おこり方がわからない
いがらしみきおさんの「ぼのぼの」という漫画に、こんな話があります。最初のコマが、困っているぼのぼの君、その次のコマがおこっているぼのぼの君。ほとんど違わないんですね。よくよく見ると、肩がちょっとすぼんでいるのですが、みんなにはわからない、そんな話。「ぼのぼの」2巻に入っています。
この話の扉には、ポエムのような言葉が添えられています。
ボクはおこるのがヘタだ
ボクはおこるのがヘタだ
おこるっていうのは
みんなに『自分のモノ』を
教えたがることだって
スナドリネコさんが
言ってたけど
ボクは『自分のモノ』って
なんなのかわからないから
ボクはおこるのがヘタなんだと思う
ヘタなんだと思うったら
私は、ぼのぼの君ほどピュアでもないし、歳をとることで汚れちゃったなあ、みたいな部分もたくさん持っている大人ですけど、それでも、なんとなくぼのぼの君の気持ちはわかります。おこり方がよくわからないし、おこり方がわからないから、おこっていてもそれが相手に伝わらない。で、同じ相手なのに、何度も何度もおこりたくなる場面に出くわすことになります。
いい感じでおこることができたら、こういうことはおこるんだな、と思ってくれて、その後の関係がいい感じになるんじゃないかな、なんてことを思うけど、でも、やっぱり私はおこり方がわからない。頭の中ではおこってはいるんですけど、なんか耐えるみたいなことになってしまします。
そんなことが繰り返されるうちに、ああ、この人とはこれ以上はいい関係は持てないだろうな、なんてさめた気持ちでやりすごすことになります。ちょっとさみしい人間かもな、と思うけれど、大人だし、ニコニコ笑ってやりすごしておこう、なんてことになります。別に関係を絶つわけではないけれど、これ以上は求めてもしょうがないな、みたいな感じ。これは、嫌いっていう感情ではないんですが。
なんとなく、そういうのって、まだ嫌いな人に対する感情のほうがいいのだろうな、なんて思うこともあります。私も人間だから、嫌いな人はいるし、そういう人とのは敬して遠ざかるという感じで対しています。でも、そんな嫌いな人よりも、おこりたくて、おこれなくて、やりすごす関係っていうのはどうなのかな、なんて思うんですね。さみしいけど、そういう人との関係は、どこかで終わりを見ながら付き合っているんです。
熱血漢の人から見ると、最低なやつなんて言われそうな気もしますが、そういう感覚の人は、きっと多いのではないかな、なんて思うんですね。吉田戦車さんの「火星田マチ子」という漫画には、こんな台詞が出てきます。ちょっと不正確かもしれませんが。
あいつを殴ってやる。殴り合って仲直りしてやる。
ああ、吉田戦車さんもきっとおこり方がわからない人なんだろうな、と思います。そういう熱血漢に少し憧れもあるのでしょうね。私にも少しあります。きっと「自分のもの」という主張が、わがままであろうと、自分勝手であろうと、素直に出せる人がいて、そういう人が苦手で、それは心の中で、自分の「自分のもの」を侵害される気になるけれども、そういう感情が苦手だから、おこり方がわからないということなんでしょうね。
私が、この人は好きだなあ、と思う人は、ほぼすべて、おこり方がわからない人のような気がします。じつは、おこり方が上手な人よりも、おこり方がわからない人のほうが、私は怖いです。おこり方が上手な人は、困ったなあと思うけれど、怖くない。でも、この、怖い、という感情は、好きと同じ意味なんでしょうね。
なんとなく、もう、いかにニコニコやりすごすか、という関係に一生懸命になるよりも、好きだなあ、怖いなあ、と思う人との関係に一生懸命になるほうがいいのだろうな、と思ってきています。会社では、というか、サラリーマンのスキルとしては、そういうニコニコやりすごす術は重要だったりもすると思うんですが、こういうのをこれ以上上手くなっても、なんかいいことないような気もするし、これまでで、それなりに上手くなったし。もういいんだろうな、って。それに、上手なおこり方を習得するのは私には無理だと思うし。
