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2009年6月22日 (月)

梅田駅と阪急の反骨

 NHK教育の「鉄道から見える日本」という番組を見ました。原武史さんが鉄道を通して日本の近現代を語るというシリーズなのですが、私が見た回は第4回「西の阪急、東の東急」です。この番組、ところどころつまみ食いで見ているのですが、その貴重な資料映像とともに、歴史の分析が鋭くて、すごく面白いです。最近、NHKがつくるコンテンツは抜群ですね。なんか民放が元気がなくて、さみしいです。こういうときこそアイデア1発勝負の時だと思うんですけどね。がんばってほしいです。

 ということで、この回のテーマは「官と民」。大まかな趣旨としては、阪急の創業者である小林一三が「民」の力で事業を展開したのに対して、東急の五島慶太が「官」を最大限に利用し協調するかたちで事業を展開してきたというものでした。そのことは、西の反骨精神の文化を象徴する一方で、東を象徴する東急は、阪急がなし得なかった大規模な都市開発を実現した、というものでした。

 その中で、特に印象に残ったエピソード。国鉄(現JR西日本)頼りを嫌った小林一三は、国鉄「大阪駅」から少し離れた場所に駅をつくり、駅名を阪急「梅田駅」としたという話。私は大阪生まれで大阪育ちですが、何度か、どうして名前が違うんだろうとは思ったことはあるけれど、理由はまったく知りませんでした。なるほどなあ、でも阪神の方が早かったんじゃなかったっけと思って調べると、当時は大阪駅から少し離れたところにあった「出入橋駅」が阪神の大阪におけるターミナル駅だったんですね。

 阪急は確かに少し離れたところに駅があるんですよね。東京で言えば、西武新宿駅みたいな感じです。で、そのJR大阪駅との間に阪急百貨店やHEP FIVE、ナビオがあり、梅田駅の後ろ側には阪急三番街が伸びているという格好。いわゆる阪急村ですね。今、阪急百貨店が改装中で、高層ビルが建ちつつあり、向いの阪急グランドビルが少し小さく見えてきました。これも時代の流れですね。

 東京では、東京駅界隈の八重洲や丸の内を「東京駅」と言いますが、大阪では、大阪駅界隈の繁華街は「大阪駅」とは言わずに「梅田」と言います。梅田で飲もか、みたいな感じです。そういう意味では、完全に阪急の勝ちですね。また、あとから続く地下鉄の駅が、「梅田駅」「東梅田駅」「西梅田駅」というように阪急に続いたことに至っては、完勝ですね。まあ、勝ち負けを競っていたわけではないでしょうけど。

 子供の頃は、阪急ブレーブスというプロ野球団がありました。大阪の子供は、たいていは阪神ファンでしたが、阪急ファンの子は、どことなく上品だったような気がします。つまり、お金持ちの子が多かったような。阪急文化は、どことなくコンセプトがパリなんですよね。阪急三番街なんかもパリっぽいし、宝塚歌劇団もおフランスの香りがしますよね。そんな阪急の戦略を、大阪人は「大阪パリ化計画」とからかい半分に呼んでいます。メガネのミキ(もともとは姫路で創業し、関西中心に営業していた)もそうですが、西の企業人はパリが好きですね。

 でもまあ、番組でもありましたが、文化という意味では、阪急の文化戦略よりも東急や西武のほうがうまくやっていた印象が私にはありました。確かに宝塚は、保守本流の文化をつくりましたが、阪急三番街のようなパリ感は、結局、大阪のおばちゃんをバーゲンの時にたまに惹き付けるくらいで、あまりうまくいった印象はないです。大阪の文化は、企業でさえなという意味で、完全に「民」主導で、ミナミのアメ村だったり、南船場だったり、自然発生的な場が生成されて栄える傾向がありそうです。なんとなくそれは、新世界界隈の衰退が象徴しているように思います。大阪人は、どちらかというと、人工都市が苦手。バブルの頃でいえば、つかしんの失敗が、東京との明快な違いを示しているような。

