などのすべてのお弁当の今日のおかずが全部入った「全部入り」が750円。お値段は少し高めで、カロリーはかなり高め。でも、うまいんだよなあ。
こんなこと書いてたら、なんかおなかがすいてきました。でも、今頃食べると健康にはよくないんですよね。どうしたもんかしらねえ。
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コメント
やっぱり
広告の力って大きいですよね。
コピーライターの人たちが生み出す
一字一句やコンセプトに感動していた時代
私は街中にあふれる広告に
やられっぱなしでした。
あの時代は
街中が現代アートである広告に
支配されていたように思います。
それが落ち着いて
今は温故知新になり
すでにアートと認められている
アートを再確認しに
人々が美術館に押し寄せる時代に
なっているのかなあ?
と思います。
でも
私もまだ
広告の力を信じて
お家復興がくることを
待ち望んでいます。
お笑いよりもおもろく
音楽よりもカッコイイ
広告がまた見られることを
期待しています。
ただ
それは
大仰なアートっぽいものではなくて
ひよっとしたら
こちらも
原点回帰というか
案外
足元というか
お弁当やさんの
看板みたいなものかもしれないとも
思ったりしているのですが…。
投稿: おやぢ | 2009年6月15日 (月) 11:34
>お弁当やさんの
看板みたいなものかもしれない
その感覚は私にもあります。きっと、広告はどこかで広告以外の何かになりたがってしまったんでしょうね。きっと、今も広告の原点はお弁当やさん看板あたりにありそうな気がします。
投稿: mb101bold | 2009年6月15日 (月) 12:22
そうですね。
mb101boldさんのおっしゃる”広告以外の何かになりたがる広告”というのは、自分も、自戒すべきところかもしれません。
いまだちょっと勘違いしてしまうことありますもん。基本を忘れて。
自戒。自戒。反省。反省。
投稿: おやぢ | 2009年6月15日 (月) 16:12
>いまだちょっと勘違いしてしまうことありますもん。基本を忘れて。
これは、そんなことを言っている私も時々あります。まあ、そういう欲望もつくるモチベーションにもなっているのは事実だからしょうがないんですけどね。
元電通関西の堀井さん曰く「広告を芸術に利用するんやない。芸術を広告に利用するんや」ということなんでしょうね。
投稿: mb101bold | 2009年6月15日 (月) 20:33