« 自分にとってのブログというものを、もう一度考えてみたけど。 | トップページ | たまには広告の仕事のうれしさについて語ってみてもいいですか »

2009年6月 8日 (月)

人生は案外無口だ。

 テレビドラマや漫画では、主人公がひとりでなんだかんだ話しています。でも、日常生活でひとりでいるときに、声に出して思っていることを話すことはないですよね。テレビドラマや漫画はフィクションですから、ストーリー展開に必要な台詞は、主人公がひとりでいるときにも声に出してお客さんに知らせてくれるけど、日常生活では誰も見ていないわけですから、その必要はないですからね。

 小説では、「彼はそう思った。」と表現されることが多いですが、日常では、小説のようにストーリーの伏線になるようなことを明快に思うことは稀。たいがいは、その瞬間では、言葉にすると「むむう」とか「ううむ」とか、そんな感じの思い方をしている気がします。はっきりとした思いとして断定するのを先送りするというか。

 小説のように、「そう思った」と断定するのは、少し時間が経って、出来事の背後にある事柄や、会話の意味なんかが理解できはじめてからの気がします。私の場合は、「そう思った」というのは「ああ、あのとき、そう思ってたんだな」みたいに、「むむう」とか「ううむ」という感情を後付けで言語化することに近い感じです。

 そういうとこ、私の駄目なところだな、とは思うんですが、これはしょうがないよな、と自分を自分で許しているところはあるかもですね。もうちょっと感情を素直に言葉に出せればいいのですが、いろいろ考えてしまうんですよね。なので、その瞬間は表情だけが少し変わって沈黙ということが多いです。そのぶん、あとからいろいろ言葉があふれてきて、それはそれで豊かなことでもあるな、と思うんですが、その分、言葉のライブ感みたいなものは少ないんじゃないか、とも思います。

 人生って、ドラマと違って、案外無口な感じがします。日曜日はずっとひとりで過ごしていて、お昼頃に有楽町で資料探しをしたり、そのついでにいろいろ買い物をしたり、普段の休日は寝てばかりいる私にしてはわりと充実した1日だったのですが、店員に「WILLCOME 03のスタイラスあります?」というような相手がいる言葉を除くと、言葉を声に出したのはほんの数回でした。

 缶コーヒーを飲もうと、自動販売機に1000円札と20円を入れたら、おつりが100円9枚出て来て、思わず「うわっ。」というのと、何か考えごとをしていて、「そういうことかな、いやちゃうな。」という言葉くらいです。何を考えていたかは忘れてしまいましたが。

 あと、6月4日のエントリ「梅田さんのインタビューのもやもやした部分」の文中に「私はこの部分に、やもやしたものを感じました。」とあって、「もやもや」と書くところを「やもや」と書いているのはどうして、というご指摘をいただいて、「あっ、ほんまや。」と声に出したかな。ちなみに、単なる打ち間違いです。無意識かどうかは私にはわかりませんが、確かに「やもやしたもの」というのは、ちょっと意味ありげで面白いですね。なので、そのままにしておきますね。きっと、そのときは「やもや」な気分だったのでしょう、ということにしておきます。

 人間だけが言葉を持っている、ということだとすると、言葉というのは、やっぱり現実からの疎外としてあるものなのでしょうね。言葉が現実からの疎外から生まれたものだとする、疎外論の文脈だと、なんとなく吉本隆明さんが言っている「言葉の根幹は沈黙である」というのは、少し理解できるかも。もちろん、私は職業で言葉を扱うので、ツールとしての言葉を使いこなす必要もあるのですが、でも、ツールとしての使いこなしの延長線には新しい言語表現というものはないだろうな、という感覚の根拠は、「言葉の根幹は沈黙」だから、ということなのでしょうか。

 このへん、いろいろ難しいですが、なんとなくぼんやりと、これからも自分なりに考えていこうかな、だなんて思っています。さて、月曜日。いろいろはりきっていかなきゃなあ。ではでは。

|

« 自分にとってのブログというものを、もう一度考えてみたけど。 | トップページ | たまには広告の仕事のうれしさについて語ってみてもいいですか »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

吉本隆明」カテゴリの記事

コメント

20代の後半に2年程 一人暮らしをしてた頃 自宅で声を出すことは なかったように思います。

結婚して 二人暮らしになっても お互い一緒にいる時間が少ないと 会話がなかったです。

子供が産まれても 数年は会話になりません。うちの子があまり話しをしないタイプだったせいかも、と思っていたら 保健所の人に軽く怒られました。

周りの大人の会話を耳から吸収して会話の能力が身につくみたいなことを言われて。


で、今はどうも親に自分の興味のあることだけを 一方的に話したがる息子達に できるだけ無口になって存在を消したくなります。

投稿: うずまき | 2009年6月10日 (水) 09:58

>で、今はどうも親に自分の興味のあることだけを 一方的に話したがる息子達

ああ、私もそういう子供だったかも。「あのなあ、今日なになにあってなあ、ほんでなあ、なになにあって、ほんでなあ、なになにで、すごくおいしかってん。」みたいな。

投稿: mb101bold | 2009年6月10日 (水) 22:58

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人生は案外無口だ。:

« 自分にとってのブログというものを、もう一度考えてみたけど。 | トップページ | たまには広告の仕事のうれしさについて語ってみてもいいですか »