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2009年6月26日 (金)

TCCのこと

 この話は一生書かないでおこうかな、と思っていたけど、そろそろいいかなと思う部分もあり、今ならルサンチマン風味を加えずに書ける気もするので書くことにします。TCC、つまり東京コピーライターズクラブのこと。

 私は、TCCの会員ではありません。TCCに入会するには、年に1回行われるコピー年鑑作品募集の新人部門に応募し、新人賞を受賞しなくちゃいけなくて、私がTCC会員ではないということは、つまり、新人賞をもらっていないということ。

 私の世代のコピーライターにとっては、TCC新人賞はコピーライターの登竜門的なところがあって、私も例に漏れず、TCC新人賞は大きな目標でした。確か、計8回ほど応募したはずですが、ノミネートが3回で、ついに縁がありませんでした。ちなみに、募集要項は、単独コピーライター作品(つまり複数のコピーライターがかかわっている仕事は除外)で、印刷だと5点必要。年に十数人が受賞します。

 私にとって、TCC新人賞をもらっていないことがコンプレックスになっていました。私のことを「コピー侍」という、言われた本人が少し照れてしまうような愛称で呼んでくれる人もいるし、そんな愛称で呼ばれてしまうくらい広告コピーが大好きで、今もなお1行の力を信じて仕事をしているけれど、そんな私はTCC会員ではない。そのことに、なんとなく引け目に感じることが今もあります。人からは、今どきTCCは権威じゃないでしょ、と言われたりもします。また、私の仕事や作品を知る人からは、えっ、TCC会員じゃないんだ、と驚かれることもあります。そんなとき、少し引け目を感じる自分は、なんだかなあ、と思ったりもします。

 私自身、TCCなんて関係ねえよ、と思っていたわけでもないし、恋い焦がれていた時期も確実にあったし、だから、そのこと自体はあるがままに受け止めるしかないのだろうな、と思います。ただ、これからも新人賞を狙っていこう、とは思わないんですね。年齢の問題でもなく、私がもうクリエイティブ・ディレクターだからでもなく、自分の仕事のあり方として。TCCという価値観があり、その価値観と縁がなかったのであるならば、その価値観とは違う価値を提示していくのが私の役割なのではないか、というかそういう役割を担ったほうがおもしろいのではないか、とある時期に思ったからです。だから、いっそのことTCCに応募するのはやめてしまおう。数年前に、そんなふうに思いました。

 それは、もしかすると自分の中のルサンチマンのねじれた決着の付け方だったのかもしれないけれど、まあ、そういう決意をすることで、TCCが持っている広告の価値感とは違う価値を本気で提示しなければいけない状況に自ら追い込むこともできるだろうし、それは、私の仕事の取り組みにおいてはポジティブなパワーとして働くだろうな、とは思ったんですね。

 こういう書き方をすると、どうしてもルサンチマンの罠に絡めとられてしまいそうになるけれど、ルサンチマンからの視点ではなく思うのですね。今のところ、とってから言えよ、という心の声から自由になることができる書き方を見つけられていないのだけれど。でも、たまたま私は縁がなかったけれど、縁がなかったからこそ考えたことや、見えてきたものもあったし、それはそれでかけがえのない自分だけのノウハウにもなってきたかな、とは思うんですね。縁がなかったがゆえの自負心というのは、少しはあるんです。

 私は、誰が何を言おうと、広告の力を信じているし、言葉の力を信じています。その信じるものを、TCCというものさしではなく、あえて自分のものさしで、コツコツとかたちにしていく。そういう道も、それはそれでけっこうおもろいんやないかな、なんて最近は思ったりしています。

 PS 若いコピーライターさんたちへ

 でもねえ、とれるものは早めにとっとくほうがいいですよ。それは、ほんとにそう。こういうのは、とってから言う方がかっこいいしねえ。そういう意味では、このエントリはすっごくかっこわるいんだけど、まあ、私が書く、私のブログだしね。でも、今の若い人って、もはやTCCとかにも、私が若い頃ほどのこだわりはないのかもしれないですね。そういう自由さって、私はいいと思います。その感じでがんばれ。私も負けずにがんばりますよ。

 追記(6月27日):

 それと、ある時期から違う価値を提示していこう、みたいな人とは少し違うやり方を指向するようになっていったから、その分、世界を幅広く見渡せるようになった部分もあるな、とも思います。縁がなかったがゆえの自由と言いますか。だから、この不況でも私はすこぶる元気だし、私がつくる広告も、今どきめずらしいくらいに機能しているという手応えもあるんですね。

 だからこそ、私が考える広告は、ほかの人が考える広告より、とてつもなく広いと思うし、4マスという形式が無意味化してもへっちゃら感は確実にあるんですよね。今、広告に対しては悲観の気持ちはあまりないんですよね。実感として。9月から、新しいことをやろうと今準備しているのだけれど、そこでやることは、きっと新しい広告のはず。それが詭弁と言うならば、それは今までになかった広告的な何かのはず(ですよね)。

 だからこそ、このルサンチマン漂う辛気くさい話を、今書こうと思ったのかもしれんなあ。

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コメント

私はプランナーなのですが、そういう賞がないので、
そういうコンプレックスを抱えられるだけ、
ディレクターやコピーライターのが
うらやましいとは思ったりします。

投稿: | 2009年6月27日 (土) 23:18

CMプランナーならACC、ADならADCというものがありますが、新人賞イコール入会というわけではないので、私はCMプランナーやADがうらやましく思っていました。
私の場合はCDになる前は、自分の肩書きをCMプランナーにすることもできたけど、やっぱり言葉にこだわりがあるしなあ、みたいな感じでしたね。
でもまあ、表現を担う制作はある部分はパーソナリティの部分を切り売りしているところはあるから、ある種のコンプレックスは多かれ少なかれあるんでしょうけどね。他の広告賞は何度もいただきましたが、何かが変わるかというと、そんなこともなく、いつまでたっても他人の芝は青く見えるというか。
名無しさんのプランナーはきっとマーケティングや戦略・企画の分野だと思うんですけど、ブログのように、個人が簡単に継続的なメディアが持てるようになったから、そうした受賞歴に依存した実力評価というのは薄れてきているように思います。ブログを継続的に読めば、その人がどういうポテンシャルを持っているのかは、分野にかかわらずわりあいすぐにわかるようになってきていますし。それは、ほんといい時代になったと思います。

投稿: mb101bold | 2009年6月28日 (日) 00:00

同感ですね。( ̄ー ̄)ニヤリ


投稿: handsな人々。 | 2009年6月28日 (日) 12:06

それはそれは。( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: mb101bold | 2009年6月28日 (日) 21:14

賞をたくさん獲ったスターコピーライターの末路はいかに?
1)いまはもうほとんど仕事がない
2)別の仕事で食べている
3)50代で現場を離れ、子会社へ
4)偉くなっても所詮サラリーマン

もうとっくに花形職業ではなくなっているのと、
「コピーライターです」と自己紹介することの
むなしさ、無力感。それは、いにしえの職業。

投稿: 富士山 | 2009年6月30日 (火) 13:01

私もそう思います。

投稿: 関西の広告業界 | 2009年7月 4日 (土) 17:40

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