子供をなめるな
前にも書いたような気がするけれど、子供をなめちゃいけないということを思うようになったきっかけに、「銀河鉄道の夜」というアニメ映画のことがあります。1985年制作で、細野晴臣さん音楽、別役実さん脚本、杉井キサブローさん監督。原作は、もちろん宮沢賢治の童話ですが、ますむらひろしさんの漫画が原案になっています。
ますむらひろしさんの「銀河鉄道の夜」は、主要な登場人物が二足歩行する猫として描かれ、その漫画を原案とする映画版もそれにならっています。この設定は、ますむらさんが漫画化するときに、宮沢賢治の親族の方の反発や、研究者の方々の批判もあり、ますむらさんが説得にあたられたと「イーハトーブ乱入記 - 僕の宮沢賢治体験」という本に書かれていました。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という作品が持つファンタジー性をビジュアル化する方法論としては、擬人化された猫で描くという手法は、ある意味では正攻法であり、それは、原作と正面から向き合う表現者として、とらざるを得なかった正しい手法であると私は思います。事実、漫画版「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の哲学や世界観を見事に拡張しているように感じるし、結果としてみると、という感じになりますが、擬人化の手法は原作のファンタジー性を映像化するためには不可欠だとも思えます。それは、少なくとも「子供向け」のための擬人化ではないと言えると思います。
少し前置きが長くなりました。そのますむらさんの漫画を原案としたアニメ映画を私が観に行ったときの出来事。今から24年前のことです。その映画は文部省特選になったこともあり、映画館には子供たちがいっぱいでした。原作に忠実なことに加え、主要登場人物が猫として描かれること、そして、原作と原案のふたつの作品をもとにする映画ということもあって、その映画は、当時18歳だった私にも非常に難解な映画になっていました。
当然、子供たちですから、映画館の中でもざわざわと騒ぎます。非常に暗い映像と細野さんの重い音楽が続きます。なんだかなあ、静かに映画を見たいのになあ、と思いながら観ていました。映画版は、原作よりもずっと難解で、原作を何度も読んでいる私でも、これはどういう意味なんだろうと思わされることも多く、館内はどんどん静かになっていきました。子供たちは寝ているんじゃないかな、なんてことを思いながら、18歳の私は、どちらかというと、別役実さんと杉井キサブローさんの投げかける課題に挑戦するといった、少しスノッブな意識を持ちながら観賞していました。
映画がエンディングに差しかかる頃。館内から子供たちが鼻をすする音がどこからともなく聴こえてきました。子供たちが泣いているんですよね。原作を読んだ方も多いかと思いますが、べたに泣ける話ではないんです。どちらかというと宮沢賢治の仏教哲学が色濃く出た作品。つまり、子供たちは宮沢賢治の伝えたかったことに、きちんと応えて、泣くという行為で示している。少なくとも私にはそう思えました。
難解で、よくわからないな、と思いながら観ていた私は、子供たちに負けたなと思いました。もちろん、子供たちですから、ストーリーを完全に追えていたわけではないと思うし、雰囲気で感じている部分も多かったことでしょう。けれども、その映画は子供たちには、心の芯の部分で、きちんと伝わった。
そのとき、なんとなくですが、子供をなめちゃいけないな、と思いました。それは、私が広告制作などで表現をするときの基本姿勢になっています。子供だからこんなものでいいだろ、とか、子供はこんなのが好きだろう、とか、そういう考え方を排除したいと思っています。もしかすると、大人より子供のほうが、理屈が先にこない分だけ感受する深さも深いかもしれない。むしろ、子供を恐れよ。そんな感じで、受け手としての子供に向かっています。
クレヨンしんちゃんの映画が人気だと言います。私は何度か劇場版映画を観に行ったことがありますが、劇場版がなぜ子供たちに人気かと言えば、子供たちに媚びずにきちんと作っているからでしょう。大人も泣けると今でこそ言われていますが、製作陣がシリーズ最初の頃からずっと子供に真剣勝負を挑んだ結果だと思います。こういう映画がヒットしていることは、分野が違う私にとってもすごく励みになります。
