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2009年8月15日 (土)

新しい広告は新しいテクノロジーから生まれるんじゃない。新しい表現から生まれるんだ。

 ここ最近、自分のブログの広告関係の過去ログを読み直しています。あんたどんだけ自分が好きやねん、みたいな感じもしないではないですが、時間の経過によって、過去の自分を客観的に見られるメリットもあり、いろいろな思考の整理にもなるんですね。

 で、客観的になって自分の書いたことを読んでみての感想。結局、このブログの人はこういうことを言いたかったんじゃないかな、みたいなこと。それが本日のエントリのタイトルにあるようなこと。なんだか「踊る大走査線」みたな台詞ですが、繰り返しますね。

新しい広告は新しいテクノロジーから生まれるんじゃない。新しい表現から生まれるんだ。

 このブログの人は、ことあるごとに表現の問題、表現の問題、と言っています。このブログの人は、所謂インターネットの人ではなくて、従来のマスメディアの広告を生業にしている人なので、ときどき、ちょっとイライラしながら書いているな、と思うエントリもあります。その行間に感じられることを代弁すると、こういう感じでしょうか。

 インターネットの人は新しいテクノロジーが新しい広告をつくるというけれど、それは違うんじゃないか。例えば、ラジオができて、テレビができたとき、広告の本質みたいなものがガラッと変わったか。変わってないと思う。まあ、変わるという言葉をどんな意味合いで使うかにもよるだろうけど、それでも変わってないと言い切れると思う。それは、DDBのフォルクスワーゲンでも、平賀源内でも何でもいい、過去にさかのぼって広告の歴史を見てみればいい。広告という行為の本質は何も変わっていない。

 けれども、表現はどんどん変わっている。はっきり言えば、80年代の広告は今、通用しない。その延長線上にある今の広告も通用しにくい。当たり前。その時代において最大限の効果を生むことが広告に与えられたミッション。後世にもなお通用するということは、広告のミッションではない。時代が変われば表現が変わる。それだけのこと。

 そのことをインターネットの人は鬼の首を取ったように、広告は終わった、広告はシステムになる、と叫ぶ。それが、この今の情況。でもね、広告はシステムにはならないよ。あの時代の豊かな広告からは学ぶことはたくさんある。学ぶものがないという人は、学び方を知らないだけだと思う。

 多様なメディア。個人発信。ネットによってできた新しい環境とこれまでの環境の違いは、大きく言えば、この2つ。この新しい環境から出て来たものは、情報の拡散・消費の速度が上がったこと。そして、フラット化。この条件の中でどう広告するか。伝えたいことをきちんと伝えきるか。それはまさに表現の問題でしかないではないか。

 みたいなことかな。こう書くと、ずいぶん反抗的なもの言いだよなあ、と思います。あと、こういう言い方をすると、テクノロジー否定のような感じに受け取られるけど、そうではないですからね。むしろ、日々進化するテクノロジーに必死についていってる私がいるもの。それはそれで、餅は餅屋、お互いがんばりましょう的な別の問題。でも、こういう補足を書かないといけないのが、情報発信における「今」ってことなのかも。そんな環境で、いかに広告が広告が本質的に持っている力を発揮できるか、というのが、このブログの広告関係エントリの主題だったのだろう、と思います。

 表現の問題というのは、表現の設計の問題でもあります。大胆な言い方になりますが、成功するかどうかの8割は、その設計で決まってしまいます。その設計のいい解を見つけられたら、その仕事の成功はなかば見えます。で、いい設計をしておけば、後からついてくる様々メディアでの様々な表現は、生き生きと活かされてくるものです。設計という言葉からのこじつけではなく、このニュアンスは都市や建物の設計に似ていると思います。

 私がこのブログを書き始めた頃からの仕事でも、それは実感することです。だから、もう、広告は個別のクリエイターの問題ではないのだと思います。もちろん、個別のクリエイターが優秀であることは必要。けれども、建築家のリアルな実務がそうであるように、それは建築主との幾度ものコミュニケーションによって生まれるもの。そう考えると、これはある人の受け売りではあるけれど、プレゼンの時代が終わり、ミーティングの時代が始まる、ということは確実に言えることだろうと思います。

 あとは、産業としての広告業界が、その流れに対応できるか、ということ。そして、この流れが見えてきたことが、私が実感する「時代の変わり目」というものの正体のような気がしています。

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コメント

はじめまして。「表現」という言葉にとても共感しました。
人は、完全なものに憧れちゃうんですよね。それが、システムだと思います。完全なものなんか作らなくていいし、完全だけが全てじゃないと思う。
「好き!」って気持ちを、システム的に伝えて届くのかなぁ・・・。
その思いを、身の丈にあった精一杯の表現力で伝えるのが、人間じゃないのかなぁなんて。

投稿: たか | 2009年8月18日 (火) 09:23

システムとかプラットフォームって、そもそも人間の表現をよりよく届けるとか、もっともっと人間が便利に豊かにするためにつくられたものなんですよね。

>「好き!」って気持ちを、システム的に伝えて届くのかなぁ・・・。

ほんと、そのとおりなんですよ。広告はシステムにはならないです。でもなあ、広告側も環境が昔のままだと思い込む、みたいな部分もあるんですよね。だから、広告はシステムになる、おまえら古い、とか言われちゃうんです。なんか不毛ですよねえ。

投稿: mb101bold | 2009年8月18日 (火) 11:34

はじめまして。
同じ業界と言うのも憚られますが、
その片隅で広告デザインをやっている者です。
mb101boldさんの記事はいつも勉強になっています。

昼休憩にイカフライ食べながら(失礼な)
読み終えてゾワゾワする感覚がしました。

>プレゼンの時代が終わり、ミーティングの時代が始まる

うちは零細ですが、今まさにこれを感じています。
最初から100%を目指すのではなくて、
クライアントとのコミュニケーションの中で
本当の目的とか背景とか引き出して。
結果、手段が変わったっていいじゃんって。

デザインするより話す方が好き(笑)な私としては、
面倒でも何でもないのでこの流れ、歓迎ですけどね。

これこそ、替えがきかない自分自身の
商品価値になるのではないでしょうか?

投稿: 芍団子 | 2009年8月19日 (水) 14:29

>クライアントとのコミュニケーションの中で本当の目的とか背景とか引き出して。

そうなんですよね。はじめから本当の目的なんて誰も見えないもんなんです。だからじっくり話せるお客さんとの仕事はよくなるんです。それは必然だと思います。

アイデアとか戦略とかもありますが、最終的にはやっぱり人なんですよね。

投稿: mb101bold | 2009年8月19日 (水) 15:20

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