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2009年7月 4日 (土)

あらかじめ「ゆるさ」をつくっておく

 「ゆるさ」の考察についての素材として、身近なブログを取り上げてみたいと思います。私自身は、ブログをやるのもやらないのも自由だし、やるならやるで、その人が好きなようにやればいいんじゃないかな、せっかくの個人が持てるメディアなんだしさ、という感じなので、この文章は、ブログ論ではなく「ゆるさ」を考えるうえでのひとつのきっかけくらいな感じでお読みいただければ幸いです。

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 たとえばだけど、とあるブログがあって、ひとつは練りに練られた完璧なエントリが月に1回更新されるブログ、もうひとつは、そこそこのクオリティをキープしながら毎日更新されるブログ。どちらのブログが人気が出るか。たぶん、後者でしょう。きっとそれは、いろいろなブログのPVを時系列で調べれば、実証可能だと思います。

 もちろん、人気というものをPVで計るというのは、あるひとつの尺度にすぎないし、練りに練られた完璧なエントリを待ちたい人もいるでしょう。けれども、冒頭にあげた例に少しばかりの真実があるとすれば、後者のブログが「ゆるさ」を持ち合わせているからだと思います。

 「ゆるさ」というのは何か。それは、きっとにじみ出る人柄の主要な構成要素のことだと思います。はじめはなんか堅苦しい人だなと思っていても、何度か話して、ああ、この人は犬好きなんだ、とか、お腹をよくこわすとか、朝弱いとか、そんな小さなエピソードがつみ重なることで、人柄みたいなものが形作られていきます。つまり、その人が計算して表出するもの以外の様々な事柄、つまり「ゆるさ」が、その人の人柄をつくるとも言えます。

 毎日更新されるブログでは、ときには、なんかよくわからないな、とか、今日は疲れてるんだろうな、とか、そんな不完全燃焼なエントリも書かれます。更新頻度を高めるということは、そういうことでもあります。でも、そうしたエントリの「ゆるさ」が、その人の人柄みたいなものを作り上げて、それがブログの人気につながるように思います。

 簡単に言えば、「顔」が見える、ということですね。

 その「ゆるさ」は、いわゆる「のりしろ」でもあって、その「のりしろ」の部分が相手が入り込める隙をつくってくれます。テレビにひんぱんに出るようになったタレントさんに親しみを覚えるのは、そういうことだと思います。

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 完璧に練られた広告が広告としての機能を果たしにくくなってきたのは、きっと、メディアの多様化と情報表出の敷居が下がって、情報発信がしやすくなったことと関係していると思います。それは、消費者の声が可視化されやすいという部分以上に、企業がその思いを発信しやすくなったということが関係しているように思います。

 情報発信がしにくい状況では、その発信チャンスにすべてをかける、といった心情が生まれます。私がいる広告業界では、少し前までは、新聞広告全15段(全面広告)は、中堅企業にとっては「清水の舞台から飛び降りる」という気持ちでつくるものでした。今でも、そういう部分はなくなっていはいないけれど、今では単純に情報発信だけをとると、ウェブサイトでこと足ります。

 つまり、発信する情報の「質」だけをとってみると、とりあえず情報を広めていくという手段としてのマスメディアという意味合いだけでは情報にある種の「質」を強いることはできにくくなってきて、情報を広める手段としてのマスメディアに掲載する情報であっても、簡単に情報を表出できるという現状に影響されるだろうから、当然のように、練りに練られた、めったに表出できない情報としての「完璧さ」は、まわりの状況から乖離したものとして、社会から疎外されていくのだろうな、とこの状況の中で息をしているひとりの広告人としては肌感覚で感じたりしています。

 もちろん、完璧な情報を表出することが無効になったわけではありませんし、そうした情報も求められる土壌も残りつづけるでしょうが、完璧な情報は、さまざまな情報発信によって矛盾を呼び起こしやすいわけで、完璧な情報を起点にした神話作用を期待するならば、自らが方法発信を禁じるということでしか果たせなくなっていくわけで、それは、かつてならコスト面から出したいけど出せないということで禁じさせられてきたけれども、そのコスト要因がなくなった今、情報発信をしたがる主体としての企業は、なかなか自ら禁じるという禁欲的なふるまいはできにくくいのだろうと思います。

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 逆説的に言えば、あらかじめ「ゆるさ」をつくっておくことは、メディアが多様化した状況化において、情報を発信主体が主体性を持って情報を投げかけ、あるいはあえて投げかけずに、伝えたいことをきちんとしたかたちで伝えるきるための前提条件であるとも言えるのではないかな、と思います。まあ、これは、そのほうが楽だ、ということもあるけれど。

 情報には、次があって、その次の情報発信をしなやかにできる「ゆるさ」をあらかじめつくっておくことは、時間軸で情報発信を考えていくことと同義なんだろうなと思います。簡単に言えば、自分のいいところも、あまり格好悪いところも含めて、顔を知ってもらったほうが、あとあと思ったことを話しやすくなるし、聞く耳ももってくれるだろう、みたいなことかもしれません。ま、こう書くと、そんなん当たり前やんか、と言われそうだけど。

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