ちょっと蛇足ですが、広告は子供に受けるということは、長期的なブランドづくりの観点では大事で、子供たちは未来の顧客でもあり、大人向けの商品やブランドであっても、絶えず子供も意識すべきなんですね。子供を意識するということは、大人である私たちが、真剣に自分に向き合い、真剣に表現と向き合うことであり、つまり、逆説的になりますが、子供を意識するなということでもあるのですが、こういう、ね、言いたいことわかるよね、という話は、具体的な制作過程ではうまく話せる気がするけれども、ブログではなかなか書くのは難しいですね。
断言や極論に人気が集まりがちなブログにしては、なんとも中途半端な感じになってしまいましたが、というかそれは私の場合はいつものことではあるんですが、本日は、こんなところで。日曜日ですし、関連した話題の過去エントリーもあわせてどうぞ。では、よい休日をお過ごしくださいませ。
■関連エントリ
■関連書籍・DVD・CD
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- Riskという概念(2019.10.17)
- 「同和」という言葉をめぐって(2019.10.07)
- 久しぶりにコメント欄が荒れた(2019.09.07)
- 父の死(2014.09.02)
- ラジオのこと(2014.08.29)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
はじめまして。
私は、15年位前の深夜にこの映画を観ました。最初は観るつもりでは無かったのですが、ちょっと観たらそのまま最後まで観てしまいました。本当は寝たかったのに。ありきたりな言葉ですが、幻想的で不思議な感じで綺麗で・・でも悲しいと言うかそういう話しなんだろうと。そして最後、もう涙で、よく画面を観れてなかったと思う。悲しいと言うより、つらいと言うか苦しかった。しばらく「銀河鉄道の夜」が頭から離れませんでした。別に、自分が子供みたいに純真と言う意味ではなく、本を読んだ事がなかったので、先入観とか何も無かったので。
それから、もう一度観たいとずっと思っていたけど、観れなくて。サイトで昨日調べたらいろいろあり、猫にした事が賛否両論あると書いてあって、え〜?と。私はすごく好きですが。本を先に読んだ人、親族にとってはダメなんですね。でも、普通の猫じゃないし、ジョバンニ青いから・・。私にとっては、途中、人間の子供が急に出てきた事に、違和感がありました。
ここのサイトのタイトルが「子供を舐めるな」だったので、そんなに猫にしたのが気に入らないんだと思い、読んでみたら、そういう事ではなかった。で、コメントを書いてしまいました。もし、また「銀河鉄道の夜」を観たとき、泣けるのかな・・?
投稿: オリーヴ | 2011年12月24日 (土) 23:53
オリーヴさん、はじめまして。
>悲しいと言うより、つらいと言うか苦しかった。
ああ、なるほど。その感覚はよくわかります。あの映画は、自分でも意識していない存在の深いところに響く感じがしますね。そんな言ってみれば難解な作品をきちんと心で受け止める子供たちは、当時の私にとって衝撃でした。
タイトルが「子供を舐めるな」だから、確かに猫はないだろ、みたいなブログに思えますね。言われてみて、はじめて気付きました。同種の手法には「じゃりン子チエ」の小鉄、ジュニアや、ちょっと違うけど「綿の国星」なんかもそうだし、私なんかは原作を絵本にするには猫にするしかないだろうなあ、なんて思いました。
コメントをいただいて、私も久しぶりにこのエントリを読みました。ありがとうございました。
投稿: mb101bold | 2011年12月25日 (日) 00:58
コメントを読んで頂けて嬉しいです。
「綿の国星」は、最初、女の子の頭に耳がついているのがなんかいやで、全然読んだ事がありませんでした。(その頃すでに大変人気があったと思います)一度試しに読んでみたら、すごく面白くて笑ってしまうのに、何と言っていいのか分からないけど、あの世界がとても良かった。大好きになってしまいました。人気の理由が分かりました。大島さんを語るほど、全部を読んではいないのですが。
話しが変わりますが、もう少し書いてもいいでしょうか?
