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2009年8月29日 (土)

ラジオの楽しさが生き残るために(1)

 ラジオが好き。特にAMラジオが好き。例えば、伊集院光さんも、爆笑問題のお二人も、雨上がり決死隊のお二人も、ナイティナインのおふたりも、大竹まことさんも、テレビに出演しているときとは違って、すごくリラックスして喋っていて、そのためか、ラジオの時間はテレビの時間と比較すると、ゆったりしている気がします。どちらも芸能活動ではあるのでしょうが、テレビとラジオでは、きっとモードが違うんでしょうね。

 聴き手にとってみれば、ラジオは音声だけだから、ながらで聴けるし。私は、広告コピーやら企画書やら、仕事の書き物は家ですることが多く、そのときはテレビではなくAMラジオを流しています。テレビはどうしても映像が入るから、目が画面にいってしまって、人とおしゃべりしながらだと案外目線が外れることが都合がよかったりしますが、ひとりのときには、映像がないラジオのほうが、いわゆる「ながら」には好都合なんですね。

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 ポッドキャストというものがありますよね。私もよく利用します。便利ですよね。でも、やっぱりポッドキャストでは、私にとってのラジオの楽しさの大事な部分が欠けてしまっているような気がするんです。それはきっと、「その時にしか流れない」という即時性の部分。何度も繰り返し聞ける、という便利さがプラスされるだけで、それはもうラジオではない、という気さえしてしまいます。もちろん、以前から好きなラジオはカセットテープに録音して聴いてはきましたが、それは自発性が絡んでいますから、あらかじめお好きな時間にお好きなだけ、というポッドキャストは別物だという気がどうしてもしてしまうんですね。

 古いタイプの人間なんだろうな、とは思います。私はラジオを聴いて育ってきましたし、その頃は、AMラジオが黄金期だった時期と重なりますから、どうしてもその頃のラジオの活況と今を比較してしまうところはあると思うんです。基本的にはノスタルジーでしょ、と言われても、それは、その通りです、と答えるしかないとは思うんですね。

 ノスタルジーはノスタルジーとして面白いとは思いますが、ノスタルジーだけではラジオは生き残れないのは広告でもジャズでも何でも同じです。ラジオの楽しさが生き残るために本当に大切なのは、その楽しさをどう残していくかという部分をきちんと考えることだと思います。

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 すこし前のことになりますが、あるフリーのラジオ番組ディレクターさんとお話をしたことがありました。私のブログを読んでくださっていて、一度ラジオのことについて話したいとご連絡をいただいて、ラジオについて現場目線でたくさんお話をしました。

 広告会社にとってのラジオ。番組制作者にとってのラジオ。話ははずんで、最終的にお金の話になりました。ラジオ放送局が流すラジオメディアは、基本的には広告収入で成り立つ広告モデルの収益構造を持っています。その構造を、今の不況下で成り立たせるためには、広告会社は、1社買い切りの番組が手軽にできる方向でラジオを活かそうとしますし、番組制作者は、なかば広告番組化した番組の中で、おおらかな自由さが失われてきている、というのが現状だね、ということになりました。

 確かに、ジェットストリームのような、提供社のブランドの世界観をエンターテイメント性豊かに伝える素晴らしい1社提供番組はありましたが、それは、あるバランスを持って存在するものです。そのラジオ番組ディレクターの方は、プロの話芸、プロの番組制作ノウハウが、番組が広告化することでないがしろにされていく現状を深く嘆いておられました。少し専門的になりますが、ラジオに限らず、これが今の多メディア化が生んだブランデッド・エンターテイメントの潮流の現実でもあります。

 どうにかなりませんかね、このままじゃラジオが駄目になってしまう、とその方はおっしゃっていました。

続き

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コメント

いつも拝見させていただいています。ラジオ、ポッドキャストだけでなく、ストリーミングサイト等(ニコニコ生、Stickam、Ustream等)でのリアルタイムの音声配信+終わった後はポッドキャスト配信等は、なんでされないんだろうなーと思っています。ラジオは視聴者との双方向性が結構あったりするし、データ量的にもネット向きだと思います。技術的には簡単だし、映像と比べたら権利関係も楽だろうし、番組聞けない地域がいっぱいある中で、ネット配信したら聞く人増えるような気するのですが…

投稿: srst | 2009年8月30日 (日) 00:34

ラジオという放送の特性を考えると、ストリーミングは電波の代替としては有効かもしれません。無料ポッドキャストについては、きっと広告・PR以外の意味合いしか持てない気がします。視聴者は便利にはなりますが、ラジオにとっては自身の本質を阻害してしまうんじゃないか、なんて考えています。詳しくは、続きで書きたいと思います。
KeyHoleTV的なP2Pの技術で、データ送信量の少ない音声メディアであるラジオはほぼ実用の段階まで入っていますよね。ただ、これが実用段階になると、ますます地方局は不利になるだろうし、いろいろ難しい問題があるのだろうな、とは思います。
このあたりの、新しい技術によって素敵なものが成り立たなくなる感じを、なんとか正攻法で払拭したいなあ、という思いが私には強くあるんです。これは、どうしようもないで欲求というか、そんな感じです。

投稿: mb101bold | 2009年8月30日 (日) 00:58

レスありがとうございます。そうかー地方局か…そう考えると、ラジオ(とかテレビ)って、まさに電波の不便さありきのビジネスモデルって事ですね。ってか、不便さがあるからビジネスになるってのは、何でもそうか…
新しい技術に対応できない/したくない人が、古い技術にのっとった素敵な物と心中していくんじゃないかなーと思っています。ラジオはテレビよりも即時性が有効に生かされていると思うので、ラジオだからポッドキャスト、と考えなくても良いようにも思います。自分が都内在住なのに、立地的にラジオ電波が全く入らなくて聞けないというのもあるので… 続き楽しみにしています。

投稿: srst | 2009年8月30日 (日) 08:42

ラジオは電波の問題はけっこうありますね。私もニッポン放送が入りにくく困っています。
それを救うのはP2Pの技術だったりするし、ラジオの本質をあまり阻害しないような気がするし、ほぼ実用化可能なんですが、大人の事情でいろいろ問題はあるようですね。
テレビの話ですが、個人的には、地デジよりも放送局数の地方格差を何とかすべきなのにな、と思います。

投稿: mb101bold | 2009年8月30日 (日) 11:47

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