 でも、その一方で、御堂筋や松屋町筋のような南北に伸びる道路が一方通行で、巧みに渋滞を避けているところなんかは、大きな都市計画という意味では、東京よりも完全に「官」主導のところもあって、そのへんは都市論の観点では面白いなあと思います。西の反骨精神を考える上では、このあたりの考察はけっこう重要なのではないか、なんて思っています。

 最近は、親元の事情もあって、頻繁に東京と大阪を行き来しているのですが、こういう感じはけっこう面白いなあと個人的には思っています。わりと明快に異なる文化圏を往来するのは、いろいろと刺激というか、ものを考えるときのきっかけになるし。ほんと空気が違うもの。それに、今は新幹線だと2時間半だしね。新幹線と言えば、どうしてマイレージがないんでしょうね。飛行機みたいなシステムにすると、商売上で不都合があるんでしょうかね。なんか、どうでもいい終わり方でしたね。こういうのも西の反骨精神の現れなんでしょうかね。ではでは。

 追記:

 JRの大阪駅については、「大阪駅開発プロジェクト|データ&ギャラリー」というサイトが参考になります。その中の「大阪駅の歴史」というスライドショーにはこうありました。

初代大阪駅の開業は明治7(1874)年5月11日。(中略)ちなみに当時の正式名称は「大阪停車場」。だが、一般には「梅田すてん所」の愛称で親しまれた。

初代大阪駅は不便な立地にもかかわらず、スマートな煉瓦造の洋館が大変な人気を呼び、たちまち大阪随一の名所となった。(中略)弁当持参で「すてん所見物」に訪れる人々が後を立たなかったという。

 つまり、当時の正式名称は「大阪停車場」、のちに「大阪駅」となり、正式名称としては「大阪駅」として今に至ったけれども、当時の庶民は地名である梅田を冠した「梅田すてん所」と呼んだということですね。きっとそれは、梅田、曽根崎界隈が当時は大阪の辺境であったことも関係するんでしょうね。

 リンク先を見ていただければわかりますが、当時の絵葉書にも「大阪名物 梅田停車場」と書かれています。

 阪急は、駅名を、庶民のあいだで流通している通称「梅田」にあわせたとも言えそうです。こう考えると反骨というよりも、「大阪駅」を「梅田すてん所」もしくは「梅田駅」と呼んでいる庶民感覚に乗るほうがトクだといった商売感覚であるとも言えそうです。

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コメント

おはようございます。乱入者です。

阪急そばが大好きでした。
それも十三駅西口の!
特急で河原町まで行くのも好きでしたね。
景色がよかった。

確か関西テレビの社長は一時期
阪急から行ってたような?
影響力も強かったんだと想像します。
いろんな意味で。
ではでは。

投稿: 乱入者 | 2009年6月23日 (火) 06:25

私鉄の規模としては近鉄のほうが大きいですが、文化的な影響力では阪急でしょうね。東京にも有楽町に阪急百貨店がありますが、そちらは関西ほどの影響力はなさそうです。髙島屋や大丸、かつてのそごうに比べると、少し大人しいというか。
関テレは東宝と関係が深いので、その影響もあるかもですね。

投稿: mb101bold | 2009年6月23日 (火) 11:41

第3回を見ましたが、その回も面白かったですよ。
「御召列車」を日本津々浦々の民衆に迎えさせることで
時間を守ることや権力に従うことを覚えこませて
天皇による国民支配の基礎をつくったということで、
ホンマかいなとも思いつつ目からウロコでした。
大正天皇についてテレビであれだけ多く
語られてるのも初めて見ました。

投稿: o | 2009年6月25日 (木) 01:19

そうですか。私は第3回はまだ見ていないです。関西私鉄の考察といい、大正天皇といい、このシリーズは原武史さんらしさが全開ですね。
そう言えば、うちの母方の祖父母は梅田界隈の梅が枝町というところで育ったらしく、当時は馬場町や本町なんかの町中と比べると、ほんと田舎だったそうです。そんなこんなで、よくよく考えたら、ちょっと前は、大阪の中心といえば天王寺だったんですよね。

投稿: mb101bold | 2009年6月25日 (木) 01:41

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