他の地震関係の事について書かれているのを少し見てみたのですが、私の頭ではとてもついていけなくて…。私は浜岡原発のある県に住んでいます。防護壁を造る事になっているのですが、相手は太平洋なので、絶対無理じゃないかと。多分海側だけ壁をつくるんだと思うのですが、横からも入ってくると思うし、引き波もあるのに。だから全体を円で(壁)囲まなければいけないんじゃないのかな…?よく分かりませんが。なんか間違った事書いてるかもしれませんが。
長くなってしまいすいません。失礼しました。
投稿: オリーヴ | 2011年12月25日 (日) 09:32
「綿の国星」は私は人にすすめられて読みました。おっしゃるように女の子の頭に耳がついていることに象徴的な少女漫画な画風が慣れなかったのですが、読んでみるとすごくせつない話で。やはり食わずきらいは良くないですねえ。
原発について考えるのは難しいですね。浜岡なんかは、それこそスーパーコンピューターレベルのシミュレーションの世界ですし、この場に及んでかなり精密にやっていると仮定すると、そうなるとあと残るのは、原発そのものも含めて、地震が多い国に住む私たちが信頼できるかどうかということですよね。
これから90%以上の原発が止まった状態で冬を迎えます。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111225/t10014887771000.html
春になる頃が国策(今は民間がやっていることになっていますが、原子力発電はもともと国策としてはじまりましたし、性格としては今もほとんど国策と言ってもいいと思います)の原発の行方をもう一度深く、短期だけでなく、代替電力をどうするかという中長期のことも含めて論議されるタイミングだと思います。私も間違ったことを書いているかもしれません。でも、タブー視して、話せなくなってしまうのは一番よくないですよね。
コメント、ありがとうございました。
投稿: mb101bold | 2011年12月25日 (日) 15:09
こんばんは。たびたびすいません。
あれから、他のカテゴリーも少し見てみたのですが、凄く場違いな所に来てしまったんだなと…。返事の原発の話しも分かりましたが、あれ位がギリギリだと思います。レベルをあわせて頂いたんだなと。ありがとうございました。
場違いなのは承知で、もう少し書いてもいいですか?お暇な時に読んで下さい。
森に例えて話されてた方(メディアの所)がいましたが、面白かったです。桃に見えるけど…バナナっぽいとか、毒キノコも生えてるとか。
何年か前、ホームセンターで、売れ残りのバラを安く売っていて、買おうか買わないか結構悩み、結局買ったのですが。「グルス・アンテ・ブリッツ」(・の位置が違うかも)と言うバラで、本屋のバラ辞典で調べたら、宮沢賢治の愛したバラと書いてあり、かなり嬉しかった。ただこれを言いたくて。少し病気に弱いそうです。でも、普通に元気です。和名は日光と言います。全然興味無いですよね・・。
お仕事頑張って下さい。
良いお年を!
投稿: オリーヴ | 2011年12月30日 (金) 19:22
よいお年を、というか、あけましておめでとうですね。
健治が愛したバラ、ということでちょっと興味が出てきて調べてみたら、すごく深い赤色なんですね。なんか年始から、すごくいい感じです。
投稿: mb101bold | 2012年1月 1日 (日) 00:42
たびたびすいません。
「最近気になった言葉?」のタイトルが見つからなくて、こちらに書きます。
携帯で調べたら、SMAPのSOFTBANKのCMだそうで、もしかしたら、ライバル会社?のCMと言うことだっりしたら、失礼致しました。
あれ以来、一度も見たことがなかったのですが、今日昼間やってました。私のところでは、全然流れて無いと思うのですが…。犬のお父さんのは、よく見ますが。
ナレーションも、多分と書きましたが、絶対妻夫木さんだと思ったんですけど。今日のCMでも、妻夫木さんに聞こえた・・木村さんだったんですね。車のCMかなと思ってました。
失礼致しました。
投稿: オリーヴ | 2012年1月22日 (日) 19:53
オリーヴさん
「最近気になった言葉」はこちらです。
http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-29e5.html
この記事にいただいたコメント、ブログにのせなくてもいいとのことでしたが、とくに掲載しても問題ないだろうと思って、せっかくなんで載せてしまいました。
ライバルのCMでもべつにかまいませんよ。ではでは。
投稿: mb101bold | 2012年1月26日 (木) 19:21
こんにちは。
前に、バラの話を勝手に書きましたが、今、つぼみついてます。
全部でバラは五種類あるのですが、グルス‥がいつも一番先に咲く事が多いし、花数も多いです。そんなとこが、なんかかわいい。とは言うものの、私はいつも、水を切らさないように気を付けているだけで、(たま〜に肥料)結構ほったらかしで毎日観察?している訳ではないので、毎回、家に帰って来ると、いきなり咲いていてビックリします。
今回は、こちらに書いたりしたので、枯れたり咲かなかったりしたらと、いつもより気にしていました。
こんな感じなので、趣味だとは思ってないです。
ブログに、アジサイの写真載ってましたが、アジサイも五種類位あります。オリーブもあるし、ブドウもあるし、クリスマス・ローズもあったりしますが、趣味ではありません。
知らんがなですね。
それでは、良いGWを。
(^-^)/
今、地震ありました。
(@_@)
投稿: オリーヴ | 2012年4月29日 (日) 19:48
千葉沖の地震ですね。私は大阪にいましたのでテレビで知りました。
花は不思議ですね。あっというまに咲いて、あっという間に散って。あれだけ見事に咲いた桜もいまは緑の葉を茂らせてますし。もうすぐあじさいも咲きますね。
ではよいGWを。
投稿: mb101bold | 2012年5月 1日 (火) 09:50