自分なりの「広告」の定義をきちんとしとかなきゃな、というのがこのブログにおける広告系エントリーの主題でもあります。「広告」という言葉は、一般化された普通の言葉ですから、いろんな人がいろんな意味合いで使用します。
それはそれでいいと思いますが、少なくとも私が「広告」について考えるときに、自分なりの「広告」についての定義をしっかり持っておかなければ考えがぶれますし、自分の都合で意味を変幻させてしまいがちになるので、その整理は私にとっては結構重要だったりもします。
「広告」って、時代によって意味も変化するんじゃないですか?
という意見もわかります。でも、私としては、そういう時代によって変化していく表層の部分ではなく、もっと深層の、より本質に近い部分で「広告」という言葉を定義したいのです。そうじゃないと、いろいろ見誤ってしまうと思いますし、社会やメディアの変化で変わる「広告」に“共通する何か”をつかまえておきたいのです。
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簡単に「広告」という言葉の辞書的な定義を見ていきます。まずは国語辞典から。
こう‐こく【広告】
〔名〕スル
1 広く世間一般に告げ知らせること。
2 商業上の目的で、商品やサービス、事業などの情報を積極的に世間に広く宣伝すること。また、そのための文書や放送など。
「—を載せる」「新製品を—する」「募集—」
「大辞泉」より引用
でも日本語の「広告」という言葉は、日本語としては比較的新しい言葉ですから、あまり意味のないことかもしれません。よれよりも、英語のadevertisingの元である、adevertiseの辞書的な意味を紐解く方がいいでしょうね。
advertise
動詞 他動詞
1[III 名詞]〈製品イベントなどを〉(新聞ラジオなどで)広告する, 宣伝する;[V名詞as名詞]…が(…であると)広告する;[III that節]〈…であると〉宣伝する
advertise their products widely|製品を広く宣伝する
advertise a child as lost|迷子の広告を出す
deodorants he had seen advertised on television [in a newspaper]|テレビ[新聞]の宣伝で見て知っていた脱臭剤.
2 〈性格本性などを〉如実に表す, 物語る.
3 …を公にする, 公表する, わざと目につくようにする, 宣伝する
There is no need to advertise the fact that ...|…ということを世間に喧伝(けんでん)するには及ばない.
4 [IV 名詞 that節]〈人に〉…と知らせる, 通知する.
━━自動詞
1[I 副詞](求人求職などの)広告をする, 募集広告を出す for ...;(テレビ新聞などで)宣伝する on, in ...
advertise for a secretary|秘書の求人広告を出す.
2 自己宣伝をする
He advertises so much.|彼は大いに自己宣伝をしている.
[中フランス語←ラテン語advertere(ad-へ+vertere向ける). 原義は「警告する」で「広告する」はこの意味が強化されたもの. ADVERSE, AVERT, INTROVERT, INVERT, DEVERT, CONTROVERSY]
「プログレッシブ英和辞典」から引用
意味は国語辞典と同じく、現代で使われる意味が書いてありますが、ここで重要なのは、いちばん下の部分。再度引用します。
[中フランス語←ラテン語advertere(ad-へ+vertere向ける). 原義は「警告する」で「広告する」はこの意味が強化されたもの. ADVERSE, AVERT, INTROVERT, INVERT, DEVERT, CONTROVERSY]
つまり、「警告する」の意味が強化され「広告する」という意味に転じたものがadvertiseであるということです。また、その成り立ちは「ラテン語advertere(ad-へ+vertere向ける)」ということです。「人をこちらに向ける=人を振り向かせる」というのが、もともとのラテン語のadvertereの持つ意味であるようです。
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ここから言えることは、「広告」とは「人を振り向かせる」行為であるということです。逆に言えば、「広告」が対象とする人は、まだ「振り向いていない人」であることです。つまり、「まだ知らない人に気づかせてこちらに振り向かせ、話を聞いてもらう行為」が「広告」と言えそうです。
これは、私が今まで使ってきた「広告」という言葉の感覚にも合致します。それと、やはり「広告=advertising」という言葉の根っこはやはりそこだったのか、というちょっとした驚きもありました。
この部分を追いつめると、つまり「広告」という行為が対象とする人は「そのことについて、未だ知らないし、知りたいとも思っていない」人であるということが言えるのではないかと思います。極論を言えば(あくまで極論なので、一般的な「広告」の定義を妨げる意図はありませんが)、カタログや企業(商品)ウェブサイトなどの「知りたいと思っている」人に向けての訴求手段における表現の方法論は、「広告」のそれとは少し違う部分での方法論であることが言えるのではないかと思います。
広告の現場で「広告」というとき、新聞広告やテレビCMなどのマス広告を指して言う場合が多かったように思います。そこに一分の真実があるとすすれば、この部分でしょう。そして、メディアの変化とともに激変している今でも、この「まだ知らない人に気づかせてこちらに振り向かせ、話を聞いてもらう行為」が「広告」であるという一点だけは変わらないだろうと思います。
私がこのブログでよく使ってきた定義では「広告の本質は受動性にある」ということでもあるかと思います。受動的な態度で見る情報、それが「広告」というもの。その定義に合致するあらゆる情報発信は、つまり「広告」です。そして、旧来の「広告」の形式に似ていようとも、そうでない情報発信については「広告」ではない。極論で言えば、そういうことになります。
広告=advertising
まだ知らない人に気づかせてこちらに振り向かせ、話を聞いてもらう行為
受動的な態度で見る情報
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インターネットは、「知りたいと思っている人」が検索して知ることに特化して発展してきたように思います。それは、インフラとしてのインターネットのテクノロジーの性格上、当然です。そのために、あらゆるテクノロジーが用意されてきました。
しかしながら、そのテクノロジーは「広告」についてのテクノロジーではありません。膨大な「情報」に「知りたい人」が容易く辿りつけるようにするためのテクノロジーです。そして、これまでの旧来メディアの発展もまた、その発展そのものは、「広告」を支える環境の発展であり、そのこと自体が「広告」の進化とは、本質的な意味合いにおいては無関係なものである、という言い方もできるだろうと思います。
そう考えたとき、やはり「広告」の問題というのは、最終的には「表現」の問題であると言えるかもしれません。その「表現」のテクノロジーは、絶えず、環境にあわせて考えられるべきものです。なぜなら、「表現」とは、ある任意の状況下で誰かに何かを伝えることであり、本来、どの媒体で、どの状況で、というものは「広告」の成立要件ではなく、その条件に過ぎないのですから。
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