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2009年7月18日 (土)

「だから無理」ではなくてさ ージャズという音楽の精神ー

 アフリカ系アメリカ人たちの音楽感覚とヨーロッパの伝統的な音楽理論が融合してジャズという音楽が生まれた、というのはジャズを語る時の現代に生きるぼくらの常套句だったりします。でも、そんな言葉からイメージできる、なんか偉い音楽家が、机の上でアフリカ的な音楽理論と西洋音楽理論をこねくり回して、「おっ、これは新しい、これをジャズと名付けよう」みたいなことでは当然ありません。

 アフリカから連れてこられたアフリカ人たちの体に染み込んだ音楽感覚は、もともとイギリス人だったりしたヨーロッパ系アメリカ人とは当然違っています。日本人だってそうですよね。日本の音階は「よな抜き(ハ長調だとファとシがない5音階)」だし。だから、鼻歌なんかも当然違うわけです。そんな鼻歌を歌う彼らのまわりにピアノとかギターのような西洋音楽をルーツとする楽器が転がっていて、で、転がっていて、それしかなければ、当然彼らは使うわけで、その西洋音楽を奏でるために作られた楽器でなんとか自分たちの音楽感覚を表現しようとしてできたのがジャズなんだろうと思います。

 最初は、ジャズなんて名前は付いていなくて、彼らはただ自分たちの音楽を、それを表現するにはちょっと不出来な楽器を使って楽しんでいにすぎないわけで、けれども、その不出来な楽器は、西洋音楽を表現するには完璧な楽器だったりして、自分たちの音楽感覚に西洋的なものをどんどん取り入れていったりしたんだろうな、と思うんですね。やってみると、どんどん新しい音楽が生まれてくるぜ、というような感じで。当然、彼らにとってみれば、自分たちの奏でる音楽は、彼らの音楽感覚にとっては邪道だったりもしたのでしょうが、それよりも、今、新しい音楽がどんどん生まれてくるということのほうが刺激的だったんだろうな、と想像します。

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 彼らのまわりに、彼らにとってはなんとも不完全な楽器がそこになければ、彼らの体に染み付いている音階は「ブルーノート」とは名付けられなかっただろうし、その音階の理論化から生まれた現代のジャズの音楽理論は生まれなかったはずで、そのジャズの音楽理論なしに現代音楽というものは事実上考えられないわけで、ジャズの歴史っていうのはたかだか100年そこそこに過ぎないのだけれど、彼らには感謝しても感謝しきれないものがあるなあ、と思います。

 ちなみに、彼らがネイティブで持っていた音階は、西洋音階では割り切れないものでした。その曖昧な部分を切り捨てて、西洋伝統の楽器が奏でる音階に翻訳されて、無理矢理あてはめていったのが「ブルーノート」であり、ジャズです。日本の今の演歌だって、日本古来の音階を西洋音楽にあてはめた結果。西洋のクラシック音楽にしても、ピアノという楽器の出現により、調律的には割り切りがあると言います。

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 不完全なものだけど、その不完全さを逆手にとって新しいものを生み出していくという方法論は、その後のジャズの進化を性格付けていきます。ニューオリンズで生まれたジャズは、弦楽器とピアノによるリズムと管楽器のメロディという編成のデキシーランドジャズという形式を生み出し、やがて、商業的に発展し、どんどん編成が大きくなり、ビッグバンドが主流になります。いわゆるスィングジャズです。練り込まれたアレンジで、音楽的に成熟していくのですが、そんななか、その成熟したスウィングジャズの音楽性に負けない音楽性を、小さな箱でも実現したいと願う若い音楽家によって、ビバップが生まれます。

 チャーリー・パーカーは、小さな編成でスウィングジャズに負けない音楽性を実現するために、二つの要素を新しく加えました。それは、速度と即興。大きな箱も使えない、大きな編成もできない。だから無理、じゃなくて、だったら速度と即興で勝負する。そんなスピリットが、とってもジャズだなあと思います。

 速度と即興で、お金のかかったビッグバンドによるスィングジャズに勝負を挑んだビバップでしたが、そこでもまた、パーカーに負けてたまるか、という若者がでてくるんですよね。天才的な演奏力を持つパーカーやバドがやったことは、スウィングジャズで生まれた正統的なジャズメソッドに則って、それを早く演奏する、もしくは、自在に演奏するというものでしたが、その彼らが作った、超人的技法で勝負するという道筋には俺は乗らねえよ、という感じで、マイルスは「クールの誕生」とか言って、テンションを低くして極端に音数を減らしたり、旋律自体を変えてしまうモードジャズや、アンサンブルの規則性を無効化したフリージャズなんかが出てくるんですよね。その後は、ボサノバやらエレクトリックやら、なんやらかんやら。

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 ジャズがいいなと思うところは、「だから無理」っていう発想がないところかな。アフリカ系アメリカ人が、自分たちの体に染み込んだ音楽を表現したいけど、そこにあるのは不完全な楽器。だから無理、じゃなくて、それでやってみる、できなかったら、違う手を考えてみる、を選択する人たちの文化。それが、ジャズって言うこともできるんじゃいかな、なんて思います。

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コメント

今回の「だから無理」ではなくてさ、というタイトルに、惹かれました。

ジャズは確かにそういう音楽ですよね。

私は、いまだに、マイルス・デイビスの良さも理解していない、どちらかというとロック寄りの人間ですが、ジャズという音楽が持っている”自由”な精神には憧れています。

私が一番好きだったギタリストの故・大村憲司さんが好きだったマイルスのことを知りたくて、何度か聴いてみたものの、まだ自分の血と肉にはなってくれていないんですよね。

だけど、憧れています。

ビル・エバンスもそう。

いつか、ジャズもクラシックももっと好きになれたら、世界がもっと広がるんだけどなあ。

まだまだ楽しめる音楽をたくさん残しているという意味では、しあわせな人生かもね。

投稿: おやぢ | 2009年7月21日 (火) 12:52

タイトル、わかりにくかったかな、と思っていたので伝わってよかったです。ジャズは何より発想が柔軟、悪く言えば節操がない、そんな感じがします。

マイルスなんかはその典型的なアーチストで、最後のほうはシンディローパーのタイム・アフター・タイムばかり吹いてましたし。そう言えば、マイケルのヒューマン・ネイチャーもカバーしてましたよね。この2曲はずっとお気に入りだったようです。

>まだまだ楽しめる音楽をたくさん残しているという意味では、しあわせな人生かもね。

それは私もそうですね。ここ最近では、関西のブルースなんかは聴き始めてよかったな、なんて思っています。ロックやクラシックはまだまだですし、これからたっぷり楽しめそうです。

投稿: mb101bold | 2009年7月22日 (水) 01:29

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