これは、自分としては、ちょっとした決意だったり、考え方の転換だったりします。それほど大げさなものではないけれど。好きな人への怖さっていう感情があって、その怖さは敬意であったりもするんですが、おこり方がわからなさそうなあの人にもこの人にもその感情があるというのが、少しわかってきました。心機一転、これからは、怖いという気持ちを乗り越えて、おこり方がわからなさそうないろんな人に一生懸命になりたいな、と思っています。
続篇として:自分で書いておいてなんですが
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コメント
久しぶりにblogを読んでガンガン頷かせていただきました。
激しく同意、ってやつですね。
ああ、オレはおこりかたがわからなかったのか。
ああ、オレは終わりを見てこいつとつきあってるのか。
と目からウロコでした。
こういうややこしい感情を文章化していただいて感謝です。
投稿: superjetter | 2009年7月24日 (金) 10:28
私もおこり方がわからないし苦手です。
おこるのが上手な人はおこって、何かが上手くいく確信があるのでしょうけど、私は、確信は持てないし、おこっている自分が嫌でしょうがないし、何もいいことはないから、できるだけおこらないで、やり過ごすようにしています。
そこには、確かに、最初からあきらめがあるというか、その人を殴ってでも、仲良くなってやるみたいな強い意志がないように思います。
そんな私にも、いつも、同じパターンで、説教をしてしまうようなタイプの人が数人いて、それは、何度も何度も繰り返されるんですね。
なんだか、そのタイプの人たちは、私に怒られるために、話を持ってくるに違いない!とか思っちゃうぐらい。
「あちゃー、おこりたくないのに、まんまとおこらせられてる。悔しいなあ」と思うぐらい。
普段は、人とちょっと距離を置きがちな私が、おこってるときは、相手との距離というか、関係性をかなり縮められてるときなのかもしれませんね。
考えさせられるテーマでした。
投稿: おやぢ | 2009年7月24日 (金) 20:24
>superjetterさん
おこるというのは、ほんとややこしい感情ですよね。書ききってわかったと思うと、するりと逃げられる、みたいな感じです。
>おやぢさん
そう言えば、芸人さんなんかもおこるのが芸の域に達している人もいますよね。カンニング竹山さんとか。そういう芸人さんって、何かが上手くいく確信をつかんだのかもしれませんね。
でも、カンニング竹山さんはおこるのが苦手なタイプなんでしょうね。そんなふうに見えますよね。
投稿: mb101bold | 2009年7月24日 (金) 23:05
怒る人のスタンスの問題ではないでしょうかね。「お前のためを思って怒っているんだ」
というのが前提になると思います。
私の聞いた二つの言葉。
「自分たちが上から怒られないために言ってるだけだ。それが見え見え。」ある新入社員。
「叱ってくれる人がいなくなったのが一番辛いですね。」会社を辞めた後輩の言。
投稿: Mr.Moomlight | 2009年7月27日 (月) 13:12
この2つの言葉はどちらも真実だったりもしますよね。うーん、やっぱり難問です。
投稿: mb101bold | 2009年7月28日 (火) 22:45
こんにちは。時々お邪魔して以前のエントリをちょこちょこ読ませていただいてます。
私も対人関係ではあまりおこらないほうなのか「こういう人を怒らせるのが一番怖い」と人から何度か言われました。
でも通じそうだな、と思った友人からは早い段階で「ほんとはおこりんぼだよね?」って見抜かれました^^;
表に出すことに確信が持てないだけかも知れません。私の場合。
また来ます^^
投稿: ゆずこ | 2009年9月 8日 (火) 16:33
表に出すのにも上手いヘタがありますからね。私は下手です。下手下手です。だから表に出すのが億劫になって、どうにもこうにもです。
>また来ます^^
どうぞよろしくお願いします^^
投稿: mb101bold | 2009年9月 8日 (火) 21:32