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2009年6月 6日 (土)

自分にとってのブログというものを、もう一度考えてみたけど。

 今でこそ、ウェブとは、ブログとは、と語る私ですが、ブログをやる前までは、あまりインターネットに親しみがなくて、インターネット関連の仕事をする知人もいませんでしたし、自分の生活の中でインターネットはあまり重要なものではなかったんですね。ここのブログをはじめる動機も、かねてから構想だけあったビル・エバンス論みたいなものを発表する個人雑誌的なものだったし、ライフログ的な動機もまったくありませんでした。広告についてこれだけ書くことになるなんて、当時は思いもしませんでしたし。

 ブログ名の「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」は、まあ、正直言えばスケベ心。マーケティングというやつですね。ブログ名に広告会社に勤める職業人が書いていることを示せば、それだけでも興味を持ってくれる人がいるかな、なんて。ま、スタート時にメディアとしてすこし有利になるかな、なんて下心。デイビット・オグルビーという広告界の偉人がいて、その有名な著書である「ある広告人の告白」を拝借して(ちなみに、この本にはほとんど影響されていません)、でも私が書くと愚痴レベルだよなあ、という感じで安易につけたものだし(プロフィールに書いている「もう愚痴るまい」みたいな逆説的な意味も本当だけどね)、仕事でも勢いがある感じが続いていた時期だったもので、少々鼻息が荒かったこともあるにはあるかも、という感じです。

 最初はおっかなびっくり書いていたし、そもそも、広告コピーばかり書く生活が長かったので、商業文的な文体に体が慣れきって、いわゆる散文的な文章の書き方がわからなくなってしまっていました。でも、書くからには毎日とはいかないまでも、それに近いくらいに継続して書こうとは思ったし、そのうちにコメントやトラックバックをいただいたり、メールをいただいたりしたり、アクセスカウンターで読んでいただいているんだなという実感も持ててきて、そんなこんなで書き方もつかめてきて、思いのほか自分の思考を素直に表出できるもんなんだな、みたいなことも気づいて今に至ります。

 広告のことについては、今、広告に携わる人は悩んでいるだろうということもあり、自分の悩みや考えを積極的に言葉にすることで、広告をとりまく「現在」というものを共有できるだろうという思いも芽生えてきて、あまり積極的ではないけれど、他の人が書いた思考に対しての言及やら応答やら、つまり、コミュニケーションみたいなこともできるようになりました。もともとは、コミュニケーションの仕事をしているわりには、というか、そういう仕事をしているからこそ、本人はいたって内向的で、外に向かって積極的に自分をアピールみたいなことは苦手だったんですよね。

 最初の頃は、自分の仕事歴とその履歴という意味合いで、過去作品を掲載してきたけど、やっているうちにいろいろ問題もあるな、ということに気づいてきたし、ある時期から自分の作品を掲載するのをやめてしまいました。過去を書いてもしょうがないな、という思いもありましたし。

 ブログという「個人メディア」は、個人のプロモーションメディアとしても使えるけれど、読み手としてもそういうブログはあまり読み応えもなく、それよりも、現在進行形の、日々の思考を書き綴っていくことがいいんじゃないか、という判断をしました。ちょっと格好良すぎるので、言い換えると、過去のことを端的にキャッチーに書くよりも、未来への道筋を悩みながら、構成も何も考えずだらだら書くのが、仕事を離れて書くという意味では気持ちいいというか、楽というか。

 私は、仕事では、短く明快な言葉を書いています。広告は、そういう仕事です。そこに書き手の個人的な気持ちの揺れなんかが入り込む余地は、あまりありません。企画書にしても同じです。はっきり言えば、そういう文章は、個人の領域ではもういいんですね。それよりも、仕事では書けない気持ちの揺れや思考のぶれみたいなものにも目をそらさずに、思考の流れをそのままに、構成を入れずに書いていきたい。私にとってのブログは、そういう場所です。

 そうなると、不思議なもので、ブログと私がきわめて近くなってくるんですよね。もちろん、私的な会話や、密かに思っていることを全部書いているわけではありませんし、書けないことも当然あるし、公的な空間であるネットで公開していいことしか書いていないわけなんですが、それでも、ブログは私であるという感覚が強くなってきます。そして、このブログを通して出会った方々は、この人はこういうことを考えている人だということで私に対していただいていて、そんな感覚の出会いは、ブログをはじめる前はなかったような気がします。それは、自己アピール下手な私にとっては、いままで経験したことがない新しい感覚で、とまどうくらいの幸福な出来事なんですね。

 そういう感覚は、ブログをやっている方の中でもある方はいらっしゃるのではないかな、と思います。なんでしょうね、この感覚。きっと、それには、ブログというツールが、思考、記述、公開というプロセスを大幅に短縮したというのもあると思うんですね。ブログというと、コメント機能、トラックバック機能が喧伝されがちですが、本当は、このプロセスの短縮というのが、個人にとって大きかったのではないかと最近私は考えています。

 このブログのデザインは、本文の文頭に「CONTENTS:」という文字が入っていますが、世間で言うコンテンツとはまた違ったものなのだろうな、と思います。もちろん、世間で言うコンテンツを意識して書く時も、たまにはありますけどね。テキストサイトの時代からブログへとつながる「個人メディア」が、これから、私の人生にとってどういうものになっていくのかについて考えてみたけど、結論が出せませんでした。今の私にはまだわからないし、今のところ明快な答えは出せないでいます。ぼちぼち書きながら、ゆっくりゆっくり考えていくしかないんでしょうね。

 それにしても、あらためて思いますが、自分でも、こんなに書くことになるとは思わなかったなあ。始めたときは、自分をブロガーとも思わなかったし、ブロガーというのは別の種類の人だという意識があったしなあ。今や、私はブロガーではありませんと言っても、いやいや、あんたブロガーでしょ、という感じだものなあ。ほんと、なんだろね。では、みなさま、よい休日を。

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